TOPページへ    小説トップへ    重たい執着男から逃げる方法

 10.何を見たら分かるの?


 ぬくぬくと柔らかいものに包まれた目覚めはまるで天国のように心地よいものだったのに、残念ながら目を開けると同時にその快適さがとんでもない羞恥の上に成り立っていたものだと気付く。
 何のことはない。クレスト様の胸板に額を押し付けるようにして眠っていた自分を改めて自覚しただけだ。いや、何のことはない、なんて言えるわけがない。覚醒直後で思考回路がちょっとおかしいみたいだ。

 こうやって起きるたびに思うのは、「クレスト様と一緒に寝るのは今回限りにしよう」ということだけ。それなのに、何度も繰り返しているあたり、私の学習能力に問題があるのか、それともこういった体勢に持ち込むクレスト様が策略家なのか。
 何度目かの反省をしつつ顔を上げれば、そんな自分を見下ろす碧玉に気が付いた。私のすべてを観察し、見逃さないようにする視線には、いつまで経っても慣れることはない。こちらもつい、頬に血が上る。

「……恥ずかし過ぎる」
「マリーツィア?」

 声に出すつもりはなかったのに、つい音が漏れてしまった。おそらく聞き取れなかったのだろうクレスト様の声に、私は何もなかったように装う。

「……おはよう、ございます」
「あぁ、いい朝だな」
「そうですね」

 どうやら、クレスト様にとっては「いい朝」らしい。体温を分けてもらってぬくぬくと寝ていた私にとってもいい朝だった。少なくとも目覚めるまでは。

「今日は焼き上がったパーツに魔術陣を刻み込む予定なのですけど、クレスト様はどうなさいますか?」
「そうだな、せっかくだから見学させてもらおうか」

 一瞬、耳がおかしくなったのかと思った。
 え、見学? クレスト様が?

 大人しく見学をしていられるんだろうか。別にクレスト様にこらえ性がないとは言わないけれど、こと魔術の研究に夢中になってしまう私を、たまに物凄い目で見ていることがある。あれが嫉妬でなくてなんだと言うんだろう。だからこそ、基本的にクレスト様が騎士団に出勤されてから帰ってくるまでを魔術の研究に充てるようにしているんだから。

「えぇと、見ていても面白いものではないと思いますよ?」
「そうかもしれないな」
「なんでしたら、その、付近の散策とか―――」
「いや、君を見ている方が有意義だ」

 絶句した。
 いや、私に向けられる執着は十分理解していたはずだ。それでも、そのセリフの重さに絶句するしかなかった。
 集中するので無視するような形になってしまいますが、とか何とか言葉を返しながら、私はギクシャクとした動きでクレスト様の腕から抜け出た。

 何か変だ。
 昨日やって来てからのクレスト様は、やっぱり何か変な気がする。即・腕を引っ張られ力づくで邸に連れ帰られることを覚悟していただけに、この予想外の連続にどうしたらいいか分からない。

「……もう、考えるのよそう」

 山小屋の裏に流れる清水で顔を洗い、私はそう決心した。とりあえず、全く別のことを考える。そう、例えばレックスを改めてクレスト様に紹介するとか。

 私は一呼吸分だけ瞑目すると、町にいる『クリス』を動かした。レックスはもう先に起きていて、姿が見えない。たぶん、いつも通り畑にいるんだろう。裏の畑をもう少し拡張したいと言っていたし。
 起きて厨房に立った私は戸棚をパタパタと開け閉めしたり、半地下の貯蔵庫を覗き込んだりした。うん、ストックは十分だ。ゲインさんの奥さんから頂いた鹿肉が食べ頃だから、それを使うことにしよう。
 私は『クリス』の腕に水仕事用の手袋をはめると「よし」と誰にともなく呟いた。


 午前中は、集中できるまで、少し時間がかかった。
 工房にいるのは、私、ミルティルさん、そしてクレスト様だ。ホルトさんは商品を担いで町へ下りて行った。元々今日は町の雑貨屋に陶器を卸しに行く予定だったけど、いつもよりも早めに出発した理由は、うん、考えるまでもない。ごめんなさい、ホルトさん。窯を使わせてもらった身なのに、余計な気苦労まで与えてしまって。ついでに、雑貨屋のお隣のパン屋さんの娘グリーナさんと一緒に美味しいものでも、と迷惑料を渡しておいた。もちろん、ミルティルさん経由で。クレスト様が来てから、意識してホルトさんとは会話しないようにしている。
 だって、血の雨とか怖いもの……!

