6.報告書の書き方「読み手の存在、ですか?」 「そう。文字に起こす以上、常に読み手は存在する。誰に読ませるものなのか、それを意識することが大事なんだ」 それは、正式な弟子入りをした後にお師さまから教わったことだった。 「例えば、今、マリーが書いているそのノート。誰が読むためのものだと思う?」 「って言っても、あくまで忘れないように書き留めているだけなので……、あ、そっか、私が読むためのもの、ですよね」 お師さまが「よくできました」と笑みを深めた。 「だからマリーのノートは、『マリーが読んだときに理解できること』が重要なんだ。逆にこういった一般に流通している本は、誰にでも理解できるように書かれていることが多い」 もちろん、専門的なものになると、ある一定以上の知識を持った人間に限られてしまうけどね、とお師さまは続ける。 「逆に読み手をごく一部に限定することだってできるんだ。俗に『暗号』と呼ばれているね」 「暗号、ですか?」 「そう。たとえば1語おきに読むとか、特定の符牒を共有するとかね」 「1語おき、というのは分かるんですけど、符牒って?」 「うーん、例えば、単語の置き換え、かな。例えば、昨日マリーが煮付けてくれた竹の子があるだろう? 今後、マリーと僕の間で竹の子のことを『さんかく』って呼ぶことにしたとする。他の人の前で『昨日のさんかく美味しかったよ』なんて言っても、知らない人には何のことか分からない。これが符牒」 「なるほど」 そういえば、竹の子がまだ残ってたんだった。細かく切ってリゾットに混ぜてみたら食感が変わって面白いかも。 「マリー?」 「はい」 今夜の献立に気をとられていたのがバレたのか、ちょっとだけお師さまの声が低かった。 「ともかく、今後、魔術に関することをそのノートに書き溜めていくなら、他の魔術師に読まれてもいいように工夫をするように」 「読まれたらいけないものなんですか?」 「……そうだね。以前、樹液を汲み上げようとして失敗してしまった陣があっただろう? それをノートに書いておいたとして、あの失敗を知らない魔術師がそれを見て、陣を発動させてしまったりしたら、どうなる?」 私は青褪めた。 失敗作と言っても、魔力が多ければ発動してしまうあの陣は、下手をすると死人が出る。だって木が破裂するんだもの。 「分かってくれたみたいだね。まぁ、陣の盗作防止の意味もあるんだけど、それはおいおい説明しよう」 「はい」 本当は「盗作」についても一緒に説明したかったんだろうけど、当時、お師さま以外の魔術師を知らない私は、その説明をちゃんと受け止めることができなかっただろう。あれは協会魔術師を知って初めて理解できることだ。 「―――結局、これは誰に書いてるんだろ」 お師さまの教えを思い出しながら、私は魔術付与されたペンを片手に考え込んだ。 ぺらり、と初日の分から見直してみる。 『一日目 予定通り、サルドの宿場に到着しました。 特にトラブルもなく順調な行程でした。乗り合い馬車の他のお客さんも良い人が多く、乗り物酔いで寝ているということにしているクリスを気遣ってくれています。 自分を知らない人の中に入るというのは、どこか緊張するけれど、でも、妙な解放感があるものだと、再認識しました。ただ、一人なので少し寂しい気もします。 それでは、明日、また連絡します』 『二日目 ウォルドストウに到着しました。住み込みで働いていた食堂に顔を出したのですが、おかみさんやお店の常連さんが、まだ私の顔を覚えていてくれたので、とても嬉しかったです。 突然、事情も説明できずに去ることとなってしまったので、謝り倒すことを覚悟していたのですが、人にはそれぞれ事情があるのだから、とあっさり受け入れてもらえました。 薬屋を引き継ぐ予定の弟子レックスとも先ほど対面を終えました。明るくて元気な子ですけど、接客するにはちょっと口が軽そうなので、そこは指導が必要だと思います。 それでは、明日、また連絡します。』 『三日目 今日はアイクとレックスの指導で一日を終えました。 レックスは素直で働き者なので、薬屋を引き継ぐのに申し分ない人材です。もともと農家の出身なので、店の裏手にある畑もきちんと管理できそうで安心しました。 