TOPページへ    小説トップへ    それは、通り魔的善行から始まったのです。

 22.それは、三竦みだったのです。


「……というような感じで、あの頃のリコはとても初々しく可愛らしかったんですよ」

 魂が抜けそうです。
 今、何時なのでしょうね。窓の外に見える空が、もう赤く色づいています。
 え? 私ですか?
 延々とお母さんの話を目の前の男から聞かされ続けていますよ?
 あーあーあーあー、そろそろ帰らないと明日のバイトも早番なのですよー。帰して欲しいのですよー。

 そもそもですね。
 どうして自分の母親のウフンアハンな話を聞かなければならないのでしょうか。
 ……というか、この人変態です。犯罪者です。
 話を聞く限り、当時女子高生だったお母さんを強姦した模様です。もちろん、そんな言葉を私に使うわけではありませんが、こぼれる涙が、とか、貫かれた時の信じられないといった表情が、とか、細かく語る生々しい状況の一つ一つを拾う限り、同意なしっぽいです。
 同じ年頃の娘に聞かせるような話でもありません。もういっそ、この人、爆散してくれませんかね。爆発する首輪を付けられて「今日は皆さんに、ちょっと殺し合いをしてもらいまーす」とか言われてしまえば良いのですよ。

「あの……そろそろ帰って宿題をしたいのですが」
「おや、もうそんな時間ですか。それならば家まで送りましょう」
「あの、アパートの周辺は道が狭いので、車だとかえって行きにくいと思いますので遠慮します」
「いやですねぇ、ミオ。君、あのボロアパートに住んでいないでしょうに」
「住んでいますよ? どうせ高校の名簿とかも調べたんじゃありませんか?」

 やっぱり、住んでいない実態は掴まれていたようです。本当にしつこい蛇ですね!
 私がぎろりと睨みつけても、全然こたえた様子がないのが悔しいです。佐多くん並みの迫力があれば、もっと……いいえ、あそこまでは必要ないですね。せめて小動物だと侮られない程度の迫力があれば良かったです。

「別のマンションに、リコと一緒に暮らしているんでしょう? 送ってあげますから住所を」
「ですから、あのアパートが私の家ですって」

 あぁ、堂々巡りの平行線で一向に話が進みません。だからと言って、お母さんの住所を教えるわけにもいきませんし、佐多くんのマンションなんて以ての外です。
 ここは根気の勝負です。相手が折れるまで頑張り……そういえば、目の前の人は蛇男でした。根気で勝てるようには思えません。下手すれば、このまま夜まで、とか、何日も、とか。

 ……。
 いやぁぁぁぁぁっ!
 明日はバイトなのですよっ!
 無断欠勤は被雇用側としては、ご法度なのです。今まで積み上げた信用が崩れてしまうのです!

 押し問答を繰り返しながら、どうすれば良いのかと困り果てていたその時です。

ドンッ

 壁に何かをぶつけるような大きな物音に、私はビクッと身体を縮めるように震えてしまいました。
 あれ、私的な部下さんの声が聞こえた気がします。そういえば、しばらく前から、この部屋は私と蛇男の二人っきりになっていましたね。

ぞぞぞぞぞっ

 二人っきり!?
 私、この性犯罪者(推定)と二人っきりだったのですか! なんて恐ろしいことになっているのですか!

バタンッ

 別の恐怖に脅えていた私を現実に引き戻すように、大きな音を立ててドアが開きました。
 その向こうに立っているのは―――

「さ……っ!」

 私は慌てて言葉を飲み込みました。ダメです、ここには蛇男がいるのです。情報を無駄に与えてはいけません。まして、佐多くんをあまり巻き込みたくはないのですから。
 私と蛇男を交互に見る佐多くんは、こんな暑い日なのに何故か長袖を着ていて、ついでに砂か泥で服も汚れまくっていました。いったい、どこで転がって来たのですかと尋ねたくなるほどに。
 でも、何と言ってもその表情です。
 怒ってます。
 めちゃくちゃ怒ってます。
 今ならどこぞのUFOロボみたいに、怒りのダブルハーケンで切り裂いてしまえるでしょう。
 そのぐらい怒っています。

