TOPページへ    小説トップへ    それは、通り魔的善行から始まったのです。

 19.それは、保身だったのです。


バルン、バルルルルル……

 目の前では、バイクがエンジン音を大きく響かせています。
 いくらバイク通学が許可されていると言っても、普通は原付ではないでしょうか? バイクには詳しくありませんが、白地にブルーのラインが入った国産メーカーの、そこそこ大きなバイクです。あ、ロゴが入ってますね。G・R・A・D・I……なんだか同じタイトルのシューティングゲームがあったような気がします。
 そんな現実逃避を、小荷物のように運ばれた駐輪場でしていました。

「ほら、被っとけ」

 ぽい、と投げられたのは、しっかりと頭をカバーするフルフェイスヘルメットでした。白地に赤いラインの入ったカッコイイデザインのものです。
 何となく流れは分かりました。
 後ろに乗れ、ということなのでしょう。

「あの、佐多くん」
「なんだ。後ろに乗るの初めてか」
「い、いえ、初めてではありませんし、そうではなくて、ですね。私、帰りに少し寄るところがあるので―――」
「どこ」
「え?」
「どこ行く気だったんだよ」

 あれ、なんだか文末に「オレに内緒で」なんて幻聴が聞こえたような気がします。気のせい、ですよね?

「アパートの管理人さんに、郵便を預かってもらっているのです。それを取りに行こうと思っていまして」
「なら、いい。乗せてってやる」

 あの、アパートの管理人さんは、とても気のいいおばあさんなのです。
 こんな、何というか、走り屋さん御用達みたいなゴツいデザインのバイクを見たら、卒倒してしまうのではないでしょうか。あと、佐多くんの凶悪な顔つきを見ても……心臓が止まらないか、ちょびっと心配なのです。

「えと、そこまで迷惑をかけるわけには」
「いいから乗れ」

 やはり拒否権はないみたいです。
 先ほどから遠巻きに私たちの遣り取りを見ている生徒――おそらく自転車を取りに来たのでしょう――の視線も痛いことですし、ここは大人しく従うしかないみたいです。きっと、羅刹がいる限り、彼らは自分の自転車を取りに来られないのでしょうから。

 カポン、とヘルメットを被ると、特有の何とも言えない臭いがします。まぁ、新品っぽい臭いなのでまだ良いのですけど、うっかり酔ってしまわないでしょうか。
 そんな妙な心配をしながら、私はバイクに跨る佐多くんの後ろへ腰を下ろし、おそるおそる腕を彼のお腹に巻きつけました。

「行くぞ」

 同じようにフルフェイスヘルメットを被った佐多くんが、少しこもった声で告げた途端、バルン、とエンジンが唸りを上げて、私の身体が大きく後ろに引っ張られそうになりました。
 こ、これが慣性の法則というやつなのですね! 物理現象を身をもって体験しました……って、生徒がまだ多いのに、急加速はどうかと思うのです!
 右へ左へ振れるのを、ぎゅむーっと佐多くんに捕まりながらやり過ごす時間は、何だかすごく長く感じました。

「着いたぞ」
「ふ、は、はい」

 いつの間に、でしょうか。
 見慣れた路地にバイクが止まっていました。怖いと目を閉じてしまうクセがまた出てしまったみたいです。中学の時に行った遊園地でもジェットコースターではつい目を閉じてしまいましたっけ。

 そんなことを考えながら、アパート向かいの古い家屋へふらふらと向かいます。陽に焼けた緑の呼び鈴ボタンを押せば、家の中からビィーという音が聞こえました。
 ほどなく、パタパタと軽い足音が近づいて来ます。

「はいはいヨォ、どちらさまですか~?」
「川尻のおばあちゃん。須屋です」

 私と同じくらいの背丈のおばあちゃんが、玄関の引き戸を開けると、「おやまぁ」と言いながらニコニコと微笑みました。
 うぅ、佐多くんの凶悪な顔を見た後だと、一層、和みます。

「預かっていただいた郵便物を取りに来たのですが……」
「はいはいヨォ、ちょっと待ってナァ」

 今はもう亡くなってしまった旦那さんに付いて、こちらに出て来たおばあちゃんは、少しだけイントネーションが変わっています。
 でも、そこもまた和みポイントなのです。会話しているだけで、なんだかあったかくなると言いましょうか、とにかく癒されるのです。

