TOPページへ    小説トップへ    重たい執着男から逃げる方法

 4.IFルート:DARKNESS


 なぜ。
 なぜ。なぜ。なぜ。なぜ。なぜ。なぜ。なぜ。なぜ。なぜ。なぜ。なぜ。なぜ。なぜ。なぜ。なぜ。なぜ。なぜ。なぜ。なぜ。なぜ。なぜ。なぜ。なぜ。なぜ。なぜ。

 なぜ。君がここに居ない。

 最悪だった。
 あの日、勤務中に邸からもたらされた報せは、俺の心に深く突き刺さった。

 マリーツィアが、俺の元から去って行ってしまった。
 詳しい状況を聞けば、自ら出て行ったのだと言う。陣を描くための道具は全て排除していたはずなのに、いったいどうやって魔術を使ったのだろう。次こそは、もっと、ちゃんと逃がさないように対策をしなければ――――

 いや、違う。
 まずは、マリーを取り戻すことが先決だ。

 あの憎々しい誘拐事件以降、マリーは何かと考え込むことが多くなっている様子だった。あれは逃亡計画を練っていたのだろう。そこに何か手がかりがないだろうか。
 いや、それ以前に、去る直前まで寝間着姿だったという報告が事実なら、王都では目立つ姿のはずだ。そこから追うことはできないだろうか。

 しばらく検討し、無理だ、という結論が出る。
 魔術で人の視覚を狂わせることもできる。俺が追うことを知っている彼女が、そんな目立つ外見を気にしないはずがない。

「マリーツィア……」

 絶対に君を見つける。
 そのために、再び出張任務を増やそう。配下が道連れになるが、知ったことか。マリーツィアを取り戻すことが優先だ。そう、何よりも。

 俺は手に持った蒸留酒のビンに口をつけた。
 カッと喉が焼けるような強い酒精が胃の腑に火を付ける。
 彼女がいない。それだけで、俺はもうまともな睡眠を取ることすらできない。
 だが、彼女を探すためには、無理矢理にでも自分を睡魔の淵に叩き落とす必要があった。そのための蒸留酒だ。

 ベッドに腰を下ろせば、ぎしり、と木枠が鳴る。
 今までは、寝入ってしまった彼女を思う存分眺めることができた。その白く滑らかな肌に、黒く艶やかな髪に触れることができた。甘く柔らかな吐息を、淡く胸揺する鼓動を感じることができた。
 それが、今、空っぽの、虚ろな、抜け殻で。

「……っっあぁぁぁぁああああぁぁぁぁっっ!」

 心臓が絞られるように痛い。
 頭はガンガンと大鐘が鳴り響くように苦痛を訴える。
 冷や汗は止まらない。
 彼女がいないと考えるたび、指先が震える。

 体が、心が、彼女を捜せと喚き立てていた。

 マリーツィア。
 マリーツィア。
 俺の唯一。
 俺の祈り。

 この冬の夜空の下、寒さに震えていないだろうか。
 女一人で、危険な目に遭っていないだろうか。
 泣いていないだろうか。

 探さなければ。
 手段は何でもいい。
 とにかく、探さなければならない。
 彼女は、俺の隣に居るべき人なのだから。

 ふわり、と風が俺の汗ばむ肌を冷やす。
 この季節、窓を開けた覚えもないし、使用人は全て下がらせているはずだ。

「……貴様」

 自分でも驚くような低い声が漏れた。
 決してマリーには聞かせられない、飢えた狼のような唸り声が喉を突く。
 これが俺の本性だ。
 マリーを奪う者全てを壊し尽くしたい。そう叫ぶこの本能。
 特に、目の前に姿を現したこいつは敵だ。

「貴様が!」

 俺の手から蒸留酒が入ったままのビンが飛ぶ。それは現れた外道魔術師の頭に真っ直ぐ向かい―――

「昔から変わらないね、君は」

 ぴたり、と空中で静止した。中身がまだ残っていたにも関わらず、一滴もこぼれずに。

「クレスト・アルージェ。君はあの時、僕の手から彼女を奪い取った時と全く変わらない」
「貴様がマリーを連れ出したのか!」

 俺の手が武器を探す。部屋の入り口には剣が立てかけられているが、そこまで取りに行くのを目の前の男は許さないだろう。
 それならば、何か別の物を使って気を逸らすしかない。

