TOPページへ    小説トップへ    それは、通り魔的善行から始まったのです。

 43.それは、迅速だったのです。


「貴方、確か姉様につきまとってる……」
「おぉ、愛しのシャオリンの妹御じゃないか。シャオリンは今日も元気だったかなぁ?」
「まだ、姉様を諦めていませんの? いい加減になさったら? しつこい殿方は嫌われましてよ?」
「他ならないキミにそう言われるとはね。恋慕の情はなかなか諦めきれないものだと、キミだって分かっているだろう?」
「な、なんのことですの?」

 今日もカフェ・ゾンダーリングは平常運転です。
 ストーカーが出没しているかも、なんて心配をちらとも見せず、今日も寸劇は流れるように上演されるのです。
 今回は、妹オウランがばったり出くわした相手、姉に言い寄り続けるキザ男カショウと結託を考え始めるという流れです。

「恋に身を焼かれるこの身には、同じく叶わぬ恋の炎に焦がれるキミのことはお見通しさ」

 カショウ、頑張ってください。キザなセリフ回しに歯が浮くのは分かりますが、目がちょっと死んでますよー。

「い、言いがかりですわ。意味の分からないことをおっしゃられても困りますもの」
「おやおや、あのシンルーに対するのと違って、随分とこちらには当たりが強いね。意地を張りたい気持ちも分かるけど、女性は素直な方がステキだよ☆」

 あー、本当にカショウの目が死んでしまいました。
 そうですよね。ここのセリフ回しとか、いちいちセリフのたびにポーズ決めるのとか、細かく指導されていましたからね。

 ですが、私だって、この後に試練が待ち構えているのですよ。カショウ、あなただけではないのですよ。

「知りませんわっ! どうぞ、どこぞに消えていらして!」

 私=オウランのセリフに、カショウは軽く肩をすくめて舞台袖に退場しました。
 ふ、ふふふ、ここからはオウランの独白ですよ。ある意味オウランの『毒吐く』でもあります。あ、うまいこと言ったなんて思ってませんから。

「まったく、度し難い男ですわ。これだからシンルー様以外の男の方は……あら?」

 スポットライトの当たったオウランは、パン、と手を叩きます。

「そうだわ。どうして考えつかなかったのかしら。もし、あのカショウがシャオリン姉様をうまく口説けたのなら、シンルー様はどうなさるのかしら。……そうよ、心に傷を負ってしまわれるわ。わたしは、それをお慰めすればよいのではなくて?」

 はい、オウランの心が悪役な方向に流れたのを受けて、白いライトが徐々に赤みを帯びてきます。ちなみにライト操作を担当しているのは別室でモニタリングしている店長だったりします。
 そして、ここから問題のセリフに入るのです。うぅ、こんなセリフ言いたくないのですよ。

「そうよ。誠心誠意、心を込めてお話できる機会があれば、シンルー様だって、きっとわたしの気持ちに気が付いてくださるわ。姉様と違って、わたしにはこれがありますもの」

 はい、えっへんと胸を張ります。胸が揺れます。というか、揺らせというお達し、もとい演技指導があったのです。

「あんなつるペタ・貧弱・平野な姉様ではなく、シンルー様には、この柔らかく豊かなものの価値を分かっていただかなくては!」

 ぐっと握りこぶしを掲げ、自らを鼓舞するオウラン。
 このシナリオにゴーサインを出した店長を恨めばよいのか、そもそもこんなセリフを考えた作家さんを呪えばよいのか分かりません。
 女性の価値は胸の大きさでは決まらないのですよ。大きくても小さくても、おっぱいは等しくおっぱいなのですから。

 何はともあれ、ようやく独白が終わったので、わたしも舞台袖に引っ込みます。やれやれ。

「お疲れ、オウラン。……何度見ても胸に刺さるわー」
「あのセリフを口にしているこちらも、疲労感というか罪悪感というか徒労感が大きいのですよ、姉様」

 寸劇終了待ちで、並んでいたプレートのチェックをしていたシャオリン姉様に声をかけられ、思わず肩を落としてしまいました。
 本当に、この寸劇「オウラン&カショウの共闘開始~前夜編」は誰得なのでしょうね。カショウも歯の浮くセリフに精神的ダメージを削られ、わたしも『毒吐く』にいらぬ気苦労を背負い、出演していないシャオリン姉様のSAN値も削られています。

