TOPページへ    小説トップへ    それは、通り魔的善行から始まったのです。

 58.それは、直球だったのです。


 はい、こちら現場のミオさんなのです。ただいま完全敵地のアウェーな状態で、目の前には先日しばいたドゥームさんがニコニコ笑顔で座っています。「こぉーのバカチンがぁっ!」と平手打ちをしてしまった後、トキくん経由で謝罪の意を頂いてはいるのですが、無礼を働いてしまった私は、やはり真正面のアナコンダに丸呑みされてしまう運命なのでしょうか。以上、スタジオに返します。
 ……訂正します、誰かスタジオに私を返却してください。

「君のおかげで、リコと腹を割って話すことができたんだ。さすがリコの娘だよね。ミオちゃんにはどれほど感謝しても足りないぐらいだよ」
「えと、その、結構、思い切りやってしまったので、ほっぺは大丈夫でしたでしょーか……?」
「あぁ、あのぐらいはね、平気だよ。むしろ、結婚前にリコにグーで殴られた時の方がすごかったから」

 お母さん、こんな金髪白人美青年に何をやっちゃっているのですか。いや、母娘そろってどうしようもないね、と笑うべきなのかもしれません。

「えぇと、では、今日は何の―――」
「うん、トクマスが君と会う予定があるって聞いたからね。ちょっと割り込ませてもらったんだ」

 とぉ~くぅ~まぁ~すぅ~さぁ~ん?
 ちらりと視線を向ければ「話してない話してない」と慌てたように首をぶんぶん振っているのです。それならどこから洩れたというのですか……いえ、たぶんこれは考えてはいけないのでしょう。お母さんも言っていたではないですか。お母さんと宮地さんのことも全部知っていると。何か個人的なツテがどうの、と。
 これはきっと、覗いてはいけない深淵なのです。迂闊に顔を突っ込むと、あちらからも見られてしまうのです。

「先日は、おかずを作りに来てくれたそうだね。ありがとう」
「えぇと、その……口に合ったのなら良かったのですけど」
「うん、サラダもニモノも美味しかったよ? ミオちゃんは料理も上手なんだね」

 うーん、ドゥームさんの口から語られると、煮物が何かオシャレなメニューに聞こえるのですから不思議ですね。日本語は上手なのですけど、たまに発音に違和感が混じるのです。

「リコはニモノとかワショクは作らないから、ミオちゃんもそうなんだろうって勝手に思ってたけど、違うんだね」
「え、お母さん、言ってないんですか?」
「何を?」

 え、これ、私の口から言っちゃっていいのでしょうか? でも、ここまで言って、内緒というのは……うん、逆に怖いです。どんな手を使ってでも聞き出されそうで。

「えぇと、お母さんが言わないのに、私の口から言ってしまうのも、ちょっと気が引けるのですけど」
「うん」

 うん、って、ドゥームさん聞き出す気満々ですよね? これ、きっと私に拒否権ありませんよね? ミオさんだって空気というかオーラが読めるのですよ。……ごめんなさい、お母さん。と形だけ謝っておきます。

「ドゥームさんが和食は接待でしか食べたことがないという話だったので、お母さんは、下手なものを食べさせられないからって、和食を避けていたらしいのです」
「え……」

 何故かドゥームさんが口元を押さえました。白い頬がじわじわと赤く染まっていくのが見えます。
 えぇと、職場でのドゥームさんはドライアイスって聞いた気がするのですが、どこが、なのでしょうか。
 でも、会議室の扉近くに下がっている徳益さんがパカーンて口を開いているので、やっぱり違うのですかね。

「それ、リコが?」
「はい。……えぇと、お母さんにその話をしたのではないのですか?」
「うん、したよ。ただ、付き合うずっと前にね」

 え?
 そんな会話を覚えているお母さんもすごいと思うのですけど、ドゥームさんは、その会話をいつしたかまで覚えているのですか? しかも付き合う前なのに?

