TOPページへ    小説トップへ    重たい執着男から逃げる方法

 9.予想外と予想通りと


「……クレスト様」

 日が落ちて、もう窯に付きっきりで見ていなくても大丈夫になってから、しばらく私は葛藤していた。
 私にもたれかかって、とても穏やかな寝息を立てていたクレスト様を起こすため、声を掛けるのに非常に迷ったのだ。

 だって、考えてみて欲しい。
 私、クレスト様に直接何も言わないまま旅行に出てしまったわけで。それは、また逃亡したと思われても仕方ないわけで。……正直、何をどう話したらいいか分からないわけで。

 それでも、もう私のお尻と背中が限界だったのだ。イスに座りっぱなしな私の筋肉は、凝り固まってしまっている。

「……まりー?」

 その、少し掠れた寝起き特有の柔らかな声に、私の首から頬にかけて熱が上がる。
 不意打ちにも程がある。どうして、そんな油断しきった表情で私を見るの。笑うの。

「窯の方はもう大丈夫です。ミルティルさんが夕食を用意してくださるそうなので、小屋の方に戻りましょう?」
「あぁ、先程そう話していたな」

 ……その割には、ピクリとも動かなかったのですけど?
 でも、寝ているときもクレスト様は周囲の物音をちゃんと聞き分けているらしいので、きっと嘘ではないんだろう。
 でも、本当なのか、というのは毎回疑ってしまう。

「……寝ていたんですよね?」
「あぁ」
「聞こえていたんですか?」
「元々、マリーが漬け込んでいた肉があるのだろう? 山菜を付け合せにするとも言っていたな」
「……本当に聞こえてたんですね」

 迂闊な独り言を言わなくて良かったと心底思う。
 火の晩をしていたときは、眠気覚ましも兼ねて、窯に向かって心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく呟いていたのだけど、クレスト様が来てからは自重していた。本当に自重して良かった。新しい魔術構成や、レックスに作るごはんの献立ならともかく……いや、やめよう。思い出すと恥ずかしい。

 気を取り直して足に力を入れた私に、先に立ったクレスト様が手を差し伸べて来る。断る理由もないので手を取れば、そのままぐいっと引かれてしまい、立ち上がると同時に抱きすくめられた。

「マリーツィア」
「……はい」

 これは、あれかな。説教コースかな。逃げないように拘束した上で、耳元で延々と怖いことを囁き続けられる拷問だろうな。次は監禁するとか、もう勝手に王都から出るな、とか。

「会いたかった……」

 ボン、と音を立てるぐらいの勢いで自分の顔が赤くなったのが分かった。
 何これ。何これ。何これ。
 ちょ、こんなクレスト様知らないんですけど! もしかして夢? それとも偽物?

「―――君が傍にいなければ、俺の世界に色はない。君の声、君の言葉、君の姿が俺の世界を彩るたった一つの存在だ」

 うん、クレスト様だ。この重い言葉選びはクレスト様以外にない。

 結局、食事の支度ができたとミルティルさんが呼びに来るまで、クレスト様は私を離さなかった。


「美味しかった」

 耳元で囁かれて、私は身体が飛び上がるかと思うぐらいに驚いた。
 それは食事の後。私が「せめて片づけだけでも」とミルティルさんに申し出たのに「アンタの婚約者を構ってやんな」と台所を追い出された後のことだった。
 ちなみに、食事中の雰囲気は良くもなく悪くもなく、といったところだ。ミルティルさんと並んで座る私の前にクレスト様、その横にホルトさん、という席次だったのだけれど、ホルトさんは「片づけたい絵付けがあるから」と早食いを披露し、さっさと戦略的撤退を決め込んだ。結果的に、それが良かったんだろう。異性が同席している時と違い、女性だけならば、まだ、クレスト様のブリザードが吹き荒れる確率は低い。事実、亡くなった夫のクラウスさんをまだ愛しているミルティルさんは、クレスト様に秋波を送ることなんてないし、自分の親ほどもある年齢のミルティルさんに対してクレスト様もキツい視線を送ることもなかった。
 まぁ、ホルトさんには後で謝り倒そうと思う。それほど急ぎの仕事はなかったと知っているから。あれは絶対に怖くて逃げたんだ。正直、クレスト様のブリザードは慣れない人にはツラいだろう。

「そ、それは良かったです。お邸で出る食事とは随分と趣が違いますから、お口に合ったのなら―――」
「マリーの手が加わったものなのだろう?」

 あれ、おかしいな。そのセリフは逆に味を褒められている気がしない。
 いつも通り、下味用のハーブに漬け込んで、魔術を駆使して時間短縮を図ったものだから、お師さまやアイク、レックスにも褒められているように味には自信がある。けれど、クレスト様のセリフ回しから察するに、私の作ったものなら、それが生煮えでも毒でも喜んで「美味しい」と食べるんじゃないかな、なんて考えが頭をよぎった。

「……クレスト様?」
「なんだ?」
「本当に美味しかったのですか?」
「勿論だ」

 今度、ミルティルさんが作ったものだと偽って、何か料理を出してみようか。いや、それだったらレックスに頼もうか、なんてイタズラ心がムクムクと湧いて出る。

「マリー?」
「何でもありません、クレスト様。それよりも寝床のことなのですが、突然の来訪でしたので―――」

 どうにもこうにもクレスト様は、私の思考が逸れるのを察するのが早い。険を含んだ声音に、私は慌てて話題を変えた。

「ちょっと顔料で独特の臭いがあるのですが、工房の端で休んでいただくか、小屋の外の」
「マリーの近くなら、どこでも構わない」

 選択肢すら最後まで説明させてもらえなかった。
 思わず言葉をなくした私を、エメラルドの双眸が覗き込む。

「忘れたのか? 俺はマリーツィアさえいれば、それで眠れる。逆に言えば、君から遠ざかれば遠ざかるほど眠りは浅く、短くなる」

 そこだけ聞くと、置いてけぼりにしてしまって、何だか申し訳ない気持ちになってしまうが、騙されてはいけない。言っていることは、母親のぬくもりを淋しがる三歳児と何ら変わらないんだから。

