TOPページへ    小説トップへ    重たい執着男から逃げる方法

 7.幸運な自分(※レックス視点)


 ボクは、自分がとても幸運だということを知っている。

「レックス! マルゴを見ていてちょうだい!」
「畑を掘り起こすのを手伝っておくれ、レックス」
「あぁ、洗濯物をどうにかしないと。レックス、頼まれてくれるかい?」
「レックス! オリガがわたしの人形取ったー!」

 ボクの家は少し大きめの農地を持つ、先祖代々の農家だ。まぁ、ボクの代がこんなに子沢山なので、もしかしたら次代からは農地は小さくなってしまうかもしれないけど。
 一番初めに生まれた者の宿命か、ボクの役割は基本的には弟妹の世話だ。やかましいし、さわがしいし、手を焼かせるし、それでも憎めないのはなんでだろう?

「レックスの赤毛って、まんま母ちゃん譲りだよなー」
「そう言うアレンは父ちゃんそっくりだよね。さらっさらで腹立つよ」

 弟の頭をわしゃわしゃと撫でながら、このクセだらけの髪の毛を必死に梳かそうとする妹に頭を持っていかれそうになる。痛い。

 昨日、3軒隣のギィじいさんが亡くなった。
 去年は天候のせいか不作で、自分以外の家族に十分な食料が渡るようにと、食べる量を制限していたらしい。息子夫婦はそれを知っていながら何もできなかったと葬式で嘆いていた。

 ボクは、幸運だ。
 うちの農地が広いおかげで、農作業は大変だけれど、色々な作物を植えることで、何か1つの作物が不作でも他の作物でカバーできる。だから、食べ物が足りなくなる、なんて心配はなかった。

 ギィじいさんは物知りだったので、ボクは家の手伝いの合間によく通っていた。天候の読み方、畑を荒らす動物の撃退の仕方、道端に生えている草が薬になるということ、色々なことを教えてくれた。字の読み書きを教えてくれたのもギィじいさんだった。

 本当は、町に出て『学校』に通ってみたかった。
 そこで色々なことを学んで、例えば冷害に強い作物とか、少ない水で実る作物とか、簡単な熱さましの薬の作り方とか、そういうものを村で教えて、少しでもギィじいさんみたいな亡くなり方をする人がいなくなればいいのに、と思った。
 でも、うちにそこまでの余裕はない。
 ギィじいさんの遺品だという本を何冊か譲ってもらって、手伝いの合間に読むことにした。弟妹も多少は聞き分けがよくなってきたから、そのぐらいの時間は、まぁ、作れなくもなかった。

「レックス、ベスが花街に売られて行ったって」

 ベスとは、お互いに弟妹がいて、長子の苦労を語り合った仲だった。何が原因か分からないけれど、麦がスカスカで収穫量が激減しててどうしよう、と聞いていたから、もしかしたら、とは思っていた。
 ……ベスのことを耳にしても、改めて自分の幸運さを認識するボク自身に嫌気がさした。

 じゃぁ、幸運なボクには何ができるんだろう。

 いつかどうしようもなくなった時に、自分を売るのかな。
 それとも、そんなことが起きないように、もっとたくさん働くのかな。
 食い扶持を減らすために、どこかヨソに弟子入りしたり、養子になったりするのかな。

 ギィじいさんの遺品の本を全て読みきってしまった頃、幼馴染が魔術の素養を見出されて村を出た。
 同い年なのに、あれこれとボクの面倒を見ようとする変な幼馴染だった。髪をちゃんと梳くように口うるさかったり、ボクも気付いていない小さな傷や土汚れなんかを細かく指摘するようなヤツだった。

「レックス、アイクが村を出てったって、聞いたかい?」
「うん、こないだ聞いた」
「まぁ、あんまり力もないし、ツブリさんとこは上に二人も男の子がいるから、丁度良かったのかもねぇ」
「……」
「レックス?」
「なんでもない」

 母ちゃんの無神経な言葉に、頭が沸騰するかと思った。
 そりゃ、アイクは三男だし、手際もよくないし、力もボクより弱い。
 それでも、魔術の素養を持っていたから、これからいくらでも飛躍できるんだ。この村で生きるしかないボクたちと違って。
 それに、アイクの良さは力なんかじゃない。アイクは、力が弱くても、心が強いんだ。村一番のガキ大将だったベッツが一目置くぐらいに。

 あれはいくつの時だったか。ベッツが、アイクが兄からもらって大事にしていた玩具の木剣を取り上げたときのことだ。
 ベッツとアイクの体格は一回りも二周りも違った。それなのに、アイクは何度ぶちのめされても、ベッツに立ち向かった。それを返せって。人の物を盗るのは泥棒のすることだ、って。
 結局、根負けしたベッツがアイクに木剣を返して決着した。あ、ちなみにベッツは家に帰って大目玉をくらったらしい。あそこんちは結構厳しいんだ。  まぁ、そんなベッツも最近は一つ年下のティアの気を引こうと必死なんだけど。

