8.やってきた人あれ、おかしいな。 レックスが応対に出たのに、いつもの元気な声が聞こえない。 すり鉢を片づけた私は、『クリス』の手袋を取り換えて店の方へと歩き出した。よっぽど妙な注文をつけるお客さんが来てしまったのだろうか。それなら、ちょっとレックスには荷が重いかもしれない。 「レックス? お客様のご要望は―――?」 目が合った。 その、エメラルドの瞳と目が合ってしまった。 自分の目で見ているわけじゃないのに、すべてを見透かされてしまっているような、絡め取られるような視線が私を射すくめる。 「クレスト……様」 「ここに『クリス』がいるということは、マリー、君はどこにいる?」 戸惑って私に助けを求めるレックスと目が合った。そうだ、弟子の前で取り乱すわけにはいかない。 「私は今、『クリス』のスペアを作っている最中なんです。ちょっと手が放せませんので、申し訳ありませんが、ここで―――」 待っていて欲しいと声にする前に、クレスト様はくるりと踵を返した。 「クレスト様!」 私の静止の声を振り切って、クレスト様は店を出て行ってしまった。 「マリーさん……」 「どうしよう。ミルティルさんに迷惑かけちゃう」 でも、『クリス』に追いかけさせるわけにもいかない。病弱な設定の子だから、外を駆けているだけでご近所の人に何事かと見られてしまう。それに、一度歩き出したクレスト様を止められる自信もない。まさか、通りで口論するわけにもいかないし。 「ボクは大丈夫だから、追いかけてよ。町に引きとめた方がいいんでしょ?」 引き留めて、簡単に留まるようなら苦労はしない。 一度来てしまったなら、私自身に直接会うまで止まらないに違いない。 「……いいえ、レックスを一人にするわけにはいかないもの。ミルティルさんに事情を話すわ。心配しないで」 私はレックスの赤毛をそっと撫でると、部屋に戻り『クリス』の身体を横たわらせた。 ゴウゴウと目の前の窯からは炎の音が聞こえている。流れ落ちた汗を拭うけど、それが熱気による汗なのか、クレスト様が来たことによる冷や汗なのか分からない。 窯はそろそろ火を落として冷却工程に入ろうかというところだ。もう付きっきりで見ていなくても大丈夫なはず。 足に力を込めて立ち上がる。とにかく、ミルティルさんに話そう。考えるのはそれからだ。 あれ、でも、どうしてだろう。私、口元が緩んでいる……? ![]() 「それで、この場所を知ってるのかい?」 「はい、事前にスケジュールと立ち寄る場所については地図を添えて報告してあるので」 「……で、ここに来るってのかい?」 「おそらく」 ミルティルさんは、はぁぁ、とため息をついた。うぅ、本当に申し訳ない。 「ホルトには、アンタの傍にくれぐれも近寄らないように言っておくよ。確か、随分と嫉妬深いんだったろ?」 嫉妬深い。あぁ、そういう言い方でいいんだ。なるほど、クレスト様のあの執着をそう表せばいいのか。ちょっと勉強になった。 「でも、どうすんだい? アンタ窯にまだ付きっきりなんだろ? 失敗できないからって」 「……まぁ、なるようにしかならないと思います。あぁ、そんな心配そうな顔しなくっても大丈夫ですよ。ちゃんと対策は考えてありますから」 私は魔術陣を描いた紙をペラペラと見せた。 「まぁ、考えてんならいいけどね。前科もあるんだし、くれぐれも気ぃつけなよ」 「ありがとうございます。ミルティルさん。……そんなわけなんで、もしここに来たら逆らわず私の所に案内してくれませんか?」 「居留守は使わなくていいのかい?」 「いいんです」 居留守を使おうものなら、そっちの方が面倒になるのが目に見えている。 それに、……正直なことを言えば、そろそろ会いたかった。 うん、認めよう。会いたかった。アンナさんやマーゴットさん、ミルティルさんに色々相談するたびに、クレスト様のことを思い出した。 