TOPページへ    小説トップへ    それは、通り魔的善行から始まったのです。

 18.それは、登校日だったのです。


「おはようございます」
「はよー、ミオ」

 お盆前の月曜日、久々に来た学校で最初に挨拶を返してくれたのは、玉名さんでした。
 ……あれ、玉名さん?

「あの、……玉名さん、ですよね」
「そだよー? 何? 化粧失敗してる?」

 えぇと、夏休み前の玉名さんはですね、どちらかというと結構盛っていて、ギャル……とまではいきませんが、ケバい印象のお化粧をする人だったのですよ。
 ところがですね、私の目の前にいる彼女は、パッと見にはスッピンに見えるナチュラルメイクを施しています。

「いえ、その、随分と方向性が変わりましたよね」
「あぁ、コレ? 聞―てよ聞―てよ! 今度のカレシがさ、ちょっと硬い系で、アタシのメイクにチョ→ダメだしするワケ! 最初はメッチャ反発してたし、ありえなくね?ってぐらいケンカしてたんだけどさー」
「えぇと、彼氏さんの好みに合わせた、ということですか?」
「違うって! ジョーホだよジョーホ!」

 譲歩、ですか。ちょっと照れた感じの玉名さんも、結構かわいいですね。

「私は、こっちの玉名さんも良いと思いますよ? 前とは別の方向ですけど、高校生らしいと言いますか」
「そう? やっぱミオっちってイイこと言ってくれるよねー? 今度、カレシのダチ紹介しよっか?」
「えぇと、お気持ちはありがたいのですけど―――」

 人付き合いはお金がかかるので遠慮したいところですが、さて、どうやったら悪い気にさせずに断れるのでしょうか?

「やめとけよ、須屋。玉名の紹介する男なんてロクな……って、お前ホントに玉名か?」
「ヒデーじゃん。オンダってば鼻に真っ赤なマニキュア塗ってやろーか!」
「いやいやいや、変な意味じゃなくて、うん、スゲー変わったっていうか、かわいいじゃん」
「オンダに言われても嬉しくないしー」
「てめっ!」

 あぁ、この二人の遣り取りを聞いていると、なんだか日常に戻って来たような、ホッとする感じがします。
 それと恩田くん、やたらと業界用語ちっくに話すのは早々に飽きたのでしょうか?

ガラララッ

 あ、今度は誰が入って来たのでしょ……う?

「うわ、マジで?」
「なんでだよ」

 私の目の前の二人が、こそこそと目を見交わします。私は慌てて二人の輪の中に入って、見なかったふりを決め込みました。
 だって、入って来たのは、佐多くんだったのですから!

 今朝、相変わらず朝の弱い佐多くんに「行ってきます」と挨拶をして玄関を出た時には、まだベッドの上にいたはずです。
 今日が登校日だということは、事前に話していたので、わざわざ起こしてまで言う必要もないと思っていたのですが、いったいどうやって来たのでしょう。
 だって、出た時には、まだベッドの上ですよ?
 私、教室に到着してから、まだそんなに時間が経っていないと思うのですけど!

「私、足遅いのでしょうか」
「えー、何言ってんの、ミオっち」
「えと、いつから私のあだ名がミオっちになったのでしょうか」
「さっき」

 とりあえず佐多くんは自分の席にどかっと座って腕組み&目閉じの姿勢になったので、クラスメイトも再びざわめきを取り戻していました。

「えぇと、私も玉名さんのことをそんな感じに呼んだ方が良いのでしょうか?」
「う~ん、ミカっちって呼んでもいいけど、別のでもイイよ?」
「じゃ、ミカぽんな」
「オンダは黙ってな」

