23.それは、初物だったのです。「佐多くん、お茶とか飲みますか?」 「……」 ようやく、マンションに帰って来れたのです! ちょっと文房具を買って、雑誌の立ち読みをするだけのはずだったのに、随分と時間がかかってしまったものですね。 今日予定していた宿題も、とっとと取り掛からないと終わりません! マンションの前で、私は佐多くんと一緒に車から降ろされました。徳益さんは、私の荷物や服をチェックするから、と何処かへ行ってしまったので、現在、部屋には二人だけしかいません。 助けに来てくれた佐多くんにはどれだけ感謝しても足りないので、飲み物やご飯が必要かと尋ねてみたのですが、佐多くんは、私を担いだままいつもの定位置までずんずんと進んで行ってしまいました。 「えぇと、佐多くん?」 ソファに腰掛けて抱え込みスタイルになった佐多くんですが、何故か一言も話してくれません。 顔を覗き込もうと身を捩ってみると、何故か妨害するようにぎゅぅぅぅぅっと背中から抱き締められました。 相変わらず力の加減が出来ていないのです。 このままではモツが出てしまいそうなのです。 「あ、の、佐多く、んっ!」 私が苦しがっていることに気付いたのか、少し、腕の力が緩くなりました。 「んひゃぅっ!」 ちょ、そこで大きなため息を付かないで欲しいのです! ぱっくり開いた背中に、吐息がっ! 生温かい吐息がっ! ……って、あれ? 私の腕、震えてます? また、恐怖の揺り戻しですか? でも、おかしいですね。前に佐多くんのお父さんと会った時に比べて、別に胃の辺りが冷たいわけでもありませんし、鳥肌も立っていません。 も、もしかして、私が震えているのではなく――― 「佐多、くん?」 私を取り囲む太い腕に、そっと手のひらを乗せます。 うん、やっぱり震えているのは、私ではなく、佐多くんです。 羅刹と恐れられる佐多くんでも、蛇男×2はキツかったということですね。 「……アンタが」 「はい?」 「アンタが、無事で良かった」 ちょ、また、吐息が背中にかかるのです! って、今、何て言いましたか? 「怖かった。……アンタから珍しく電話が来たと思ったら、知らないヤツが出るし、折り返しても通じねぇし」 「ま、巻き込んでしまって、申し訳ないです」 本当にこちらの事情に巻き込んでしまって申し訳ない気持ちでいっぱいです。 お母さんから警告は出ていたのですから、もっと外出には気を遣うべきでした。反省しても遅いですけど。 あ、そうでした。 私、大事なことを言いそびれていました。 「あの、佐多くん」 私は佐多くんの腕を掴んで、自分の身体を百八十度回転させました。ソファに膝立ちになって、佐多くんと向かい合う形です。何度か名前を呼べば、顔を伏せていた佐多くんが、のろのろと私の顔に焦点を合わせてくれました。少し、眉が下がっていて、いつもみたいに睨まれているような気分にはなりません。 うん、怖くないです。これならちゃんと顔を見て言えますね。 「佐多くん。助けに来てくれて、ありがとうございました」 まっすぐに顔を見つめてお礼を告げます。 助けてもらったら、ありがとう。これは鉄則です。 「ミオ」 「はい」 「無事、だったか」 「はい、佐多くんが来てくれましたから」 佐多くんが来てくれなかったら、私はきっと蛇男から逃れることができなかったでしょう。おそらく、お母さんに迷惑を掛ける結果になってしまっていたはずです。 佐多くんのお父さんが来てくれたから、というのが結果的に助かった要因なのかもしれません。 でも、佐多くんが来てくれなければ、佐多くんのお父さんも来てくれませんでしたから、やっぱり佐多くんのおかげなのです。 「ありがとうございます」 私はできる限りの感謝を込めて、佐多くんに頭を下げ……んんっっ!? ちょ、何を……っ! 佐多くんの薄い唇が、私の口を塞いでいます。 