TOPページへ    小説トップへ    それは、通り魔的善行から始まったのです。

 36.それは、短絡的だったのです。


「おはよー、ミオ」
「おはようございます。玉名さん」

 大人しく席についていた私に、元気良く声をかけてきたのは、玉名さんでした。今日はちゃんとナチュラルメイクですね。
 玉名さんが自分の机にカバンを置くと、ジャランとカバンにくくりつけられたキーホルダーやアクセサリーが派手な音を立てます。お花とかモフモフしたしっぽとか、それだけで重そうなのですけど。

「……今日はいるんだね」
「あぁ、佐多くんのことですか」

 ひそひそと尋ねられたので、私もひそひそと返します。
 窓側から2列目、最後方の指定席にどっかりと座って腕組みをして目を閉じているのは、羅刹こと佐多くんです。
 今朝は仕事がないはず、と思いながらマンションを出るときに声をかけたのですが、どうやらまたバイクで登校したらしく私よりも先に教室に到着していました。
 私よりも遅く出たのに、と不満に感じないわけではありませんが、だからといって一緒にバイクで登校するほど私も命知らずではありませんから。
 ちらり、と教室に視線を走らせれば、刺激しなければよし、とばかりに少し遠巻きにした上でそれぞれがいつも通りに、おしゃべりに花を咲かせています。
 その中に、ちらちらと佐多くんのことを伺うグループがあることに、私は残念ながら1学期中まったく気づかなかったのですけどね。

「玉名さん。ちょっと意見を聞いてみたいのですけど」
「なにー?」
「その、佐多くんの見た目って良い方なのですか?」
「……フツー、そーゆーのって自分で判断するモンじゃないの?」
「その、自分の審美眼が信用できないものですから」

 元々そういう方面に興味がないせいか、他人の顔の美醜を判断する物差しがないのです。

「ミオっちにとって、オンダの顔ってどう?」
「……普通じゃないですか?」
「じゃぁ、あっちの、榎戸は?」

 指さされた先には、他の男子と楽しそうにしている榎戸くんがいます。たしかバスケ部所属でしたっけ? 3年生が引退して副キャプテンをしていると聞いたような気がします。背が高い、という印象しかないのですけど……

「えっと、普通じゃないですか?」
「普通って、……ケッコー人気あんだけどね。じゃぁ、相良は?」

 今度は相良くんですか。ちょっと腕周りやお腹周りがふくよかですけど、力仕事などを頼むとにこやかに承諾してくれるのですよね。私の中では「良い人」なんですけど、顔は、うーん、どうなのでしょう?

「普通、だと思います」
「―――うん、ミオっちの判断基準は不明だけど、信用できないことはよく分かったわ」
「なんだか、とても低評価をされたような気がしますが、おそらく間違ってないと思います」

 はい、自覚があります。
 人の顔なんて、目が2つ、鼻と口が1つずつなので、それほど変わりないと思うのですよ。整っているなぁ、と思う人はいますが、だからと言って、……ねぇ?

「アタシの基準で言わせてもらえば、目つきはヤバいけど、背は高くて筋肉質だし、顔全体は整ってるし、目つきはヤバいけど、十分イケメンって判断しても良いと思うよ?」

 あぁ、大事なことなので2回言ったのですね。
 確かに、目ヂカラは凄いものだと思うので、そこは同感です。

「参考になった?」
「はい、ありがとうございます」
「それで? とうとうラブなカンジになっちゃってるわけ?」
「そこは全然なのですけど」

 玉名さんがヤレヤレって肩をすくめました。
 残念ながら玉名さんの期待に応えられるほど、恋愛は向いていないのですよ。

「玉名さんは、彼氏さんとはどうなのですか?」

 話題を変えようと、ネタを振ってみたのですが、ちょっと失敗だったかもしれません。なにしろ、瀬田先生がやってきてHRが始まるまで延々とノロケ話を聞かされてしまったのですから。
 おかげで、玉名さんの彼氏さんが野球好きなことから、応援しているチーム、今後の試合観戦スケジュールだけでなく、誕生日やよく聞いている音楽まで知る羽目になってしまいました。恋する女の子ってすごいですね。玉名さんはその記憶力を勉強に生かしたら、とんでもない才媛になっていると思います。今でも十分勉強できる人なのですけど。