「何を誤解しているのかな。マリーは自分から僕の所に来たよ。この寒い中、寝間着姿でね」

 靴も履いていなかったから、足もボロボロだったと嘯く男の話を信じるつもりはない。

「貴様が連れ去ったくせに、何をのうのうと。マリーに会わせろ。いや、マリーを返せ」

 俺の言葉に、男が嘆息するのが見えた。
 窓辺に立つその男は、魔術師のローブを寒風にはためかせてこちらを見下ろしている。その上からの目線がこの上なく腹立たしかった。

「あの子がね、ぼろぼろと涙を流すんだよ。もうどうしたらいいのか分からない。どこで間違ったのか分からない。ってね。―――間違えたのはマリーじゃない。君の方だっていうのにね」
「―――何を」

 反駁の声を上げようとした瞬間、男の手が、俺の目を塞ぐように押し当てられた。隙を見せた覚えはない。だが、瞬間移動の魔術をいつ編み上げたのかさえ理解できなかった。魔術には傾倒するどころか嫌悪しているが、それでもマリーのために詳しくなっていた筈だった。

「これでも、色々と考えたんだよ」

 男の手が俺の目を塞いでから、俺は指先ひとつ動かせないでいた。
 憎んでも憎み足りない相手を睨みつけることもできず、ただ立ち尽くすしかできない。どれだけ動けと念じても、関節ひとつ満足に動かせなかった。

 こんな屈辱、殺しても殺し飽きない。
 爪を剥ぎ、髪を引き抜き、指を削ぎ、骨を砕き、血を流し尽くし、火に炙り、氷に閉じこめ、地の底に埋め立て、腕を足を腹を切り刻んでもまだ足りないぐらいの憎悪。

「でも、君からはマリーを奪うのが一番だろうね」
「……な、んだ、と」

 かろうじて出せた声に、相手が驚くのが分かった。
 マリーを取り戻すためなら、これぐらいの戒めを破れずして、何が騎士だ。
 それに、俺からマリーを奪っておいて、さらに奪うとはどういう了見だ。

「それだけの執念を持ちながら、どうしてそれをマリーを縛ることにしか使えないのかな。君は本当に残念だよ」

 その言葉とともに、ポウ、と男の手のひらが淡く光る。

「これで終いだ。君はもう、マリーに会うことはできない」

 ふわり、と再び窓辺に降り立つ男を、俺は見ていた。否、睨みつけていた。

「マリーをどうするつもりだ」
「どうもしないよ」
「それならば、マリーを返せ」
「……ここまで連れて来てもいいけど、君はマリーに会えないよ。クレスト・アルージェ」
「なんだと?」

 男の口元が不吉な弧を描く。

「君の目はマリーを映さないし、君の耳はマリーの声を拾わない」
「……何を言っているのか分からんな。俺がマリーツィアを見過ごすはずが」

 自分の声が不自然に途切れたのは分かっていた。
 だが、それ以上に、最悪の想定が俺の喉を止めた。
 だめだ。いや、違う。考えろ。それ以上は考えるな。ありえない。そんなことはない。うそだ。うそだ。まさか。そんな。違う。いやだ。くそっ。やめろ。
 視界が震える。違う。震えているのは俺自身の体だ。にじむ冷や汗はじわりと不快で、その上、夜風に当たって冷えきって流れ落ちる。

「否定は意味がない。おそらく君の考えている通りだ」
「き、さま……、まさか魔術で」
「その通りだよ。君の目と耳に一種のフィルターをかけた。さっき言った通りに『君の目はマリーを映さないし、君の耳はマリーの声を拾わない』ようにね」
「いますぐ解除しろ!」
「未来永劫苦しむんだね。それが、このイスカーチェリの、いや、導師ズナーニエの掌中の珠を傷つけた報いだ」
「……導師?」
「君の懇意にしてるハメスにでも確認するがいいよ。導師ズナーニエのかけた魔術を解くことはできるかってね」
「ふざ、けるなぁっ!」

 部屋の入り口に立てかけた剣を引っ掴むと、鞘から抜いた刀身を男に突きつける。
 だが、窓辺に立つ男は、余裕の笑みを崩さない。
 それが一層、俺を駆り立てた。

「死ね! このど腐れ魔術師がぁっ!」

 俺の突きは、しかし、奴の体を貫くことはできなかった。
 窓辺にいた筈の男の姿は忽然と消えていた。それこそ、最初から何もなかったように。
 奴に投げつけた筈の酒瓶は、まるで最初からそうだったようにテーブルの上に乗っている。