 工房ではミルティルさんは素焼きの終わった器に絵付けをしていて、私は焼き上がった『クリス』のパーツの裏に魔術陣を刻む作業をしている。
 え、クレスト様?
 本らしきものを片手にずっとこちらを見てます。ずっと同じページを開いているような気がするのは、気のせいじゃないと思う。
 ただでさえ、『クリス』を動かしっぱなしにしているから集中が必要なのに、陣を刻む姿を見られているのが非常に落ち着かない。
 それでも、いつの間にか慣れてしまったのだろうか、作業に没頭していた私は午前中のうちに予定していた魔術陣の三分の一を刻み終えたところで、ミルティルさんに頼まれたクレスト様に昼食の用意ができたと声を掛けられた。

「あ、マリーさん」

 私の代わりに食事の支度を手伝っていたのは、レックスだった。朝のうちに差し入れを作った私は、レックスに言付けて山小屋に来てもらったのだ。その代わりに『クリス』は店番をしているから、ずっとそちらにも気を配っている。と言っても、お客がひっきりなしに来るわけじゃないから、カウンターにイスを運んでそこに座らせている。視界と音には注意しなければならないけど、細かい動きをするわけではないから、それほどの苦労じゃない。
 レックスに来てもらったのは、改めてクレスト様に挨拶をさせようと思ったからだ。ついでに、作った料理の正直な感想も聞きたかったので、差し入れも持たせた。

「ごめんなさいね、レックス。集中し過ぎて来たのに気付かなかったわ」
「ほんとーにマリーさんの集中力ってすごいよねー。ボクも見習わないといけないかな」
「レックスだって、薬草の形とか効能を覚えるのは早かったじゃない。調合はこれからだけど」
「植物は見慣れてるから、似てるのに気をつけるだけだもんねー。調合は、あはははー、長い目でよろしくお願いしますー」

 私はカラッと笑うレックスの頭を軽く撫でると、こちらを睨むように見つめているクレスト様に向き直った。

「改めて紹介します。この子が、あの薬屋を引き継いでくれるレックス、えぇと、アレクシアです」
「マリーさんのイイ人のクレストさんですよね。よろしくお願いしますー」

 ぺこり、と頭を勢いよく下げたレックスに、対峙するクレスト様はなぜか口元に手を当てていた。

「クレスト様?」
「あ、あぁ、やる気があって物覚えも良いと聞いている。この調子で励め」

 なんだか、部下に対する言葉になってない? レックスを淑女扱いしろという話も変だけど、なんだかクレスト様の反応が妙だ。
 別に年齢とか性別で人を差別することはなかったよね? クレスト様に秋波を送ったり、私に敵意をむき出しにしたり、って相手側の対応によっては、とんでもないブリザード吹かすけど。

「マリーさん? お昼にしよーよ。ボクすっごくお腹すいちゃって」
「えぇ、そうね」

 食卓には、いつもよりも少し豪華なメニューが並んでいる。根菜メインのスープはミルティルさんの得意料理、そこにホルトさんが朝一で採ってくれた山菜がおひたしで並び、あちらで『クリス』がレックスに持たせたピクルスと……鹿肉のロースト。
 この鹿肉のロースト、少しクセのある鹿肉にハーブやいくらかの香辛料をまぶして焼いたもので、レックスやアイクの大好物だった。アイクがお肉好きなのは、男の子だし、年齢からして納得なんだけど、レックスも好きなんだよね。力仕事する時はやっぱりお肉がいいから、なんて言っているけど、アイクに尋ねれば、純粋に獣肉が好きなんだとか。二人が住んでいた村では、雉肉ぐらいしか獲れなかったというのもあるんだろうけど。
 レックスには、手土産としか言わないように重々言い含めてある。だってしょうがない。私はクレスト様の純粋な感想が聞きたいんだ。私が作ったとバレたら、あの人はまた無駄に装飾して褒め称えるに違いないんだから。

「いただきます」

 ホルトさんの代わりにレックスが座り、食卓が埋まる。
 私はミルティルさんのスープに舌鼓を打ち、レックスからの調合に関する質問に答えながら、そっと隣のクレスト様を盗み見る。レックス持参のピクルスをじっと見つめてから口に含んでいた。ピクルスを見つめる必要があったんだろうか、と問いたい。けど、迂闊なことは口にしたくない。
 当たり触りのない話題を選びながら食事は進み、料理も残り三分の一になった頃合いに、私は本題を口にした。

「やっぱりミルティルさんのスープは美味しいです。クレスト様はどうでしたか? 邸で食べるのとは随分違った料理だと思いますけど―――」
「そうだな。だが、仕事で色々な町に遠征することもある。こういった料理に慣れていないわけではない」
「そうなんですか。それならその土地土地の名物料理とか食べているんですよね? 今度、お話を聞かせてください」
「……あぁ。それにしても、この酢漬けと鹿肉は美味かった」

 ぴしり、と私の動きが止まった。斜め前に座っているレックスも、目を丸くしてこちらを見た。

「そ、うなんですか。よかったわね、レックス。重いビンを抱えて山道を登ってくれたおかげね」
「うん、そーだねー、マリーさん」

 まさか、バレている?
 実際に作ったのが『クリス』とは言え、広い意味では私が作ったものをピンポイントで褒められた。あの動揺から見るに、レックスがうっかり口を滑らせたとも考えにくい。
 純粋に美味しいと思ってもらえたと考えていいの、よね?