 うーん、玉名さんは、恩田くんに厳しいですね。何かイヤなことでもあったのでしょうか。

「カレシさんは何て呼んでるのですか?」
「え~? それ聞いちゃう? 聞いちゃうんだ? えっとね」
「クネクネすんなよ、ミカりん」
「だからオンダは黙ってなよ」

 う~ん、この二人の掛け合い、いつもながら遠慮がないですねぇ。やっぱり見ていてほっこりします。

「カレシはね、ミカって呼び捨てにすんだ」
「あ、いいですね。ストレートで」
「でしょでしょ~? ミカは肌がキレイなんだから、もっとそれを生かす化粧しろよ、って言ってくれたのー」

 あぁ、恋する乙女です。見ているだけでキュンキュンしますね。玉名さんが幸せそうで何よりです。

「須屋~、玉名がひどいんだけど」
「いつものことですよね、恩田くん」
「うぅ、須屋までひどい。こうなったら、須屋のこともミオっぺって呼ぶか!」
「えぇと、丁重にお断りしたいのですが」
「うわっ、丁寧だけど即・拒絶かよ!」
「ちょっとー、ミオを下の名前で呼ばないでよ。アタシの特権なんだから」
「いえ、玉名さん。別に特権というわけでは……」
「えー? でもミオって、あんまし下の名前で呼ばれてないっしょ? だから……っ!」

 あれ、楽しそうに話していた玉名さんの口元が引き攣りました。ついでに、窓から入っていた夏の日差しが少し陰りましたね。太陽が雲にでも入ったのでしょうか。

「おい、アンタ」

 重低音が上から響きました。
 ついでに太陽も雲の中に入ったわけではないと、ようやく気付きましたよ。

「ちょっと顔貸せ」

 見上げれば、非常に厳しい顔をした佐多くんが、上から睨みつけています。
 すみません、制服着ているのが逆に新鮮なのですけど、表情は全然新鮮じゃありませんでした。いつも通り、もしくはそれ以上に怖いです。

「えぇと、……はい」

 もちろん、私に拒否などできるはずもありませんでした。


 ズシン、ズシンと廊下を歩けば、生徒はモーゼの十戒ばりに脇に避けて道を開けてくれます。
 えぇ、私が道を開けてもらっているわけではないですよ? 私の前を歩く伝説の巨神が、いえ、佐多くんが道を開けろオーラを放っているのです。

「あ、あの、どこへ行くのでしょうか……?」

 恐る恐る声を掛けると「そこの教室」と親指をクイッとされました。課外室3と書かれています。個別面談とか進路指導とかで使われるぐらいのちっちゃい教室ですね。
 でも、こういう教室は普通、鍵が掛かっているものだと思うのですけど……って、どうしてポケットから普通に鍵が出て来るのですか!

「入れよ」
「お、おじゃまします……」

 まるで自分の部屋扱いするのは腑に落ちませんが、それでも不穏な気配を醸し出す佐多くんに、私は従順になります。だって、なんだか怖いですから。
 とりあえず、イスとかに座ってしまうと、うっかり長居をしてしまいそうなので、三、四歩だけ中に入った所で止まります。

「アンタさ、学校でいつもあんな?」
「はぁ……、あんなと言われても、いつも変わらない日常だったと思いますけど」

 うぅん、何が言いたいのかさっぱりです。
 あと、お互いに立ったまま話すと、私の首に非常に負担がかかるのでツラいです。だって、身長差は少なく見積もっても三十センチはあるわけですから。
 とりあえず、少し距離を取れば首の角度も楽になるかもしれません。

「逃げんなよ」

 あの、怒気が怖いのでしまっていただけませんか。

「えぇと、ですね。お互い立っている状態で、こんな近距離で話していると、ちょっと首が痛くなるので、距離を取るのは仕方ないことっっとっとっ?」

 いきなり、両脇に手を差し込まれたかと思ったら、ひょいっと持ち上げられてしまいました。すとん、と降ろされた先は、机の上です。
 居心地悪くも机にお尻を乗っけてしまった私を見て、一つ頷いた佐多くんは、その目の前にあったイスに腰掛けました。
 えぇと、机に腰かけた私と、イスに座った佐多くんの視線があまり変わらないような気がするのは、……身長の差なのでしょうね。やっぱり。

