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TOPページへ    小説トップへ    それは、通り魔的善行から始まったのです。

 17.それは、今更だったのです。


「あの、ずっと聞こうと思っていたのですが」
「んだ?」

 落ち着いた私は、膝枕を丁寧に辞退して、いつも通りの抱え込まれスタイルに戻っていました。
 あまり変わらないと思われるかもしれませんが、ずっとあの顔を見上げているよりは、表情の見えないこのスタイルの方が話しやすいのです。結構、切実な話です。

「結局のところ、佐多くんは何者なのですか?」
「今更かよ」

 はぁ、確かに今更ではあります。そこは否定しません。
 それは面倒そうなことをスルーする事なかれ主義の私のせいだとは分かっていますが。
 ……もう、これ以上スルーできないのです。スルー上限を超えてしまったのです。これ以上は別途課金なのです!

「教えてもいない私の自宅を調べたり、私でさえ居所を把握しきれていない母と交渉したり、ほとんど登校してないのに学年トップクラスだったり、運転手さんを顎で使ったり、今日の惨状と言い、謎が多すぎると思いませんか?」
「思いませんか、ねぇ。オレにとっちゃ当たり前のことだから、別に謎でもねぇな。―――って、納得すんな」
「いたっ!」

 頭をチョップされました。
 暴力反対です。確かに本人にとっては謎じゃないですね、と頷いていただけなのに。

「オレにとっちゃ、アンタの方が謎だらけだ。普通にオレに話しかけるし、オッサンにも気を許さねぇし」

 なるほど、私にとっては普通でも、佐多くんにとっては謎な部分もあるのですね。参考になります。
 ただ、一つだけ訂正しておきましょう。

「あの……」
「あぁん?」

 身体を捩って振り向けば、怖い顔で見下ろされました。

「佐多くんのこと、ちゃんと怖い人だと思ってますよ?」

 あ、めちゃくちゃ睨まれました。蛇に睨まれたカエルってこんな心境でしょうか。

「ただ、えぇと、理由も無く人に暴力を振るう人ではないと分かってからは、随分と、あー、怖くはなくなりましたけど」
「……そうか」
「はい、そうです」

 あ、ついでにもう一つの謎も誤解のないように解いてしまいましょう。

「そうそう、佐多くんのお父さんについては、えぇと、私がとても苦手としている人によく似ているのです。端的に言うと、ニッコリ笑って人を落とし穴に突き落とす性格をしているので、油断したら痛い目に遭うのです。……だから、いつか何かを仕掛けて来るかもしれない、って思って、えぇと、視界から外さないようにしてたら、何だか手が動いたので、うっかり、パシッっと。気を悪くされてないと良いのですけど」
「気にすんな」
「はぁ……って、痛いです。締めないでください」
「あんなヤツのことなんて忘れろ」

 あぁ、気にするなって、そちらの意味ですか。本当に嫌いなのですね、お父さんのことが。

「で、佐多くんの話なのです。何者なのですか?」
「何者、ねぇ」

 佐多くんは私の頭に自分のアゴを乗っけて、「あー」とも「うー」ともつかない声を上げました。

「名前は控えるが、ある複合企業の荒事・揉め事・暗部を請け負ってる部門があって、そこのトップが今日会ったアレだ。ハヤトはあのオッサンの部下でもある」
「荒事に、暗部、ですか」
「別に世襲ってわけじゃねぇんだが、あのオッサンはオレを手駒にするってんで、中学に上がる前から何かにつけて借り出されてる。だから自然と所属年数の多いオレに部下もいる」
「そんなに早く、ですか? 労働基準法とかどうなっているのですか!」
「そこかよ」

 わぁ、またチョップをされたのです。さっきよりは痛くありませんが、衝撃がないわけではないのです。

「そういう仕事もあって、学校にはほとんど行ってねぇ。ま、あのオッサンが手ぇ回して保健室登校ってことにさせてるみてぇだが」
「そんな! いじめとか、は、ないですよね。それなら、どこか身体が悪くて―――」
「ってことにさせてる、っつったろ。人の話をちゃんと聞け」

 うぅ、何度目かのチョップを受けてしまいました。やっぱり衝撃が(以下略)。

「勉強に関しては、あらかた前倒しで終わらせたからな。それに狙ってる大学のこと考えれば、あのぐらいは」
「もう進路を決めているのですか! すごいです! どこなのですか?」
「H大法学部」

 H大、ですか。私でも知っている大学です。えぇ、頭が良いという意味で。
 それに法学部! なんだかすごい響きです。やっぱり弁護士資格とか取ってしまうのでしょうか?

「……法学部、ですか?」
「何か問題でもあんのかよ」
「いえ、この間、物理の宿題を教えてもらったと思うのですけど」
「それが?」
「……いえ、いいです」

 文系志望の人に、理系科目を教えてもらっちゃった私って。
いや、深く考えてはいけないのです。
 まだ高校二年生なのですから!

