TOPページへ    小説トップへ    それは、通り魔的善行から始まったのです。

 41.それは、和解だったのです。


「……ミオ、羅刹とケンカしたでしょ」

 ホームルームの直後、私に耳打ちしたのは、玉名さんでした。
 昨晩、あれから関係修復(=仲直り)を果たせず、そのまま今日に至ります。そして、今日は佐多くんが登校しています。

 つまり、教室中が極寒地獄です。

「もー、道理でヤバい雰囲気だと思った! 早めに仲直りしなよ?」
「あ、あの!」

 自分の席に戻ろうとする玉名さんの袖を、私は慌ててがしっと引き止めました。寛一お宮とまではいきませんが、でも、藁にも縋る思いなのです。

「お互いに譲れない場合って、どう仲直りしたらよいのですか?」
「……んー、お互いに妥協できるトコを探すのが理想だけど、どっちも折れないなら―――別れるってモンじゃない?」

 明快過ぎる玉名さんの答えに、思わず血の気が引きました。
 現状、佐多くんちに居候している身としては、大問題です。あのマンションを追い出されたら、私の行く場所は……お母さんの所しかありません。そうなると自然とダーリンさんとも同居となるわけで……

「ちょ、ミオ、顔色悪いよ?」
「……だいじょうぶです」
「大丈夫って顔じゃないってば」

 玉名さんの手が、私の頭をぽんぽんと軽く撫でるように叩きます。落ち着けと言われている気がしますが、落ち着いていられる状況ではないのです。ある意味、学費未納よりピンチです。

 どうしましょう。私の方から折れて「ごめんなさい」するのが正しいのでしょうか。
 でも、そうすると今後も佐多くんに多大な迷惑をかけてしまうことになります。あくまでギブ&テイクだからこそ、お互いに相手の立場を尊重して助け合いを続けられるのです。

「ちゃんと、考えてみます……」

 英文法のテキストを広げながら、囁くように答えるのが精一杯でした。


「ちょ、ほんとに頼むよ……っ!」

 三時間目と四時間目の間の休み時間、トイレに立った私は廊下で拝み倒されていました。
 相手、ですか?
 クラスメイトの諏訪くんです。文化祭実行委員もやっているノリの良い男子なのですが、今はそのノリを捨て去って、ひたすら私に手を合わせ頭を下げています。

 ちなみに諏訪くんですが、私に何を頼むのかは明言していません。まぁ、明言しなくても、予想はつきますよ?

「えぇと、佐多くんのこと、ですよね?」
「もちろん! 他にないだろうよ! もぉ無理、まぢ無理、オレの頭髪と胃壁が大ピンチだよ!」

 現在、佐多くんの前の席が、諏訪くんなのです。
 たった三時間で頭髪も胃壁もピンチとは、随分とか弱いのです。

「須屋、お前いま『メンタル弱ぇな』って思ったろ? 元々男は女子に比べてメンタル弱ぇっての!」
「でも、前の席なのですから、別に視界に入らないのではないですか」
「……須ぅ屋ぁぁぁぁ~」

 あれ、なんだか諏訪くんの口から地獄に蠢く亡者のような唸り声が洩れました?

「オレもさ、そう思ってたっての! さっきの数Bの時間にプリント配られるまでは・な!」

 あ……、察しました。
 いち、プリントが配られる。
 に、前の人からプリントを受け取る。
 さん、一枚とって後ろに渡す。
 ここが問題なのですね!

 確かに、後ろを振り向いた途端、至近距離で不機嫌な羅刹の眼光(石化効果あり)と相対するのは厳しいものがあるのでしょう。

「佐多くん、目つき鋭いですからね」
「……なんだその他人事なコメントはぁぁぁ~」
「諏訪くんが頼んでいるのは、私にその佐多くんと至近距離でお話をするということなのですよ?」

 私だって、佐多くんの眼光は怖いです。慣れてはきましたけど、それでも背筋が、こう、ぞわぞわしてダッシュで逃げたくなるときもあるのです。

「お前ら付き合ってんじゃねぇのかよ……」
「そんなことを言った覚えはないのですよ。周囲が誤解しているだけなのですから」

 何でもいいから頼むよぉ、と情けない声を上げる諏訪くんを置き去りにして、私は教室に戻りました。
 自分の席に戻る途中、ちらりと佐多くんの様子を伺ってみましたけど、腕組みをしたまま目を瞑っています。

「ミオ?」
「……廊下で諏訪くんに頼み込まれたのです」
「あぁ、アイツ目の前の席だしね」

 全てを察してくれた玉名さんは、私に「これあげる」と紙袋を差し出しました。軽いけれど、なんだかかさばって大きめです。

「えっと?」
「放課後にでも使って、羅刹と仲直りしなよ」
「あの、これ、何なのですか?」
「うーんと? 今日の放課後にアヤカに渡そうと思ってたサンプル? 文化祭でこんなのどーかなって」
「……で、何なのでしょう?」