「で、どうなんだ?」
「はい?」
「学校でのアンタ」

 どうしてなのかは分かりませんが、佐多くんのオーラには怒気が含まれているみたいです。
 時間もありませんし、ここは質問に素直に答えた方がいいところでしょう。

「えぇと、佐多くんが何を聞きたいのかは、いまいちよく分からないのですが、いつもあんな感じでクラスメイトと話していますよ?」
「あの男も?」
「あぁ、恩田くんですか? 玉名さんと同じく面倒見の良い人なので、ちょくちょく声を掛けられますね」
「ふーん」

 いつもの三割増の剣呑な視線に、思わず私の肩が震えてしまいました。
 私、何か失言しましたっけ? 怖いのですけど! 視線で刺されそうなのですけど!

「アンタはオレのもんなのに、下の名前で呼ばせてんだ?」

 そこですかっ!
 まずいです。このままでは、恩田くんがピンチです。おそらく生命の危機です。

「違います。今日のは、ちょっとおふざけがあっただけです。日頃は須屋って苗字で呼んでますから。だいたい、恩田くんの下の名前だって知らないのに―――」

 玉名さんについては、かろうじて「ミカ」ってことは覚えてます。さっきの惚気話でも聞きましたしね。
 恩田くんについては、本気で何も知りません。クラスメイトってこと以外は、お調子者ということぐらいでしょうか。部活もどこに入っているのやら。

「オレの名前は?」
「え?」
「オレの名前」

 ぐ?
 えーと、佐多くんは、佐多くんで、下の名前は羅刹……ではないですね。徳益さんはトキって呼んでましたけど、確か、お父さんは……

「えぇと、佐多、トキト、でしたよね?」

 あれ、ワンコの幻影が見えます。
 何故だか尻尾をちぎれんばかりに振っているワンコの幻影です。

キーンコーンカーンコーン

「ふわっ!」

 私は慌てて机から腰を下ろしました。
 チャイムが鳴ってしまいました! このままでは遅刻扱いになってしまうのです。
 慌てて教室から出ようとすると、佐多くんに捕まりました。お腹に腕を回され、耳元で「どこに行く」なんて凶悪ボイスで囁かれると恐怖しか感じないので、本当にやめて欲しいのです!

「きょ、きょきょきょ教室に決まってるじゃないですか! 何のために学校に来たと思っているのですか?」
「オレはアンタに会うためだけど」
「~~~~!」

 なんですか、この直球で剛速球な言葉の破壊力!
 こう言っては何ですが、同じ年の子と比べて、現実的な部分が多いと思うのですよ。決して夢見がちではないのですよ。
 それでもですね?
 ここまでストレートに言われてしまうと、恥ずかしくて穴掘って埋まりたくなるのですよ。日本人ですから!

「と、とととにかく、私は遅刻も欠席もイヤなのです!」

 じたばたもがいて、何とか腕の中から脱出できるよう暴れると、何故かひょいっと肩に担ぎ上げられました。小脇に抱えられたことは何回かありますが、肩に担がれたのは初めてです。
 制服のスカート丈、長いままで良かったなぁ、と場違いなことを考えてしまいました。私の三枚百四十八円という破格のパンツを人様に晒すのはさすがに抵抗があります。

 仕方ねぇな、と呟いた佐多くんは、私を担いだままでC組の教室へと向かっているようです。
 あれ?
 担いだまま?
 まさか、人気のない廊下ならともかく、教室の中までこの体勢で入るわけではないですよね?