「アンタは?」
「ぇい?」
「卒業後の進路」

 何ということでしょう。いきなり声を掛けられて変な声が出てしまいました。
 いや、それよりも、……卒業後、ですか。

「大学は、まぁ、無理だと思いますので、就職か、公務員試験を受けるとか、そういう方向でしょうか」
「アンタ、あの高校の大学進学率知ってんのかよ」
「おそらく九割近いのではないでしょうか?」

 県下ではそれなりの偏差値を持っていますからね。それに大学を卒業しないと、就職先もあまり期待できないご時世ですし。

「大学行けばいいじゃねぇか」
「うーん、さすがに再来年の三月までにそこまでのお金を稼ぐことはできないと思いますよ?」
「オレが出す。なんだったら、オレと同じ大学目指せよ」

 一瞬、反論する言葉を失ってしまいました。
 佐多くん自身がそんなにお金持ちなのか、とか、H大学なんて私の頭では厳しいです、とか、どうして同じ大学なのですか、とか。
 反論の言葉はいくらでもあったと思います。
 あまりに普通のことのように、さらりと言われてしまったので、つい口が固まってしまいました。

「佐多くん。失礼ながら、私を代返要員とか、レポート用の下働きとか思っていませんか?」
「深読みし過ぎだ。オレは、アンタと一緒なら大学は楽しそうだな、と思っただけで」
「私たち、同じ学校のクラスメイトだと思うのですが、今と何が変わるのでしょうか?」
「……」

 あ、黙ってしまいました。
 もしかして、私と佐多くんがクラスメイトだということを忘れていた、なんてことはありませんよね?
 そもそも今の状況だって、バイトで―――

「あ!」

 忘れていました!

「すみません、佐多くん。私、少し出かける用事を思い出してしまいました」
「……どこに?」

 あれ、どうして低い声で質問するのですか? 怖い顔を見ていないのに、何故か背筋に寒いものが走りました。

「バイト先にですね、荷物を置きっぱなしなのです。その、バイト中に連絡があって、慌てて出て来たものですから。通勤用のメイク道具とかウィッグも、あ! サイフも入れっぱなしです!」
「ハヤトに取りに行かせればいい」
「いやいやいや、そんな使い走りのようなことできませんって!」

 私は身体を捩って、佐多くんの両腕包囲網から抜け出ると、自分の部屋に―――

「んひゃっ」
「っ! ……おい」

 何ということでしょう。
 私の膝がかくっと折れて、転びそうになってしまいました。後ろから佐多くんが両腕を掴んでくれたので、倒れることはありませんでしたが、ぺたり、とラグの上に座り込む体勢になってしまいました。
 慌てて立ち上がろうとしましたが、やっぱり膝に力が入りません。

「今、ハヤトに連絡してやるから、待ってろ」
「だ、ダメです! そんなご迷惑をお掛けするわけには……!」

 だって、徳益さんは雇用主さんなのです。その方をパシリに使うなんて考えられません!

 私の意見を無視して、佐多くんはポケットからスマホを取り出し、何か操作をしています。

「だ、ダメですっ」

 私は、慌てて手を伸ばして操作を止めようとしましたが、ソファに座ったままの佐多くんがスマホを持つ手を高く上げてしまえば、とても届かない高さになってしまいます。
 うぅ、動くのです、私の膝! 不甲斐ないですよ!

 抗議の声を上げながら、佐多くんの袖口を掴もうとしますが、届きません。
 ソファの肘置き部分に手を掛け、ぷるぷると力の入らない膝を叱咤して何とか立ち上がりましたが、今度は佐多くんに腰をさらわれ、片手で腕の中に閉じ込められてしまいました。
 そこから左手一つで器用にスマホを操作する佐多くんの腕を必死に引っ張ろうとしますが、まるで猫じゃらしを振られた猫のように右へ左へ翻弄されるばかりです。
 そんな攻防をしているうちに、スピーカーモードで徳益さんに電話を掛けられてしまいました。

『トキ、どうした?』
「あぁ、ミオがバイト先に荷物置きっぱなしだって言うから―――」
「だ、大丈夫なのです! 自分で取りに行きますからぁんぐぐ」

 うるさいとばかりに腰に回っていた手が口元に回されてしまいました。これでは徳益さんに声を届けられません!

『あぁ、帰りにゾンダーリングに寄るよ。……なんだか、随分と楽しそうな雰囲気だね?』
「んぐぐーっ!」
「それなりにな。じゃ、頼む」
『はいはい』

 何ということでしょう。あっという間に通話が終わってしまいました。
 暴れるのをやめた私の口から、佐多くんの大きな右手が外されます。

「自分で取りに行けるのを、徳益さんに寄ってもらうなんて―――」
「アンタはアホか。どう考えたって行ける状態じゃねぇだろ。……つーか、何で立てねぇんだ」

 それは私にとっても疑問なのですが。
 いや、おそらく。おそらくですよ?