「お待たせヨォ。ほら、これだナァ。ついでに梨も持っていきなヨォ」
「ありがとうございます」

 いくつかの封書と小ぶりの梨二つを受け取った私は、学校指定のカバンにそれを入れました。

「あの、それで、ちょっとお聞きしたいのですけど、……私の部屋に、誰か尋ねて来た人っていましたか?」
「さぁてナァ。いっつも見てるわけでもないからヨォ? でも妙に仕立ての良いスーツ来た人見たワァ。ありゃ職人の仕事だヨォ。これでも、昔は和裁で小遣い稼ぎしてたっから分かるんだヨォ」

 ぞくり、と肌が粟立ちました。

「それよりもナァ、あれ、ミオちゃんのイイヒトかい?」
「え? あ、や、違いますよ? ちょっと送ってもらっただけで―――」
「それ、アッシーて言うんだヨォ。ミオちゃんもなかなかやるナァ」
「いやいやいや、そんなんじゃないです。本当に! えと、その、梨ごちそうさまでしたっ!」

 私はおばあちゃんに慌てて頭を下げると、話を切り上げて佐多くんの所へ向かいました。
 立った鳥肌のことなんて、すっかり吹き飛びましたよ。
 私が戻るや否や、佐多くんはバルンとエンジンをふかしました。そんな威嚇をする相手はいませんから!

「あの、もう一件、お願いしても良いでしょうか?」
「なんだ?」
「南に工場とか固まっている地域があると思うのですけど、そっちの方に―――」

 理由は後で話します、と目で訴えれば、「乗れよ」と後ろを親指でくいっと示してくれました。
 日頃はどうかと思うことも多いですけど、助かるのです。

 バルルル、と右へ左へと揺られ、到着したのは工場の合間にある空き地です。トラックの共用駐車場になっているのか、砂利の合間から雑草が生えたその場所にはすんなり入ることができました。
 バイクを止めてもらった私は、川尻のおばあちゃんから受け取った封書を一つ一つ透かしてたり、ぐにぐに折ってみたりします。
 隣でバイクに跨ったままの佐多くんが、何やってんだ、と言いたげな視線を向けて来ていますが、スルーです。私は真剣なのです。

 一つ目は、おじいちゃんからの手紙でした。
 二つ目は、銀行からの三つ折はがきでした。
 三つ目は、冷蔵庫なんかを買った電器店のダイレクトメールでした。

 電器店のダイレクトメールは、やたらと分厚いのでよく分かりません。仕方なく中を確かめるとチラシだの先着キャンペーンはがきだのが入っているだけです。これは途中のコンビニのゴミ箱に入れることにしましょう。今の私には不要なものですし。

 問題は銀行のはがきです。
 私は、大きめの石を拾うと、えいやっとハガキの端を叩き潰しました。ガッという硬質な音と一緒に、小さくジジジ……と漏電するような音がしたのは、聞き逃しません。
 はがきをペリリと開けば、ローンのPRの文章がでかでかと書かれた端っこが黒く焼けたようになっていました。

―――ビンゴです。

 私は、マンションまでの帰りに、適当にコンビニに寄ってもらってダイレクトメールと銀行からのはがきを捨てました。
 ようやくマンションに帰り付いた頃には、慣れないバイクでの移動もあって、へろへろになっていました。

「佐多くん、ありがとうございました」
「礼はいいから、ちゃんと話せ」

 そうでした。
 帰ったら話す、とだけ約束して、事情をちゃんと話していなかったのでした。
 ダイニングテーブルに乗せられていたお昼のお弁当をリビングに運び、熱い焙じ茶を淹れたところで、私は隣に座る佐多くんに事情を説明することにしました。

「えぇと、お母さんがしつこい人に追われてる話はしましたよね」
「あぁ、お前の大嫌いなヤツか」
「たぶん、お母さんの居場所がまだバレていないので、私の行動からそれを割り出そうとしたんだと思うのです」

 私は、あの銀行のはがきに盗聴器もしくは発信機のようなものが取り付けられていたことを説明しました。
 実は、以前も似たようなことがあって、探偵さんに金属探知機を使って見つけてもらったことがあったのです。郵便物に偽装するとは、本当に狡猾な人ですね。

「アンタ、オレよりそういうのに詳しいんじゃねぇか?」
「詳しい、というか自衛のためですから」

 そういえば、佐多くんも、どこぞの企業の暗部とか荒事とか請け負っている部署で働いているのでした。もしかしたら、似たようなことをやったりやられたりしているのかもしれません。まぁ、あのお父さんが上司というのですから、それぐらい普通にやっちゃいそうですしね。

 ふわ! この揚げ出し豆腐が美味しいのです!
 ひじきと豆のご飯も、なかなかなのです。
 こんな風に舌が奢ってしまって、私、元の生活に戻れるのでしょうか?

