TOPページへ    小説トップへ    それは、通り魔的善行から始まったのです。

 26.それは、女の子の日だったのです。


(いたた……)

 私はベッドの上で腰をさすりました。さっきまではお腹をさすっていたのですけど、今度は腰です。

 あー、いつもはこんなに重くないのですけどね、生理。
 冷えとか精神的なものにも左右されると聞いたことがありますので、きっと後者なのでしょう。よく考えたら、先月はまるっと抜けていましたし。

 先月からこっち、生活環境ががらっと変わってしまいましたからねぇ……。
 見上げる天井は、一年以上も見慣れた板張りの和室のものではなく、真っ白な壁紙の張られたものでした。

「そういえば、トイレにごみ箱ありましたっけ?」

 私が来るまで佐多くんしか住んでいなかったわけですから、その可能性は低いです。
 これは、買いに行かなくてはなりませんよね。幸いにして、今日はゾンダーリングのバイトはない日ですので、時間はたっぷりあります。
 よっ、と声を掛けて勢いよく立ち上がれば、軽い立ちくらみのような感覚と……えぇと、もりっと何かが出るような感触が。うぅ、ちょっと気分が悪いです。

 とりあえず、ナプキンも買い足しに行かないといけません。
 ぶかっとした迷彩色のカーゴパンツにベージュのTシャツを合わせて着ると、ポケットにスマホとサイフ、そして家の鍵を押し込みました。

 じわりじわりとお腹も痛いです。ちょっと贅沢ですが、痛み止めも買ってしまいましょうか。
 いや、でも今日明日の辛抱です。どうせ次のバイトはまだ先なのですから、大人しく痛みが過ぎるのを我慢しましょう。うん、そうしましょう。

「どこに行くんだ?」

 私はその声に、ぎぎ、と首を動かしました。
 忘れてました。今日は、佐多くんが家にいる日なのです。
 さらに言うと、私の部屋から玄関へ行くためには、佐多くんが常駐しているリビングを通る必要があるのです。誰ですか、こんな間取りに設計したのは! 明らかにおかしいでしょう!

「ちょ、ちょっと買い物です。すぐに戻って来ます。というか、十分で戻って来ますから―――」

 見逃してくださいっ!とダッシュでリビングを通り過ぎようとした私ですが、悲しいかな、運動神経は高くないのです。即・捕獲されてしまいました。

「やましいことでもあるのか?」
「い、いえ、滅相もありませんっ」

 やましい、というのは『悪いことをして後ろめたい気持ち』のことですよね。これは悪いことではないので、そういうことではありませんっ!

「じゃ、逃げる必要はねぇよな?」
「に、逃げてません、よ?」

 後ろから腕ごと抱きしめられた状態で、じたばたしている私が言っても説得力はありませんか? そうですか。

「それならオレも―――」
「お気遣いなくっ!」

 あれ、なんだかうなじがチリチリします。まさか、食い気味に拒んだのがいけなかったのでしょうか。不穏な気配に鳥肌まで立って来ました。
 こ、怖くて顔を見られませんっ!

 そんな小動物心を知ってか知らずか、佐多くんは私をひょいっと持ち上げると、いつもの定位置であるソファに腰を下ろしました。えぇ、いつもの囲まれお座り体勢です。いつもと違うのは、私のお尻がソファでなく彼の膝の上にあるという点でしょうか。
 あ、あれ、ここだと足が床につかないのですけどっ!

「で?」
「は、はひ?」
「アンタはオレを置いて、どこに行こうって?」
「で、ですから、ちょっと買い物に―――」
「何を?」

 え、言えと?
 言えと言うのですか? 同じ年の異性相手に、生理用品を買いに行くとか、言えるわけがないじゃないですかぁぁぁぁっ!

「―――へぇ?」

 ぞくり、と肌が粟立ちました。
 まずいです。
 羅刹がお怒りです。羅刹が羅刹どころではなく夜叉か阿修羅に変わってしまいます。
 佐多くんがYouはShockな拳法の使い手だとしたら、私はもう死んでいます。最後の言葉はきっと「あべしっ」ですね。もしかしたら「ひでぶ!」かもしれません。

 ………。

 いや―――っ!

 誰かヘルプ! アイニードサムバディ! ノットジャストエニーバディ! ユーノウアイニードサムワン!
 ヘルプなのです!

「ミオ?」

 耳元で! 低い声が! 怖い声が!
 とととと吐息が耳にかかって、くくくすぐったいのであります!

「ちょ、ちょっとドラッグストアに行くだけなのですよ! 歩いて五分もかかりませんし、別に一人で―――」
「オレが許すと思ってんのか?」
「許すも何も、ちょっとした買い物ですので、佐多くんを付き合わせるなんて滅相もございませんっっっ!」

 じたばたと暴れるものの、私を捕まえた腕はびくともしません。
 疲れた私がぜぇぜぇと息を整えようと動きを止めたところで、余計にお腹が痛くなった自分に気が付きました。私、バカですか。

「うひゃっっ?」

 く、首筋に湿ったものが、ぬるって! ぬる、って!
 分かってますよ、犯人は後ろの百太ろ……佐多くんだって!
 というか、どうして舐めるだけじゃなく、歯まで立てるのですか、すごく痛いわけではないですけど、それでも痛くないわけでもないのですよ!

「~~~~~~!」

 ガブガブされてます。
 わ、私を食べても美味しくないと思うのですよ。
 肉食や雑食動物は肉の臭みが強いと言いますし、あまり肥えてないので硬いでしょうし!
 あ、でも食肉になる豚さんは、体脂肪率がめちゃくちゃ低いのでしたっけ。
 ……なんてことを考えている場合ではないのですっ!

