TOPページへ    小説トップへ    それは、通り魔的善行から始まったのです。

 42.それは、情報共有だったのです。


「―――だいたい、そんなところなのです」

 夕食後、お茶を飲みながら、私は佐多くんにお父さんとした会話を思い出しながら報告しました。
 勤務時間申請の話に始まって、お母さんの再婚相手を確認してこようとしたこと、私がこのマンションに住んでいることが常識で考えるとおかしいこと、その是正のために同居しようという妙な提案のこと、……最後に洩らした『監視対象D』のこと。

「身内に殺意湧くのは初めてじゃねぇが、あのオッサン、何やってやがる」
「あー……、そこは否定できません」

 意味分からない思考回路ですよね、と頷くと「そこじゃねぇ」とツッコミが飛んできました。

「監視対象D……、まぁ、ドゥームのことだろうな」
「やっぱり佐多くんもそう思いますか。わざわざ私に聞かせたので、はったりかとも思ったのですが」

 Dから始まる人の名前なんて、私の周囲にはダーリンさんしかいません。イニシャルがDの人……あれ、おかしいですね、何故か豆腐屋さんがちょっとレトロな外観の車をぶいぶい言わすマンガを思い出してしまいました。

「はったりの可能性もあるが、アンタの動向には気をつけるだろ、あの人なら」
「……否定できないのです」

 ドゥームさんも蛇ですもんね。お母さんによって私が佐多くんのもの認定されたと言っても、お母さんの娘である私を完全に放置するとは思えません。

「本当に蛇な人は厄介なのです……」

 麦茶を飲み干し、ため息をついた私を、佐多くんは問答無用で抱き上げました。
 はい、いつもの抱え込みスタイルになるのですね。

「アンタ、本当に『蛇』がだめなんだな」
「普通の蛇は大丈夫なのですよ? 毒のないのならそこまで害はありませんし」

 おじいちゃんの家に住んでいた頃は、庭に蛇がにょろりと這い出て来たときが結構あったのです。こちらが過剰反応しなければ、あちらも過剰反応しません。

「……れも蛇だって、思わねぇのかよ」
「はい?」

 おっと、本物の蛇のことを考えていたら、佐多くんの言葉を聞き逃してしまったのです。

「蛇の子は蛇だって、思わねぇのか?」

 一瞬、何を言われたのか、分かりませんでした。
 その言葉が脳内に浸透して、噛み砕いて理解するまで、たっぷり二秒はかかったと思います。

 蛇の子は蛇。

 もし、そうだとしたら恐ろしいことになるのです。
 佐多くんに抱え込まれたままの身体が、意図せずぷるぷると震えました。
 どうしましょう。もし、そうだったら―――?

 私はおそるおそる、身体を捩って後ろの佐多くんを見上げました。

「ど、どうしたらよいのでしょう……」
「……っ」

 考えていたら、涙が滲み出て来ました。

「レイくんも、お母さんのお腹の子も蛇ってことなのですよっ!」

 私の言葉に、何故か佐多くんが脱力しました。

「あの、佐多くん! 何とか蛇にならない方法はないのでしょうか! 天使みたいなレイくんが蛇になるのも、お母さんの子が蛇になるのも、どうにかして阻止したいのです!」

 想像しただけで泣きそうです。というかすでに目は潤んで視界がぼやけています。
 それなのに、佐多くんは大きなため息をつきました。

「あのな。―――オレも蛇だって思わねぇのかよ」
「え? 佐多くんは蛇ではないのですよ?」

 佐多くんが蛇なわけないではないですか。
 蛇だったら、私、こんなところに居ませんよ?

 正直に答えれば、わしわしと乱暴に頭を撫でられ、あたた、痛いのです。

「佐多くん、カチューシャひっかかって、痛いのです」
「あ、ワリぃ」

 私は一度ずれてしまったカチューシャを外し、もう一度つけ直しました。

「つけ直すのか」
「つけろって言ったのは佐多くんではないですか」

 そうなのです。
 夕食のお弁当と一緒に、爆笑寸前の徳益さんが届けてくれたのです。昼休みに玉名さんに渡されたものより、ずっと柔らかい毛並みの―――ウサ耳カチューシャを。
 どうやら佐多くんがお気に召したらしく、徳益さんに用意するよう言いつけたらしいのですが、「まぁ、アニマルセラピーだしね」なんて言われると、ちょっと反論しにくいのです。徳益さんが提案してきたバニーガールコスチュームは断固として拒否しましたけど。

「他にはねぇだろうな?」
「他に、ですか?」
「アンタの周囲で変わったこととか、ドゥームや宮地のことでもいい」

 うーん?
 何かあったでしょうか?

