TOPページへ    小説トップへ    重たい執着男から逃げる方法

 5.謝罪と顔つなぎと


「このたびは、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」

 私は深々と頭を下げた。隣には『クリス』が居て、一緒に頭を下げている。

「いや、顔を上げてくれ、……えぇと、ニコルくん?」

 久しぶりに「ニコル」と呼ばれ、私はおそるおそる顔を上げた。視線の先には、少し戸惑ったような表情のゲインさんが居る。

「元々、無理にと頼み込んだのはこちらだし、君がこうして戻ってくる前に同業のクレインさんを紹介してくれたじゃないか。君がそこまで頭を下げることでは―――」
「しかし、突然、姿を消すことになったのは」
「君の本意ではなかったんだろう?」
「それは、そうですけど……」

 ゲインさんの言葉が有り難い。でも、どんな事情だろうと、引き受けていた仕事を突然放り出すような真似をしてしまったのは事実だ。きっと色々な人に迷惑をかけてしまったに違いない。
 それに同業のクラインさん――お師さまのことだ――に引き継いだのも、失踪して3ヶ月以上も経ってからだ。街道の行き来が鈍る雪深い季節には間に合ったけれど、その期間に難渋した人のことを思うと胸が痛い。

「元々、渋る君たちにお願いをしたのはこちらだよ。渋るには理由があったんだろう? マリーちゃんの病気のことだけではく」
「……黙っていて、申し訳ありません」

 私は再び頭を下げる。

「いいんだ。いいんだ。こうして戻って来てくれたんだしね。そっちの事情の方はもう大丈夫なのかい?」

 私はちらりと隣に立たせた『クリス』を見た。『クリス』は私の視線を受けて頷く。こういう目配せも、もう慣れたものでタイミングはばっちりだ。

―――デヴェンティオでもそうだったけど、ここに戻って来るに当たって、色々と考えた。逃亡中に作った設定を引き継ぐのか、それとも全てを暴露して謝罪するのか。
 お師さまにも相談したけれど、やっぱり本当のことは言えない。色々とややこしい上に、やっぱりクレスト様の外聞のこともある。
 今日も店に保管していた替えのローブと厚底靴を引っ張り出して、わざわざ着替えてからこうして挨拶と謝罪にやってきている。……ちなみにレックスは薬屋でお留守番だ。
 私は、性別を偽っていたこと、ニコルが偽名であることだけを告げた。本名は、町の人を巻き込みたくないという理由から内緒にさせて欲しいと理由を添えて。

「残念ながら、私自身はこの町に戻っては来られないんです。その代わりと言ってはなんですけど、私の弟子とマリーを置いていきます」
「弟子?」
「はい。まだ若いし、接客も心もとないのですが、そこはマリーにカバーさせます。知識と学び、研究し続ける意欲については私もクラインさんも認めています」

 昨冬に代理で来てもらったお師さま(の偽名)も持ち出して説明すれば、ゲインさんも渋々ながら納得の姿勢を見せる。

「君がそこまで言うのなら。……それで、その弟子とやらは?」
「今は店の方を掃除させています。また、挨拶に来させますので」

 もしかしたらゲインさんに罵倒されるかも、と心配していたので、レックスは留守番だ。せっかくなので掃除と畑の草むしりをお願いしてある。

「……ニコルくんは、それでいいのかね?」
「はい?」

 ゲインさんの言葉の意図を掴みかね、間の抜けた聞き返し方をしてしまった。そもそも、ゲインさんと話すのが久しぶりなので、どうにも勝手が掴めない。

「あの場所は君が、君とマリーちゃんが力を合わせて作り上げた大事な店だろう? それを弟子に譲り渡すのは―――」
「……私があの場所に戻れない以上、仕方がありません。私は、王都を長く離れられないんです。それに、この町に薬屋が必要だと言ったのは、他ならぬゲインさんじゃないですか」

 元々、ミルティルさんの山小屋で小遣い稼ぎに始めていた薬屋だが、それを是非とも町で、と熱心に口説いてきたのはゲインさんの方だった。もっと王都から離れた場所に逃げようと考えていた私は、その熱意に負けてここに店を構えることになったんだ。
 あれがもう一年も前とか、懐かし過ぎて涙が出てくる。


「―――ということで、ゲインさんに話を通すことができました」
「まぁ、それならそれでいいさね。で、こっちは順調かい?」

 私はミルティルさんの山小屋で、せっせと『クリス』のスペアパーツを成形していた。
 日もとっぷり沈み、工房に居るのは私だけだ。
 ちなみに、レックスは『クリス』と一緒に薬屋の店舗で寝泊りしてもらっている。まだ開店はしないが、掃除とか畑の世話とかやることはたくさんだ。こういう時、勤勉なレックスも疲れを知らない『クリス』も重宝する。

「まずまずのペース、でしょうか。あ、ミルティルさん、また二十本ほどお願いできませんか?」

 私の頼みに、ミルティルさんは「はいよ」と快く承諾の返事をくれた。
 工房の床に直に座り込む私の後ろに立つと、挟みを片手に背中に伸ばした髪をぷつり、ぷつりと根元に近いところから切ってくれた。これも、スペアパーツの材料である。