「リコさんと会った最初の日だと思うよ。ワタシとリコの馴れ初めは、リコから聞いたことがあるかな?」
「……そうですね。耳にタコができるほどに」

 付き合い始めの頃は、本当に脳みそお花畑になっちゃってましたからね。ある意味ですごく拷問でした。

「とある役付きの人のたっての要望で、ここに仕事で通うことになってしまったと娘に愚痴っていましたけど、一度、危ないところを助けてもらったという話を境に、それはもう色々と」

 いわゆる保険のオバチャンをしていたお母さんは、宮地さんの陰謀によってこの会社の担当になってしまい、足繁く通うことになってしまったのです。それでも、何とか宮地さんと遭遇する回数を減らそうと奮闘していた頃に、ドゥームさんと出会ったのだとか。ドゥームさんがいかに格好良かったか、でも子持ちと知って凹んだりとか、奥さんがもういないと知って浮上したりとか、全部娘に話していましたからね、あの人は。

「リコさんは、それがお仕事の一環で話しただけの人でも、色々な話を頭にメモすることができるんだ。稀有な能力だよね」

 あれ、意外なのです。この人でも知らないことがあるのですね。そう見えるかもしれませんが、真実は違うのですよ。契約してくれそうな人とそうでない人を瞬時に嗅ぎ分けて、前者についてだけしか記憶しないのです。あと、その記憶もたまにメモに起こしているのです。まぁ、嗅ぎ分ける時点ですごいと言えばすごいのですけど。それすらも、あの宮地さんから逃げ続ける日々で培った、審美眼ならぬ審人眼の為せる技なのです。

「ミオちゃん?」
「いえ、そう評価してもらえるなら、お母さんも本望だろうなって」

 問いかけられて、思わずピコハンの柄をぐぐっと握り締めてしまいました。うぅ、それこそもぐら叩きのように、このピコハンをドゥームさんに叩きつけて、ダッシュで逃げ出したい気持ちなのです。蛇怖い。

「え、えと、また暇を見ておかずを作りに行こうと思っているので、差し支えなければ、ドゥームさんとレイくんの苦手な食材を聞いておきたいのですけれど」
「ワタシもレイも、好き嫌いはないから安心していいよ、ミオちゃん」
「そ、それは良かったのです。前回は何も考えずにサッパリ系でお母さんの好きなもの、と思って作ってしまったので」
「リコの?」
「はい。煮込んだ野菜、特に大根が好きなのです。おでんの大根なんて、一人で大根1/2本は食べてしまうのですよ」

 おでんの時は、ごはんを食べずに大根で他のおかずを食べるみたいな感じになっていましたっけ、と思わず遠い目になってしまいました。

「うん、それは初耳だ。ステキな話を聞かせてくれてありがとう、リコちゃん」

 あれ、どうして微笑んでいるのにゾクッとするのでしょう。え、もしかしてお母さんの情報源としてロックオンされたとかでしょうか? それとも自分の知らないお母さんを知っているという嫉妬? これだから蛇は怖いのです! やっぱり宮地さんと一緒ではないのですか!

「レイもね、君のお手伝いをしたと、嬉しそうに話してくれたよ」
「はい、レイくんも自分から手伝うと言ってくれたので―――」
「ミオちゃん」

 びっくぅっ!と私の身体が跳ねそうになりました。どうして蛇の人の笑顔ってこんなに悪寒が走るのでしょう。

「もしかして、レイのことに気付いたのかな? それとも何かリコに言われた?」
「え、と、何のことでしょうか……?」

 穏やかな微笑みを浮かべているドゥームさんは、黙ったままこちらを見つめてきます。嘘やごまかしは聞きませんよ、というアピールなのですか? 何なのですか、この圧迫面接は!