ガララッ

 羅刹は、やっぱり羅刹でした。
 既に教室内で何かの説明をしていた瀬田先生含むクラスメイトの視線を集める中、堂々と後ろのドアから入った佐多くんは、窓側から二列目最後尾の自分の席に着いたところで、私をようやく下ろしてくれました。
 いたたまれない感が半端ないです。
 とりあえず、何事もなかったかのように、小動物らしくサササッと前の方の自分の席へと小走りで戻りました。
 ぽかん、として口を止めていた瀬田先生も、私が着席するとようやく自分を取り戻したようです。

「佐多、須屋、後で職員室な」

 ありがたくない言葉を頂戴してしまいました。


「で、佐多。お前、自分が有名人だって自覚あるのか?」

 瀬田先生は、職員室へ呼び出した私たち二人を、人目があるから、と別の教室へ案内するなり、そんな風に話し始めました。
 あ、ついでに言うと、ここ課外室3というところです。ついさきほど、私が佐多くんに連れて行かれたところですね。入ろうとしたところで「誰だ、鍵開けっぱなしのやつ」と瀬田先生が悪態をついたのに、犯人=佐多くんは知らんぷりでした。

「何があったか知らないが、堂々と連れ歩いたそうじゃないか。そんなことすれば、須屋がバカ生徒に目をつけられることぐらい分かるだろ?」

 あー、とガシガシ乱暴に頭を掻く先生は、どうしてでしょう、至って普通です。先生方の中には、佐多くんを怖がる人だっているというのに、です。

「バカ生徒?」
「お前にお礼参りしたい生徒だよ。直接お前をどうこうしようってバカは、……まぁ、この学校にはいないだろうが、他校に情報流す嫌がらせするバカはいるだろうな。冬林工に、秋風高、あー、夏田高ともやりあっただろ」

 瀬田先生の言葉に、完全な傍観者だった私は、まじまじと隣に座る佐多くんを見上げてしまいました。
 そんなに近隣の高校に何かやらかしちゃっているのですか!と。

「よりにもよって、うちのクラスの生徒、しかも頑張りやの須屋に手を出すとか……はぁ」

 あれ、瀬田先生が「お前、これから大変だぞ」とか言ってます? 目で語っちゃってますか?

「え、えーと、つまりそれは、私が佐多くんに恨みを持つ人から狙われるとか、そんな話なのでしょうか?」
「須屋。お前、どうしてそんなに不幸体質なんだろうな。お母さんのことと言い、佐多のことと言い―――」

 うぅ、本当にそうですよね。
 まぁ、お母さんのことは仕方ないと思っているので、まだ平気なのですよ。
 でも、佐多くんのとばっちりは、ねぇ。つい最近、佐多くんのお父さんにも目をつけられたばっかりだというのに、私、瀬田先生の言うように実は巻き込まれ不幸体質だったりするのでしょうか。

「ミオはちゃんと守る」
「ふゃっ?」

 いきなり肩を抱き寄せられ、私の身体が、がくんと傾きました。

「忠告は受け取っとく。だけど、ミオを手放す気はねぇよ」

 瀬田先生が目を丸くして私と佐多くんを見ています。
 ですよね! あの噂の羅刹がこんなこと言い出すなんてビックリですよね! 私もビックリですから!

「じゃぁな。念押しはされなくても休み明けの模試はちゃんとやる」
「あ、あぁ」

 佐多くんは、ひょいっと私を小脇に抱えると、スタスタと課外室3を出て行きました。

「須屋、困ったことがあれば、ちゃんと相談しろよ」
「は、はいぃ……」

 ゆっさゆっさと運ばれながら、かろうじて返事をすると、何故だか佐多くんのプレッシャーが強まりました。

「オレ以外のヤツを頼んじゃねぇ」

 ぼそり、とそんな声が聞こえた気がしますが、まだ生徒の残る廊下を二つに割りながら闊歩している状況から現実逃避している私の耳には入りませんでした。
 うぅ、羅刹に運ばれてるというだけで、好奇と同情の視線があちこちから刺さります。敵意ではなくても視線が刺さるのです。

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