「……そろそろ客席のライトも戻るわ。いきましょうか」
「そうですわね。姉様」

 お互いに引き攣った笑顔を浮かべて力なく頷きあってしまいました。


「お先に失礼します……」

 今日も疲れたのです。
 今週から主要4キャラについての投票が始まったせいで、ホールに居るときに、何度もお客様からエールやらイチャモンやら投げかけられてしまったのです。

『あなたは貧乳派? 巨乳派?』
『誠実な男とキザな男、どちらに口説かれたい?』

 店長と作家さんの悪意を感じる煽り文句なのです。これ、セクハラとして訴えたら、きっと勝訴できますよね。

「やっぱ大きい方がいいよね。オレは断然巨乳派だから!」
「オウラン? 胸は大きさじゃないんだよ、感度だよ!」
「大きければイイってことはない。ほど良い大きさと形だから!」
「オウランに投票するからさ、写真撮るときサービスポーズしてよ」

 あぁ、今日掛けられた言葉だけで呪いの五寸釘が何本も打てそうです。一本だけなんて物足りない。五寸釘アートでゾンダーくんでも描いてしまいましょうか。

 スマホを操作し、「これから上がります」と佐多くん、いえ、トキくんにメッセージを送りました。この週末は仕事が入っていないということなので、遠慮なく迎えに来られるそうです。……迎えに来る方が遠慮って、おかしいですよね。でも、そういう言い回しをしたのです。

「あの寸劇、あと何回演じることになるのでしょうか」

 ホール業務にも不満はないのですが、あの台本だけはちょっと、いえ、かなりイヤです。やっぱり、連名で店長に抗議するべきでしょうか。セクハラで訴えられるレベルですよって。
 半分以上は本気でそんなことを考えながら、とぼとぼと外階段を下りていきます。さきほど連絡を入れたばかりですから、まだトキくんは到着していないと思いますが、待たせるのも問題ですよね。すぐにバイクに乗れるようにビルの前で待つことにしましょう。

 なんて、精神的疲労がピークになっていたこともあって、このときの私は本当に油断していたのです。

 外階段を下りきって、ふぅ、と一息ついた私は大きく息を吐きました。真夏とは違い、朝晩は涼しい日が続いています。こうやって秋も深まっていくのですね。

「あ、いたー。オウランだ」

 それにしても、文化祭のことが心配です。もう来週に迫っているというのに、まだ玉名さんたちから回るコースを教えてもらっていません。生徒しか参加しない土曜日はコースも決まったらしいのですが、保護者を含む一般のお客様が入場する日曜日のコースが決まっていないとか。他クラスの出し物を妨害するのはともかく、部活発表のものはクラス内にもスパイがいるとかなんとかでギリギリまで確定させないことが情報漏えいを防ぐ方策だとかどうとか。……これ、単なる高校の文化祭でしたよね?

「やっぱり、かわいいねぇ、オウラン」

 ぽむ、と肩をたたかれ、振り向いた先には、見覚えのあるポロシャツの男性が立っていました。
 ……常連客なのです。

「えぇと、どちらさまでしょうか?」

 マニュアルに従って、知らぬふりを決め込みましたが、常連客さんは「いやだなぁ」と頭を掻きます。

「エリムーのときだって、リリエルのときだって、一緒に写真を撮ったじゃないか。餌付けクッキーだって、ハラハラドキドキカフェモカだって、いっぱい注文してあげたでしょ?」

 うーん、トキくんに一発でバレたものの、徳益さんは気づかなかったので、このままでいいかと思っていたのですが、やはり常連客にはバレるものなのですね。エリムーどころか、その前の役名まで持ち出されると、なんだか自信を喪失してしまいます。ガラスの仮面を被りきれていなかったということなのでしょう。