「何ですか、君は」
「―――ミオ、無事か」
「わ、私は無事なのです」

 私が大きく頷くと、少しだけ怒りが緩み……ませんね。じっと蛇男を睨みつけています。
 これはマズいです。
 私は慌てて佐多くんに駆け寄って眉間のシワをほぐそうと―――

「や、離してください!」
「ミオ、付き合う人は選びましょうね。それで、君はどこのどなたなんですか?」

 うぅ、蛇男に腕を捕まれてしまったのです。こういう時は、自分の腕力のなさが口惜しいですね。というか、二の腕を掴まれると痛いのです。

「てめぇ、ミオを離せ」
「さ……、トキくん! この人は体育会系ではないのでダメです。うっかりケガでもさせようものなら、あの手この手で仕返しをしてくる粘着質な人なのです!」

 苗字を知られないように、と名前を呼んで注意すれば、「あぁ、さっきの電話のクラスメイトですか」と蛇男が呟きました。

「どうやってここを突き止めたか知りませんが、人間、誰しも後ろ暗いことの一つや二つはあるでしょう? 分かったら、とっとと帰って、ミオには今後一切近づかないでもらいましょうか」
「……るせぇ」
「佐――、トキくん! ダメなのですよ!」
「そうそう、ミオの言う通りですよ。たとえ君に瑕疵がなかったとしても、君の家族の傷を探すだけですよ?」

 怖いです!
 やっぱり、この蛇男は怖いのです!
 本人だけじゃなく家族まで巻き込もうとするなんて、本当に始末に終えない粘着質っぷりなのです。

「トキくん、私は……えぇと、大丈夫ですから、何とかこの人を説得してみますから!」
「大丈夫って顔じゃねぇだろ」
「はいはい、とっとと帰ってくださいよ。内牧と滝水のことなら、今帰れば不問にしてあげますから」

 や、やっぱり、佐多くん、私的な部下さん二人をヤッてしまったのですね? まぁ、ここまで来たということは、そうなのでしょうけれど……。

 こちらに近づこうとする佐多くん。
 それを止める私。
 佐多くんを帰らせようとする蛇男。

 私たちの間に緊張した空気が張り詰めていました。

「―――やぁ、随分と面白いことになっているね」

 空気を読まない第三者が来たのは、そのタイミングでした。
 振り返った佐多くんの身体が一瞬、硬直したのが見えます。私も、残念ながらその声に聞き覚えがありました。

 佐多くんの後ろから姿を見せたのは、佐多くんと同じように長袖のシャツを着た――こちらは少しも汚れていませんが――佐多くんのお父さん、でした。

 えぇと、ですね。
 私、そろそろ意識を手放したくなってきたのですが、ダメでしょうか? ダメですよね?

 前門の蛇、後門の蛇で、一体、どうしろと言うのですかっっ!

「トキト、訓練中に脱走とは誉められた行為ではないよ?」
「るせぇな。訓練は『生き残れ』だろ。フィールド制限なんて聞いてねぇし、まだペイント弾も当てられてねぇ」
「お前は、常識的に考えれば分かるだろうに。暗黙の了解という言葉を知らないのかな?」

 ポン、と佐多くんの肩に手を置いたのを、乱暴に振り払われていますが、気にする素振りはありません。
 本当に我が道を行く人ですね、こちらの蛇男さんも!

「―――佐多?」
「あぁ、そうだよ。宮地」

 え?
 私は蛇男二人を交互に見ました。
 まさかの、お知り合い、ですか?