「えぇと、レイくんがとても良い子だというのは分かっていますけど……」

 何とかはぐらかそうと、敢えて見当違いのことを口にしてみると、黙って微笑んだまま私を見つめてきます。と、鳥肌が立ってきたのです。

「うん、自分で気づいたのか、リコから聞いたのか、やっぱりもう知っているね、ミオちゃん」

 えぇと、私の行動のどこにバレる要素があったのでしょうか。ちゃんと取り繕ったと思っていたのですけど。……もしかして、私、顔に出やすいタイプなのでしょうか。ドゥームさんを見習って「ドライアイス」とか呼ばれるぐらいに表情を抑えるべきですか? 目指すは「液体窒素」とか。

「ミオちゃん、何か変なこと考えてないかな?」

 再び、びっくぅ、と私の肩が震えてしまいました。ちょ、確かに液体窒素に思考が流れてましたけど、どうしてそれが悟られてしまうのでしょう! やっぱりこのアナコンダ怖過ぎるのですよ!

「えぇと、ちょっと化学のことを思い出してしまいまして」
「あぁ、そうか。ミオちゃんはまだ学生だったよね。ミオちゃんと話していると、どうしてかな、少なくとも新入社員と話すよりも実があって楽しいんだよね」
「それは、お母さんの娘だからではないでしょうか」
「うん、それを差し引いてもね、話がちゃんと通じるから。―――で、レイのことなんだけどね」

 あ、話が戻りました。うまく逸れたと思ったのですけど。

「うん、本当にミオちゃんと話していると楽しいよ。それで、レイのことだけど、ミオちゃんはどうするつもりなのかな?」

 あれ、微笑んでいらっしゃるようなのですが、なんだか圧迫感がすごいのです。視界の端に移る徳益さんの「がんばれー」という他人事な顔がイラッとくるぐらいには。

「……レイくんは、何というか、親戚のかわいい弟分みたいに思っています。そこは変わりませんよ?」
「うん、親戚、というか弟だけどね」
「……レイくんも、お姉ちゃんと慕ってくれるので、嬉しい気持ちには変わりありませんし」
「うん、実際にミオちゃんがお姉さんだからね」
「だから、それ以上でもそれ以下でもないのですよ」
「―――なるほど、それならワタシもレイに釘を刺すのは変わらないかな。あ、ついでにもう一つ聞いておこうかな」

 ぐ、なんだか、すっごくイヤな予感がするのです。

「ミオちゃん、ワタシのこと、苦手かな?」

 普通、そういう質問をド直球で、しかも、にこにこしながら口にすることはないと思うのですけれど。やはり蛇は蛇ということでしょうか。

「えぇと、苦手というか、ですね」

 どうしたらいいのでしょう。この状況。まさか、正直に答えるわけにもいきません。それにしてもこんな答えにくい質問を直球で投げてくるのは、やはり育った国の違いというやつなのでしょうか。それとも蛇だからなのでしょうか。
 いやいや、そんなことを考えている余裕なんてありません。とりあえず今の状況をどうしてくれやがりましょうか。あ、つい言葉が乱れてしまいました。

「……えぇと、正直に答えてしまうと、その、ドゥームさんの気を悪くさせてしまうかもしれないのですけれど」
「あぁ、かまわないよ。だってミオちゃんとワタシは家族じゃないか」

 ぐ、ノータイムで返事してくるとか、少しは悩む時間をくれたっていいではないですか。というか、時間稼ぎのセリフだったのもバレているような気がします。

「その、ですね。今まで『父親』というものがいなかったので、どういうふうに接すればいいのか、……分からないのです」
「……」
「なので、その、ドゥームさんが苦手、というよりは、『父親』というのが苦手なのかもしれません」
「なるほど。自称『父親』のせいもあるのかもしれないね」
「……ご存じでしたか」

 ご存じなことは、知っていたのですけどね、もちろん。

「リコも随分と迷惑していたみたいだし、やっぱり『対処』しておくべきかな」

 あれ、どうして鳥肌がぞわわっと立ったのでしょう。ドゥームさんは「対処」と言っただけですよね。そこに何も他のニュアンスは含まれていませんよね?

