15.それは、寝耳に水だったのです。色々とアクシデントなどありましたが、無事にグランドフィナーレを迎えることができました。 ようやく兎耳画伯なエリムーともお別れです。八月からは、新たな役どころ「オウラン」の出番です。 今度は中華風の世界設定となります。私の演じる「オウラン」はメインヒロイン「シャオリン」の妹という重要な役どころですので、ダブルキャストで回して行きます。巨乳妹という役なので、もう一人の同僚と傷を舐めあっていました。いや、貧乳姉の方もボソボソと何か言い合っていたようなので、境遇は違えど設定に思う点は同じようです。 「シャオリン姉様! シンルー様から、今日は急用で来られなくなってしまったと連絡がありましたわ」 「まぁ、そうですの? ……残念ですわ」 姉様は、妹が嘘をついていることなど露知らず、仕方がないと部屋に引き篭もってしまいました。 そして約束通りにやって来た姉の恋人シンルーに対しては、オウランは猫なで声を上げるのです。 「まぁ、シンルー様! ようこそいらっしゃいませ!」 「やぁ、こんにちは、オウラン。シャオリンは待っているかい?」 「それが、……姉様は体調が優れないとおっしゃって、わたしにおもてなしするように、と」 オウランの嘘八百を真に受けたシンルーは、それは残念とばかりに、必死におもてなしをしようとするオウランへの挨拶もそこそこに帰って行ってしまいました。 「んもう! せっかく上手く行ったと思いましたのに!」 「オウラン? 今、誰か来客がなかった?」 「例の姉様につきまとってくるカショウが来ていたのですわ。安心なさって、追い返しましたから!」 カショウとは、姉シャオリンに横恋慕する別の男です。あ、前回の騎士カヴァリエは今回このカショウですね。 「ごめんなさいね、オウラン。あなたの手間をかけさせてしまって」 「気になさらないで、姉様! ただ、カショウもしつこいので、また来るかもしれませんわ。どうぞ部屋にいらして?」 まだまだ新設定をお披露目して間もないので、お客さんに浸透するよう説明セリフが多いのがツラいですが、頑張りましょう。 最初の半月はこんな感じで、「シャオリン&シンルーのラブラブデート編」「カショウ→シャオリンの猛烈アタック編」「妹オウランのデートお邪魔編」「カショウのデートお邪魔編」「妹オウラン→シンルーの狡猾アタック編」という5つの演目を、時間帯を変えて演じて行きます。 結構、恋は盲目のオウラン役は卑怯な手をバリバリ使うので、前回のまっさら天然なエリムー役に比べて悪役イメージが強過ぎます。まぁ、同じ人が似たような役を演じるよりは、毎回、異なるタイプの役を演じた方が、メリハリが付くという店長の方針のようです。 ちなみに、店内のリーフレットにも世界設定やキャラ紹介が載っているのですが、最終的に誰と誰がくっつくのかは未定と煽っています。この話を書いている作家さんも、まだ考えていないそうです。 同僚の話だと、作家さんも別方面で忙しいらしく「姉妹愛に流れるのもいいかも」「いやいっそのことカショウ×シンルーで……」などとブツブツ呟いていたのを聞いたとか。お盆を過ぎるまでは忙しいようです。 「何が入っているか分からないオウランのハラハラドキドキカフェモカ、おまたせいたしましたわ」 ちょっと高慢入ったキャラなので、給仕をしていても高慢です。このあたりの言い回しは同キャストの同僚さんと色々話し合いました。あと、メニューも長いので省略したかったのですが、これは店長から不許可とのお達しを頂いてしまいました。 ……噛みそうで怖いのですけど。 「カショウのキザハートナポリタン、おまたせ」 あちらでは元ヒーロー今ヒールが、せっせと女性客に給仕をしています。あちらも大変ですね。あのナポリタンは、注文してくれたお客さんにキザなセリフをサービスするのです。店長から「キザだけどウザくお願い」と言われて魂抜けかかっていました。本当に大変ですね。あ、どういうセリフか聞き逃しましたが、バキューンて何かを撃ち抜く仕草をしました。見ているだけで、ちょっと引きそうになります。 