5.一三歳、なかなか制御が難しいその日、魔術師イスカーチェリは弟子の作った美味しいお昼ご飯をすっかりお腹に収め、心地よい眠気と戦いながら自分の部屋で書類をまとめていた。 彼女は正式な弟子となって一年になろうかという頃合だったが、素直な性格もあってか、彼の教える魔術を飲み込むのも早かった。元々、家事をする際に使える簡単な魔術陣を教えていたこともあり、編み出そうとするのは日々の雑事に使うようなものばかりで、彼にはない発想の連続に、長いこと抱えていた『退屈』の病も治りつつある。 弟子に影響を受け、彼自身も身近に使える便利な魔術を編み出すべく、日々、試行錯誤を繰り返すようになった。その分、溜まってしまった実験結果をまとめていたが、こういった机上の仕事が好きではない彼は、とうとう午睡の誘惑に負けて寝台へ視線を映した。 その時である。 パァー……ン! 日頃は鳥が鳴き交わす声しかしないはずの山に、大きな破裂音が響き渡った。 彼に襲い掛かろうとしていた睡魔は一瞬で掻き消えた。 「マリー!」 弟子の姿を思い描き、転移の魔術を発動させる。一瞬後、彼は信じられないものを目にした。 何が起こったのか、三分の一が大きく抉れた幹。その下に、彼の愛弟子が倒れていた。 上半身がボロボロだった。服は穴と鉤裂きだらけ、顔の前で交差させている腕には細かい木片が針山のように刺さっていた。庇い切れなかった首筋や胸のあたりにも刺さり、血が滲んで痛々しい。 「お、師、さま?」 「マリー! 大丈夫かい!?」 ゆっくりと腕を動かして顔を見せたマリーは、その視界に自らの師を見とめると「ごめんなさい」とか細く呟いた。 身体を動かすたびに、無数に刺さった木片が刺激するのか、顔をしかめるのもまた痛々しい。 「何があったのか説明できるかい?」 ゆっくりと起き上がったマリーは、自分の腕を見て「わぁ!」と声を上げた。刺さった鋭い木片を、一本ずつ抜こうとする手を師が止める。 「とりあえず、僕が抜くから。マリーは状況を説明して」 現場を見ただけで、魔術によって引き起こされた惨事だとすぐに気付いた師が、やや厳しい声を出すのに、マリーはしょんぼりと項垂れた。 「今晩の料理に使おうと思って、樹液を採ろうと思ったんです……」 彼女がちらり、と視線を動かした先には、小さなビンが転がっていた。 「ポンプみたいに吸い上げるようにできれば、樹皮を傷つける大きさが少なくて済むかな、って思いついて―――」 痛みをこらえながら説明する弟子の構築した魔術陣に、師は大きなため息をついた。 「マリー。その陣には致命的な欠陥があるよ。樹液の流れる道は面じゃない、線だ。手当てが終わったら、植物の構造について説明しよう」 師がかざした手が柔らかい光を帯び、マリーに刺さっていた木片という木片全てが引き抜かれた。少なくない痛みに、彼女が小さい悲鳴をこぼす。 「小さい傷が多いけど、いくつか深い傷があるね。とりあえず庵に戻ろう」 「はい、お師さま」 差し出された師の手を掴んで立ち上がると、マリーは「すみませんでした」と頭を下げた。ボサボサになってしまった黒い髪に、地面に積もっていた枯れ葉が絡んでしまっていた。 「……」 「お師さま?」 首や腕に赤い筋がいくつも走る姿は、見ているだけで痛々しい。だが、師としてここで甘やかすわけにはいかなかった。 「行こう。まずは傷口を洗って消毒しないと」 「はい」 甘やかすわけにはいかないと知っていながら、その姿を見続けるのも忍びないと、ついつい転移で庵に戻る。歩いても5分とかからない距離だが、その間、ずっとボロボロの姿を見続けるのに耐えられなかったのだ。 「僕は薬を取ってくるから―――」 「はい、傷口をきれいにしておきますね、お師さま」 みなまで言わせない弟子は、大丈夫だとでも言うように、にこりと笑う。元々、引き取った時からどこか大人びた弟子だったが、とある場所から逃げて来てからは、それが余計に顕著になった、と思う。 軟膏を取って戻って来た頃には、桶に汲んだ水に手拭を浸し、淡々と自分の腕や首などを拭う弟子がいた。