「えぇと、夏休み中に一度会ったきりなのですが、それ以後は、何もありませんよ?」
「……ふふ、ミオちゃんは優しいね。もちろん、これまでリコやミオちゃんにしてくれたことへの『対処』のことを言ってるんだよ?」

 あれ、おかしいですね。ちゃんと対処って言ったのに、『処罰』とか『処分』に聞こえたのは空耳でしょうか。まだ聴覚は衰えていないと思うのですけど。

「……えぇと、オマカセシマス」
「うん、任されたよ」

 あれ、任せてはいけないところでしたか? どうして満面の笑みで「任された」なんて請け負うのでしょうか?
 深くは考えないことにしましょう。なんだか精神衛生上よくない気がします。

「あの、せっかくなので、ドゥームさんにお願いしたいことがあるのですけど」
「うん、何かな?」

 宮地さんのことも含め、これだけは言っておかないといけないのです。

「お母さんのこと、本当によろしくお願いします」
「……」
「パッと見、ぽやんとしていますが、本当にあの人にはイヤな目にあったのです。それに、私を一人で育てるために、色々な苦労もあったと思うのです」

 だからこそ、これだけはお願いしたいのです。

「ですから、お母さんをこれ以上、泣かせないでください。もし、また、この間みたいに泣かせるようなことがあったら、……許しませんから」
「……そうだね。ミオちゃんがリコのことを大切に思ってくれているのは、もう十分分かっているよ。ワタシもリコとちゃんと話し合うから、安心して―――」

 私は首を横に振りました。既に前回のことでドゥームさんに対する信用は一度、地に落ちているのです。

「ドゥームさん。お仕事をされている上で、信用というのがどれほど重要なものか、ご存じですよね?」
「……本当にミオちゃんは、高校生とは思えないぐらい大人の考え方をするね」

 ドゥームさんはそれまで浮かべていたにこやかな表情を消し、まっすぐにこちらを見つめてきました。

「キミに信用してもらえるようになるまで、努力するよ。それこそ、ミオちゃんが、リコの隣にワタシがいることを自然に感じられるぐらいに、ね」
「……はい。よろしくお願いします」

 私は深々と頭を下げました。なんだか、頭上で苦笑する気配があるのは、気のせいですよね?


「ところで」

 お仕事を抜けて来たというドゥームさんが帰ってから、私はじとっとした目で徳益さんを見ました。

「これ、使わせてもらっても良いのですよね?」

 私の手には、今日渡されたばかりのピコピコハンマーが握られています。

「え、なんかミオちゃん、ちょっと目が据わってないかな?」
「……悪いことをしたという自覚はあるのですよね?」
「えーと、ほら、俺、会社勤めのサラリーマンよ? 上司に言われたら逆らえないというか、さ」
「えぇ、そうでしょうとも」
「隊長の時もだったけど、今回は隊長のさらに上司なわけだし、さ」
「えぇ、そうでしょうとも」
「変に口答えとか拒否とかしたら、あの二人のことだし、何されるか分からないわけだしさ」
「えぇ、そうでしょうとも」

 私の手には、今日渡されたばかりのピコピコハンマーが握られています。大事なことなので、2回言いました。

「……うん、なんかごめん」
「えぇ、ですから、ちょっと叩かせてください」

 もう、これはですね。徳益さんを雇用主と考えても納得いかないストレス値なのですよ。少しピコハンで叩かせてもらってもいいですよね? ね?

 神妙に頭を差し出した徳益さんの頭を、私は思う存分叩かせてもらいました。
 どうでもいいことですが、ピコハンってぷきゅぷきゅという音よりも、べしべしという音の方が大きいのだと判明しました。

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