「シャオリンの当てつけホットミルク、おまたせしました」 あぁ、あれだけシャオリン役の二人から抗議されていたのに、メニューに載ってしまったのですね、ホットミルク。 貧乳キャラにはヒド過ぎる仕打ちだと、あれほど抗議していたのに聞き入れなかったのですね、店長。 お客さんがたくさん入ってくれるのは嬉しいのですが、行き交うメニューに、たまに涙を流したくなります。 そのうちメニューも変わると信じたい。私も「オウランの媚薬入りクッキー」を出すたびに、「あ、あなたたちは惚れなくていいんですのよ。単なる実験台ですから!」なんてツンデレっぽいセリフを吐くのも疲れました。 「オウラン、ちょっといいかな?」 テーブルを片付けていた私に声を掛けて来たのは、……店長です。なんだか、ひどく慌てているのは、トラブルでしょうか? 新キャストになってまだ一週間経っていないのに、トラブルなんて縁起が悪いですね。 「ごめん!」 いきなり両手を合わせて謝られました。 「徳益さんのところで緊急事態が発生したらしくって、着替えて今すぐ向かって欲しいんだ」 「え、でも、次の寸劇は―――」 「もう一人が来てくれることになった。次は間に合わないけど、カショウのデートお邪魔編だから、いなくても問題ないし。その次の寸劇には間に合うから」 「でも、キャラ固定メニューは―――」 「そっちはお客様に謝ってオーダーを取り消してもらう。本当に緊急事態らしいんだ、頼む!」 確か、今日は出かけると聞いていましたが、一体、何があったのでしょうか。 店長さんの様子を見る限り、本当に大変なことが起きてしまったようです。 「わ、分かりました!」 何でも、下に迎えが来ているそうなので、急ぐようにと言われ、とりあえずメイクを手早く落として着替えます。通勤メイクを施している時間も惜しいので、このまま出てしまいます! 「店長、後で戻って来るので、荷物は預かってもらえますか?」 「分かったよ。とにかく急いで」 私はスマホだけポケットに入れて大急ぎで階段を駆け下ります。化粧落とし直後の肌が突っ張る感覚が残っていますが、今はそんなことどうでも良いのです。 裏口を出ると、ドッドッドッとエンジンをかけたままのバイクが目に入りました。 「ミオって、お前?」 「そ、そうです! 迎えの人ですか?」 ぽいっと投げられたヘルメットを受け取り、慌てて被ると、急かされるままにバイクの後部座席に跨りました。 「ちゃんとつかまってて。飛ばすよ」 「は、はひっ!」 残念ながらフルフェイスヘルメットを被っているので、運転者の顔は見えません。声と体型から男性だと分かるので、少しためらいながら腰に手を回しました。 するとすぐさま、ブルルンッとエンジンを吹かして、急発進しました。ぐいっと後ろに引っ張られるような感覚に、私は慌てて前の人にしがみつきます。 流れる風景なんて見ている余裕はありませんでした。 だって、車の間を縫うように走るのです! 乗りなれないバイクでそんなことをされると怖くてたまらないのです! 「着いたよ。ここの三階に行って」 「は、はひ……」 どこをどう走ったのか分からないので、現在位置もよく分かりません。怖くて怖くて時間感覚もおかしくなってしまっているので、お店からどのぐらい離れているかも定かではありません。 それでも、ヘルメットをお返しして、よろよろとビルに入ってエレベーターのボタンを押します。乗せてくれたバイクの人は、すぐに走り去ってしまいました。あれー? すぐにやって来たエレベーターに乗りながら、乗り物酔いのようにぐらんぐらんとする頭を抱えます。 これ、ひょっとして、一人では帰れない、ですか? 私、スマホしか持っていませんし、ここがどこなのかも分かりませんし。 別の意味で緊急事態なのでは、と思っていたら、チーンと音がしてエレベーターが止まりました。 「いい加減に落ち着けってんだろ!」 「うっせぇ、離せ」 あぁ、こっちの方が緊急事態です。 フロアに出るなり、聞き覚えのある罵声と、地の底まで響きそうな低い声が聞こえました。 