「おい、帰るぞ」

 帰りのHRが終わった直後、佐多くんが私の席までやって来ました。もう、この流れも何度目なのでしょうね。そんなに学校からすぐに出たいのでしょうか。
 そこまで考えて思い出しました、瀬田先生や高森さんたちから頼まれていたのです。

「あの、佐多くん」
「んだよ」

 距離が近いので、見上げる私の首が痛いです。

「文化祭の日は、ちゃんと学校に来られますか?」
「あぁ?」

 私の言葉にか、それとも佐多くんの聞き返した声にか、クラス中が静まってしまいました。
 私ですか? えぇ、内心ぷるぷると震えてますよ? 私の声が届かなかったのか、佐多くんの逆鱗に触れるような台詞だったのか判断がつきませんから!
 お客様の中に、羅刹の意図を理解できた方はいらっしゃいますかー? いませんか、そうですか……。

「えぇと、来月の初めに文化祭があるのですけど、当日は他の予定とか入っていませんか?」

 聞き取れなかった前提で、もう一度質問をかみ砕いて繰り返すと、なぜか羅刹の眉根にシワが寄りました。これ、メンチ切られてます?

「なんで」
「はい?」
「なんで、アンタがそんなこと聞くんだよ」

 そ、そう来ますか!
 いや、でも、正直に言ってしまうと、高森さんとかが二次被害に遭ってしまうかもしれません。瀬田先生に被害が及ぶ分には一向に構わないのですけど、先生ですし。

「えぇと、去年は参加していなかったと聞いたので、今年はどうなのかな、と思いまして……」
「だから、なんで」

 ええぇ? これだけが理由じゃ不満なのですか?
 そりゃ佐多くんにとって高校の文化祭なんて子供だましのお祭りみたいに思えるかもしれませんが、自分の所属している学校なんですから、普通は参加するものですよね? あぁ、佐多くんが普通ではないのですね。知っています。

「えぇと、純粋な興味とか?」
「なんで疑問形なんだよ」

 うぅ、どうしてこんなに容赦なくつっこんでくるのですか。いつもだったら、もっとスルーして、興味ない様子ですよね?
 ど、どう答えるのが正解なのですか、これ!?

「えぇと……」

 誰か助けてくれないものでしょうか。
 と考えていたからでしょうか、視界の端で誰かが手を振っています。玉名さんです。
 何やらノートを指さしていますが、あれは……

「その、一緒に回れたりしないかなぁと思いましてっ」

 ありがとうございます。玉名さんには後で何かお礼をしないといけないです……ね?
 あれ、どうして私、顎に手をかけられているのですか?

「あの、佐多くん?」
「分かった、調整する」
「あ、出るの、ですか?」
「一緒に回るんだろ?」
「えと、はい」

 そうですね。玉名さんが持っていたノートに書いてあった通り、一緒に回りたいと言ったのは私ですからね。
 ……えぇと、本気で?

 ちょっと予想外な展開に呆然としている間に、私は手荷物よろしく再びお持ち帰りされてしまいました。
 なんだか、本当に手荷物になってしまいたい気もします。


「アンタ、昼飯何食ってるんだ?」
「だいたいおにぎりですけど……」

 マンションです。
 いつものソファです。
 毎度のことながら抱え込まれ態勢で、お茶してます。

「弁当頼むか?」
「……いえいえいえ、あれで大丈夫ですから」

 佐多くんが食べてるような料亭の弁当なんて、とても教室で広げられません。というか佐多くんだってお昼休みは別の場所で食べてるじゃないですか。昼休みは教室にいないからこそ「羅刹はこっそり人間食ってるんじゃないか」なんて謎な噂が流れるのですよ。

「アンタ、栄養足りてねぇんじゃ?」
「そんなことありません! ここに住むようになって、体重が既に2キロも増えたのですよ!」

 ちょ、人の二の腕を揉まないで欲しいのですよ。あ、しかも「前は鶏ガラだったじゃねぇか」なんて言いました? 年頃の女の子に対して「鶏ガラ」はないと思います! ダシなんて出ませんからねっ!