昨晩から夜通しで行われたアイクの修行も見学しましたけど、まだ制御に甘いところがたくさんあります。一人前にはまだまだ遠いようでした。 昼食にお師さまの釣ってくれた魚を料理しましたけど、そういえば、クレスト様って釣りとかできるんでしょうか? 騎士団では野営の訓練もすると聞きましたが、その一環でやったりするんでしょうか。クレスト様とピクニックに行く機会でもあれば、その流れで聞けるんでしょうけど、出かける機会はありませんしね。 明日もアイクとレックスの修行の手伝いで終わりそうです。 それでは、明日、また連絡します。』 『四日目 今日は昼過ぎにウォルドストウでお世話になった食堂に顔を出しました。私を雇ってくれたおかみさんは、私のことをちゃんと覚えていてくれました。 常連の奥さんと、おかみさんと三人でお喋りを楽しんだのですが、人には様々な歴史があるものなのだと改めて認識しました。事実は小説より奇なり、という言葉を聞いたことがありますが、まさにその通りです。 明日はデヴェンティオの方へ向かう予定です。町の顔役さんに挨拶をして、レックスの顔見せもしようと思います。店舗の方は埃が積もっていそうで、ちょっと不安です。あとは、『クリス』のパーツもそろそろ作り始めようかと。良い陶土があることを祈るばかりです。 それでは、明日、また連絡します。』 『五日目 デヴェンティオの顔役さんにも無事挨拶を終えました。最悪、怒鳴られることも予想していたのに、逆に好意的な態度で戸惑ってしまいました。 あ、店舗の方は定期的にお掃除をする人を派遣してくれたんですよね。ありがとうございます。お隣のリリィさんが言うには、気弱そうな男の人がせっせと掃除をして、毎回丁寧にお土産まで持参して挨拶に来てくれたということなのですけど、お邸の方ではないのですよね? リリィさんはその人のことを、子犬を見ているみたいで微笑ましかったから、今後来なくなると寂しいと言っていました。 『クリス』のパーツ作成は順調です。懇意にしていた陶芸家のミルティルさんから、陶土を分けてもらいました。作業場まで借りてしまって、絵付け用の顔料だけで正当な対価になるのか、ちょっとご迷惑を掛け過ぎのような気がします。 それでは、明日、また連絡します。』 『六日目 今日はずっと『クリス』のパーツ作りに専念していました。窯場は山の中腹にあるので、朝晩は少し寒いぐらいです。焼成に入るとそんなことも言っていられないのでしょうけど。 デヴェンティオでは『クリス』を使ってレックスを指導しています。顔役さんから話が回ったのか、常連さんが何人か足を運んでくれました。レックスが接客でミスをしてしまったのでハラハラしてしまいましたが、まだ半人前ということで許してもらえました。その後、レックスが落ち込んでしまって、まだちょっとしょげています。 弟子を持つって大変なんですね。クレスト様も中隊長という責任ある立場なので、部下もたくさんいらっしゃいますから、聞いてみたら指導のコツとか励まし方とか教えてもらえるのでしょうか? それでは、明日、また連絡します。』 改めて読み返してみると、ハールさんへの報告なのか、クレスト様への報告なのか、どっちなんだろう、と首を傾げてしまう。 一応、クレスト様への報告、のはずなんだけど。ハールさんも読むから、と、ついつい……まぁ、反省はこのぐらいにしておいて。 今日報告できることと言えば、パーツが全て形成し終わったことぐらい。今朝、顔を出してくれたトロンタンさんとレックスの畑談義を横で見ていたら、おじいちゃんと孫みたいに見えて面白かった……って、あんまりレックスについて書いても、かえってクレスト様の心象悪くしちゃうかな。 レックスとクレスト様が顔を合わせることがあるかは分からないけど、印象は良い方がいいに決まってるし。 ちなみに、レックスは既にベッドの中だ。その代わり、朝が本当に早い。私が起きて『クリス』を起動させる頃には、既に畑の手入れを一通り終えていたりするぐらいに早い。その分、一仕事の後の朝食が美味しいと言ってもらえるんだけど。 薬の調合や接客について一通りできるようになったら、今度は料理を教えよう。簡単な料理はできるみたいだけど、色々工夫を重ねて上手になっても困らないはずだ。