「レックス?」
「あぁ、マルゴ? どうしたの」

 ぼろぼろになった人形を抱えた末の妹が立っていた。

「オリガ、知らない?」
「オリガは母ちゃん手伝って台所にいるよ」
「……あのね、おてて、取れたの」

 見れば確かに、人形の手がもげていた。
 上から順にお下がりされた人形は、いまやクタクタで、あちこち継ぎ接ぎだらけだ。

「ボクが縫ってあげるよ。ついでに端切れが残ってたはずだから、……そうだな、新しい服、は無理でもエプロンぐらいなら作ってあげられる」
「ほんと?」

 きらきら目を輝かせる妹の頭を撫でると、ボクは裁縫道具を取りに立ち上がった。

 ねぇ、アイク。キミが出ていったこの村で、残ったボクはどう生きていくんだろうね。
 幼馴染に置いていかれた身としては、かなり寂しいよ。


 結果として、ボクも村を出ていくことになった。
 他ならぬ出て行ったアイクが、ボクに「薬師にならないか」と誘いをかけてくれたのだ。アイクの姉弟子にあたる人が開いた店舗を任せる人間が欲しいんだと。
 一も二も無く飛びついた。
 すぐ下の弟も、妹もかつてのボクと同じぐらいに家を手伝えるし、一番下の妹もそれほど手がかからなくなっていたし、何よりもこの村は、あまりに外と関わりが無さ過ぎて呼吸しにくかった。

 ボクは幸運だ。

 アイクのお師匠さんは、びっくりするぐらいに男前な人だった。魔術師だというから、おじいさんかと思っていたけれど、少なくともうちの父ちゃんより若い。
 そんなことを自己紹介の時に興奮気味に話せば、何故か「それはどうだろうね」なんてはぐらかされた。

 お師匠さんは、顔に似合わずとっても厳しい人で、次々に出される課題には、頭を使い過ぎてギリギリ軋むほどだった。横目に見ているアイクも「大丈夫か」なんて言っていたけど、正直に言って、楽しかった。お師匠さんの教えで、ボクの世界がどんどん広がる。雑草だからと捨ててしまっていたものが実は煎じると喉の薬になるものだったり、とか。お師匠さんは博識で、薬に限らず色々なことを教えてくれた。もちろん、薬のことを覚えるのは一番大事なボクの仕事だったけど、星の読み方や色々な国で流通している貨幣の話、遠い国の見知らぬ作物なんかは聞いていて楽しかった。
 もちろん、たまに置いてきた弟妹のことを思い出す。
 けれど、ボク一人がいなくても、何とかなっているだろうという確信はあった。心配はない。

 すっかり山の庵の生活にも慣れた頃、噂のマリーさんがやって来ることになった。
 ようやく会える。ボクの人生を変えてくれた人。ボクに薬師としての道を開いてくれた人。

 聞いていた通り、マリーさんは優しい人だった。
 お師匠さんは、変な虫がついてしまってと嘆いていたけど、娘を嫁に出す男親の口調そのままだったので、放っておくことにした。

「レックス、引き受けてくれてありがとうね」
「マリーさんこそ、ボクにチャンスをくれてありがとう」

 ボクはマリーさんに連れられてテヴェンティオの薬屋へ向かった。思っていたよりも静かな町だったけれど、お隣のお姉さんは優しそうだし、マリーさんが戻ったと知って顔を出してくれた常連のトロンタンさんは、畑談義で気が合った。
 残念ながら、マリーさんは、人形のスペアを作るために山の中腹にある小屋へ泊まりきりになってしまったけど、薬屋にはマリーさんの操る人形がいるから、全然寂しくない。中身はマリーさんと一緒だから、作ってくれる料理も美味しいし。

「ねぇ、マリーさん。マリーさんのイイ人ってどんな人?」
「……そうね、レックスにはちゃんと話しておいた方がいいわよね」

 何故か、ちょっとだけ気まずそうに視線を泳がせたマリーさんが話してくれた『イイ人』の話に、ボクはびっくりして朝食のスープを喉に詰まらせた。

「――というような人だから、もしかしたら今回も追いかけてここに来るかもしれないの。ごめんなさい」
「いやいやいや、違うよマリーさん。ボクが心配しているのは、本当にその人で大丈夫なのかってことだから!」
「悪い人ではないのよ? ただ、ちょっと執着が強いというか、行き過ぎなところがあるというか、それだけ、だから」

