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TOPページへ    小説トップへ    重たい執着男から逃げる方法

 9.姉さまと婚約者と親子兄弟


「いかがでしょうか、お嬢様」
 私はその時、かなりの間抜けた顔をしていたんだと思う。
 視線の先には、とても可愛らしいレディが佇んでいた。艶のある黒髪を複雑に結い上げ、耳の脇に一房だけ垂らした毛先はドレスの胸の当たりに触れるかという長さ。両耳を飾る碧玉は、レディが小首を傾げると、しゃらり、と上品な音を立てて揺れた。ぱっちりとした紫暗の瞳に、薄く橙色に色付いた頬。ぷっくりと愛らしく膨れたローズレッドの唇は驚いたように開いていた。
「えっと、魔術を使われた、んですよね?」
「いいえ、単なる化粧です。お嬢様」
 淡々と答えたのは、バルトーヴ子爵家のメイドであるマローネさんだった。赤茶の髪をきっちりと結いつけて、制服である黒のワンピースに白いエプロンという出で立ちの彼女は、普段は子爵夫人であるゲルダ様、いや、お義母さまに付いている。
「そこまで驚いていただけると、こちらとしても飾り甲斐があったというものです。―――間違いなく魔術など使っておりませんし、お手になさっているのも間違いなく姿見です。映っていらっしゃるのは、お嬢様ご自身ですわ」
 思わず「うえぇ」と品のない悲鳴を上げそうになったのを、ぐっと飲み込む。
 ない。これはない。きっと何かの間違いだ。
コンコン
「そろそろ支度はできたかな?」
「丁度、整ったところでございます」
 待ってと制止の声を上げるより早く、マローネさんがドアの向こうの身内を招き入れてしまった。
「あぁ、これは想像以上だね。ほら、御覧よ」
 ちょ、カルルさんだけでなく、後ろの人は―――っ!
「……」
 にこやかな笑みを浮かべるカルルさんとは対照的に、その後ろからやって来た人は、何故か私を視界に入れた途端、その足を止めてしまった。
 うぅ、じろじろと見ないでいただきたい。
 支度部屋へ入って来た彼らは二人とも、夜会に相応しい服装に着替えていた。
 カルルさんは栗色のクセ毛を綺麗に撫でつけ、白を基調としたコーディネートだ。だが、そこは商売人の息子。白と言っても、その生地の織は複雑で、光の加減でできる陰の模様が目を引く。おそらく、パトロンとなっている工房の新作なのではないだろうか。
 もう一人、私を頭の天辺から足先までじろじろと眺めている人は、光沢のある黒地の上下に身を包んでいる。袖口のカフスと、詰襟の飾りボタンが紫水晶で統一されているのは、……あまり深く考えたくはない。さらさらの金髪はいつも通りなのだが、そのエメラルドの双眸がいつにも増して熱を帯びているように見えるのは、考え過ぎだろうか。
「クレスト? 婚約者からも何か言ってあげなよ」
 カルルさんに促され、じっとこちらを見つめていたもう一人=クレスト様は、にこりとも笑わずに言い切る。
「―――やり過ぎだ」
 少し、解釈に困るセリフだった。
「悪いが、マリーは欠席させる。こんな姿、見せられるわけがないだろう」
 やはり、似合っていないのだろう。それはそうだ。ドレスもアクセサリーも、私なんかには分不相応な代物だし。
「ちょ、待てよクレスト。ってか、マリーちゃん、絶対に誤解してるからな。あー、面倒だなお前! いちいちフォローすんのも億劫だから、直訳するぞ!」
 カルルさんは、大きなため息をついて、私の方に向き直った。
「あのね、マリー。クレストは似合わないって言ってるんじゃないんだ。似合い過ぎてマリーが綺麗になり過ぎてるから、他の男の目を引くし、何よりこんな綺麗なマリーを他の男に見せるのがイヤだっつってんの!」
 ノンブレスで言われて、一瞬、何を言われてるのか理解が追いつかなかった。こてり、と小首を傾げると、耳元でしゃらり、と碧玉の擦れ合う音が響く。
「マリー、君の真珠のような肌にその瑠璃に星の瞬きを散りばめたドレスはこの上なく似合っている。袖周りと胸元の繊細なレースは、君の滑らかな肌を隠すどころかかえって際立たせてしまっているし、何よりも見る者を魅了しかねないその赤朽葉に染められた頬や、匂い立つ色気に思わず唇を落としたくなる薔薇色の唇、いつもよりも潤んだアメジストの瞳は、幾多の虫を引き寄せてしまうだろう。そんな君をあの有象無象の盆暗どもの視線に晒すなど、到底許可できるものではない」
