TOPページへ    小説トップへ    それは、通り魔的善行から始まったのです。

 14.それは、堂々巡りだったのです。


「てめぇ、アホだアホだと思っちゃいたが、本当にアホだな」
「るせぇ」
「あーあ、これじゃミオちゃん逃げるね。確実に」
「だから何とかしろっつってんだろ」
「ムリムリ、こればっかりは挽回できねーよ。それこそミオちゃんの大嫌いな『無理やり』で引き止めるっきゃねーだろ」
「―――ハヤト」
「スゴんだって無理だっての」

 あれー? なんだか言い争いが聞こえます。
 今、何時ですかー……?

 ぬぼーっとした頭で見慣れない部屋を見回して、時計を見つけると十時半でした。
 あれから結局、寝付けなくて、羊さんを一万五千匹ぐらいまで数えてしまったのは憶えています。なんだか鳥の声も聞こえたので、あの時点で夜も明けてしまっていたのかも、ですね。

 軽く髪を手櫛で整えて、パジャマからTシャツ&ジーンズというラフな格好に着替えます。その間も、何だか言い争いは続いていました。

「丁度いいから、てめぇはこの際きっちり謝り方をマスターしとけ」
「あぁ?」
「誠心誠意、心を込めて頭を下げんだよ」

 えぇと、話題は、もしかしなくても、昨日の件、でしょうか?
 こうして徳益さんに相談しているということは、一応は反省していると見て、いいのですよね?

「おはよーございます……」

 そろり、と顔を覗かせると、言い合いをしていた二人の視線が、ぐりんっとこちらを向きました。ちょ、ちょっと怖いです。

「ミオちゃん、こいつがほんとにごめんっ!」
「んぐっ!」

 徳益さんが隣に座っていた佐多くんの頭を掴んで、ぐいっと下に押し付けました。ガツンと聞こえたのは、もしかしてソファテーブルにおでこをぶつけた音でしょうか。痛そうです。

「こいつ、人に執着することなんてなくて、初めて執着した相手がミオちゃんだから、加減が分かってないんだよ」
「はぁ……」

 なんだか重い話を聞いた気がするので、スルーしても良いでしょうか?
 そろそろ、佐多くんたちに対して「問い詰めたいこと」「スルーしたけど覚えておくこと」のリストを作っておいた方が良いかもしれません。私も記憶力には自信がありませんし。

「今後は突っ走ることのないよう気をつける! だから、出て行くとか言わないで欲しいんだけど」
「あ、今のところは出て行く予定はないので大丈夫ですー」

 パタパタと手を振って答えれば、佐多くんが慌てて顔を上げて、まじまじとこちらを睨みつけました。
 うん、分かって来ました。佐多くん、本気で目つきが悪いから、ただこっちを見ているだけでも睨みつけているように見えるのですね。それが分かれば、怖くはないです。……多少は。

「佐多くん、反省してくれたのですよね? もうあんなことはしませんよね?」
「……しない、と思う。気をつける」

 んー、ちょっと曖昧な返事ですが、まぁ口先だけの返事よりは良しとしましょう。
 私はソファに座ったままの佐多くんに近寄ると、その黒髪をわしわしっと乱暴に撫でました。うん、少しくすぐったそうにするのは黒ラブの平蔵によく似ています。大丈夫、怖くありません。

「じゃ、これで仲直り、ということでっ……!」

 く、苦しいです! タップです、佐多くん!
 いきなり抱きついてくるのは、まぁ何となく慣れて来ましたが、力加減は覚えて欲しいのです!

「よっし、ミオちゃんも許してくれたことだし、行くぞ、トキ!」
「おでかけですか?」
「あぁ、帰りは五時過ぎるかな。ミオちゃんも家に居るなり、家で宿題するなり、家でごろごろするなり、家で荷物の片付けするなり、好きにしてくれて構わないから! あ、お腹空いたら冷蔵庫の中身も適当に消費してくれて構わないから」

 それって、外出するなと暗に言ってますよね?
 かろうじて疑問を飲み込んでいる間に、徳益さんは、佐多くんを引きずるようにして玄関を出て行ってしまいました。
 ……まぁ、荷物の片付けもしなくてはいけませんし、元々、あまり外出はしない性格ですから構わないのですけどね。
 あと、そろそろ佐多くんや徳益さんに質問したいことも整理しておかないといけない……ですよね。これ以上、後回しにしても仕方ないと思います。