いつまでも『クリス』が作るのも、何か違う気がするし。 そういえば、クレスト様に料理って作ったことあったっけ? 簡単なお菓子程度なら、何度か厨房を借りて作ったことがあったけど、ご飯は作っていない気がする。 「……まぁ、作り甲斐があるような、ないような、だもんね」 例えば、砂糖と塩を間違えてしまったとしても、クレスト様は「マリーの作ったものなら、なんでも美味しい」とか言いながら完食してしまうだろうことは、想像に難くない。いや、もっと色々と美辞麗句を連ねて重たい感想を述べてくれるだろうけど、そこまでは詳細に想像したくない。 美味しいと完食してもらうのはいいけど、不味くても美味しいと言われるのは、作り手としては虚しい。やっぱり美味しく作れたものを美味しいと言って欲しいし、味の好みとか教えてもらえれば、もっと工夫のし甲斐がある。 「今日は、これで行くか」 できるだけ、毎晩の報告の中にクレスト様の名前を入れるようにしている。もちろん、暴走を防ぐためだ。旅先にあっても、魔術や薬屋、新弟子にばかり気を取られていないで、ちゃんとクレスト様のことも思い出していますよ、というアピールは必要だと思っている。もちろん、暴走を防ぐために。大事なことなので二回言いました。 はっきり言おう。暴走したクレスト様は、本当に怖い。 逃げた私を連れ戻しに来た時もそうだけど、私があまりにクレスト様を見ない状態が続いたり、迂闊なセリフを口にしたりすると、あの無表情で、そら恐ろしい迫力で、たまに命の危険すら感じる暴力に発展するのだ。怖くないわけがない。 『マリーツィア、今、何と言った?』 『マリー、俺を見ろ』 『何が不満だ』 『俺に声を聞かせてくれないなら、喉はいらないだろう?』 思い出しただけで、鳥肌が立った。やめよう。報告書を書き上げたら焼成に入るというのに、精神的に疲れてどうする。 私は小さく息を吐いて、ペンに刻まれた魔術陣に魔力を込めた。 『六日目 ようやく全てのパーツが完成しました。少し根を詰めてしまったせいか、指先とか腕の感覚がちょっとおかしい気もします。魔術で多少ズルをしましたが、それでも疲労はどうにもならないですね。 今晩から窯に火を入れます。何度やっても火を入れるときは緊張します。うまくいってくれるといいのですけど。 そういえば、今日、『燻す』という調理法を教えてもらいました。煙と熱で食材を乾燥させることで長期間の保存ができるようになるということなのですが、どの木材で煙を作るかによって香りも変わってくるそうです。肉の燻製なんかは兵糧にも使われると聞いたので、もしかしたらクレスト様は食べたことがあるのでしょうか? 食材の味が濃厚になるので、スープなんかに合いそうですし、燻製できる食材も魚や卵など幅広くて色々と応用できそうです。ただ、煙がすごいので、町中ではなかなか作れそうにありません。時間のある時に作ってお土産にしようと思います。 それでは、明日、また連絡します。』 一気に書ききって、ふぅ、と息を吐いた。 このペンを使った報告の厄介なところは、書き直しがきかないことだ。こちらのペンの動きをあちらのペンに伝えるだけだし、報告内容を考えながらだと、あちらにもこちらの思考時間が伝わってしまう。まぁ、ハールさんも忙しいだろうし、いちいち報告を待ってペンの前に張り付いていたりはしないだろうけど。 ……あれ、なんだかクレスト様が、あちらのペンの前で毎晩待機しているような気がする。いや、中隊長に昇格してから忙しそうだし、さすがにそんな暇はないだろう。ないんじゃないかな。ないだろうと思いたい。 頭を切り替えるように、ぐぐっと伸びをして、外の窯に向かう。もうパーツは窯に入れてあるので、あとは火を入れて窯の口を塞ぐだけ。火の勢いを監視するための魔術陣を刻んだ粘土版も中に入っているから、つきっきりで見る必要はないけど、それでも細かい睡眠を挟みつつ確認は必要だ。 私はパチンと両頬をたたき、火種を放り込んだ。 ※五日目の報告内にある「気弱そうな男の人」は、「その頃彼は(※ハール視点)」に出てきたお孫さんです。もちろん土産は下心ありww | |
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