「アンタ、どうして平気な顔でメシ食ってんだよ」
「え? 美味しくないですか?」

 鶏の照り焼きもしつこくなくて、薄味だけど美味しいですよ? やっぱり、肉から違うのでしょうか。
 こ、こっちは、もしかして高級食材の鮑サマですか? 味噌和えが美味ですね。白瓜の漬物もぱりっとしていて、あぁ、お茶が進みます。

「アンタ、図太いんだな」
「ひ、ひどいです。人を何だと思っているのですか!」

 図太いだなんて、私、佐多くんと同じ学年ですよ? 私の中には「男前ミオさん」はいても「肝っ玉ミオさん」はいないのです!

「私だって、こんなことに神経使いたくありません。でも、そうしないと日常が壊されるので、仕方がないじゃないですか」

 ぷぅっと頬を膨らませると、はいはい、と投げやりに頭を撫でられました。非常に不愉快です。

「ミオ」
「いいですよ、もう」

 私は空っぽになったお弁当箱を二つ重ねると、キッチンへ向かいました。容器を返却するときに洗って返す必要はないと言われていますが、何となく洗ってしまうのは、私が貧乏性だからでしょうか。
 流しの端に立て掛けて、タオルで手を拭います。
 宿題に手をつけなければ、と思ったところで、「ひっ」と喉の奥から悲鳴が洩れました。

 すぐ後ろに立っていたのです。羅刹が!
 こ、これは、アレですね。「私、リカちゃん。今あなたの後ろにいるの」的なホラーですよ!

「こ、声ぐらいかけてくださいよ」
「アンタが無視してこっちに来たんだろーが」
「だからって、いきなり後ろに立たれたら、私の心臓が持ちませんよ」

 上から睨むように見下ろして来るのに、頑張って視線を返して見上げれば、何故か、ひょいっと持ち上げられてしまいました。
 何だか、両脇で持ち上げられることが多いのですけど、私、荷物ではありませんよ?

「スマホ持ってんだろ?」
「はい」
「貸せ」
「え? 何でですか?」
「いーから、出せ」

 理由を教えてください、と暴れると、リビングのソファに座らされ、真正面から睨まれ……もとい、見つめられました。

「連絡先の交換だ」
「……あの、ここまで無意味に脅さなくても、ケー番とアド交換しようと言ってもらえれば」

 私は、渋々と自分の部屋へ向かい、スマホを手に戻って来ました。

「それじゃ、QRコード表示しますね」
「あぁ」

 佐多くんは、自分のスマホに私のアドレスを登録すると、何やら操作しています。
 きっとメールを送ってくれるんだろうなぁ、とか、佐多くんが持ってるだけでスマホが小さく見えるな、とか思っていたら、私の手の中のスマホが「ズバシッ」と効果音を鳴らしました。時代劇によくある人を斬る音です。実際はキャベツを切った音を使っているらしいですね。

「それがオレのアドレス。あと、そのリンク先のアプリをインストールしろ」
「……何のアプリなのですか?」
「位置情報を定期的に知らせるもんだ」
「イヤです」
「……」

 そ、そんな目で見たってダメですよ!
 何ですか、その監視アプリ! 怖いです。
 それに、定期的に知らせるなんて、パケットが増えるじゃないですか。ふざけないでください!

「いいから入れろ」
「だから、イヤですって」

 うぅ、睨まないでいただきたい。怖いです。

「貸せ」
「あっ!」

 ちょ、人のスマホ! しかも今操作してたからロックもかかってない!