「マリー?」
「は、はいっ」
「椀が傾いてスープがこぼれそうだ」
「あ、はい、そうです、ねっ」

 いけない、ミルティルさんのスープを台無しにするところだった。私は片手にもったお椀をそっと置く。
 どうしてだろう。すごく、怖い。
 本当に私の手が入ったことを察知しての発言だったらどうしよう。でも出来上がった料理を見て、……ってどれだけ? でも、クレスト様に関して言えば、私とは似ても似つかない『クリス』に反応したという前歴もあるわけだし―――

「マリーツィア?」
「はい」
「もう食べないのか?」
「あ、いえ、食べます」

 私はスープをずず、と飲んだ。美味しい。ジンジャーが入っているからか、身体がぽかぽかと温まる。

「マリーちゃん。アンタは午後はどうすんだい?」
「あ、引き続き工房の隅で陣を描いてます」
「夕方は焼きに入るけど、追加で窯に入れるもんはあるかい?」
「うーん、特にはないですねぇ……。あ、そうだ! ミルティルさんにお願いがあったんだ」

 そうだった。クレスト様がここへ来ることになった経緯を聞いて思いついたことがあったんだった。

「ペアになるような焼き物って作ってもらえませんか? お代はちゃんと払いますので」
「別にいいけど、ペアかい?」
「ご夫婦の仲が良いみたいなので、二人だけのお揃いのカップとかボウルとかあると素敵かなぁって」
「ふぅん、面白そうじゃないかい。そういうことなら作ってみるよ」
「ありがとうございます!」

 うん、これで助言してくださったっていうラウシュニングさんにお礼ができる。

「マリー?」
「はい」
「誰に渡す気だ?」
「えぇと、ラウシュニングさんに。お世話になったんですよね?」
「……」

 あれ、何か悪い提案だったんだろうか。
 何故か黙り込んでしまったクレスト様に、私は首を傾げて続く言葉を待ったけど、残念ながら口は開かれなかった。


 手が止まる。
 早く魔術陣を刻み終えたいのに、手元に集中できない。

「今日は一人なんだろ? 別に客も来てないみたいだし」

 存在を忘れていた貸し馬屋のリヒターが、さっきから店番をしている『クリス』に話しかけてきているのだ。単に視界と音にだけ気を配るならともかく、人前では表情や仕草に意識を集中しなければならないので、自然と自前の手が疎かになる。一発勝負の魔術陣描きをやってられる状況じゃない。

「申し訳ありません。お客さんがいつ来るかも分かりませんし、レックスももうすぐ戻ってきますから―――」
「それなら好都合じゃん。弟子に店番任せてさ、美味しいもの食べに行こうよ」

 リヒターはいわゆる放蕩息子なんだけど、以前もちょくちょく『クリス』に声を掛けて来ていた。そのときは怖い兄=『ニコル』が出張って追い払っていたんだけど、残念ながら、今はその存在はない。

「あの本当に、困ります……」

 どう断ったものか、と考えていると、目の前にクレスト様が立っていてぎょっと身を引いた。

「どうした?」
「えぇと、ちょっと『クリス』の方で困ったことが起きまして」
「なにが?」
「……その、以前も声を掛けて来た軟派な人がいるんですけど、また押しかけて来まして」

 あれ、クレスト様の不機嫌度が上がった。なんだかんだ言っても、『クリス』のことを気にしてくれているのかな。

「どこのどいつだ」
「貸し馬屋の主人です」
「あいつが? とても真面目そうな人間だったが」
「それ、きっと使用人さんです。主人は放蕩息子なんですけど、親が与えたお店なので、ちゃんと管理する人はいるんですよ」
「……度し難いな」
「えと、そろそろレックスも戻る頃なんで大丈夫だと思います」
「そうか? ……あとで処理しておくか」

 なんか、後半は聞き取れなかったことにしたい呟きだった。処理ってなんだろう、なんて考えたら負けだ。

「ねーねー、マリーちゃん。ほら、行こうぜ?」
「お断りします」

 あぁ、早くレックス戻ってこないかな。
 私はクレスト様に悟られないようにため息をついた。

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