「そこの無礼な闖入者は、噂に聞く君の息子ですか。それなら好都合ですね、とっととお引取りください」
「おやおや、つれないね、宮地。でもわたしはそちらのお嬢さんにも用事があるんだよ」

 ちらり、と視線を寄越されて、私の背筋がぞぞぞぞぞっと冷えました。
 蛇が……。
 蛇が二匹もいます。
 しかも、この展開は、まさかの私を取り合う展開ですか? お互い、一番大事なもののために、その手段として私を取り合うのですか。

 ……オワタ。

 王手どころかチェックメイトですよ詰みですよ!
 最終局でダブル役萬フリコんでハコテンですよ!
 あぁ、ゲームオーバーの物悲しい音楽が流れて来るようです。どうせ私は最弱の名を欲しいままにする洞窟探険家なのですよ。コウモリのフンで倒れますし、膝の高さから落ちても死ぬのです。
 そんな私が蛇に勝とうと思ったのが、そもそもの間違いだったのですよ。

 ……。
 …………。

 何て殊勝に諦めるミオさんではありません!
 逆境に負けない母譲りの強さをナメられては困るのです!

「そこの愚息を暴力事件で訴えられたくなければ、そうそうにお引取りください」
「おや、貴方こそストーカー行為をしているという噂は本当だったみたいだね? 相手がそこのお嬢さんの母親とは知らなかったけど」

 とりあえず、ニコニコ顔で睨み合う蛇二匹は仲があまりよろしくない雰囲気です。
 この状況を利用して、どちらの蛇にも貸しを作らずに現状打破する方法を考えるのです。灰色の脳細胞よ、頑張るのです!

 蛇男1(宮地さん)は、お母さんの居所が知りたいのです。
 蛇男2(佐多くんのお父さん)は、佐多くんを転がすために私を使いたいのです。
 しかも、二人は互いにお互いの弱みを握りたいらしいです。

「君こそ、息子に色々と無理を強いているそうじゃないですか。それこそ法規的に問題のある年齢から、ね」
「おやおや、わたしが証拠を残すようなヘマをするとでも?」

 話を聞く限り、宮地さんが佐多くんの暴力行為&若年労働、佐多くんのお父さんがストーカー行為、というカードを握っているようです。二対一で宮地さん有利でしょうか?

 とりあえず、この場にいるだけで胃の痛くなるような空気を醸し出す二人です。私が対立の天秤を揺らすだけで、逃げる隙ができるかもしれません。

「あの、佐多、さん?」
「何かな?」
「部下の徳益さんが得た情報って、やっぱり佐多さんも把握しているのですか?」
「情報の内容にも因るね。―――あぁ」

 宮地さんに腕を掴まれたままの状態で恐る恐る尋ねると、どうやら私の言わんとすることを察したみたいで、怖い笑みをより一層深めました。
 い、一しか言わないのに十を悟るとか、怖すぎです!

「そういえば、徳益は貴女の母親と直接話したそうだね。……結婚の件で」
「なっ、い、今、結婚と言いましたか!」

 私を掴む手に、ぐぐっと力が加わりました。痛いです。血流も止まりそうな勢いで掴まれています。

「その徳益とか言うけしからん部下はどこにいるんですか。直々に、とっくりと、話を伺わなければ」

 こ、怖っ!
 怒気を放つ宮地さんも怖いですが、佐多くんのお父さんも怖いです。あえて言葉を減らして、徳益さんがお母さんと結婚するように誤解させましたよね?

「あ、トキ。ミオちゃんの荷物と服、回収したぜ」

 間の悪いことに、ひょこり、と顔を出したのは徳益さんです。その手には、私の服とトートバッグがあります。佐多くんと一緒に来ていたのでしょうか。

「タイミングが良いね、徳益」
「げっ……、隊長っ!?」
「お前が徳益かっっ!」

 驚く徳益さんに、宮地さんの注意が集中します。
 今しかないのです!
 私はえいやっと二の腕から蛇男の手を振り払うと、まっすぐに佐多くんの所へ向かいます。
 消去法で申し訳ありませんが、この中で一番信頼できるのが佐多くんなのですから!