抗議の声を上げようとしたら、何かがぬるっと侵入してきました。 「~~~~~~っ!」 いつの間にか、佐多くんの手が私の後頭部を押さえてます。ちょ、酸素酸素! ぽかぽかと肩だか胸だかを叩けば、ようやく解放してくれました。 荒い息を吐きながら、私は佐多くんを睨みつけます。 ちょ、何ですか、その「何も悪いことしてません」て顔は! 「佐多くん」 「んだよ」 「悪いことをした自覚は、ありますか?」 あ、何だか不機嫌そうにこちらを睨みつけて来ました。 アレですか。昨今流行りの逆ギレってヤツですか。 「助けた礼をもらっただけじゃねぇか」 「もらったとは言いません! 奪ったって言うんです! 日本語は正しく使ってくださいっ!」 「減るもんでもねぇだろ」 「減りますよ! そもそも私のファースト……っ!」 余計なことを口走ってしまったと、慌てて私は口を押さえました。 目の前の佐多くんが、羅刹とは思えないほどの間抜けな顔をしています。目を見開いた驚きの表情というのは、本当に珍しいです。 って。そんなことはどうでも良いのですっ! 私は火照って赤くなった顔を両手で隠して、とりあえず自分の部屋に逃げ込むことにしました。 とりあえず、このワンピースも早く着替えたいですし! 「待てよ」 低い、低い声とともに、私の腰に筋肉質な腕が巻きつきました。 犯人は分かっていますとも! 「放してください! もう、私、着替えて寝ます! 明日もバイトですし!」 「……あぁ」 ちょ、人の頭の上で、何をため息ついているのですか! 私は怒っているのですよ! 「やっぱ、アンタ、いいなぁ……」 「! いったい、何を、言って、いるの、ですかっ!」 両手両足を振り回しても、私の反撃など物ともせずに、佐多くんは私をソファまで運び戻してしまいます。 うぅ、自分の小さい身体が恨めしいのです。別にポータブルな理由から小さいわけではありませんよ! 「佐多くん! 私は怒っているのですよっ?」 「あぁ、分かってる」 人が怒っているというのに、どうして嬉しそうなのですか。 あと、いつもと違う抱え込みスタイルになっているのはどうしてなのですか。珍しく足を閉じて座った佐多くんの太ももの上に、私が跨る形になっています。しかも、真正面から佐多くんと相対する向きで! 「ただ、オレを真正面から見据えてお礼を言うヤツは初めてだから」 「……あのですね。お礼を言う時に、相手の顔を見ないのは失礼なことですよ?」 「分かっててもできねぇみたいだな。アンタぐらいだ」 まぁ、その気持ちは分かります。 怖いですもんね。標準で睨みきかせてますもんね。 私だって、佐多くんの睨みが標準装備だと気付くまでは、本当に怖かったのですから。今も怖いのですけど。 「佐多くん、何が言いたいのですか」 「―――最初は中間テスト」 何故かご機嫌な様子の佐多くんは、まっすぐに私を見つめてきます。 「オレに話しかけてくるクラスメイト、しかも女。変わり者がいると思った」 「……あれは、単なる自己防衛だったのですよ」 今思い出しても腹が立つのです。 あの白髪ピアスと、茶髪プリン頭っ! 「次は公園。あん時、完全に落とされた」 「……?」 落とす? 「オッサン直属の配下と組み手やってて、嫌気が差して逃げ出してた。オレも相手をボコったけど、相手は二倍ぐらいボコって来た」 「……ひどい顔、でしたよね。唇は切れてましたし、ほっぺも腫れてましたし」 あの時は、まさか羅刹とは思わなくてびっくりしたのです。 「普通、声掛けねぇだろ。何されるか分かんねぇのに」 「……ちょっと良いことがあって浮かれてたので、出来心だったのですよ」 「アンタの良いこと、って、食い物絡みか?」 「……」 「図星かよ」 ついでに言えば、店長さんのワイン……いえ、何でもありません。店長さんに夕飯を奢ってもらって、ほろ酔……いい気分だったのです。 「おせっかいな女。