TOPページへ    小説トップへ    重たい執着男から逃げる方法

 8.エステとドレスとお飾り


 ……だるい。
 心地よい部類の倦怠感とは言っても、身体がだるいのには変わりない。
 子爵令嬢としてのお披露目の夜会を3日後に控え、私は自室でぐったりとソファに沈んでいた。
「ハーブティをお持ちしました」
「ありがとうございます、イザベッタさん」
 つやつやニコニコしたイザベッタさんの黒い瞳がいつにも増して大きく輝いている。シニヨンにまとめられた焦げ茶の髪が若干ほつれているのに、その表情は疲労ではなく達成感に満たされていた。
「もう、お嬢様。あたしなんかに、そんなに丁寧にしなくてもいいんですよ」
「そんなわけにはいきません。イザベッタさんにはお世話になっているわけですし」
 年も近く、この邸で一番フレンドリーに接してくれるイザベッタさんだけど、私は敬語を崩せないでいた。
 というか、どうしてこんなに元気なんだろう。ついさっきまで、私の頭からつま先まで全身くまなくマッサージをしていたっていうのに。
「イザベッタさんも一緒にお茶を飲みませんか?」
「え? えぇと……」
 私の誘いに視線を彷徨わせたイザベッタさんの様子に、私は慌てて思い出した。
「すみません。ちょっとおしゃべりがしたいので、お茶に付き合ってもらえませんか?」
「はい。そういうことなら喜んで」
 忘れていた。お茶に誘うのではなく、お願いの形式にしなければ、使用人の立場で同じテーブルにつくことはできないのだった。
 貴族とか地位とかいうのは本当に面倒だと思う。けれど、それもクレスト様の隣に立つためには覚えていかなければならないことだった。
「イザベッタさんは、どこでああいったマッサージを学んだんですか?」
「元々、美容に興味はあったので、本邸の侍女仲間から教えてもらったんです。しかも、今回に至っては、マリーツィア様に施術するなら、とカルル様の口聞きで美容マッサージを専門に商いをしている方の手解きまで受けることができたんですよっ!」
「カルル様、いえ、にいさまが、ですか」
 本当に、色々なツテがある人だと改めて実感する。女性向けの美容マッサージなんて、直接必要とすることはないだろうに。
 それとも、ねえさまの結婚式に向けて色々と調査したのだろうか。それだったらまだ納得できるけど。
「ここだけの話、ですけど、クレスト様が猛反対されていたらしいですよ?」
「え?」
「これ以上、美しくしてしまったら、いらない視線まで集めるから、って」
「……」
「愛されてますね、マリーツィア様♪」
 そんなことを言うクレスト様の表情までもが、だいたい思い浮かぶけれど、それを「愛されてる」と判断するイザベッタを思わず胡乱な瞳で見返してしまった。
 この行き場のない気持ちを、アマリアさんだったら理解してくれるのだろう。
 けれどイザベッタはどうにもクレスト様の外見による補正がかかってしまっているのか、「一途な愛の形」と見てしまっていた。一時期は弱り果てた私を見ていたにも関わらず、だ。
「え、えぇと、イザベッタさん?」
「そんな、謙遜しなくてもいいんですよ、マリーツィア様」
 いや、言いたいのはそんなことじゃない。
 けれど、イザベッタの迫力に思わず続く言葉を飲み込んでしまった。
「クレスト様、あんなに素敵なドレスを二十着も用意していらっしゃったじゃないですか」
 ぐ、と喉の奥で妙な音が洩れた。
 思い出すだけで、げんなりとした気分になる。
 そうなのだ。今度、バルトーヴ子爵が主催する夜会で養女になったことをお披露目することが決まり、当日は何を着たら良いのかと義理兄に相談したはずが、なぜか、……なぜか夜会用のドレスが既に二十着以上も用意されていることが発覚したのだった。
 いつの間に作っていたのかも知らなければ、採寸させた覚えもなかった。それなのに、寸法がぴったりというのはどういうことなのか!
(怖くて、問い詰めることもできなかったけど)
 考えてもみて欲しい。
 採寸させた記憶もないのに、ぴったりなサイズのドレスがある。
 一時期、体調を崩して劇的に痩せてしまっていたことを考えると(その後、ほとんど元の体型に戻ったけれど)、それが製作されたのはいつ、という疑問がある。
 何よりも問題なのは、どうやって私のサイズを知ったのかということ。
 知りたくもない真実が発覚しそうで、怖くて誰にも尋ねることもできないでいた。
 だって怖いじゃない。
 例えば、ドレスの発注をしたのがクレスト様本人だったらどうする? 首とか袖とかはまだいいけれど、胸とか腰とかのサイズを知られてたりするわけでしょ?
(……きっと、世の中には知らない方が良いこともあるのよ)
 アマリアさんあたりが、私のサイズを把握しているというオチであって欲しい。本当に切実に。
「―――それに、あのアクセサリーの数々!」
 私の葛藤をよそに、話を続けていたイザベッタが、ほぅ、と息をついた。
 正直、それも思い出したくなかった。
 だいたい、アクセサリーなんてあの見事なダイヤ3点セットだけで十分だと思う。……魔術の素材にしちゃったけど。1つは必ず『クリス』の中にあるけど。
 ドレスと同じようにいつの間に買い揃えたのか知らないけれど、アマリアさんの話では相当数ある。しかも―――
「エメラルドに翡翠、見事にクレスト様の瞳の色で揃えられていましたよねぇ」