 憔悴した自らが見せた幻影だったのか。だが、それにしてはあの男の手の感触が瞼に残っている。

「嘘だ。俺がマリーを見られないなんて、嘘だ」

 そんなでたらめな魔術があってたまるか。
 あの詐欺師が、はったりをかましただけだ。そうだ。そうに違いない。
 俺は、何としてでも、マリーを探し出す。
 俺の、唯一、の光。
 彼女を失えば、俺は永遠の闇の中を彷徨うしかないのだから。


「今、何て……、親父殿?」
「言った通りだ。お前を跡継ぎにはできなくなった」

 突然、親父殿に呼び出しをくらったオレを待っていたのは、予想もしない話だった。

「ど、ういうことですか。もちろん、理由があるんですよね?」
「……お前が、手を出してはいけない相手に手を出したからだ」

 いつもは飄々として人をおちょくるばかりの親父殿が、何故か今日は歯切れが悪い。
 手を出してはいけない相手? 心当たりはない。デヴェンティオの町おこし以降、これといって目立った行動はしていないはずだ。

「思い当たるふしがありません。いったい誰のことを言っているんですか?」
「―――お前が直接知らない相手だ。だが、随分とご立腹だったよ」
 ますますもって分からない。
 直接知らない相手? それなのにオレの跡継ぎという立場を脅かすほどの?

「親父殿。悪いけどハッキリ言ってくれませんか。そこまで曖昧過ぎると、オレだって理解できないし、納得できない」

 親父殿が深いため息をつく。こんな顔、初めて見た。

「私とてな、納得はできていない。血を分けた息子であり、有望に育ったお前を今後一切事業に関わらせるなと言われてもな。……だが、逆らえる相手ではないのだよ」
「だから、誰だって聞いているんですよ!」

 思わず声が荒々しくなってしまった。常に冷静たれと言い聞かされて来たが、さすがに平静を保つのも限界がある。
 親父殿の事業を継ぐために頑張って来た。
 そのために入りたくもない騎士団に入り、体育会系の男の園でキツい思いもした。
 それと並行して人脈を広げ、商いを学び、いくつかの案件を手がけた。
 すべて、この家を継ぐ日のために―――。

「お前ぐらいの世代は知らないだろうが、導師ズナーニエと呼ばれる方だ」

 導師、というのは聞き慣れない尊称だ。だが、魔術に関わるものだと推測はできる。
 最近、魔術師と関わるような件と言えば……

「まさか、例の誘拐の……?」

 クレストの女神様であるところのマリーが誘拐されたことは記憶に新しい。マリーの話によると、クレストに横恋慕したご令嬢の他に、魔術師が絡んでいるということだったけど……

「詳しくは聞かされていない。いや、とても聞けるような雰囲気ではなかった。―――ただ、弟子のためには、お前が力を持っていては困ると、だけ」
「そんな理不尽な! ああしなければ、マリーは」
「受け入れろ」

 その言葉は冷たく、オレの胸に刺さった。
 分かっている。親父殿が好んでこんなことを決めたわけじゃないことぐらい。

「後継は、ペドロを養子にとる。お前は、騎士団に残るなり、家の力の及ばないところで一から商いを始めるなり、好きにしろ」
「……親父殿!」
「話は、おしまいだ」

 オレと目を合わせることなく、親父殿はくるりと背を向けてサロンを出る。
 その背中は、いつになく小さく見えた。あの親父殿でも権力に屈することがあるなんて、信じられなかった。

 そう。信じられない。

 もうすぐ騎士団を辞して、家業に専念するはずだった。
 それが、なぜ。

「は、はははっ、じょーだん、きつい、ぜ」

 騎士団に残る?
 あの体育会系の暑苦しい集団の中で一生を終えろって? 体力バカになる気もなければ、そんな奴らを部下として使うのにもそろそろ限界を感じているってのに。

 家を出る?
 ウチのネットワークの広さも、商いの幅広さもイヤってほど知ってるのに、新しい商売を一から? どこに居ても子爵家とかち合うことになるのは目に見えている。

 どこで、間違った。
 なにを、失敗した。

 一人残された部屋で、オレは頭を抱えてうずくまった。

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