「コンビニか?」
「あ、今日は炊きました」
「あぁ?」

 ちょっと自分の部屋がご飯の炊ける良い匂いになってしまいましたが、まぁ、袋ラーメンの香りに蹂躙された時に比べれば可愛いものなのです。
 とりあえず、自分の部屋でやったことを説明すると、後ろに座る佐多くんから、何やら冷たいオーラが……

「使えばいいじゃねぇか」
「え?」
「台所、使えよ」
「いやいや、何というか、そこまで手のかかることをしているわけではありませんし」

 それに、冷蔵庫は既に間借りしてしまっていますし、これ以上私物を共有スペースに置くのも、何だか厚かましいと思うのですよ。

「アンタもここの住人だろ」
「いえいえ、居候というか下宿人というか、えぇと……」
「住んでることには変わりねぇだろうが」
「……えぇと、はい」

 大人しく頷けば、なぜか頭を撫でられてしまいました。なんだかお手をした犬に対するような扱いではないですかね、これ?

「お湯沸かすぐらいしか使ってねぇから、欲しいもんがあれば遠慮なく言えよ」
「いやいやいや、別にそこまで思ってませんし、用意してもらう理由もないじゃないですか」
「……理由?」
「そうですよ。夕食だって支給してもらってますし、そのバイトの福利厚生としては過剰なのですよ?」
「……福利厚生?」

 ちょ、今、私のアゴがぐきって!
 いきなり人のアゴ掴んで上向かせないで欲しいのです! というか、怖い目が近いです! 近いのです! 心臓が弱い人なら一発でポックリですよ!

「ふーん」

 あの、どうして至近距離で私の顔をみて、そんな声を出すのですか?

「文化祭に誘って来たから期待してみたけど、違ぇな」
「……何が、です?」
「なんでもねぇ」

 あの、なんでもないなら、このアゴ放してもらえませんか? ちょっと体勢がツラいのですけど。

「あ、そーだ。アンタ、料理できんだよな?」
「……人並みではないでしょうか?」
「じゃ、作れよ」
「はい?」
「夕メシ」
「えぇぇ?」

 ちょ、何を言っているのですか! 私がそんなことしなくても、夕食は届くではありませんか!

「あの、ですね。絶対に、今の夕食の方が美味しいですし、栄養バランスも良いのですよ?」
「かもな」
「絶対です!」
「ここにいることがアンタにとってバイトだってんなら、仕事が1つ増えただけだろ?」
「いえいえいえ、最初の契約に入ってません! そもそもアニマルセラピーのお手伝いですから!」
「……ちっ」

 どうして舌打ちなのですか! お行儀が悪いですよ!
 ……なんて言えたら苦労はしません。はい、命が惜しいですから。

「とりあえず、そろそろこの手を放して欲しいのです。ちょっと首が痛くなってきたのです」
「あぁ。悪ぃ」

 あれ、どうして私、持ち上げられたのでしょう?

「うにぃわょめぅ……っ!」

 ちょ、下ろして! おーろーしーてーっ!

「これならいいだろ?」

 いいわけないじゃないですかっ!
 ごろんとソファに寝転がった佐多くんの上に乗っけられて「オッケー♪」なんて言う人がいたら見てみたいのですよっ!