「再起不能になるまで痛めつけてイイよな? それ覚悟で暴言吐いたんだろ?」 「だーかーらー、落ち着けって!」 ドアの前まで来たものの、そこから先へ行くのを躊躇ってもいいじゃないですか。懸命に押し留める徳益さんの声と、怒りに満ち満ちた羅刹の静かな声が交互に聞こえるのですよ。この先はきっと地獄に間違いないです。六文銭も持たない私が、どうやってこの三途の川を渡ろうと言うのですか。 「あぁ、それじゃ足らねぇな。殺すか」 「トキっ!」 あぁ、殺人はだめです。佐多くん。 というか、こんな場所に私が来たところで、一体どうしろと言うのですか。か弱い一介の女子高生ですよ? 羅刹とは違うのですよ、羅刹とは。 「……はぁ、仕方ないなぁ」 自分に言い聞かせるように呟きます。 どの道、ここまで来てしまった私に拒否権はないのです。カフェのバイトを途中で切り上げてしまったのなら、こっちで稼ぐしかないじゃないですか。 どうせ、一人では帰れませんし。 ガチャリ ノブを回して扉を開けます。 自分に悩むヒマを与えずに一息に扉の向こうへ足を踏み出して、……後悔しました。 そこに広がっていたのは、紛れもなく地獄、でしたから。 教室が四つぐらい入ってしまいそうなほど広くガランとしたフロアに、何人もの人が倒れ伏していました。ところどころ赤い色が見えるのは、正直、気のせいだと思いたいです。でも、ちょっと鉄サビっぽい臭いがするので、気のせいではないですね、たぶん。 部屋の中で立っているのは、たったの二人。窓にほど近い場所で、(おそらく)佐多くんが(おそらく)徳益さんに羽交い絞めされてます。 まだ私に気付いていないのでしょう。両手を振り回して拘束を抜けようとする佐多くんを、徳益さんが怒鳴りつけながら止めています。 あぁ、心臓がイヤな感じにバクバクと鳴っています。できれば背を向けて引き返したいのですが、情けないことに足が竦んで動けないのです。 震えるほど高まる鼓動に加え、胃の辺りに氷の塊が入ってしまったかのようにキュゥっと冷えます。何だか冷や汗も出て来ました。色々と直視したくないものばかりなので、視線をやや上の方に向けましょう。 「さ、佐多くん!」 少し声が裏返ってしまいましたが、二人とも私に気付いてくれました。 暴れていた佐多くんの動きが止まり、まるで信じられないものを見るようにこっちを睨んでいます。逆に徳益さんはホッとした表情です。 あぁ、佐多くんの表情がまた変わっていきました。少し混乱しているのでしょうか、私を睨みつけていた視線があちこち彷徨い始めました。 自分以外の人間がパニックになるのを見ると、かえって冷静になると言いますが、真実かもしれませんね。ちょっとだけ気が楽になったような気がしないでもありません。 「佐多くん、こっちまで来てもらえませんか?」 それこそ死屍累々と転がる人たちを踏み越えて行くわけにもいきませんので、手招きをします。すると、佐多くんは、バツが悪そうに俯いてしまい、動いてくれる気配はありません。 もう一度、同じように声を掛けてみましたが、状況は変わりませんでした。 うぅ、行きたくないですが、来てもらえないなら、仕方がないのです。 私は、転がる人に注意しながら、フロアの奥へと足を踏み出しました。緊張か恐怖か分かりませんが、膝にあまり力を入れることができません。 時には倒れている人を避け、伏している人を跨ぎながら、私は佐多くんの方へ向かいます。当然、足元に視線を向かわせなければならないので、白目を剥いて歯茎から血を流していたり、赤黒い雫の落ちた床が目に入ってしまいます。 「ひゃっ」 見るも無残なボロボロの顔の人から慌てて顔を背けたら、別の人の腕につまずいてしまいました。何とか転ばずに済んだのですが、心臓はやばいぐらいにドクドク暴れています。 落ち着くのです、私。 こんな時こそ、男前ミオさんの出番だと思うのですが、必要な時に限って降臨してくれません。哀しいものです。 どうにかこうにか佐多くんの目の前に到着した時には、変に息が上がってしまっていました。 「えと、佐多くん?」 困りました。