話していながら、もしかしてもう追って来ているのかと心配になった。違う、心配じゃない、期待していた。 なんて厄介なんだろう。 なんだかんだと、私はクレスト様が追って来るのを期待していた。あれほど頑張ってハールさんを説得し、『クリス』のスペア作成や、レックスへの薬屋引き継ぎを理由にウォルドストウとデヴェンティオへの旅行を決意していながら。 もわ、と暑い熱気が顔を撫でた。あぁ、考え事しながらでも、窯の前に戻って来たんだ。 うん、とりあえず集中しよう。ここでクリスのパーツが割れていたら話にならない。 正直に言ってしまえば、さっきミルティルさんに見せた魔術陣は単なるハッタリだ。 あれは、単なる身体強化の魔術陣だ。よく使っているから、きっとクレスト様もあれについては見ただけで分かるかもしれない。 あぁ、ダメだ。余計なことは考えないようにしないと。今はとにかく、あと一刻ほどこの温度を保ったあと、少しずつ冷やすことを考えよう。急な温度変化だけは避けなければ。こんなことなら、何か自動で温度調節できるような魔術を考案しておくんだった。 悶々と悩みつつ窯に集中していた私は、陽光を遮る影に気づかなかった。 「マリー」 「……ク」 名前は最後まで口にできなかった。覆いかぶさるようにぎゅっと抱きしめられて呼吸すらままならない。……というか、汗! 昨晩からずっと窯の前にいたから汗だくなんだけど! 「あ、のクレスト様っ!」 「……なんだ」 「その、私、汗かいているので、あまり―――」 「問題ない」 いやいや、問題あるから、あるから! どうにかこうにか宥めて、水桶に浸していた手ぬぐいを絞って、せめて首筋から上だけでもざっと拭き清めた。 「えぇと、デヴェンティオから随分と早い到着ですね」 「山道は慣れている」 「? そうなんですか?」 「騎士団の訓練で山中行軍は何度も経験しているからな」 そういえば、騎士団の訓練ってかなりキツいという話はカルルにいさまからも聞いていたっけ。だから早いところ騎士団から抜けたいとこぼしていた。 「マリー」 ……私の胸がどくりと鳴った。何を言われるか分かったもんじゃない。どうしよう。帰るぞ、とか言われたら、従わないといけないのかな。 「……はい」 でも、『クリス』はちゃんと完成させたい。今、連れていかれるなら、せめてこれだけは。そうでないと、今後はいっそう外出の制限が厳しくなるだろうし。 「まだ、ここにいるのか」 「え……」 絶句した。 え、なにこれ。想定外な質問なんだけど、どうしたらいいの。 「あの、クレスト様?」 「あとどれほど時間がかかる」 「あ、はい。冷やし始めたところなので、少なくとも深夜までは窯の前にいる予定です」 いいのかな。大丈夫かな。 悪いことをしているわけじゃないけど、なんだかドキドキする。 「……そうか」 え、それだけ? 色々と予想を裏切る行動なんだけど。こんなクレスト様が初めてだから、どうしたらいいのか分からない。 「あ、の……、クレスト様は、どうやってここに?」 「馬で」 「え? でも王都から半日は―――」 「昨晩、君の定時報告を読んでから出て来た」 それは、夜通し駆けたということでしょうか、クレスト様。 って、聞きたいことはそういうことじゃなくて。 「でも、お仕事、そう、騎士団の方は」 「休みをもぎ取った」 「え、近親者の葬儀以外は連日の休みは取れないって、言っていませんでしたっけ?」 「……もぎ取った」 あれ、珍しくクレスト様が視線を逸らした。なんだろう、後ろ暗い手段を使ったのか、それとも……そもそも連日の休みが取れないという話が嘘だったのか。 何となく、後者な気がする。だって、今回の旅行の話をハールさんに相談したときに、ちょっとハールさんの表情が妙だったもの。 私はひとつ、溜息を落とした。 「申し訳ないのですが、しばらくここを離れられないんです。