「あの、徳益さん」

 私は、外出から帰って来た佐多くんに、例のごとく抱え込まれるようにソファに座ったまま、向かい側に座って何かの書類を眺めている徳益さんに声を掛けました。

「なに、ミオちゃん」

 相変わらずこの人は、人のことを「ちゃん」付けで呼ぶのです。ナメられてます。軽んじられてます。
 でも、これからする予定の質問を考えると、今それを指摘するわけにもいかないのです。

「少し、えぇと、お金の話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」

 えぇ、この件に関しては、私は非常に弱い立場にいますので、雇用主サマの機嫌を損ねたくはないのです。
 ちなみに、徳益さんに話しかけた途端、ぎゅうぎゅうと後ろから囲い込む手に力が入ったのは気付いていますが無視します。話がややこしくなりそうですから。

「そうだね、最初の話から随分と状況が変わったから、ちゃんと決めなおしておかないとね」
「はい。色々な事情に流されて衣食住をお世話になってしまっているとは言っても、私もそもそもの目標額が……いたたっ、痛いです、佐多くん」

 ぐぐっと抱き潰されそうになり、私は慌てて後ろを振り返ります。そこには獰猛な狼が牙を剥いていて、思わず血の気が引くかと思いました。

「オレのもんをオレが世話して何が悪い」
「ですから、私は佐多くんのものではありません。意思のある人間の所有権を主張しないでください!」

 はぁ、何度説明したら納得してもらえるのでしょうか。前途多難です。

「まぁ、トキの言う通り、トキのワガママでここに住まわせることになったんだから、迷惑料も含めて全部こっち持ちで構わないんだけどね」
「それは―――」
「うん、それじゃミオちゃんも納得しないだろうし、キミがトキの面倒を見た分だけ、その時間を自己申告してもらえばいいよ」

 それ、随分と私に甘い契約じゃないだろうか?
 それに、この二日間のことを考えれば、一日あたりそこそこの時間になるし、時給もそのままだとしたら、シャレにならない金額になる。

「それだと、キミもなんだか納得しなさそうだし、そこから食費を天引きしようか」
「そうですね。そうでもしないと、少し心苦しいです。それに、あまりもらい過ぎてしまうと、うっかり扶養から外れてしまいそうですし」
「あぁ、扶養の上限は大丈夫。人件費として申告しないし、言うなれば、……お小遣い?」
「はぁ?」

 う、つい粗雑な言葉が出てしまいました。
 いや、でも、小遣いの枠を超えた金額だと思うのですが、いったいどのように処理をするのでしょうか?
 それとも、アンタッチャブルなのでしょうか? イリーガルな話とか?

「まぁ、深くは気にしないでいいよ。あ、あと、昨晩みたいなことがあれば、別途慰謝料も払うから」
「え、えぇと、その、……随分と甘くないですか?」
「まぁ、キミに逃げられても困るからね。トキに八つ当たりされたら、俺死ぬし?」

 その佐多くんにぎゅうぎゅう締められて、私が死にそうなのですが、そこはスルーなのですか。

「あの、佐多くん。出ちゃいけないものが口から出てしまいそうなので、もう少し力を緩めてもらえませんか?」
「オレの相手を金で引き受けるアンタが悪い」
「そもそも、そういう仕事だったと思うのですよ」

 そうそう、そもそもはアニマルセラピーのはずでしたからね。佐多くんてば、そんなことも忘れてしまっているのでしょうか?

「オレのものになれば、金なんていくらでもやるのに」
「えぇと、人生を担保にする気はありません」

 うん、そこは絶対に譲りませんよ。
 真っ当な人生を歩むために、学費を稼ぐために、この仕事も請け負ったのですから。それは本末転倒というものです。

 正直に伝えると、さっきまで狼だった佐多くんは、へこたれたワンコになってしまいました。
 少し、きつく言いすぎましたかね。手を伸ばして頭を撫でます。

「宿題を教えてもらっている時間はカウントする気もありませんから、そんなに拗ねないでください」
「拗ねてねぇ」

 ふと、前に向き直れば、何やら徳益さんが生暖かい目でこちらを見ていました。

「うん、その調子で頼むよ。ミオちゃん」
「何がでしょうか?」
「こっちの話」

 徳益さんは再び手元の書類に視線を落としました。そして、佐多くんは私にバウムクーヘンを差し出します。
 もうこの羞恥プレイに慣れてしまったので、特に躊躇せず頂きます。いや、慣れてしまうのは良くないと分かっているのですが、カフェの方でも似たようなことをしていますしね。垣根が随分と低くなってしまっているのは否めません。
 あ、バウムクーヘンはしっとりで美味しいですよ。本当にこの生活は舌が奢ってしまいそうで怖いです。