 クレスト様の口から、それこそ立て板に水のごとくスラスラと流れる賛美の言葉に……思考停止するかと思った。
 あと、カルルさんが、笑いを堪えて変顔になってるのも見える。いっそのこと、思い切り笑ってしまえばいいのに。
 とりあえず、羞恥で赤く染まる頬を抑えつつ、私はじっとクレスト様を見つめた。
「クレスト様。誉めていただいたということは、上出来と思って良いですよね?」
「今からでも遅くない。もう少し目立たない装いに―――」
「クレスト様!」
 今にも、この装いにしてくれたマローネに詰め寄りそうなクレスト様に歩み寄ると、私はその両手をぎゅっと握った。
「絶対に欠席はしません。これは、私がクレスト様の隣に居るためには、必要なことなんですから!」
 ぐぐっと見上げると、何故か視線を逸らされ、大きなため息までつかれた。
「マリー、俺を試しているのか?」
「試す?」
「―――はいはーい、そこまでそこまでー」
 パンパンと手を叩いて、カルルさんが私たちの注意を引く。
「宴が始まる前に、姉上の所に挨拶に行くんだから、さっさと動くよ」
「あ、はい」
「……分かった」
 カルルさんに先導されて、私はクレスト様にエスコートされつつ、エデルねえさまの待つ部屋へと向かった。
 それにしても、このエスコートの形、どうにかならないんだろうか。片手を取られるのは良いとしても、私の腰にクレスト様の手が回っているのが、こそばゆいと言うか、逃がさないぞオーラがひしひしと伝わって来るというか……。


「悪いですが、貴女のような出自の知れない人間と仲良くする気はありません」
 全否定された私よりも、隣に立つクレスト様の方が凍りついた。
 エデルねえさまの待つ部屋には、ねえさまの婚約者であるラウパッハ侯爵の次男、ゲオルク様がいらっしゃったので、みっちりと身体に叩き込んだばかりの目上の人に対する挨拶を、それこそ指の角度にまで気をつけて行った……のだけど。
 目の前のゲオルク様はとても冷めた目で私を見ていらっしゃった。以前、耳に挟んだことのある貴族の血至上主義者なのだろう。それでも、成り上がり子爵と呼ばれるバルトーヴ子爵と縁続きになるのだから、ある程度の柔軟性は持ち合わせている……と思いたい。
 とりあえず、隣で殺気を放っている(気がする)クレスト様の手をぎゅっと握って、大丈夫だと伝えた。カルルさんからの助け舟もないし、これは、子爵家令嬢として上手くやっていけるかどうかの一種のテストなんだろう、と解釈する。
 テストであろうがなかろうが、やることはあまり変わらない気もするけど。
「分かりました。では、お義兄さまと呼ぶことはせず、ゲオルク様と呼ばせていただいてもよろしいでしょうか」
「―――そのくらいならば」
 答える前に、ちらりと隣のエデルねえさまを見た、ということは、あくまで婚約者であるエデルねえさまの顔を立てるために了承したという態度なんだろう。
 うん、これは、早々に挨拶だけ済ませて撤退するのが一番良い。
 本当はエデルねえさまとお喋りもしたかったんだけど、忙しい夜会の前だし、すっぱり諦めることにしよう。
「ありがとうございます。ゲオルク様。ご寛恕いただいたついでに、僭越ながら、お願いを一つだけ聞いていただけますでしょうか?」
 顔に「厚かましい」と書いてあるけれど、ゲオルク様は無言で頷いた。
「どうか、エデルねえさまとお互いを尊重し合う仲睦まじい関係を築いて欲しいのです。私は大恩あるエデルねえさまに、幸せになっていただきたいのです。そのためには、婚約者であるゲオルク様のご協力が不可欠と考えております。どうぞ、お聞き届けくださいませ」
 一瞬、面食らったような顔をされた。見間違いかとも思うぐらいの、ほんの一瞬だった。
 仏頂面でこちらを睨みつけたゲオルク様は、「言われるまでもない」という返事をくれると、ふい、と部屋の奥へ引っ込んでしまった。
「それでは、失礼いたします。エデルねえさま」
「えぇ、また広間で。―――マリー、ありがとう」
 エデルねえさまの小さな囁きは、いったい何に対する感謝の言葉だったんだろうか。
 そんなことを思いつつ、部屋を辞去する。道中、非常に不機嫌な様子のクレスト様の手をきゅっと握りながら、無言で宛がわれた部屋に戻ると、付き添って来たカルルさんがドアを閉めた途端、クレスト様が罵倒の言葉を洩らした。
「なんっだ、あの無礼極まりない男は!」
「はいはい。いやー、よく堪えたなー、クレスト」
「マリーが止めていなければ、あいつが侯爵家の人間でなければ、とっくに叩き斬ってたかもしれないな」