「えぇと、人違いではないでしょうか?」

 もちろん。肯定なんてしません。後は、どうにか自然な流れでスマホをカバンから取り出せれば良いのですけど。

「ひどいねぇ、オウラン。僕、悲しくなっちゃうよ」
「ですから、人違いだと―――っ!」

 ぐいっと右手首を掴まれ、私はビル脇の駐車場の隙間に押し込められてしまいました。ピンチです。

「本当に、ひどいねぇ、オウラン。キミと一緒に撮った写真を全部見せようか? アルバムに入れて持ち歩いているんだよ」
「……そんな名前の人、知りません。離してください」

 え、ピンチと言うわりには冷静に対応しているのはどうしてか、ですか?
 いいえ、ちゃんと怖いのですよ?
 でも、何度もラスボスオーラを放つ蛇とか蛇とかと対峙したせいでしょうか、目の前のこの人の視線を気持ち悪いと思っても恐怖はそれほどわいて来ないのです。
 あぁ、あの人達に比べれば、あの時に比べれば、って思ってしまうのです。

「離してくれないのでしたら、通報しますが」

 だから、表面上は平静な態度を崩さずにいられるのです。もともと、こういった人に遭遇した時には、動揺を見せない方がよいのだと店長さんから教わっていることですし。

「なんで、なんでボクをそんな目でみるんだよぉ」
「……失礼します」

 右手を離してくれないので、カバンを肩にかけた左手で、ちょっと手こずりながらスマホを取り出します。

「やめろよぅっ!」

 カランッと音を立てて、私の手からスマホが弾き飛ばされました。そのまま公道へと滑って行ってしまいます。
 ……あれ、車が通ったらグシャっていう場所なのですけど。

「オウランなのに! キミは間違いなくオウランなのに! どうして僕を邪険にするんだっ」

 それは、まぁ、お仕事でしたから。ついでに本日のオウランは営業終了なのです。

 それにしても困ってしまったのです。どうやってこの人の手を逃れれば良いのでしょう。母直伝の暴力的手段はありますが、できれば話し合いで解決できないでしょうか。正直、自分が痛いのも他人が痛いのも苦手なのです。
 と、困っていた私の耳に、聞きなれたエンジン音が届きました。知り合いがチューニングしたというそのバイクの音は、爆音ではないけれど、ちょっと独特な響きなのです。

「……これが最後なのです。放してください」
「いやだなぁ、せっかくオウランと二人でこんな暗がりにいるのに、放すわけがないじゃないかぁ」

 ぞわり、と感じたのは恐怖ではなく嫌悪感です。
 常連のお客さんではありますが、いつもニコニコとしていて、こんなことをするような人だとは思わなかったのです。
 それに、恐怖をこの人に感じるわけがありません。だって―――

「何してやがんだ」

 その人の後ろに羅刹が立っているのですから!

「ひ、ひぃっ!」

 そうですよね、暗がりで怒りのオーラを纏う羅刹を見た人の反応としては、そうなりますよね。
 そんな私の暢気な感想を余所に、佐多くんの手が、私の右手を掴んでいた男の人の手をぎり、っと捩じ上げます。

「いっっ~~~~!」

 あー、分かります分かります。容赦なく関節が曲げられると「痛い」なんて言葉は出てきませんよね。単語が出てくるのは、ある程度、余裕のある証拠ですから……って、ストップ!

「だ、ダメなのですよ! やり過ぎると過剰防衛になってしまうのです!」
「あぁ?」

 う、佐多くんの顔が、さっきこの男性に暗がりに連れ込まれた時以上に怖いのです。

「す、すぐに店長さんに連絡しますので、待ってください。……って、いけない、私のスマホ!」

 私は道路に転がっていたスマホを拾い上げ、慌てて連絡しました。佐多くんは、店長さんが降りてくるまで、その男性を取り押さえててくれたのです。


「―――アンタ、学習能力ねぇんだろ」
「し、失礼なのです」

 リビングのラグに正座した私は、思わずラグに落としていた視線を上げてソファに座る佐多くんを見上げました―――が、すぐに目を逸らしました。
 い、いつの間に羅刹の瞳にメデューサのような石化の魔眼が備わってしまったのでしょう。鬼に金棒レベルではありません。自動歩兵に劣化ウラン弾が備わってしまったのです。

「ストーカー対象がアンタの可能性もあるって、オレはちゃんと言ったよな?」
「……はい」
「だからこそ、オレが送迎するって分かってたよな?」
「………はい」

 怖い。
 怖いのですよ、佐多くん!
 ストーカーよりも、目の前のあなたが怖いのです!