 佐多くんも、お父さんを押しのけるように前に出ると、私の腕を掴んで引っ張ってくれました。肩が抜けるかというほど勢い良く引っ張られましたが、気付けば無事に佐多くんの保護下に入っていました。

「おやおや、わたしの部下に手を出さないで欲しいな。部下を育てる面倒さは知っているだろう?」
「佐多ぁ……っ!」

 ギリギリと音が鳴りそうなぐらいに歯噛みしているのは宮地さんです。いい気味なのです。

「すみません、そろそろ帰って宿題に手をつけたいので、帰りますね」
「ミオさんはイイ子だね。トキトも見習うように」
「るせぇ、オッサン」
「おや、あまり反抗が過ぎると訓練フィールドに戻すよ?」
「……」

 すみません、佐多くん。私のせいで、不利な立場になってしまったのですね。
 あとでちゃんとお詫びします。お金は無理なので労働でちゃんと返します。

「徳益。ミオさんを送ってあげるように」
「はい。了解ですよっと」
「待ちなさい。僕はその男に話が―――」

 徳益さんに詰め寄る宮地さんを、佐多くんのお父さんが、スッと手で制しました。

「いやぁ、丁度良いところで出会えたものだ。先月の中東の件で、じっくり話し合いたいと思っていたからね」
「今そのカードを出しますか。相変わらずいけ好かない人ですね」
「おや、営業本部長サマに、そんな風に思っていただけていたとは、光栄だね。ちょうど余人のいない場所だから、ゆっくり話せると―――」

 何だか恐ろしい話し合いが行われようとしている部屋を、私たちは後にしました。
 佐多くんに担がれるようにして通路に出れば、そこには内牧さんと滝水さんが呻き声を上げて転がっています。

「あの、佐多くん。この二人は……」
「大したケガじゃねぇ」
「な、なら良いのですけれど」

 佐多くんの言う大した怪我、というのはどの程度なのでしょうか。詳しく尋ねて知ってしまうのは、ちょっと、いや、かなり怖いです。
 私は心の中で(ごめんなさいごめんなさいごめんなさい)と謝って、そのままエレベーターに乗り込みました。

「あ、ミオちゃん。四階に部屋とってあるから、そこで着替えてもらえるかな」
「着替え、ですか?」
「発信機や盗聴器の類が仕掛けられてないとも限らないからね。あのマンションには持ち込んで欲しくないんだよ」
「は、はい……」

 うぅ、あの蛇男ならばやりかねません。そもそも逃げる時にピッって音がして布が一部裂けてしまったので、着替えることは賛成です。
 え? どこが裂けたか、ですか?
 脇の下の縫製部分ですよ。胸がキツかったものですからね(ヤケ)!

「あ、金属探知機も使うからブラも外してくれるかな。ワイヤー入りでしょ」
「は、はい……ってぇぇぇぇぇっ?」

 私の声がポーンという到着の音を掻き消しました。
 いや、だって、ノーブラになれってことですか?

「はいはい、他のお客さんの迷惑になるから静かにね。胸にパッドのある着替えを持って来たから大丈夫」
「え、でも、えぇぇぇっ?」

 ムスッとした表情の佐多くんに下ろされ、シングルの部屋に押し込められた私は、渋々渡された着替えを手に取りました。
 まぁ、一度はあの蛇男の手に渡った服と荷物ですから、チェックするというのは分かりますよ。
 でも、脱がされてもいないブラを脱ぐのは抵抗があります。

 私は着替えの入っていると言う袋に手を突っ込んで、布の塊を引っ張り出しました。

「……お、おぉう」

 思わず、呻いてしまいました。
 そこにあったのは、原色花柄の、バカンス仕様の、ホルダーネックのワンピースでした。
 今日立ち読みした雑誌に乗っていた、アレです。
 そういえば、佐多くんが買った服の中で、ずっとウォークインクローゼットの肥やしになっていたのがこの服でしたね。首の後ろでリボンを結ぶこのデザインは、背中が半分以上開いているので、とても着られたものじゃないと放置していたのです。
 よりにもよって、これを着ろというのですか……。
 これはさすがに、ブラジャーを外さないわけにはいきませんね……。徳益さん、私の行動を先読みし過ぎです。

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