 わー、なんて物騒な。
「クレスト様、そんなに気にしなくてもいいですよ。平民というだけで差別されるのは慣れてますから」
「なんだそれは! 慣れるなそんなもの!」
 うわぁ、私が怒鳴られた。なんて理不尽な。
「マリーってば、そんなこと、どこで慣れたのさ?」
「お師さまと興行に出た時は、何度もありましたよ? 大人でも子どもでも、私たちが魔術師であろうと関係ないみたいでした。下賤の民とか尊き血を持たない家畜とか、陰湿な言葉を投げてくる人もいましたし、子どもになると、あれこれ暴力揮って来たりする子もいて……。そんなのと比べると、むしろ真っ当な方だと思いましたけど」
 あまり度が過ぎた子は、後でお師さまが「悪い祝福」を授けていたっけ。懐かしい。突然、豚の鼻になってしまったり、全身が痒くなってしまったり、色々とバリエーションがあった。―――よく考えたら、何をしているんですかお師さま。
「マリー。やはり帰ろう。君をそんな阿呆どもの餌食にさせるなんてとんでもない」
 この人は、いい加減私を閉じ込める方向に考えるのをどうにかして欲しいと思う。……もう何度目なの、この遣り取り。
「―――クレスト様。何度も言っていると思いますが」
「……」
 あ、そっぽ向かれた。
 ちらりと義理兄を見れば、「処置なし」とでも言いたげに肩を竦めている。私の方で上手く誘導しなさいってことかな。
「クレスト様。私はちゃんと夜会に出て、公の場でクレスト様の隣に立つことを認めてもらいたいんです。もちろん、嫌なことがたくさんあるのは承知しています。……だから」
 私の指が、クレスト様の夜会服の裾をくい、と引っ張る。
 試しにやってみたらいい、とお義母さまに言われたやり方なのだけれど―――
「だから、クレスト様。その……守ってくださいませんか?」
 ようやくこちらを向いてくれたクレスト様の目が大きく見開かれた。と思ったら、何かを堪えるように奥歯をぎりりと噛み締める。
「マリーが、そうしたいのか」
「はい」
「……分かった」
 おぉ! お義母さんの説得方法が通じた! さすがです!
 ちなみに、斜め後ろで義理兄が震えている気がするのは無視する。どうせ、またよく分からないことで笑っているんだろうし。
「そ、そうか、ゴホン、……クレスト。君がそう言うなら、ぜひ事前の根回しをよろしく。―――ゲイル、中広間にクレストを案内してやって」
「かしこまりました」
「カルル、何を―――」
「夜会が始まる前に、うるさいのを牽制しといて欲しいんだ。『婚約者殿』に、ぜひ、ね。マリーはここで待たせておくよ」
 聞こえるように舌打ちしたクレストは「マリーをここから出すなよ」と言い置くと、ゲイルと呼ばれた使用人さんと一緒に部屋を出て行った。
「えぇと、にいさま?」
「なに、騎士団関係の控え室に向かわせただけだよ。しっかりと事前の根回しをしておくにこしたことはないからね」
 それが聞きたいわけじゃない。
 わざわざクレスト様を不機嫌にさせてまで追い払った理由があるんじゃないかと、私が勘繰っているだけだ。
 そう勘繰る時点で、もしかしたら子爵家に染まってきているのかもしれないけど。
「……うん、マリーも色々と気付くようになってきたね。マリーだけに会わせたい人がいるんだ。なぁに、クレストに言ったとおり、マリーはこの部屋から出さないよ。安心して」
「安心、してもいいんですか?」
 そこまでして、私『だけ』に合わせたい人というのは、どうも嫌な予感しかしない。よほどクレスト様の癇に触るような人なのか。―――エデルねえさまの婚約者以上に。
コンコン
 お連れしました、という声に、カルルさんは少し躊躇ってから応答した。
 ガチャリ、と扉を開けて入って来たのは、褪せた金髪を持つ貴族の男性だった。少し小太りのそのおじ様は、私を見るなり困ったような表情を浮かべた。
「何年振りになるか。成長してもその色彩は変わらないものだ」
「?」
 口ぶりから察するに、私の知っている人だろうか。でも、残念ながら、私はこの人に見覚えがない。
「マリー。君の婚約者の父親に当たる方だよ」
「……え」
 つい、目の前の人をまじまじと見つめてしまった。確かに同じ金の髪を持っているし、目元が少し鋭いところも似ている……かもしれない。
「あの時しか顔を合わせていないから、覚えていないのも当然だ」
「……アルージェ、伯爵、様、ですか?」
「そうだ」
 たぶん、顔を合わせたのは、私を『買った』時だけだ。お師さまと二人で呼び出された記憶がある。もう、随分と昔のことのようだ。