「か、返してくださいっ!」
「アプリ入れるだけだ」
「だから、イヤなのですって!」
「うるせぇ、黙れ」

 必死にぴょこたんぴょこたんと佐多くんに縋りますが、所詮はミニマムな小動物です。銀河系クラスの天元突破な巨大ロボが頭の上で操作すると、とても届かないのです。

「ほらよ」
「わ、わわっ」

 私は受け取ったスマホをチェックします。……って、あれ? 特に新しいアプリは入っていないですね。
 って、あぁ! パケットがカウントアップされているのです! これは悪質なアプリを入れられてしまったということですか?
 ふ、ふふふふ……。
 こんな時の初期化コマンドです!
 そういえば、先月も似たようなことをした気がしますね。まぁ、一ヶ月分のデータなんて別に惜しくもないのです。
 あ、一応、佐多くんのアドレスは退避しておきましょう。
 さーて、初期化、初期化……

「何してやがる」
「何って、初期化するのですよ。どういうアプリを入れられてしまったのか分かりませんから」
「やめろ。つーか、軽々しく初期化すんな」

 あぁ! スマホを取り上げられてしまいました。
 私のスマホはソファにぽいっと放り投げられて、……って、人の物を乱暴に扱わないで欲しいのです!

「何をするん―――にゃっ!?」

 ちょ、お腹に腕を回して持ち上げるのは、食後にはちょっと……!
 思わず口元を押さえている間に、私は抱きこまれたままリクライニングソファに寝そべる羽目になってしまいました。
 どうしてこうなった。
 いや、また力づくで無理強いの行動を怒るべきですよね!

「佐多く―――」
「アンタを守るためだ」

 なんだか、真剣な声が頭の上から降って来ました。

「あのオッサンが何仕掛けて来るか分かんねぇし、お前の嫌いなヤツも一筋縄じゃいかねぇんだろ?」
「そ、それは、そうですけど」
「今週、お盆の期間はオレもハヤトも不在だ。しかも不在の間、アンタはバイトを入れてっから、外出する」

 寝転んだまま、佐多くんは後ろからぎゅーっと私を抱きしめて来ました。

「小動物の首輪に鈴ぐらい付けさせろ」
「……」

 どこまでも小動物認定ですか。そうですか。
 あと、佐多くんは、そろそろ年頃の女の子の扱いを覚えて欲しいのです。私はライナスの毛布ではないのですよ?

「佐多くん。監視されるのがイヤという理由の他に、ですね、経済的な理由もあるので勘弁して欲しいのですが」
「?」
「私、パケット定額的なプランには一切入っていないので、定期的にネットワーク通信をするとダイレクトにお財布に大打撃なのです」
「……あぁ」

 あぁ、って何ですか。ちょっと呆れた風味なのが腹立たしいですよ!

「プラン変更しろ。差額分はこっちで持つ」
「……そこまでする必要があるのですか」
「少なくともオレには必要だ」

 ちょ、ぎゅむって力を込めないでください。本気でさっきのお昼ご飯がマーライオンしちゃいます!

「心配なんだ」
「……はぁ」
「アンタはオレが片手で持てるぐらいちっこいし」
「……」
「あのオッサンにも目ぇ付けられた上に、瀬田の話だとオレへのお礼参りにも利用されかねねぇし」
「……とんだとばっちりですね」
「しかも母親に執着してるヤツからも狙われてるとか言うし」
「……それについては、何も言えません」
「オレが留守にしてる間に、他の誰かの手に渡ったらと考えただけで、そいつを殺したくなる」

 あれー。おかしいですね。
 途中までは、私を心配してくれる良い流れだったと思うのですよ。ちっこいのは余計だとしても。
 えぇと、最後のは、「転がす」の聞き間違いですよね。コロコロしたくなるのですよね。聞き間違いであってください、お願いですから!

「そいつを血反吐まみれにして、関節という関節を全てへし折ってやっても、気が済まねぇ自信がある」
「そ、そそっそそんな自信はいりません! 仮定の話でそこまで考えないでくださいぃっ!」
「それとも、ナイフで肉という肉を全部そぎ落とし……」
「も、もういいです! 初期化しませんから、その想像をいますぐやめてくださいっ!」

 私がうっかりその光景を想像しようものなら、美味しいお昼を今すぐマーライオンできる自信があります。
 ノーモア暴力。ノーモア流血。

「分かったなら、いい」

 再びライナスの毛布になった私は、思わず大きなため息をつきました。
 携帯の料金については、後で徳益さんにも話してきちんと書面に残してもらいましょう。

 徳益さんから「バイト初日に入れたアプリが動かなかったのは、そういうことだったんだ」とにこやかに言われるのは、その日の夜のことでした。
 どうやら、そのアプリを使って早々に私の素性を調べようとしていたらしいです。
 ……何ですか、それ。すごく怖いです。

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