「まぁ、いきなりざっくり切ろうとしたのには驚いたけどねぇ」
「あはは、すみません」

 人形の『クリス』を構成するパーツは合計で百十五個。その全てに身体の一部を埋め込むことで、私は単なる陶器人形でしかない『クリス』を操ることができている。
 スペアを作るにあたり、後ろの髪をパツンと切ろうとしていたのを止めたのはミルティルさんだ。一緒に居た息子のホルトさんは目を丸くして驚いているだけだった。
 ミルティルさんは、クレスト様がどういう性格なのかを知っている数少ない人だ。潔く髪を切ろうとした私に、そんなことをしたら例の彼が怒り狂うんじゃないかと案じてくれた上に、できるだけ目立たないように、一本一本、目立たないように色々な場所から切ればいいと提案してくれた。

「わたしとホルトはもう寝るけど、アンタはまだ起きてるのかい?」
「はい。乾燥させる時間は魔術陣で短縮できますけど、焼成は、ちょっと……短縮させるのが怖いので」
「そうかい。まぁ、ほどほどにしとくんだよ」
「はい。おやすみなさい」

 宿代にと絵付け用の顔料を渡してあるけど、あまりうるさくしては安眠妨害になってしまう。前に共同生活をしていた時のようにすり鉢を動かすわけではないけれど、一応、物音には気をつけよう。
 研究ノートを確認しながら、私はせっせと『クリス』のパーツを成形していった。
 初めて『クリス』を作ったときは試行錯誤しながらだったので、随分と時間がかかってしまったけれど、今は設計書とでも呼ぶべきメモがちゃんと残っている。いくつか改良は施してあるものの、基本的にはこれをなぞる形だ。陶土を捏ねる腕にも身体強化を施してあるから、疲れはまだ溜まっていない。

「今日で、五日目、か」

 ぽつり、と呟きがこぼれた。
 お邸で新しい魔術陣の開発に集中していると、なんやかんやと邪魔が入る。その大半はクレスト様なのだけれど、ハールさんやアマリアさん、イザベッタさんに声を掛けられる時もある。それが、身体を壊さないように、というクレスト様の指示だったと聞いたのは、いつだっただろうか。
 まぁ、その理由付けが真実なのかどうか、確かめる術はないんだけど。

 もう、いつあの人が私を連れ戻しに来てもおかしくない日数が経った。予定通りの行動をしているし、毎晩の報告も欠かしていないから、あの人自身でなくとも、誰かを遣わして連れ戻すことは可能なはずだ。
 それが、全く音沙汰がない。

 クレスト様に止められると思ったから、ハールさんに相談した。その上で、あの人が仕事にいない時間帯に出発までした。
 本当は、そんなことをしなくても、この旅行は許可してもらえたんだろうか?
 すぐにハールさんから緊急手段を使って、クレスト様がこちらに向かった、なんて連絡が来ると思っていたのに、それすらない。
 婚約という枷をつけたから、もう大丈夫だと思っている、とか? ……いや、それはないか。

「あっ……」

 ついつい思考に耽ってしまったせいか、せっかく綺麗に成形した指のパーツが力加減を誤ってぐにゃりと崩れた。

「いけない、集中しないと」

 乾燥に魔術陣を使ったズルをすると言っても、あまり時間の余裕はない。それこそ、今日からの三日間でパーツを全て作り終えたい。昼間はどうしても『クリス』を経由してのお店の引継ぎなんかもあるから集中できないし、やっぱり夜のうちに進めておかないと。

―――何度か雑念に邪魔されて失敗しつつも、どのぐらい集中していたか分からない。ミルティルさんに切ってもらった髪の毛も底を尽き、私は新たなパーツに取り掛かるたびに適当な髪を引っ張り出して切って埋め込んでいた。

「マリーちゃん? まだやってたのかい」
「……ミルティルさん?」

 工房の入り口で声を掛けて来たのはミルティルさんだ。鎧戸の隙間から朝日が洩れているのに、気が付かなかった。

「あんまり根を詰めるもんじゃないよ」
「まぁ、そうなんですけど、時間に余裕もありませんし」
「身体壊したら、元も子もないよ。丈夫だと思い込んでる人に限って、あっという間さね」

 ミルティルさんが引き合いに出したその人は……

「どんな、人だったんですか。旦那さんって」

 気付けば私は疑問を投げかけていた。
 ウォルドストウでアンナさんやマーゴットさん相手に散々聞いてみたけれど、まだ私の中で答えが出ないままだった。

「なんだい、まだ悩んでんのかい」
「……恥ずかしながら」

 ミルティルさんは「若いねぇ」と言いながら、工房を出て行ってしまった。
 うぅ、呆れられてしまっただろうか。
 ミルティルさんには1年前にも散々愚痴っちゃったしなぁ。まさかミルティルさんも私がクレスト様の隣にいることを選択するとは思っていなかっただろうし。もちろん、一年前の自分もそんなこと思っていなかったけど。