何を言えば良いのでしょう。 目の前の佐多くんは、さっきの混乱から自分を取り戻し、少し不機嫌な様子で私を見下ろしています。両手の拳や肘、膝やつま先なんかが赤く染まっていて、胸のあたりも点々と黒いしみが付いています。うぅ、生々しいです。 「ケガは、ありませんか?」 「……ねぇよ」 良かったです。それにしても、これだけの人を相手にしてケガがないとか、どれだけ強いのでしょうか。 あ、いけない。会話が終わってしまいました。どうしましょう。 「えぇと、それなら、早く帰って着替えましょう。血の染みって落ちにくいので、できれば乾く前に洗濯を―――」 「アンタ、怖くねぇのかよ」 あれ、何だか睨まれてますか、私? しかも、場違い発言をした空気の読めない子だと思われていますか? 人が折角、恐怖を押し殺してここまで来たというのに、それをもう一度自覚させるって、佐多くん、実は鬼畜な人種だったのですか? ふふふ、何だか、さっきまですごく冷えていたお腹のあたりが、煮立つほどに熱くなってきました。 「怖いですよ。怖いに決まってます。ですから、早くここから帰りたいのですよ!」 「違う、オレのことが」 「何を言っているのですか? 佐多くんが私をぶん殴る理由でもあるのですか? それともイラついている時は誰彼構わず殴る人だったのですか?」 「いや、それは―――」 「でしょう? 一緒にいるのですから、そのくらい分かります。佐多くんはこういうの慣れているかもしれませんが、私は怖くて膝に力を入れて立っているので精一杯なのですよ。だから早く帰りましょう?」 何故か、半歩後ろに下がった佐多くんを、その血まみれの拳を掴んで引き止めました。 「ちょ、アンタ、汚れる――」 「今更、洗う服が一着二着増えても変わりませんよ」 とは言え、ぬるっとした感触は想像以上にイヤなものでしたので、この部屋を出たらハンカチで拭うことにしましょう。 「俺、車回してくるな。十分ぐらいしたら降りて来いよ」 「あ、はい。……倒れている方々はどうするのでしょう?」 「そっちは大丈夫。気にしなくていいから」 徳益さんはにこやかに放置を選択して、フロアを出て行ってしまいました。 「アンタ、何も聞かないんだな。どうしてこうなったのか、とか」 「聞いても良いですけど、落ち着ける場所に行ってからです。こんな所でゆっくり話なんて聞いていられません」 「ミオ……」 「ははは、予想以上だな、トキト」 どこからでしょうか。その声が聞こえた途端、私の視界がぐるんとひっくり返りました。 佐多くんが問答無用で私の立ち位置を変えたみたいです。何なのでしょうか。 「やぁやぁ、随分と勇敢なお嬢さんだ。トキトに脅えることなく会話できるとは聞いていたが、こんな場所でも物怖じしないなんてな」 妙に朗らかな声が響きます。 ただ、何でしょうか。この地獄絵図にそぐわない朗らかさに、鳥肌が立っています。 だって、たくさんの人が、それこそ「死屍累々」という表現がしっくり来るぐらいに倒れているのですよ? 私は、佐多くんの背中から顔だけ出して、相手の姿を見ようと首を伸ばします。 ダークグレイのスーツに身を包んだ長身の男性が、こちらへ近づいて来るのが見えました。年は四十ぐらいでしょうか。整った顔立ちに黒い縁の眼鏡をかけています。 ただ、問題が一つ。 私と違い、まっすぐこちらを歩いて来るのです。倒れている人など、まるで小石のように踏みつけて。 「やっぱり、てめぇの差し金か」 「やだなぁ、父親に向かって『てめぇ』はないだろう? それに、私はそちらのお嬢さんと話したいのだよ」 身を乗り出していた私は、思わず身体を震わせました。 私、知ってます。 この人と似た雰囲気の人をよく知っています。 蛇みたいに狡猾に、甘い囁きを繰り返して、その実、人を破滅に追いやるのです。 私は必死で乱れる息を整えました。 だって、冷静に、神経を研ぎ澄ませないと、頭からパクリと食べられてしまうのですから―――! | |
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