 夢見るようにため息をついたイザベッタに、思わずクレスト様の重い愛情ごと譲り渡したくなってしまった。
 そう、緑色の宝石ばかりを取り揃えていたのだ。これはアレか。俺色に染まれとかそういう話なのか。それとも常に俺の視線を感じていろとかそういう話なのか。もうどう解釈すればいいのか分からない。
「……ここまで大変だなんて思わなかった」
 肉体的な疲れと精神的な疲れが相まって、そんなセリフがこぼれた。
 カルルさんの提案により、急遽、私は淑女教育なるものを施されるし、こうやってイザベッタさんには身体を磨かれるし、クレスト様には(毎度のことながら)怖いことが発覚するし。
「緊張していらっしゃいますか、お嬢様?」
「緊張……。そうね、淑女教育も付け焼刃みたいなものだし、失敗したらどうしようって思いもあります」
 すると、何故かイザベッタさんはニンマリとしか形容できない笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ。失敗しても、クレスト様が何とかしてくれますって」
 イザベッタさんは、どうしてそこまでクレスト様を信用できるんだろう。彼女の中には美形=万能の法則でもあるんだろうか。
 私の胡乱な眼差しに気がついたのか、イザベッタさんの目が垂れた三角になった。
「だって、考えてもみてくださいよ、お嬢様。もし、夜会で失敗するようなことになったら、お嬢様の評価が下がってしまうんですよ? クレスト様が看過するわけないじゃないですか」
 あれ、どうしてだろう。
 イザベッタさんの言うことに、妙に説得力を感じてしまうのは。
「ただでさえ、貴族同士のいざこざに巻き込みたくないと常々口にしているクレスト様です。むざむざお嬢様の失敗に付け込ませるようなことするわけないじゃないですか」
 イザベッタさんの言葉は気休めかもしれなかったけれど、正直、それが正しいような気がしてきた。
 自分ではあまり自覚したくないけれど、私を大事にしてくれるクレスト様が、私を窮地に追い込む――とまではいかなくとも、不利な立場に立たされるのを黙って見ているはずがない。
 この点に関しては、イザベッタさんの観察眼が上だったわけだ。ちょっとだけ悔しい……かもしれない。
「あぁ、そもそもカルルさんのところの養女にならなければよかったのかなぁ」
 あの時は、あの人しか頼れる人がいなかったから交換条件を丸呑みしたけど、それすらも―――
「よし、ぶち壊すか」
 私はぎょっとしてソファから立ち上がった。
「く、クレスト様?」
「マリーツィア、今、帰った」
「は、はい。お帰りなさいませ」
 ちらりとイザベッタさんを見れば、私よりも数段早く気付いていたのだろう。先ほどまで向かいに座ってお茶を飲んでいたことなど気付かせない様子で、茶器を乗せたワゴンの隣に立っていた。
 帰って来たのなら、教えてくれたっていいのに。
「それで?」
「は、はい?」
 私の目の前に歩み寄って来たクレスト様は、その手を私の頬に添えた。視界の端でイザベッタさんが声無き黄色い声を上げているように見えたけど、これは違う。私の視界を自分の方に固定するための手だから!
「マリーツィア」
「な、何でしょう、クレスト様?」
 真剣なエメラルドの瞳が、私を真っ直ぐに射貫いている。
「今度の夜会は、欠席するか」
 その言葉は、予想もしなかった上に信じられないものだった。
「く、クレスト様……?」
「無理にあいつの義妹になんてなる必要はない。そんなことをしなくても、君の居場所は俺の傍に―――」
「だ、ダメですっ!」
 私は慌ててクレスト様の手を両手で握り締めた。
「私、ちゃんと子爵令嬢としてお披露目しないといけないんです。欠席なんてとんでもありません!」
「だが―――」
 クレスト様の瞳が不機嫌に揺れる。
 分かっている。何が言いたいのかなんてことぐらい。
 どうせ、私が辛い思いをするぐらいなら、この邸に閉じこもっていればいいとか言うんだろう。
「私は、クレスト様の傍にいたいんじゃないんです」
 あれ、部屋の温度が下がった……?
 まぁ、いいや、とりあえず言いたいことを先に言ってしまおう。
「私は、クレスト様の隣に立ちたいんです。そのためには―――っぷ!」
 私の鼻が固いものに押し付けられた。ぎゅうぎゅうと圧迫されて息が苦しい。
「ちょ、クレスト、様っ」
 この際、抱きしめて来るのは別に良いから、せめて呼吸のしやすい体勢にして欲しい。
 そんなことを考えてもがいていたら、耳元に妙に色気を感じる声が落とされた。
「マリーツィア」
 名前を呼ぶ声だけで、ぞわりと鳥肌が立つ。
「君は俺を殺したいのか?」
「はい? 何を言っているんですか? そんなわけないじゃないですか」
 あぁ、もう、セリフの解読が面倒な人だな。本当に。
「本当に夜会に出るんだな?」
「もちろんです! だから、その―――」
 あぁ、顔が見えないから、ちょっとだけ甘えてしまおう。
「何か粗相があったら、フォローお願いします、ね?」
 体勢を変えることを諦めて、目の前の胸板に向けてお願いをした瞬間、再び私は呼吸困難に陥った。

 後で、イザベッタさんからは「ラブラブな遣り取りごちそうさまでした!」と何故かお礼を言われた。
 よく分からない。

 ←前   次→ 


TOPページへ    小説トップへ    重たい執着男から逃げる方法