「宮地さんは、ドゥームさんの鉄壁の守りのおかげで、お母さんには近づけない状況みたいですし、心配ないと思いますよ?」
「逆にヤバいだろ。追いつめられて何するか分かんねぇじゃねぇか。アンタに照準を合わせてくる可能性もある」
「……確かに、そうなのです」

 お母さんはダーリンさんにしっかり守られてますからね。私の方が、比較的ガードが緩いのですよ。気をつけないといけないのですね。頑張ります。

「本当に、そういう好意を拗らせると厄介なものなのですよね。バイト先でもまたストーカーが出没したらしくて、迷惑な―――」
「あぁん?」

 びくぅっと震えた私は悪くないのです。とんでもなく恐ろしい声を出す佐多くんがいけないのです。
 これは振り向いてはいけないフラグですね。うぅ、心臓がバクバクと大きく鳴ってしまっています。

「アンタ、今、なんつった?」

 はい。逆らえない声音です。私は従順にもう一度説明するのですよ。

「えぇと、ですね。昨日、お店でストーカーが出たかもしれないという話になりまして……。あ、よくある話なんですよ? お店のキャストの接客を好意と勘違いして、待ち伏せするお客さんは、たまにいるのです」
「アンタ、やっぱりあの店辞めろ」
「だ、ダメなのです! それに、ここのバイトだって、一応ゾンダーリングから派遣されている形のままなのですよ? あの店を辞めるということは、ここのバイトも辞めることになるのです」
「直接雇えばいいだけだろ」
「そ、そうするとですね、学校の方にもバイト先の変更申請をしなくてはいけないのです。生活費を稼ぐためということで、申請も受理されてましたけど、現状では却下されるかもしれませんし……」
「黙ってりゃバレねぇだろ」
「佐多くん。こういう信用は失ってはいけないのです。信用は地道に長い時間をかけて積み上げても、崩すのは一瞬なのですよ?」
「なんでアンタはこういうときだけ正論吐くんだよ」
「あ、『ぐうせい』ってやつですね。この間、恩田くんに教えてもらったのです」

 恩田くんのマイブームは業界用語からネットスラングへと移行しつつあるらしく、私にもちょこちょこと教えてくれます。使い道は一向にないのですけどね。あと、恩田くんはいったいどこへ行きたいのでしょうか?

「……恩田? あぁ、あの男か」

 あらら? 今、「ころすか」なんて言葉が聞こえたような? 空耳でしょうか。それとも、佐多くんは恩田くんのことを「コロスケ」認定しているとか? バレーボールを頭にするとか身近なもの流用で親近感がわくカラクリですが、恩田くんとの共通点は、……私の知らない何かがあるのでしょうか?

「まぁ、それは後でいい。―――ストーカーについては、オレの方で手を打つ」
「え? まだ、いるかもしれない、というレベルなのですよ?」
「カタが付くまではバイトは―――」
「や、休みませんよっ」

 慌ててぐりん、と佐多くんを振り仰ぎ、私は言葉を打ち消しました。

「そんな身勝手な真似、できるわけがないではないですか。佐多くんだって、ストーカーが怖いからという理由で、お仕事を休んだりしませんよね?」
「俺とアンタは違う」
「そういう問題ではないのですよ」

 ここで引くわけにはいきません。
 私はソファから立ち上がり、座ったままの佐多くんと真正面から向き合いました。……本当は上から見下ろす感じで威圧とかできればよいのですけどね。何分、座った佐多くんと立った私とでは身長差があまり、げふんげふん。

「とにかく! 絶対に休みませんから!」
「……なら、オレがアンタの送り迎えをする」
「ふぁっ? 何を言うのですか! 佐多くんだって自分のお仕事があるのですから、そんな迷惑をかけるわけにはいきません」
「アンタを一人で向かわせるよりかマシだ」
「で、でもですね……」

 うぅ、なんということでしょう。
 佐多くんに、あまり迷惑をかけたくないのに、どうしてか手を煩わせてしまう結果になってしまいそうなのです。

「す、ストーカーのターゲットは私ではなく同僚なのですよ?」
「確証はねぇだろーが。アンタの可能性もあるだろ」
「いやいやいや、どんなニッチな趣味なのですか。ゲテモノ食いにもほどがあるのですよ」
「……アンタ、自分のこと知らねぇんだな」

 あれ、なんだか呆れた顔をされてしまいました。
 ひどい話なのです。私だって、自分のことぐらいちゃんと分かっているのですよ? 散々、玉名さんに「ミオって色々と勿体無いよね」なんてこき下ろされてますから!