大半が小さな傷で済んでいるが、いまだ傷の止まらない深いものもある。痛まないはずがない。 どこか、その様子に危うさを感じた。 「マリー」 「あ、はい!」 軟膏を受け取ろうと手を出す弟子に「僕が塗るよ。首元とか見えないだろう?」と断ると、「すみません」と謝罪を口にする。 「マリー。そういうときは、すみません、じゃなくて、ありがとうって言うんだよ」 「……はい、ありがとうございます」 たった四ヶ月。本人は「窮屈で退屈でした」としか言わないあのお邸での生活で、真っ直ぐだったマリーの性格は少し曲がってしまった。それを全て悪いことだとは思わないが、師はどこか卑屈な部分が増長されてしまったことを悔しく思う。 「今回、君の描いた魔術陣だけどね、普通なら発動しないようなものなんだ」 「そうなんですか?」 くすぐったいのか痛いのか、時折、ぴくぴくと震えるマリーは、黒い目をぱちぱち瞬いて驚きを素直に表した。 「君の魔力は強いからね。その後押しもあって破裂するような発動になってしまったんだろう」 「……やっぱり、強『過ぎ』るんですね」 魔力が強過ぎるがゆえに、行使魔術に向かないと言ったことを気にしているのか、彼女はしょんぼりと項垂れた。 その強い魔力を欲してやまない魔術師もたくさんいるというのに、贅沢な悩みとは気付かない。それを指摘しようとした師は、随分と昔に読んだ書物の『過ぎたるは及ばざるがごとし』という言葉を思い出し、口を噤んだ。何事も、「適量」のが良いに決まっている。 「今後は、しばらく僕のチェックした術しか使わないようにしようか」 「え……、でも、お師さまが時間を取られてしまいます」 「君がこんなケガをするぐらいなら、そんなことぐらい気にしなくていいよ。今回はこんなケガで済んだけど、命に関わる可能性だってあったんだから」 「……はい」 すっかりしょげかえってしまった彼女に、さて、どうやって元気付けたらいいか、と師は考える。 元々、人付き合いが苦手だったから、こんな場所でひっそりと暮らしている。子どもの慰め方なんて知るわけもない。それでも、彼女とは六才から数えて七年もの付き合いだ。導き方は心得ている。 「石をね、使ってみようか」 「石、ですか? ……っ!」 鎖骨あたりにあった深い傷に触れてしまったせいか、ひゅっと鋭く息を飲んだマリーだったが、少し頬の肉を引き攣らせただけで悲鳴も上げずにじっと耐える。その矜持を傷つけないように、師も何食わぬ顔で治療と話を続けた。 「純度の高い鉱石は、魔力を蓄積する性質を持っているんだ。君も血を使って魔力を詰めたことがあるだろう? 魔力の流れを掴めている今なら、血を使わなくても魔力を移すことができるよ」 「純度の高い鉱石、って、いわゆる宝石とは違うんですか?」 「同じと言っていいかもね。ただ、町で売っているもののように磨く必要はない。原石のままでいいんだよ。コランダム・クォーツなんかはこの付近でも採れるから、明日にでも見分けるポイントを教えよう」 先ほどまでの落ち込みはどこへ行ったのか、きらきらと師を見つめるマリーは、明日の講義に思いを馳せている様子だった。 「石の魔力で陣を発動させるなら、今回みたいに暴走の危険はぐっと低くなる。少しだけ、陣の構成を変える必要もあるから、それも含めて明日、ね」 「はい、お師さま!」 腕の傷口に軟膏を塗っている途中だというのに、待ちきれないとばかりに立ち上がろうとしたマリーを、慌てて師が制す。 「こらこら、落ち着きなさい。……まったく、今日はもう修行はなしだからね?」 「……えー」 「まだ何か試そうとしてたのかい」 「その、せっかく傷ができたので、以前教えていただいた治癒の魔術陣を試してみたいな、って」 どこまでも前向きな弟子に、師の口から再び大きなため息が洩れた。 「……マリー?」 「……はい」 「治癒の魔術陣は単純だけど、バカみたいに魔力を使うって教えたよね?」 「はい」 「ついさっきの爆発で、君の魔力がかなり使われたのは分かるね?」 「……はい」 「そんな状況で、今の君が治癒の魔術陣を発動させたら、どうなると思う?」 