「まぁ、これでも飲みながら話そうかい」
「……ミルティルさん?」

 すぐに戻って来たミルティルさんは、ホルトさんの失敗作だというゴブレットに冷茶を注いで渡してくれた。

「クラウスとはね、王都で同じ工房に居たんだ。お互いに意識してなかったわけじゃないけど、工房の人の口利きでね、お見合いみたいに結婚したんさ」
「でも、……仲は良かったんですよね?」

 恋愛ではなくても、そこに通じる何かがあったんじゃないかと知りたくて、私はついつい突っ込んだ質問を投げかける。

「まぁ、ねぇ……」

 お茶に口をつけたミルティルさんは、ほぅ、と息を吐いた。

「いつの間にか、隣にいるのが自然になってたね」

 その言葉は、どこか寂しげで、伴侶を亡くした人間特有の、記憶の先にある何かを見るような目をしていた。

「……その、どこが好きだったとか、そういうのを、聞いてもいいですか?」
「なーに遠慮してんだい。アンタらしくないね。―――最初は、さりげないフォローをしてくれたり、わたしより頭の回転が速いってところが目に付いたよ。こりゃ、イイ人を紹介してもらったもんだ、ってね」

 まぁ、頭の回転が速いからこそ、皮肉な口もよく回って憎たらしいこともあったんだけどさ、と笑うミルティルさんは私の目には楽しそうに映った。今は亡い人を悼む、というよりは、純粋に当時を思い出して懐かしむようで。

「でもね、今になって思えば、あの人のいい所って、そんなモノじゃないんだよ。浮気もせず、感謝の言葉を惜しむこともなく、自分が悪いと分かったらすぐに反省して謝ることができる。そういう人として尊敬できる部分があったから、まぁ、ずっとやってこれたんだろうねぇ」

 ミルティルさんの言葉は、長年連れ添ったからこその重みを感じた。
 私はゆっくりとその言葉を噛み砕こうとして……戦慄した。

 さりげないフォロー? 夜会のときに周囲への牽制や慣れないヒールに戸惑う私への気配りのこと?
 頭の回転が速い? 少なくとも私の拙い逃亡計画をひっくり返して捕獲するほどには回転は速いよね?
 浮気をしない? 浮気どころか他の女性を木片か砂粒とでも思っているんじゃないかって様子だけど?
 感謝の言葉を惜しむこともない? 私限定だけど? ちょっとはハールさんやアマリアさんに感謝して欲しいもんだよね。

―――あれ、意外と当てはまる?

 どうしよう、私の思考回路がおかしくなっているんだろうか。やっぱり、寝不足が問題なのかな。それとも、実はイイ人? いやいや、ないない。だって身をもって知ってるじゃない。あの人の執着具合がどうしようもないレベルだって。

「マリーちゃん?」
「……ミルティルさん。私、ちょっと疲れてるみたいです。手ヴェンティオのレックスに指示を出したら、ちょっと寝ますね」
「あ、あぁ、うん。大丈夫かい?」
「はい、じゃ、邪魔にならないように端に寄せておきます……」

 ふらふらと動く私に、心配そうな声が掛けられたけど、つい生返事をするだけになってしまった。
 だって。
 だってだって。
 クレスト様を、そういう『一般的な男性を見る目』でなんて見たことなかったんだもん。
 一途だし、贈り物もくれるし、経済的にも安定した職業に就いている、とか。
 外見も二重丸で、表情が薄いせいで意思の疎通に苦労はするけど、言葉を(重いほどに)たくさんくれる、とか。

「マリーちゃん、本当に大丈夫かい?」
「……お昼前には、起こしてください」

 うん、頭が疲れてるんだ。
 昨日は朝から、お師さまの庵からデヴェンティオに移動して、ゲインさんと話したり、お店の手入れをしたり、『クリス』もほとんど動かしっぱなしだったし。

 だから、思考が変な方にいっちゃうんだ。
 寝よう。
 少し寝て、またスッキリしたら、そんなふうになんて考えないはず、だから。



「―――レックス、悪いけど、午前中はこの帳簿に目を通してもらえるかしら?」
「これは……帳簿?」
「そう、誰から、どんな症状を聞いて、どういった薬を調合したか書いてあるから。本当は、お客さんごとにメモを分けて整理した方がいいんだけど、時間を作れなくて、その日毎の記録になっちゃってるの」
「それなら、ボク、お客さんごとにまとめ直すよ」
「本当? でも、結構な量よ?」
「たぶん、このままだとボク、覚えきれないから、丁度いいよ」
「……ありがとう、レックス。少し寝るから、『クリス』も昼頃まで放っておいていいわ」
「うん、分かったー」

 遠く離れたデヴェンティオに居るアレクに『クリス』を使って指示を出すと、私はミルティルさんの用意してくれた寝床にもぐりこんだ。
 とりあえず、しっかり睡眠を取ろう、と決心して。

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