「アニマルセラピーなんだろ?」
「えと、重いと思うので下ろしてクダサイ」
「アニマルセラピーなんだろ?」
「デスカラ、オロシテクダサイ」

 もういっそのこと、3枚におろしてもらった方が傷は浅いと思うのです。大根おろしでも構いません。

「懐いてんのか懐いてねぇのか、イマイチ分かりにくいな」
「……エェト、ナニガシタイノデスカ」

 もう、口から出る言葉は、妙に一本調子のカクカクした声音です。そろそろ耳のあたりから蒸気が出てるかもしれません。思考回路はショート寸前ってやつですね。今すぐ(三途の川の向こうのおばあちゃんに)会いたいぐらいです。

「まぁ、いい。俺ちょっと寝るから」
「……あの、まさか、このままではない、ですよね?」
「仕方ねぇな」

 腹筋だけで起きあがった佐多くんは、私を自分の隣に座らせるなり、どっかりと頭を私の膝の上に乗っけて来ました。あまりに流れるような動きだったので、立ち上がる隙もありません。

「えと……」
「寝るから」
「あぁ、はい、ドウゾ」

 私が上に乗るよりは、全然マシな体勢なので、もう良いです。ふ、今なら悟りも開けそうなのですよ。第三の目だって開いてしまいますとも。
 不思議なもので、目を閉じた佐多くんは、それほど怖くないのですよ。膝枕も初めてではありませんし、こちらも(比較的)穏やかな気分で髪の毛をサラサラと梳くことだってできます。
 また変なことを考えないうちに、とっとと寝てしまってくださいね。
 そんな願いをこめながら、そぉっとそぉっと頭を撫で続ければ、すぅすぅと穏やかな寝息を立ててくれました。とりあえず、平穏が訪れたのです。

(そういえば)

 少し長めの前髪を少しかき分けて、じっと寝顔を見つめてみます。すっと通った鼻筋、少し傷跡のある頬、薄い唇、……あ、今まで気づかなかったのですけど、顎のあたりにうっすら髭っぽいものが生えてるのが見えます。
 うーん。これが整っている顔というものなのでしょうか。やっぱり私にはよく分かりません。今は閉じている瞼が開いた瞬間、空気が凍るのはよく分かっているのですけど。

「文化祭、どこを回れば良いのでしょう……」

 その場の流れと勢いで一緒に回ると言ってしまいましたが、佐多くんは、どんなものだったら楽しいと思ってくれるのでしょうか。瀬田先生に頼まれた出席率アップの件も、どうほのめかしてみたら良いのでしょう。
 うーん。
 ここは故事に倣うべきですかね。

「敵を知り、己を知れば百戦危うからず……でしたっけ」

 ということは、佐多くんのことをもっと知らないといけないですね。好きなものとか、嫌いなもの……。うーん、思いつきません。
 徳益さんなら知っているでしょうか。でも、あの人に質問すると、見返りを求められそうで怖いのですよね。
 甘いものは好きですよね。おやつ食べてますし、私の拙いクッキーも喜んで食べてくれましたし。
 嫌いなものは……お父さん? いやいやいや、あれは特殊な枠ですよね。あとは、自分に楯突く人とか嫌いそうですよね。1学期の中間テストの時みたいに。それもまた別枠でしょうか。

 あれ、2ヶ月ぐらい同じマンションに暮らしてるのに、私……佐多くんのことあまり知らないことに気づきました。
 これは、きちんと観察日記とかつけるべきでしょうか?
 そうですよね! そもそも最初は狼の世話とかいう話でしたし、お世話係としては、日誌が必須だと思います!

 善は急げとばかりに、私はそっと上体を折り曲げてテーブルの上のスマホを取ると、佐多くんのこれまでの言動を思い出せる限り書き出していきます。
 万が一誰かに見られてもバレないよう、固有名詞は全部、動物に置き換えてしまいましょう。え、もちろん、メインとなる佐多くんは狼です。徳益さんは、うーん、狐でしょうか。
 あ、なんだかだんだん楽しくなってきました。これなら飽きることなく日誌を付けていけそうです。

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