「―――まぁ、いい。アンタがオレに迷惑かけてるって思うなら、相応の対価で帳消しだ」
「対価、ですか? でも、ご存知の通り、私のお財布事情は」
「金じゃねぇ。……そうだな。今後、オレを苗字で呼ぶな」
「え?」
「苗字出されると、あのオッサン思い出してイラつく。下の名前で呼べよ」

 それ、対価になるんでしょうか?

「間抜けなツラしてんな。それでチャラにしてやるってんだから、アンタにゃ得な話だろ? どうせ、一週間もしねぇうちにカタもつく」
「い、一週間ですか? いるかどうかも、どこの誰かも分からないのに、そんなに早く解決するものなのですか?」
「一週間も網張れば、一度は引っかかるだろ。その一度で十分だ」

 なんと、断言されたのです。
 ほら、ストーカー関連のニュースとかを見ると、警察さんはなかなか解決に至らなかったりするではないですか。それを僅か一週間で、とか。
 優秀だと誉めるべきなのか、強引な手を使うのかと責めるべきなのか、ちょっと迷うところなのです。

「あれ? でも、私が佐多くん、というか徳益さんに捕捉されたのって、公園で会ってから一ヶ月ぐらい間がありましたよね?」

 バイト先で出向の話が出たのは期末テストも終わった頃、公園で佐多くんと遭遇したのは確か梅雨の最中だったので……うん、一ヶ月以上も開いてます。

「……アンタが、日頃からあの公園を使って通ってればすぐに見つけたさ」
「え?」

 柿原公園のことを言っているのでしょうか。確かに、バイト先へ行き来するのに、あの公園の近くは通りませんけど。

「―――あぁ、そうでした。あの日は店長さんに夕食をごちそうになったので、あの公園を通ったのです」

 なるほどそういうことでしたか……って、つまり、そんな偶然でもなければ、すぐに小動物は捕獲されていたということですか? うぅ、佐多くんの(徳益さんの?)情報収集能力、ハンパないです。

「ストーカーなら、確実に店付近に姿を現す。……もう家まで突き止められているなら来ない可能性もあるが、今の所マンションの近辺に怪しいヤツはいねぇしな」

 さらりと、私以外をストーキングしているなら放置するような発言をした佐多くんは、「で?」と、いつかのように尋ねてきました。

「えぇと、何が『で?』なのでしょうか」
「オレのこと、名前で呼ぶよな?」

 話が戻りました!
 下の名前で、ですか。そりゃ、緊急時に一度呼んだことはありましたが、ちょっとハードルが高いのです。いや、それよりも。

「それが、送迎の対価になるとはとても思えないのです!」
「じゃ、何してくれるんだ? 何でもいいぜ? 風呂で背中でも流してくれるか? あぁ、むしろ抱かせて―――」
「分かりました。下の名前で呼ばせていただきますっ!」

 デンジャーゾーンの気配がしたので、慌てて承諾の返事をしました。目の前の佐多くんは「惜しいな」と舌打ちをしているのです。まったく、油断がならないのです!

「じゃ、練習してみな」
「え?」
「呼ぶ練習」
「……トキくん?」

 名前を呼んだだけなのに、何故か目の前の羅刹が、羅刹どころか狼ですらなく、上機嫌に尻尾を振るワンコに見えたのです。

「そんなに、嬉しいのですか?」
「オレをそう呼ぶ女はいねぇしな。アンタだけだ」
「じゃぁ、やっぱり私も苗字のままで―――」
「却下」
「うぅ……」

 私だけとか、ハードルが高いのですよ。
 あぁ、念のために確認しておかないと……

「学校ではもちろん、みょう……」
「どこでも、に決まってんだろ」
「……ハイ」

 どうやら、学校でも「トキくん」呼びは強制のようです。これは教室内ではできるだけ固有名詞で呼ばないように注意しないといけませんね。以前の諏訪くんのように、付き合っていると誤解されかねませんし。

 はぁ、うっかり他の人の前で「トキくん」と呼ばないよう用心しなければいけないのです。

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