 玉名さんがニンマリと笑いました。なんだかいやな予感がするのです。

「まぁ、開けてみてのお楽しみ~♪」
「玉名さん?」

 問い詰めようとすれば、ガラリ、とドアが開いて、先生が教室に入ってきました。

「席につけー。昼前に享保の改革アタマにぶっこむぞー」

 瀬田先生の声に、私は慌てて渡された紙袋をカバンに突っ込みました。昼休みにでも開けてみることにしましょう。



―――と、思っていたのです。

「アンタ、ちょっと顔貸せよ」

 昼休みになった途端、羅刹がやってきました。

「え、と、その、私は玉名さんとお昼をするので―――」
「ミオってば! いいから行きなってば!」

 おにぎりの入った巾着と、何故か紙袋を押し付けられた私は、羅刹にドナドナされました。

 あーるーはれたー ひーるーさがりー
 いーちーばーへ つづーくみちー

 え? 鼻歌なんて、余裕そうですねって?
 違います。心の中で歌ってでもいないと、とても耐えられないのです。
 手首を掴まれたまま、私、ずるずると引っ張られてますからね。昼休みで人通りも多い廊下が、きれいに二つに分かれますからね。
 現実逃避でもしていないと、やっていられませんっ!

 また課外室3に連れ込まれるかと思ったのですが、今度は作法室です。放課後に茶道部が使っている畳敷きの部屋なのですよ。
 羅刹に畳。うん、似合います。あくまで字面だけですけど。

「あの、佐多、くん?」
「んだよ」

 どうして、佐多くんのお弁当が作法室に届けられているのか、とか、そもそも佐多くんが作法室の鍵まで持っているのはどうしてなのか、とか、聞きたいことは山ほどあるのです。

「アンタも食えよ」
「あ、はい」

 ペットボトルのお茶を丸ごと渡されたのですが、これ、冷えてますね。

「奥の冷蔵庫に入れてるから当たり前だろ」
「……私物化、なのですか?」

 私の質問に、答える様子はなく、佐多くんはむっしゃむっしゃと綺麗におかずが詰められた弁当を平らげていきます。
 仕方がないので、私も醤油&おかかまぶしのおにぎりと、梅干入りのおにぎりを、取り出して口に運びました。

「アンタ、それだけで足りんのかよ」
「これで十分なのですよ」

 一時期はお昼ご飯なんてなかったこともありました。それに比べればおにぎり二つなんてとてもステキなランチなのです。
 まだ、怒気を醸し出す佐多くんの向かいに座っているので、ちょっと、いや、かなり「ステキなランチ」には遠いのですけど。
 無言のまま、もきゅもきゅとお米を喉の奥に押し込み、お茶で流し込むと、余計に静かな空間が怖くてたまりません。
 佐多くんもあっという間に弁当を食べ終えてしまいましたし、これは、あれでしょうか。ここから先は踏み込んではいけないキルゾーンなのでしょうか。

「え、えぇと、食べ終わったので、私は先に―――」
「待てよ」

 立ち上がった私は、ぐいっと強い力で手首を引かれ、そのまま倒れこんでしまいました。どすん、と倒れ込んだ先は……はい、認識したくありません。怒れる羅刹の腕の中ですから!

「ま、まだ、怒っているのですよね?」
「……当たり前だろ」

 うぅ、なんだか背筋が凍りそうに冷たいのです。もしかして、捕食されるウサギの境地でしょうか。
 が、頑張るのです!

「でも、でもですよ? 私は―――」
「約束しろ」

 頭の上から降って来たのは命令でした。

「あのオッサン、宮地、ドゥーム。この3人から何かアクションがあれば、オレに言え」
「で、ですから、そんなご迷惑を」
「約束しろ」

 う、うぅ、なんでしょう。この一方的な命令は。
 男前ミオさんは、たとえ羅刹が相手でも不当な命令には従えないのですっ!

「い、やなのです」
「あぁん?」
「ただでさえ、同居でご迷惑をおかけしているのに、そのプライベートなことで負担を―――」
「迷惑かけてるのはオレの方だろうがっ!」

 ……え?
 今、なんて言いました?

「あぁ、くそ。違う、アンタに怒ってるワケじゃねぇ。あのオッサンどもが元凶だろ」
「でも、宮地さんとドゥームさんは、私の―――」
「アンタは悪くねぇ」

 むぅ、反論を遮られてしまいました。こういうふうに声を被せられると、自然と迫力に圧されて黙ってしまいます。

「……お父さんのことだって、佐多くんのせいじゃないじゃないですか」

 同じことを言い返せば、上からギロリと見下ろされました。

「だから、お互い様だっつってんだろ、最初から。変な遠慮すんじゃねぇ」
「……」
「約束しろ」

 時間が巻き戻りました。
 アレですね、蛇からアプローチされたら知らせろってことですよね。
 たぶん、このまま佐多くんは折れないと思います。そんな気がします。例えて言うなら、RPGで勇者に無茶振りする王様並みの粘り強さを見せてくる予感がします。「いいえ」を選び続けたら無限ループなのですよ。

 でもですね。
 この勇者ミオ! ただでは転ばないのです!

