TOPページへ    小説トップへ    それは、通り魔的善行から始まったのです。

 21.それは、不覚だったのです。


「あぁ、もう終わりそうですね」

 私はルーズリーフの入った袋を見て、思わず声を出してしまいました。
 シャーペンの芯は、終業式に佐多くんからもらったものがあるので、まだまだ大丈夫ですが、こちらはもう終わりかけです。

 お盆も終わる頃、連日バイトで疲れた身体をマンションに運んだ私は、頑張って夏休みの宿題を広げていました。登校日の遅刻の件について、瀬田先生からペナルティを頂いてしまったので、頑張らなくてはならないのです。
 幸いに、今日は開店準備から昼過ぎ(賄いアリ)のシフトでしたので、時間はたっぷりあります。
 ふと、こんな日はもうないんじゃないかという考えが頭をもたげました。
 佐多くんも徳益さんもお盆に入った途端に、泊りがけで出かけてしまっているので、自由なのです。
 文房具を買いに行くついでに、雑誌の立ち読みなんかしちゃっても良いのではないでしょうか?

 ……。
 よし、行きましょう! 思いついたら即断即決! それが男前ミオさんです!
 佐多くんに買ってもらったフレンチ袖のカシュクールにロールアップデニムという気合が入っているんだかいないんだか分からない出で立ちで、私は駅ビルにふらりと出かけることにしました。
 汎用性抜群のA4サイズの黒のトートバッグにお財布とスマホを放り込み、いざ出陣です!

 外はアスファルトで卵焼きができそうなほど暑い陽射しが降り注いでいました。一定の温度が保たれたマンションに慣れてしまった身体には、辛いものがあります。
 それでも、久々の自由な外出に浮かれた足取りで駅へと歩いていきました。
 五階売り場でルーズリーフと赤ペンをさっさと購入し、本来の目的を果たした私は、六階の本屋へと急ぎます。
 今日はマンガ雑誌よりもファッション誌な気分なのです!
 たとえ新しい洋服や小物が買えなくても、ファッション誌って見ているだけで楽しいですよね。いつもは料理雑誌にも手を伸ばすのですが、今の私は節約料理に情熱を燃やす環境ではなくなってしまいましたし。

 ん?
 んんんんん?
 これ、どこかで見たようなー……?

 私の目はあるページで止まりました。
 読者モデルさんがカンカン帽を押さえながら振り向いたポーズはとても可愛らしいです。ストーンのついたミュールも含めて計算されたコーディネイトです。
 なのですが、このバカンス仕様な原色花柄のホルダーネックワンピースに、何か見覚えがあるのですよ。
 お値段は……うわぁ、私の一月分の食費を軽く上回ってますね。さすがブランド物です。
 こんな服、どこで見たのでしょう。某衣類量販店でパチもんでも見たのでしょうか。
 ……いいえ、今、雑誌に紹介されるぐらいですから、似たデザインのパチもんが出るのは、もう少し先になるはずです。
 いったい、どこで見たのでしょう。

「ミオさん」

 そう、声を掛けられるまで、私の後ろにスーツ姿の男性が立っていたことに気付きませんでした。

「ミオさん。ご同行願えますか」

 ちらりと視線を後ろに向け、声の主を見た私は、思わず真顔を通り越して無表情になってしまいました。
 チャコールグレイのスーツに身を包んだ三十代後半の男性です。顎だけ残して整えたヒゲと、太めの眉毛に見覚えがあります。

―――私の大嫌いなあの蛇男の私的な部下です。

 私的って何か、ですか?
 あの人は、固定資産収入だけでも生活できるお金持ちの人なのですよ。それでも、大企業にお勤めしてバリバリ稼ぐのは私のお母さんのためなのですって。
 なので、会社でこき使っている部下の他に、自分の資産管理・運用の手伝いをさせたりする部下が必要らしいのです。