 そんな言葉で片付けられるんだろうか。お師匠さんの言ってた『変な虫』は本当に『変な虫』だった。
 世の中には色々な人がいるから、なんて片付けちゃいけないレベルだと思う。

「それじゃ、レックス。私は一度あっちに集中するから、何かあったら呼んで」
「はーい」

 マリーさんは、人形のパーツを作り終えて、今は焼きに入っているらしい。例の『変な虫』のせいで時間がなくて、やり直しのきかない一発勝負だというから、色々気を遣うんだって。
 ボクは朝食の後片付けをすると、お客さんが来るまでは、と朝食前にやっていた畑の拡張の続きをする。マリーさんがここで薬屋をしていた時は、材料が足りなくなっても最後の手段である促成の魔術が使えたけど、残念ながらボクは魔術が使えない。お師匠さんにも聞いてみたけど、そもそも魔力が少ないんだそうだ。それなら、ボクはボクのできる方法で材料を確保する道を選ぶしかない。ボクの取り柄は、今の所は『農作業』なんだから。

「あら、レックスちゃん、精が出るわね」
「あ、リリィさん。おはようございまーす」

 お隣の綺麗なお姉さんが洗濯しに出て来た。このお姉さんは、マリーさんが言うにはとんでもないツワモノなんだけど、ボクにとっては綺麗なお姉さんでしかない。話を聞く限り、とても真似できない、とは思うけど。

「マリーちゃんはいる?」
「はい、家の中にいますけど」
「じゃ、これ渡しておいて。レックスちゃんの分もあるから」

 渡されたのは綺麗に編まれた飾り紐だった。紐の端に綺麗な玉がついていて、結構な値段のするものなんじゃないかとヒヤリとする。

「えっと、こんな高価なもの、もらっちゃっていーんですか?
「あら、いいのよ。なんかたくさんもらっちゃって、始末に困ってたところだったから」

 たくさんもらった、というのは、たくさん貢がせたの間違いじゃないだろうか、なんて疑問は心の底にしまって「ありがとーございますー!」とお礼を告げた。

「いいのよ。あ、でも、もしレムローズのお茶があったら、融通してもらえるかしら? マリーちゃんから教えてもらったあれ飲むと、肌の調子がいいのよ」
「わかりましたー、マリーさんに聞いておきますね!」
「よろしくー」

 ひらひらと手を振ってくれるのに同じように返してから、ボクは再び鍬を振るい始めた。
 雪が溶けて間もないこの時期に種を植えれば、冬前の収穫はできる。そうしてストックを増やしておけば、冬になっても在庫には困らないはずだ。しばらくはマリーさんが色々と援助してくれるそうだから心配はしていないけど、早く一人前になってマリーさんに楽させてあげないと。

「すいませーん」
「あ、はーい、今いきますー」

 汗を拭いながら慌てて店へと戻れば、そこには常連だという年配の女性が立っていた。
 えぇと、確か、ペルラさん、だっけ。

「こんにちは。えぇと、レックスちゃんだったかしら?」
「はい。えぇと、ペルラさん、で良かったですよね」

 ここの常連さんは、何故かマリーさんのこともボクのことも「ちゃん」付けで呼ぶ。もうそんな年でもないんだけど、常連さんは年配の人が多いから、仕方ないんだとマリーさんも嘆いていた。

「えぇと、今日はいつもの薬……にしては、ちょっと早いですよね。何かありました?」

 ペルラさんに処方しているのは、血行がよくなる薬と痛み止めだ。確か、月のものが重いという話だったから。

「それがねぇ、聞いてちょうだいよ、レックスちゃん。真ん中の息子が梯子から転げ落ちちゃって、腰をやっちゃったのよ。大事には至らなかったんだけどね、嫁もこっちに知らせないで、一人で頑張ろうとしたものだから、体調を崩してしまって」

 ボクは必死でペルラさんの情報を思い出す。確か三人の息子さんが居て、もうそれぞれ独立していて、一番上の息子に仕事を譲った旦那さんと離れで二人暮らし、だったはず。末の息子さんの仕事は行商人だったと覚えているけど、真ん中の息子さんはどこに婿入りしたんだったっけ?