体内を巡る魔力が枯渇するとどうなるかは、口を酸っぱくして教えてあった。それこそ、生命にも関わる話だから、何度も口にしたはずだった。 「えぇと、まだ余力はあると―――」 「ないよ。今の君が治癒なんてしたら、一秒と持たずに昏倒するからやめなさい」 「……はい」 どこか不満そうな弟子に、師はやれやれと肩をすくめた。 「これは君に対する罰でもあるんだよ。術の制御に失敗することは危険だ。その傷が全て完治するまで、僕の監督下以外での術行使を禁じよう」 「え……」 「返事は?」 「……はい」 仕方ない流れだったとは言え、愛弟子が再びしょげてしまった。 それでもこの判断を覆すことはないと、師は痛々しい刺し傷切り傷に軟膏を塗りつけていく。マリーも、師の指が傷に触れるたびに痛みを感じるだろうに、ただじっと治療を眺めていた。 「マリー。痛かったり怖かったりしたら、泣いてもいいんだよ」 師の言葉に、マリーは「大丈夫ですよ」と口元に笑みを形作った。 「その、木が破裂したときも、びっくりしたぐらいですから。木が膨れ上がったので、まずいと思って顔だけ慌てて庇ったので、それほど酷いことにはなりませんでしたし」 「……膨れ上がったんだ」 「はい、そう見えました」 このぐらい、と手を動かして説明したマリーに、思わず師の口から大きく息が洩れた。どれだけ無茶な魔力が込められたのかと推し量ると、本当にため息しか出て来ない。 「えぇと、お師さま?」 「うん、今後数ヶ月は、マリーは石経由での魔術しか認めないから」 「えぇ!?」 「もっと制御できるようにならないとね」 「……はい」 最初に出会ったときから規格外とは思っていたが、これほどまでとは思わなかった。 弟子の額に手をかざし、彼女の残存魔力を測ると残りはいつもの三分の一ほど。魔力をバカ食いする治癒術は許可できないが、それ以外の魔術を使うのに何ら不自由はない程度の量が残っていた。改めて弟子の保有魔力の大きさにため息を落としそうになる。 「とっさに判断して顔を庇うのは凄いね。普通は焦って何もできないんだけど。そういうところはマリーは本当に強いよ」 師の言葉に、てれり、と笑ったマリーは「昔からなんですよ」と返す。 「双子の妹が泣き虫だったせいか、どうすればいいかな、って考えちゃうんですよね。先に泣かれちゃうから、踏ん張るしかないって言うか……」 ふ、とマリーの脳裏に記憶がよぎる。 弟に虫を投げつけられたときも、泣き出す妹の代わりに虫を投げ返してやったことがあったっけ、と。 (そっか。あの子は庇ってあげないといけないところがあったから。―――だから、私を選んだのかな) それなら、自分がもっと弱ければ、まだ家族と一緒に暮らしていたんだろうか。妹の方が売られて―――? そこまで考えて、ぶんぶんと頭を思い切りよく振った。 「マリー?」 「なんでも、ありませんっ、お師さま」 気遣うように自分の名前を呼んだ師に、意図的に明るい返事をしたマリーはにっこりと微笑んだ。 心に深く刺さった棘は、身体にいくつも刺さった木片と違い、あっさり抜けるような場所にはない。何かの拍子に触れては、じくじくと痛み、血を流し続ける。 マリーが自分を切り捨てた家族の代わりに、自分だけを求めるたった一人の人を受け入れるまで、まだ数年の間があった。 それまでは、気遣う師の気持ちにも気付くことなく、ただ傷口から血を流し続けたままで日々を過ごし続けることとなる。 余談だが、マリーは翌日から山の中をうろうろ徘徊し始め、自分の魔力を移す石をせっせと探すようになった。だが、強過ぎる魔力の弊害か、石に魔力を流し過ぎてしまい、耐え切れなくなった石がパーンと弾けてしまったのには、さすがの師もため息しか出なかったという。 「お師さま……」 涙目で自分を見上げる愛弟子に、「とりあえず、魔力の緻密な制御ができるまでは容量の少ない石で試そうか」と、彼女が拾い集めた石の中から純度の高い石を取り上げることしかできなかった。 | |
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