 滅多に物をねだることのない息子が、誕生日にねだったもの。それが私だった。
 あの時は、「なんで」と言いたかった。なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないんだって。
 今も「なんで」と尋ねたい。どうして三男を放置してたのか。兄二人を諌めなかったのか。父親がちゃんとしていれば、クレスト様はもっと―――
 追及したい気持ちをすんでのところで堪えて、私は貴族令嬢に相応しく礼をとる。今の私の立場は、子爵令嬢だから。
「お久しゅうございます。バルトーヴ子爵様のご厚意により迎えられまして、マリーツィア・バルトーヴを名乗ることとなりました」
 ドレスの裾を軽くつまみ、膝を軽く折って頭を下げる。
「私は君にそんなに丁寧な礼をとられるような真っ当な人間ではないんだがね」
 少しだけ困ったような表情を浮かべたアルージェ伯が、彷徨うように視線を揺らがせた。
「あれの父親として、君に何を言うべきか、非常に困るところではあるんだが……。マリーツィア嬢、君にはまず、感謝を」
「……感謝、ですか?」
「君を引き取ったことで、随分と柔らかくなったと聞いているからな」
 その言葉に、目の前が真っ赤に染まった。
 綺麗なドレスを着て、綺麗に整えられた髪でなければ、それこそ、レディにあるまじき振る舞いで罵っていたかもしれない。
 柔らかくなった「と聞いている」?
 間違いなくクレスト様と血の繋がった父親でありながら、そんなセリフを言ってのけるなんて―――
「……まぁ、もったいないお言葉ですわ」
 口元がピクピクと痙攣しそうになるのを意思の力だけでねじ伏せる。表情を笑いの形に留める魔術でも開発しておけば良かったと激しく後悔した。
「不思議だな」
 アルージェ伯は、じっと私を見つめると、ぽつりと洩らした。
「顔立ちは間違いなくクレストが瓜二つなのに、何故か君を見ていると、亡くなった妻を思い出す」
 何を言い出すんだ、このおじさんは。
 既に心の中の私は令嬢モードを切り替えて、冷めた目つきで目の前の舅(予定)を見ていた。
「このままクレストと結婚して、もし、可能なら―――領地の方へと遊びに来てもらっても構わない」
 私の堪忍袋の緒が限界まで来ていた。
 繊維がぶちぶちと音を立てて切れ、もはや糸数本でぎりぎり繋がっているような、そんな状態だった。
 領地に行けば、嫌でも次期当主の長兄とその補佐をしている次兄と顔を合わせることになるだろう。クレスト様にそんなことをさせると? 冗談じゃない。
 しかも、「来てもらっても構わない」という上から目線の言葉とか、どういうこと?
 頭の中で、お師さま直伝の嫌がらせ魔術が浮かんでは消える。あれにしようかこれにしようか。それとも、それとどれかの複合でいってみようか。
「もはや、親子・兄弟関係は修復できないと諦めているよ。だから、もし、あれが許容するなら、の話だ」
 私の沈黙をどう解釈したのか、続けられたセリフに「折を見て、相談してみますわ」とだけ答える。でも、おそらくそんな日は来ない。
 アルージェ伯は、また困ったような表情を浮かべると、カルルさんに「それでは。呼んでくれて感謝する」とだけ告げて、部屋を出て行った。
 ほんの、短い時間だったけれど、逆に言えば、短い時間で良かったと言える。マローネさんの力作である今の私をぐちゃぐちゃにするところだった。
「マリー? なんだか顔が怖いんだけど」
「気のせいです」
「あー……、せめてクレストが戻るまでに、その表情をどうにかしてもらわないと、オレの身の安全が保障されないんだよね。言いたいことがあるなら聞くけど?」
 おそらく、私の憤りの理由など見当はついているだろうに、飄々と言ってのける義兄に少し苛立ちが募る。
「……にいさま」
「なんだい?」
 その呼び方は嬉しいけど、声が怖いなぁ、と呟くカルルさんに、私は意見を求めることにした。
「将来、舅となる方に、非常に失礼なこととは存じ上げているのですが、頭部への無毛のまじないと、白癬にかかりやすくなる術式と、水虫を誘発する魔術と、魚の目の種を撒く術法と、どれが良いと思いますか?」
 怒気を撒き散らさないように、できるだけにこやかな笑みを浮かべて尋ねたはずなのに、「うわぁ」と恐れられてしまったのが、腑に落ちない。

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