「あの、佐多く、んっ! 噛むのはやめて、てっ、痛いのです!」
「うるは(さ)い」

 か、噛んだまま怒られても、吐息が! 濡れた肌に! 冷たくて!
 あぁ、もう処理能力オーバーしてます。
 ……きゅぅ。

「? おい、ミオ?」
「……」

 過負荷がかかったので、ブルーバック画面表示してからの強制再起動中です。ディスクチェック処理も走っているので、起動まで時間がかかります。

「ミオ?」

 ガクガク揺さぶられてますね。はい、頭もがくんがくんと揺れちゃいますよー。
 あれ、貧血症状でしょうかね。
 そういえば、いつもよりも水分補給に気をつけなければいけないのを忘れていました。
 あぁ、視界がカメラのフィルムみたくネガポジ逆転してますよー。

「おい、大丈夫か? ミオ?」
「……はぁ、何とか?」

 ようやく再起動が終わりました。セーフモードで起動したかったのですが、機能制限がかかってしまいますからね……って、そろそろ現実逃避はやめましょう。

「えぇと、ちょっとお水いただきますね~……」

 ちゃんと解放してもらえましたので、私はふらふらとキッチンに備え付けられたウォーターサーバーへ向かいます。水とお湯を半々に混ぜてぬるま湯を作ると、ごくごくと喉の奥に流し込みました。
 まだ、頭がぐら付きますが、まぁちょっとそこまで行く分には何とかなるでしょう。

「体調悪いなら、寝てろよ」
「え? 単なる眩暈ですから、気にしなくても大丈夫ですよ」
「いや、アンタの顔、土気色だから」
「気のせいですよ。すぐに戻りますって」

 こんなことで病人扱いしないでください。
 思春期過ぎた女の子には、毎月の苦行なのですから。

「いいから寝てろ。オレが代わりに行く。何買うんだ?」
「ふわっ!?」

 今、何を言いました?
 代わりに?

 一瞬、羅刹がお店の人に「三十センチ夜用羽根つき置いてるか」なんて尋ねる光景を想像してしまったではありませんか!
 ダメです!
 店員さんが不憫です!
 私が店員だったら、ダッシュで逃げる自信があります!

「あの、本当に大丈夫ですから」
「オレが買い物もできない役立たずだと、そう言いたいのか?」
「いやいやいや! そういうことではなくて、羞恥プレ、……いえ、その、自分で選ばないと意味がないというか、そういうものなのです」

 お願いですから、そろそろ聞き分けてください!

「下着なら倉永に頼むが」
「いやいやいやいやいっ! 別に下着じゃありませんし、そもそも倉永さん男の人でしたよね? そんな人に下着を用意させるとか有り得ませんからっっ!」

 倉永さんはオネエだとしても男の人です。男の人としてカウントしているのです。そりゃ、……サイズはバレてると思いますけど、それでも私の羞恥心が断じて否!と叫ぶのです。
 え、「い」が多くなかったか、ですか? 気のせいです。

「お願いだから一人で行かせてください!」
「何? アンタ、オレに言えないようなもんでも買うのかよ」

 言えないもの……。そうですね、ちょっと言えないですよね。
 私は、こくん、と頷きます。
 するとどうしたことでしょう! 部屋の温度がぐぐっと冷えた感じがします! 佐多くんマジックですね!

「へぇ?」

 うぅ、上から見下ろされる視線が突き刺さります。
 私は悪くないですよね? 年頃の女の子として普通の行動ですよね?

「オレに隠し事か」

 うぅ、両肩に手を乗せられているだけなのに、とんでもない圧迫感です。
 この手を振り払って行けたら良いのですが、逃げ切れる自信はありません。

「ドラッグストアで、俺に言えない物を、な」

 あ、あれ……?
 ちょ、なんで手が腰の方まで下りて来てるのですか?
 や、どこに手を伸ばして……っ!

「ゃっ!」
「……なんだ、アンタ生理か」

 はぁ?
 今、何て言いました?
 あと、どこ触りました?

 思わず真正面から見下ろす佐多くんを、ポカーンと見上げてしまいました。

「何て顔してんだよ。それならちゃんと言え」
「や、その、……えぇ?」

 さ、さらりと言いました? 言っちゃいました?

「ってことは買うのはナプキンか。それともタンポ―――」
「Нанивоюндеска……!」

 言語不明な悲鳴を上げて、私は佐多くんの口元を両手で塞ぎました。
 顔が赤い自覚はあります。
 なんと恐ろしいことでしょう。デリカシーのない人の言動がこれほど恐ろしいとは知りませんでした。

「とにかくっ! 私は一人で買い物に行きますからっっ!」

 叫ぶように宣言して、私は佐多くんの腕を振り払って玄関へと急ぎました。

 結局、ドラッグストアにくっついて来た佐多くんは、売り場で周囲一メートルの人除け結界を作り出すことになってしまいました。私は、佐多くんがとある売り場の商品に興味を引かれて立ち止まった隙をついて、無事に夜用&昼用ナプキンを購入したのです。
 ……が。
 佐多くんの立ち止まった売り場に並んでいたものを考えると、色々と怖くて仕方ありません。
 私が横目で得た情報が正しければ、その……、ゴムとかローションとかが並んでいる場所でしたから……っ!
 しかも、何かを買っていたみたいですし……っ!

 いつもは早く終われと思っている生理ですが、今回ほど終わるのが怖いと思ったことはありませんでした、まる。

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