だけど、自分のハンカチ濡らして来るし、本気で心配そうにしやがるから……離したくなくなった」 「あぁ、そうでしたね。人にスマホを渡して、話したくないって言ってましたよね。あの時の電話越しの徳益さん、怖かったです」 「……」 あれ、何かジト目で睨まれていますか? 私なにか失言しました? でも、あの時の徳益さん、本当にすごい剣幕でしたよね? 「助けたお礼とかせびって来んのかと思えば、そのおせっかい女、いきなりコクって来るし」 「あぁ、お礼なんて……うぇぇぇぇっっ?」 ちょ、今、何て言いました? コクった? え? 私の話をしていたのですよね? それとも別の公園、別の日に誰か他の人と同じような遣り取りをしていたのでしょうか? 「アンタだよ」 「いや、え? コク……って、ないですよね? それともコクるって、態度が酷いことをコクるとか、何かを黒く染めることをコクるとか言うのですか?」 わ、私の知っている「コクる」は「告白する」の一択なのですけど……! 「だよな。単なる偶然だと分かってた。――でも、あれがなきゃ、徳益に探させてなかった」 え、偶然でコクるって何ですか? わわわわ私、いったい、佐多くんに何を言いました……? 「見つけたアンタは、中間テストの時のクラスメイトと同一人物だし、オレを怖いと思ってるのに、それを隠しもせずに、それでもオレにまっすぐ接してくる」 「え、えと、人として最低限の礼儀は、必要ですよ、ね?」 「残念だけどな、それ、オレに対してできるやつは少ねぇんだ。同い年の女なら特に、な」 あの、とても寂しい話をしていると思うのですが、どうして佐多くんは珍しく満面の笑みを浮かべているのでしょうか。 失礼ですが、どっか壊れました……? 「しかも無理強いはするなとか説教して来やがる」 それはですね、さっきも言いましたが、人として最低限のラインだと思うのですよ。 重複するので口にはしませんけど。 「じゃぁ嫌われてるかと思えばそうでもねぇし、……そんなヤツが、はにかんでお礼を言ったら、そりゃ襲うだろ」 「……っ! 佐多くん、まさかそれを言いたいがために延々とここまで話してたのですかっ?」 「アンタがあんな顔するから悪ぃ」 人に責任転嫁して、全然悪いと思っていませんね……っ! ふつふつと煮えたぎる怒りをどう処理してくれようかと思っていたら、背中に回されていた手にぐいっと押されました。体勢を崩して、私は顔を佐多くんの胸板にガツンとぶつけます。地味に痛いです。 「アンタを手放したくねぇ」 頭の上から、低い、それでいて甘い声が落ちて来ました。 「アンタを傍に置けるなら、あの蛇男の相手ぐらいしてやる」 「ちょ、それは自殺行為ですよっ! 早まらないでください!」 「アンタを傍に置くほうが大事だ」 そ、そこまで私のことを思ってくれているのですか……。 しかも、宮地さんから私を守ってくれそうな勢いです。 何ていい人なのでしょう。学校では羅刹だ何だと呼ばれているのに、怖い顔にメゲずに話したり説教したりした甲斐がありました。 分かりました。 この男前ミオさんも腹をくくります。 佐多くんの想いに応えましょう。 私、立派に佐多くんのライナスの毛布として、アニマルセラピーに努めます……っ!! 決意を固めた私は、筋肉で硬い胸板から顔を離すと、佐多くんの黒い髪をわしゃわしゃと撫でました。 いきなりの行為にきょとん、とした佐多くんでしたが、数秒後、私の身体を折れんばかりに抱きしめて来ました。 ……予想していましたけど、想像以上に力が強くて、やっぱり出ちゃいけないモツが出るかと思いました。 あと、うっかり絆されてしまったために、いきなり人の唇を奪った件について説教するタイミングを逃してしまいました。 前途多難です。 | |
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