「この雑誌、あと五分ぐらいは読みたいのですけど」

 とりあえず、抵抗というか時間稼ぎを試みます。

「その場合は、私どもが購入いたしますが」
「……最終的に、その費用は誰持ちになるのですか?」
「あの方です」

 私は手にした雑誌を即座に棚に戻しました。

「すぐに行きます」

 ほんの数百円でも、あの人に貸しを作るなんて有り得ませんから!
 私を案内する男の人について、エスカレーターに乗れば、少し離れてもう一人の男性がついて来るのが見えます。もちろん、そちらの人も見覚えあります。あの人の私的な部下、その二です。

 これは、どう頑張っても逃げられませんね。
 私はひとまず駅ビルで逃亡を試みるのは諦めました。


「久しぶりですね、ミオ。パパですよ」
「いいえ、パパではありませんよね」
「リコと僕は夫婦になるんですから、君は僕の娘でしょう?」
「そういうのは、お母さんを口説き落としてから言ってください」
「それなら、リコの居場所を教えて欲しいですね。あの恥ずかしがりやのリコは、なかなか姿を見せてくれないものですから」

 最初から本気でバトルです。
 この人の私的な部下二人に連れられて、再会を強いられた私ですが、顔を合わせて早々にこんな会話を繰り広げています。
 あぁ、帰りたいのです。
 おそらく、お母さんの連絡先を話してしまえば、すぐに解放されるのでしょう。でも、お母さんのかわいいダーリンさんとエンジェルちゃんに迷惑をかけないためにも、それを口にするわけにはいかないのです。

「残念ですが、私、最近お母さんと連絡もとっていないので、居場所をそもそも知らないのです」
「まさか、リコがそんな薄情なことをするわけないでしょう」

 はぁ、お母さんのことをどれだけ美化しているのでしょうか、この人は。

「それにしても―――」

 何故か、私を上から下までじっと眺めて来ます。ちょっとその視線が気持ち悪いのでやめて欲しいです。

「リコの娘である君に、そういう服は似合いませんね。今すぐ着替えなさい」
「はぁ?」

 思わずぞんざいな言葉が口を突いて出てしまいました。
 人を何だと思っているのでしょうか。この男。

「内牧、ミオを隣の部屋に」
「ちょ、誰も着替えるなんて―――」
「ミオ、僕はかわいい娘の服を無理やり破くなんて行為はしたくないんですよ。分かってくれますね?」

 絶句しました。
 それ、着替えなければ、今、私が着ている服を破くと言っていますよね? 私の中の蛇男の項目に『変態』と付け加えておきましょう。

 渋々、私は部下その一の内牧さんに連れられて隣の部屋に行きました。
 あ、忘れていました。
 ここはどこぞのホテルの上層階みたいです。車で連れられて、知らない道を通って行かれたので、具体的にどこなのか分からないのが痛いところですが。
 一泊だけでも、すごい値段がしそうなのですよ。だって、ホテルなのにファミリー向けマンションかそれ以上の間取りなのですから。

「やぁ、思った通り似合いますね」

 クリーム色のシンプルなワンピースを身につけた私を見て、蛇男が芝居がかったように両手を広げました。

「リコが昔着ていた服を、写真を元に再現してみましたが、うん、日に日にあの頃のリコに似て来ますね」

 写真から再現? その言葉だけで、何だか背筋に冷たいものが走ります。
 うぅ、鳥肌が立っているのは空調のせいだけではないですよね。これは精神的なものですよね。

「残念ながら、その下品な胸は似ていませんがね」
「……隔世遺伝か、父親側の血ではないですか?」

 さすがに人の身体的特徴を突っつかれるとイラっと来てしまって、つい反抗的な言葉が出てしまいます。だいたいお母さんの写真に合わせたせいなのか知りませんが、胸の部分が窮屈で仕方がないのです。文句を言うのも仕方ないのです。
 相手は蛇なのですから、あまり刺激するのは良くないとは分かっているのですよ? それでも我慢できないことはあるのです。

「あのリコが、どこの誰とも知れない男に汚されたのかと思うと……」

 何やらぐちぐちと呟きながら、蛇男が私の目の前に迫って来ます。アレですか、私から父親の面影でも探そうと言うのですか?