「今日は、何してたんだ?」
「はい、荷物整理が主ですね。あとは宿題を進めていましたよ」

 ついでに、佐多くんたちへの疑問も整理していたのですけどね。さらに言えば、役作りの一環で一人台本読みしていました。ま、このあたりは報告するのは避けておきましょう。
 え、佐多くんたちへの疑問はどうするか、ですか?
 色々と頑張ってない知恵を絞ってみたのですが、徳益さんが同席していると何やらごまかされそうな雰囲気がしましたので、佐多くんしか居ない時にこっそり聞こうかと思っています。

「あ、明日はカフェの方のバイトなのですが、キャスト切り替えが近いので、ちょっと遅くなると思い……いたっ! 痛いです、佐多くん!」

 人の腕をぎゅうぎゅうと締めないでいただきたいのです。

「アンタが悪い」
「いえいえ、これはれっきとしたお仕事ですから」
「ハヤト、あの店、潰せるか?」
「できるよ?」
「ちょ、ちょっと待ってください!」

 何、さらりと話に乗っているのですか、徳益さん!
 あと、佐多くんはカフェに敵愾心を持ち過ぎです!

「店を潰すって、何を考えているのですか! 人の嫌がることはしないように言ったはずなのに、本当に今朝は反省したのですか?」
「オレとアンタの邪魔すんのが悪い」

 悪びれずに言い切りましたね、佐多くん。
 そういうのを、一般的にワガママと言うのですよ。知っていましたか?

「本気で言っているわけではないですよね?」

 最後通告ですよ。佐多くん。ちゃんと気付いてくださいね。

「本気だって言ったら?」

 ピシリ。
 あぁ、額に青筋が入るというのは、正にこういうことでしょうか。口元も引き攣りそうです。頑張ってください、私の表情筋。

「その時は、ここから消えます」

 逃げます、とは言いませんよ。私は弱い人間なので、命の有無まで匂わせるぐらいに強い言葉を使います。
 もちろん、そんな勿体無いことをする気はこれっぽっちもありませんよ。命は大事なものですから。

「オレがアンタにそんなことをさせるとでも?」

 背中から伝わる振動にイラッとさせられました。表情が見えないので確信はできませんが、おそらく余裕綽々なのではないでしょうか。
 きっと逃がすつもりも、自決させるつもりもないのでしょうね。えぇ、分かりますとも。これまでのアレとかコレとかで、そういうことをできる力があるのは十分に伝わっています。
 でもね、それでも私にはできることがあるのですよ。

「その時は、私は佐多くんに自分から話しかけることも触ることも一切しません。自分から佐多くんに対して、何一つ行動しないでしょう」

 さすがにそれは良くないと思ったのでしょう、返答はありません。

「トキ、そのぐらいにしとけ。ミオちゃんは恐らく本気だぞ」
「……っ」

 徳益さん。書類を見ながらでも助け舟を出してくれるのは良いのですが、もう少し早い段階で言って欲しかったです。
 そんなことを考えながら、佐多くんの両腕包囲網の中で体を捻って後ろを振り返りました。
 予想通り、少し困ったような表情のワンコがいます。

「昨晩も言いましたけど、相手の意思を尊重しないのはダメですよ」

 眉間にシワがぎゅっと寄っていたので、人差し指でぐいぐいとほぐします。こんなことができるくらいに佐多くんの怖い顔に慣れてしまった自分にびっくりです。

「じゃぁ、アンタはどうしたら自分からここに居付くんだよ」
「……さぁ?」

 あ、本気で睨まれました。至近距離でその眼力は、背筋が凍りついてしまいそうになるので、やめて欲しいです。

「万人に使えるようなマニュアルがあったら、きっと世界中でベストセラーになっていると思いますよ?」

 人に言うことを聞かせる方法、なんて雑学本には種類がありそうですが、必ず有効な手口なんてあるわけがないのです。
 その人の性格や行動パターン、趣味嗜好によって色々と選択肢が変わるものだと思いますよ。

「何事も、焦らないのが一番だと思います」

 憮然としてしまった佐多くんの黒髪を、わしわしっと撫でました。少しでも機嫌を直してくれないと、私の胃がストレスできゅーんとなりそうでピンチですから。
 そうやって甘さを見せると、いきなり締める勢いで抱きついて来るのも、なんだか簡単に予測がついてしまって、口から魂飛び出そうになりながら、やっぱりなぁ、なんて思ってしまいました。

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