「怖かったのが抜けきれていないのかもしれないです」
「暴力が、か?」
「……そっちはそれほど怖いわけではないのですが、えぇと、失礼な話になってしまいますよ?」
「今更、構わねぇよ」
「たぶん、……佐多くんのお父さんが怖かったのです」

 スマホの攻防戦をしていたおかげで、私は佐多くんの膝の間に正座するように真正面から向き合う形になっていました。
 だから、私の答えに、羅刹の額に青筋が浮かんだのが見えてしまったのです。

「ち、違います! 正確に言うと、えぇと、佐多くんのお父さんをきっかけにして、私の苦手な人の記憶が呼び起こされてしまったと言いますか」

 自分の言葉が呼び水になって、あの蛇のような目を思い出してしまった私の指先が小さく震えだしました。

「あ、あれ、……すみません。すぐ止めます」

 震えが顕著な左手を右手で包み込むようにぎゅっとしますが、残念ながら、指先は落ち着いてくれません。

「お、おかしいですね。いつもはこれですぐ―――ひゃぅっ」

 佐多くんの両手がいつの間にか私の背中に回っていて、問答無用で抱きすくめられていました。

「ゆっくり呼吸しろ。大丈夫だ」
「は、はい……」

 耳元で囁かれると、なんだかお腹の下の方に低音ボイスが響きます。むしろ落ち着かないので勘弁していただきたいものです。

「あのオッサンにはそうそう手出しはさせねぇ。安心して守られてろ」

 なんだか、すごく恥ずかしいセリフを囁かれたような気がするのですが、気のせいでしょうか?
 え、えぇと、セリフ回しは気にしないことにしましょう。こういうのはスルーするのが一番なのです!

「……あの、佐多くん。それは無理だと思うのです」
「あぁ?」
「いえ、その、佐多くんが弱い、とかではないですよ? ただ、あの人の性格を考えると、ちょっと―――」
「何が言いたい」

 私は、佐多くんの固い胸板をぐぐっと押して距離を作りました。
 一応真剣な話をするので、ちゃんと目を見て話しますよ。怖いですけど。

「えぇと、ああいった蛇みたいな人って、何かに執着すると鬱陶しいぐらいにチョッカイ掛けて来ますよね?」
「そうだな」
「そして、お父さんのターゲットは、佐多くん……ですよね」
「……うぜぇことにな」

 う、うぅ、睨まないでいただきたいです。別に私が悪いわけではないのですから。

「今回のことで、いえ、もしかしたらもう少し前から、お父さんは私のことを知っていたのではないかと思うのですよ。その、佐多くんを弄る道具として」
「……」

 佐多くんの目が相変わらず怖いです。そして、心底イヤそうな表情を浮かべています。
 そうですよね、わざわざこんなこと、他人の口から聞きたくないですよね、すみません。

「ですから、今後も、私を使って佐多くんに何かを仕掛けようとするのではないでしょうか?」
「―――」

 大きくため息をついた佐多くんは、私を腕に閉じ込めたまま、ソファに横になってしまいました。巻き込まれた私もそのまま倒れます。
 体勢を崩して、コロンと床に転がり落ちそうになったところを、慌てて引き寄せられましたが、正直、手放してもらった方が精神的ダメージは少なかったと思います。
 同級生に抱かれて横になるって、この状況だけで精神ゲージが削られていきますから!!

「アンタの言う通りだな。……よくそこまで考えられるな」
「えぇと、その、私の嫌いな人が、母に執着していまして、結果として、私を使って母に揺さぶりを掛けていたのです……」

 うぅ、思い出しただけで鳥肌が立ってしまいました。
 もう二度とあの人には会いたくないのですが、……きっと無理なのでしょうね。

「悪い、アンタを巻き込んだ」
「……良いのです。結果的に衣食住をお世話になっていますし、私も、少しだけ佐多くんの申し出を利用したわけですから」
「どういうことだ?」

 尋ねられて、私は、少しだけ目を泳がせました。
 できれば、このことは話したくなかったのですが、つい、油断して口から出てしまいました。
 ですが、目の前の佐多くんが適当なごまかしで引き下がってくれるとは思えません。

「―――ここへ引越しすると決まった時のことです。私、母と電話で話したのですよ」

 その時は、婚姻届の件についてだったのですけど。

「母は、その時、自分のことを『ママ』と言いました。それは、あの人の手が、気配が近づいて来ていて危険な時にだけ使う、私と母との暗号なのです」
「そいつが?」
「どのぐらい私たちの居場所を嗅ぎつけているのかは知りません。でも、母はあのアパートに住むよりはこちらの方が安全だと思った、のだと思います」

 今まで説明しなくてすみませんでした、と頭を小さく下げると、何故かぎゅむっと抱きしめられてしまいました。

「あ、あの……?」
「お互い様なら文句ねぇな」
「は、はい」

 顔が見えないおかげか、佐多くんの言葉はひどく優しく、私の心に染み入って来ました。

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