 私は、ひとつ、溜息を落とした。

「そうすると、外になってしまいますけど、本当に大丈夫ですか?」
「野営ぐらい、何度も経験している。それに、マリーツィアを抱きしめて眠る以上の安眠手段などない」

 誰も「抱きしめて眠れ」なんて言ってない。
 でも、寝床のことを考えるとそれに近い体勢になるので、声を上げて反論するのも躊躇われた。

「色々と手段は講じているので、野営よりは快適だと思います」

 お師さまの庵でレックスと一夜を明かした時、色々と考える時間があった。本当は眠りたかったけど隣のレックスの妨害もあってなかなか眠れなかったから、時間だけは本当にあった。
 まず第一に、安全確保。獣除けと虫除けは必須だと考えた。
 第二に寝心地。庵ではぬるま湯を使って柔らかさと温かさを確保したけれど、準備に時間もかかるし、そんなものがどこにでもあるわけじゃない。
 第三に突発的な天気の変化への対応。山はとかく天気が変わりやすい。まぁ、天気が急変するのは昼過ぎが多いから、それほど優先度は高くない。

 今回考案したのは、粘土ベッドとでも呼ぶべきものだった。
 第一の課題は、既に庵で散々使っている獣除け・虫除け・人除けの魔術陣を流用した。等間隔で守りたい場所を取り囲むように配置するだけの、お師さま考案の魔力消費の少ない陣だ。ミルティルさんやホルトさんの作った陶器の失敗作の欠片に陣を彫り、地面にころりと転がしてある。
 第二の問題については、人形『クリス』の表情を作る陣を応用した。陶土として使われる粘土にふかふかした弾力性を持たせてある。地面に直に触れると深々と冷え込むので、薪を並べて空気を含んだ層を作った上にふかふかした陶土を敷いてみたら、まぁ、何とかなった。その上に少し厚めの布を敷けば寝るのに問題はない。
 第三の問題は、敢えて解決していない。天候の変化があった場合、窯にも影響があるので、逆に起きないとまずいのだ。

 そんなわけで、少しでも寝心地を良くしようと一人分にしては広めに作った粘土ベッドは、ぴったりと寄り添えば私とクレスト様が二人寝ても大丈夫なぐらいの大きさはあった。……ぴったりと寄り添えば。
 ホルトさんに頼んで、お酒をちょっともらいたい、と考えなくもない。クレスト様と密着して寝るのは初めてではないけれど、何というか、こう、精神的に何かが減るのだ。特に寝起きなんて一番ひどい。

 軽く身を拭き清めた私は、工房に居たミルティルさんとホルトさんに一声かけると、窯の前までやってきた。先に粘土ベッドにやって来ていたクレスト様は、何を考えているのか、じっと窯を見ていた。

「そんなに見ても、何も出ませんよ」
「……あぁ」

 私は地面に転がる石英入りの石を拾っては、そこに刻まれた陣に魔力を込めて、また転がす。

「昨晩からずっとここに居て、朝方、少しだけ仮眠をとったのですけど、やっぱりまだ眠いです」
「……あぁ」

 くるりと振り向いたクレスト様の、新緑の瞳が少しだけ濡れているように思えた。そこにある感情は、窯の中にあるものに対する嫉妬なのか、それとも私に対する執着なのか。
 私はそれに気づかないフリをして、粘土ベッドにころり、と横たわる。空には満天の星が見える。なんて贅沢な紗幕。
 昨晩は、火の番をしながらとは言っても、その紗幕を独り占めにしていた。今日は、残念ながらそれはできない。程なく隣にクレスト様が滑り込んできた。少し冷たい手足に、私の肌が粟立つ。
 まるで壊れ物でも扱うように私の身体を引き寄せるクレスト様が、いつもとは違い過ぎて、なんだかこそばゆい。いつもはぎゅうぎゅうと抱きしめてくるくせに、今日はそんなことはなかった。
 伝わる体温、伝わる鼓動に、どんどんと瞼が重くなる。星空の紗幕がぼやけ、私の意識も緩んできた。

「……クレスト様?」
「なんだ」

 ノータイムで返事が落とされた。夕方も寝てたし、きっとまだ眠くないんだろう。夜通し駆けて来たという話だから、体内時間が少し狂ってしまっているのかもしれない。
 ハールさんには、クレスト様と合流したという報告を書き送ったけれど、あちらでは、どんなことになっているんだろうか。
 ……あぁ、だめだ。本当に眠い。色々と考えておきたいことはあるのに、考えがまとまらない。

「昨日も、こうやってきれいな星空を、見上げてたんです」
「あぁ」

 そう、窯を見ながら、何度かこの粘土ベッドに横になって寝心地を確かめていた。

「なんか、星が……とても、きれい、で。どうして、……どうして、こんなときだけ、となりにクレスト様がいないのかな、なんて考えちゃいました」

 隣にいるのが当たり前なのに、こんな時に限って。視界を共有したい時に限っていないのなんて、おかしい。そんな風に思ったんだった。
 昨夜の気持ちを思い出して、ふふ、と僅かに吐息を揺らすと、頬を節のある固い指が滑る感触があった。

「マリーツィア。君はどうしてこんなにも―――」

 眠りの海へ沈む寸前、妙なセリフを聞いた気がする。

―――こんなにも、俺を殺すようなことを言うんだ。

 殺すわけがないじゃないですか、と口は動かせなかった。

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