「ということは、打ち身の薬と、うーん、お嫁さんの方にも何か処方しますか?」
「そうねぇ、さっき見てきたら随分と熱が高くて、あと、あまりご飯も食べられていないみたいなのよ」
「それじゃ、熱さましと、胃薬、かな。ちょっとマリーさんに確認してみるので、待っててもらえますかー?」
「えぇ、ありがとう。レックスちゃん」

 この間、症状だけ聞いて勝手に調合して失敗したばかりだから、念のためにマリーさんに確認しておきたかった。
 対処としては間違いじゃないんだろうと思いたいけど、見落としがあるかもしれないし。

「マリーさん」
「……レックス? ちょっと待って」

 人形の胸に新しく追加された通信用の魔術陣に、マリーさんの魔力入りの鉱石を押し付けると、すぐに人形から声がした。
 ゆっくりと人形が起き上がり、ぱちぱちと瞬きをする。マリーさんが動かしていないときは、顔も本当に人形にしか見えないのに、動き始めた途端にその表情も人間っぽく見えるから、不思議で仕方が無い。実は、こうして人形から人間に変わる瞬間というのは見るのは大好きだったりもする。

「何かあったの?」
「えっと、今、ペルラさんが来ているんですけど」

 ボクは手短にペルラさんの事情を説明した。

「それなら熱さましだけでいいわ。その代わり、この間、お師さまからもらった丸薬をおまけですって出してあげましょ」

 起き上がったマリーさんは、わきわきと手を動かして動作不良がないか確認すると、エプロンをつけて店先へと向かう。

「お久しぶりです、ペルラさん」
「おや、マリーちゃん。奥で休んでたんだろう? すまないねぇ、呼び出しちゃって」
「いいえ、私もペルラさんの顔を見たかったのでいいんですよ」

 マリーさんは、ボクに打ち身に聞く緑の軟膏と、熱さましの薬を説明させる。なんだかんだとボクを鍛えてくれるのが分かるから、ボクもその期待に応えなくちゃ、ってしっかりと説明する。それを見ているペルラさんの目が、なんだか孫を見るようなものなのが、ちょっとアレだけど。

「それで、こっちがですね、クラインさんが作った滋養がある丸薬です。噛まずに飲み込んでください。すごく不味いので」
「あぁ、冬に来てたあの人のかい?」
「えぇ、あまりに不味いのであまり売れないらしいんですよ。でも効果は保証しますよ。痛み止めとかではないので、薬と言ってよいのか分かりませんが、栄養ばっちりです」

 好奇心は猫をも殺す、なんて言葉がある。
 ボクは噛まずに飲み込まないと地獄を見る、というお師匠さんの言葉を聞いていながら、ついつい味を確かめてみたことがあった。
 唇が震えるほどに苦くて、口の中いっぱいに生臭い匂いが充満して、思わず吐き出したけど、あのあとしばらく味覚がおかしかった。そのぐらい不味かった。

 ペルラさんが帰ると、マリーさんは渋い顔をしていたボクに気が付いたみたいで「嫌なこと思い出した?」と尋ねてきた。

「……もう二度と味見しようだなんて言わないよ」
「ふふっ、好奇心が強いのは悪いことではないのよ?」

 マリーさんは「せっかく動かしたんだから」とボクの調合を見てくれる。まだ半人前のボクは、薬の調合を一人ではさせてもらえない。マリーさんは一人でも大丈夫だと言ってくれるけど、そこはお客さんに提供するものだから、と念には念を入れてくれる。今のところ調合では失敗したことないから、ボクもそれほど緊張はしない。だって、ノートを確認しながらすり鉢に書いてある通りの薬草を入れてすり潰すだけだし。
 そんなことを言えば、慣れてきた頃が一番怖いのよ、なんてマリーさんが教えてくれた。急ぐあまりにノートを見ないで調合すると失敗するのだという。うん、ボクはそそっかしい自覚があるから、人一倍気をつけないといけないかもしれない。

コンコン

 ノックの音が聞こえたのは、喉の薬を調合し終えたときだった。

「私が片付けておくから、レックスが対応してくれる?」
「普通、片付けって弟子の仕事だよねー?」
「だって、レックスは接客の修行中でしょ?」

 そう言われてしまっては、返す言葉もない。確かに、ボクに足りないのはそつなく接客する技術だ。元気が良すぎたり、慌ててしまったりと失敗を数え上げたらきりがないし。

「はい、どうぞー」

 ボクは外のお客さんに声をかける。
 入って来たのは、常連客ではなくて、見知らぬ男性だった。
 旅装をしているから旅の人なんだと思う。旅の連れが急病にでもなったのか、なんて想像をつけながら、お客さんの反応を待つ。

 ……なんだかすごく整った顔の人だな。って、アレレ? 金の髪に緑の目、美形に無表情……って例の人の特徴に当てはまってない?
 いやでもまさか、そんなそんな。

「どんな薬をお探しですかー?」

 とりあえず、ボクの中の接客マニュアルに従って問い掛けをしてみる。あちらから言い出さないなら、こちらから要望を聞きださないといけないから。

「……まさか」

 お客さんの口から、予想外な言葉が洩れた。

「お前が『レックス』か……?」


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