だから、もしよければ店舗の方に―――」 「ここにいる」 「えぇと、分かると思いますけど、暑いですよ?」 「構わない。マリーツィア、君がここにいれば」 ……うん、敵わない。この剛速球に勝てる気がしない。 窯の方へ視線を動かすと、クレスト様は粗末な木の椅子に座る私を、後ろから抱え込むように座った。 「クレスト様、服、汚れます」 「構わない」 「その体勢、疲れませんか?」 「君さえそこに居ればいい。……マリーツィア、俺は少し寝る」 「……はぁ」 夜通し馬を駆って来たのなら、そりゃ疲れているんだろう。昨晩から窯の前にいる私だって疲れているんだから。朝方、少しだけミルティルさんにお任せして仮眠はとったけど、随分と日が傾いた今、また眠気はひたひたと忍び寄ってきている。 「クレスト様、やっぱり……あれ」 私を囲い込んだ体勢のまま、クレスト様はすぅすぅと穏やかな寝息を立てていた。 そういえば、私がいるとよく眠れると言っていたっけ。さすがに添い寝とか同衾はしていないけれど、同じ屋根の下にいるだけで、気配を感じるだけで云々と言っていた。その話を聞いたときは、あまりの重さに気が遠くなったものだから、意識して思い出さないようにしていたのだけれど。 「まぁ、いいか」 前面の窯、背面のクレスト様。 熱のサンドイッチで暑いことには変わりないけれど、何故か暑苦しいという感じはしなかった。 私は、軽く目を閉じ、『クリス』に意識を繋げる。 「あ、マリーさん! 大丈夫ですかー?」 店内の拭き掃除をしていたレックスが私に近寄って来る。あれから農作業に一度戻ったのか、ぴょこん、と跳ねた赤毛の先に土が付いていた。 「うん、大丈夫よ。クレスト様もこっちに来たけど、無理やりに連れ帰ろうという感じではないみたい」 「そうなんですかー。……あ、ボクのこと、何か言ってました?」 「? 特に何も言ってないけど、何かあったの?」 レックスは、ぽりぽりと頬を掻いた。 「そのー、なんかすっごく驚いてたみたいで」 「? レックスのことは、ちゃんと報告してたはずだけど」 「うーん、マリーさんがボクのことどう報告してたのか分からないんだけど、『お前がレックスか』なんて言われちゃうと、ちょっと気になるかなー、って」 言われて、毎晩の報告内容を思い出す。クレスト様の気持ちを考えて、できるだけ悋気を煽らないようにと思っていたのだけれど、果たしてどう書いていたんだっけ? 「明るくて元気だ、とか、『クリス』を使ってレックスのことを指導してるとか、そのぐらいよ?」 私の言葉にレックスは、あれれ? と首を傾げた。 「ボクのこと、弟子としか言ってないんですか?」 「えぇ、アイクの紹介だってことは話したと思うけれど……」 もしかしてー、とレックスが眉をハの字に下げた。 「ボクの性別、誤解してたとかー?」 一瞬、『クリス』の制御が乱れた。レックスから見れば、表情がなくなって人形の顔に戻ったように見えたかもしれない。 「言って、ないかも、……しれない」 青褪めた。 目の前のレックスは、あちこち奔放に跳ねまくっている赤毛をまとめるのに(本人よりもアイクが)苦労している可愛い女の子だ。年齢はアイクと同じだったっけ。 「あとで、ボク、ちゃんと自己紹介した方がいいのかなー? マリーさんの弟子で、この店を継ぐことになったアレクシアと言いますって」 「……うん、そうしましょう」 報告書には『レックス』としか書いてない。すっかり抜けていた。お師さまもアイクも『レックス』って呼ぶし、本人もその方が慣れてるって言うから、私もそう呼んでいた。 とりあえず、クレスト様が起きたら、ちゃんと説明しよう。 そう決めて、私は再び『クリス』との接続を切った。 | |
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