「人通りの少ねぇ裏路地で、しかも夜に、一人で立ってただぁ? 襲ってくれって言ってるようなもんじゃねぇか」
「……すみません」

 もう、これは平謝りして佐多くんの怒りが解けるのを待つしかありません。自主的に正座してからどのぐらい時間が経ったのか分かりませんが、とりあえず、足がそろそろ痺れてきたのです。

「アンタ、本当に反省してんだろーな?」
「もちろんです」

 こ、こわっ!
 とりあえず早く説教が終わればいいのに、なんて思ってたところにそんなことを言われると、羅刹のスキル欄に『読心術』なんて項目があるのではないかと疑ってしまいます。

「ミオ?」
「はい」

 ソファの軋む音がして、佐多くんが立ち上がったのだと分かります。正座した私と立ち上がった羅刹に、もはやどのぐらいの高低差があるかと思うと……

「こっち見ろ」
「……はひ」

 顎を持ち上げられ、固定されてしまったのです。泳ぎそうな目を頑張って佐多くんの顔に合わせます。うぅ、いっそのこと、本当に石化してしまいたいのです。

「オレに何か言うことあんだろ?」
「……えぇと、助けてくれてありがとうございます?」
「違ぇ」
「心配かけて申し訳ないのです?」
「ふーん、それで?」

 うぅ、何を言わせたいのかサッパリなのです!

「―――言いつけを聞かねぇ小動物にはお仕置きが必要か」
「っ!」

 佐多くんの口元が獰猛な笑みを形作りました。とてもヤバい気がします。

「いやそれはその、辞退させていただきまっっ!」

 逃げを打つべく立ち上がった私ですが、予想以上に足が痺れてしまっていたらしく、踏ん張ったはずの足がカクリと斜めに傾いで、ぐらっとソファテーブルの方へ倒れてしまいました。
 これ、痛いです。絶対痛いです。角に脇腹直撃コースなのです。

「っっぶねー」

 有り難いことに、痛みを覚悟した私を佐多くんが抱き上げてくれていました。
 うぅ、今日の事と言い、足を向けて寝られないのです。

「バカか、アンタ」
「すみません」
「アホだろ」
「重ね重ね申し訳ないのです」

 こんなお間抜けなことをしてしまった以上、反論の余地はありません。

「……ミオ」
「はい」

 うぅ、抱きしめられた上に耳元でちょっと掠れた声を出されると、なんだかゾクゾクするのです。もしかして、男の色気ってやつなのでしょうか。

「アンタ、今日からオレの抱き枕な」
「うえぇぇぇぇっっ!?」

 ちょ、離して欲しいのです。いくらお仕置きだからって、それはちょっとどうかと思うのですよ。道徳的に!
 あたふたと忙しなく視線を動かして、手足に力を込めてみるものの、佐多くんの手が緩みません。まさかのピンチですか?

「さ、佐多くんっ! それは、さすがにっっ」
「―――アンタ、今、何つった?」

 迂闊だったのです!
 佐多くんは佐多くんじゃなくて、トキくんだったのです。ついつい今まで通りに呼んでしまいました。

「と、トキくんっ! その、抱き枕というのは、その」
「文字通り」
「いえその、ふ、不埒なことはしないのですよね?」
「……アンタ次第かな」

 私が佐多くん、もといトキくんに抵抗しきれるはずもなく、この後は問答無用でトキくんのベッドにずるずると引きずられるor運ばれる未来が見えます。
 それでも、男の子のベッドに連れ込まれても大丈夫、なんて楽観的思考を持ち合わせていないのが、このミオさんなのです。
 トキくんを相手にあれこれ説得をして譲歩を引っ張り出し、対案をいくつかプレゼンした結果、『膝枕で耳かき』というアニマルセラピーのオプションプランで許していただけました。
 ……何故か耳かきの最中、不埒な手(?)が私のお腹を揉んできたのですけどね。これ、いっそ胸を揉まれた方が精神的なダメージは少なかったのではないでしょうか?

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