 精一杯の虚勢でもって目を逸らさないように蛇男を見返しますが、正直、今すぐ「ひょえぇぇぇぇ」なんて情けない悲鳴を上げて逃げ出したいです。
 この人と一対一で対峙するのは初めてなのですから。
 今までは、お母さんが私を守るように立ってくれました。でも、お母さんは新しいダーリンさんとエンジェルちゃんと幸せになって欲しいのです。それを邪魔させるわけにはいかないのです。

 そして、気付きました。
 どうしてこんなにも、目の前の人が怖いのか気付いてしまったのです。
 目の前の蛇男=宮地という人は、四十前後の働き盛りには思えないほど若々しい印象の人で、顔立ちも甘く、人好きのする造作を持っています。身体も程よく鍛えられていて、中年太りとは無縁の体型を維持しています。
 見た目は悪くない、どころか、むしろ良いのです。

 問題は、目、です。

 今、私をじっくりと見つめている目は、決して私を見ていないのです。今、これだけ近い距離にいるというのに、私を通してお母さんを見ているのです。
 お母さん、本当に厄介な人に好かれたものですね……。

「宮地様。お嬢様のアドレス帳は一件しか登録されておりませんでした」

 背中から聞こえたその言葉に、私は思わずぐりん、と振り返りました。
 私的な部下その二である滝水さんの手にあるのは……私のスマホです!

「ちょ、私、ロックかけてましたよね?」
「四桁の数字の組み合わせなんて、たったの一万通りじゃないですか。どうとでもなりますよ」

 事も無げに言い放つ蛇男が憎らしいのです!
 一つずつ滝水さんにやらせたのですか! それとも何かのツールでも使ったのですか!
 どちらにしても犯罪です!

 慌ててスマホを取り返そうと動いた私ですが、内牧さんに両腕を掴まれ身動きできなくなってしまいました。
 そんな私の目の前で、堂々と蛇男が私のスマホをいじっています。ちょ、プライバシーの侵害なのです!

「トキ? 誰ですか?」

 あぁ、色々と面倒だったので、名前も打ち込まずにそれだけで登録したのでした。

「クラスメイトです」
「男ですか? 女ですか?」
「どっちだっていいじゃないですか! 他人のあなたが私の交友関係に口出ししないでください」
「パパが娘の心配をして何が悪いんです?」
「パパじゃないでしょうっ!」
「―――まぁ、いいでしょう。リコの番号を偽装しているかもしれませんしね」

 蛇男は、そのまま私のスマホで佐多くんに電話をかけました。しかもハンズフリーとか! 何を考えているのですか!

「ミオか。どうした?」

 あぁ、繋がってしまいました。

「やぁ、君はミオの何なんですか?」
「てめぇこそ誰だ。これミオの番号だろ」

 う、思わず身体が震えてしまいました。
 電話越しなのに、怒りがびしびし伝わって来ます。私に対する怒りではないと分かっていても怖くて膝が笑ってしまいそうです。

「男に用はありませんよ。……いや、君、もしかしてリコの知り合いですか?」
「リコ?」
「……無関係のようですね」

 そこで蛇男はブツッと通話を終了しました。
 どれだけ失礼な男なのでしょうか。一方的に他人のスマホで電話を掛けておいて、名乗りもせずにさっさと切るとか。

チャ~チャ~チャチャ~ チャラリラチャ~チャチャ~

 すぐさまスマホが鳴り出しました。私の大好きな○岡越前のテーマです。きっと佐多くんが折り返し電話を掛けて来たのに違いありません。

「うるさいですね」

 蛇男は問答無用でスマホの電源を落としました。
 本当に自分勝手な人です。これで、会社ではそれなりの地位に居るというのですから、きっと職場では激しく別人格なのに違いありません。

「ミオ、たとえ友達でも、付き合う相手は選ばないといけませんよ。やっぱり、僕の推薦した学校に入学すべきでしたね」
「あんな学費の高い私立高校に通えるわけがないじゃないですか」
「おやおや、学費なんて気にする必要はありませんよ。僕はこれでも高給取りですから」
「赤の他人の宮地さんに負担してもらう理由はありません」
「そんなに他人行儀にならなくてもいいんですよ? ちゃんとパパって呼んでもらえれば」
「だから、パパじゃないですよね?」

 あぁ、また会話が振り出しに戻ってしまいました。
 私、これからどうなってしまうのでしょうか。

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