「佐多くんも、約束してください」
「あぁ?」
「お父さんから仕事で嫌がらせされても、一人でお腹の中に抱え込まないで、私に話してください」
「……アンタにゃ関係ねぇだろ」

 バン!

 思わず座卓に手をたたきつけてしまいました。
 いけません。物に当たるのはいけません。
 ……このモヤモヤした感情は、きちんと形にして整理して佐多くんに突きつけなければ。

「つらいならつらいと、憎いなら憎いと、疲れたなら疲れたってちゃんと言って欲しいのです。佐多くんは私にお仕事を全うさせないつもりなのですか」
「……何の話だよ」
「私は、佐多くんのお世話係なんですよ? お茶汲みだけで、衣食住に加えてバイト代まで貰うなんて、考えられませんからっ!」

 正当な報酬の前には、きちんとした仕事があるのです。給料泥棒なんてお断りなのです!

「……アンタ、どんだけだよ」

 何故か、佐多くんの声から迫力が失せました。なんだか脱力しているような……?

「若いときの苦労は買ってでもしろと言うではないですか。今から不当な利益を甘受してしまっては、ダメな大人になってしまうのですよ」
「普通は自分からそんなこと言わねぇだろ」
「自分を厳しく律することは大切なのです」

 そう、ちゃんと厳しく自制しなくては。
 あのマンションで暮らすようになってから、二の腕とかお腹周りとかちょっと、その、毎食よいものを食べておやつまでご相伴にあずかってしまっていますから。

「アンタは、本当にオレの期待を裏切るっつーか、……やっぱ、いいな」

 ぐきゅ!
 ちょ、腕に力が入りすぎているのですよ。締まる締まる……!

 慌てて腕をタップすると、ようやく気付いてくれたのか、ころりと解放してくれました。

「それでは、今後は毎日夕食後に、その日のことを報告しあいましょう。それでよいですよね?」
「……」
「佐多くん?」
「前にも聞いたけど、アンタ、オレのこと怖くねぇの?」
「えーと、ちゃんと怖いと前にも話したと思うのですが」
「仕事だから我慢してんのか?」

 うーん、何を言いたいのでしょう。
 察しの悪い私には、いまいち佐多くんの発言の意図が掴めません。やはり行間を読む能力に欠けているのでしょうか。

「もちろん、仕事というのもありますけど、佐多くんは、理不尽に怒る人ではないですよね? そりゃ顔とか目つきとかは怖いですけど、だからといって話さない理由にはなりませんよ?」
「学校ではほとんど話しかけて来ねぇのに?」
「……だって、佐多くん、『話しかけるな』ってオーラ出しているではないですか」

 あ、なんだかすごく睨まれました。

「えっと、話しかけた方が良い、ですか?」

 私の問い掛けに、何故か佐多くんは、しばし考える素振りを見せました。

「いや、いらねぇ。その代わり、昼はここで食えよ」
「え」
「オレが登校してる日だけだ」
「うー、あ、はい。分かりました」

 後で玉名さんに話しておきましょう。今日もぐいぐいと(物理的に)後押ししてくれてましたし、きっと了解してもらえると思うのです。

「で、ずっと気になってたんだが、それ」

 佐多くんの指が、玉名さんからもらった紙袋を指しています。

「えっと、クラスメイトの玉名さんに、仲直りに使うといいと言われて渡されたのですが、中身は知りません。でも、佐多くんとちゃんと仲直りできましたし、返してよいですよね」
「……で、中は?」

 うーん、玉名さんのことなので、あまり良い予感はしないのですが。

「気になりますか?」
「アンタは気にならねぇのか?」
「うーんと、玉名さんのことなので、あまりよいものではないのかもしれないなぁと」
「開けてみろよ」
「……」
「いいから開けろ」

 折ってある紙袋の口を開いて、そっと中を覗き込んだ私は……そのまま紙袋の口を折りなおしました。

「おい」
「……佐多くんにお見せするようなものではなかったのです」
「オレが判断する」
「お見せできるようなものではないのです」

 佐多くんが、ぐっと手を伸ばして来たので、私は慌てて紙袋を遠ざけました。

 だって。
 だってですよ?
 ウサ耳カチューシャとか、意味分からないじゃないですか!

 で、どうなったかと言いますと、佐多くんの運動能力に負けて紙袋を取り上げられた私は、何故か上機嫌の佐多くんにアニマルセラピーを施すことになったのでした。
 昼休みのチャイムが、ほんっとうに待ち遠しかったのです。

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