TOPページへ    小説トップへ    それは、通り魔的善行から始まったのです。

 61.それは、遠目だったのです。


「え? 出発日からちょうど出張なのですか?」
「あぁ。タイミングがいいんだか悪いんだか、分かんねーな」

 明日に迫った修学旅行の出発日。私はせっせと荷造りをしていたのですけど、トキくんからアニマルセラピーの要望があってリビングに呼び出されたのです。
 しばらく離れるから、数日分のセラピーをまとめて行使、という話なのですけど、こういう癒しってまとめてするものでしたっけ? 思わず首を傾げると、またわしわしっと頭をぐしゃぐしゃにされました。
 髪をきれいに切り揃えてからというものの、トキくんはウサ耳カチューシャを外してしまうことが多くなりました。切り立ての髪の、少しつんつんした触り心地が好きみたいなのです。五分刈りや丸刈りであれば、共感できる話なのですが、中途半端なボブカットの私では、そこまで良い触り心地ではないと言ったのですけど、これが良いみたいなのです。
 とりあえず、アニマルコンパニオンのお勤めとばかりに、いつもの抱え込まれ体勢になってわしわし撫でられていたら、明日からトキくんも遠方でのお仕事が入っているという話をされました。

「ちなみに、出張というのは、どういうところへ行くのですか?」
「なんだ? 土産なんて買ってる時間はねぇぞ?」
「いえ、純粋な好奇心だったのですけれど」

 新幹線のホームでちょこっと買う時間ぐらい、と思ったことは内緒なのです。頭をよぎったのは、明太子にもみじまんじゅう、八つ橋に赤福、うなぎパイ、ひよこ饅頭、ずんだ餅、南部せんべい……見事にお菓子ばかりだったのも内緒なのです。

「悪ぃな、あんまし話せねぇんだ」
「あ、職務上の守秘義務とかそういうのなんですね。すみません。変なこと聞いてしまって。ちょっと、どの地方に行くのかな、って思っただけなので、気にしないでください」
「? 国内じゃねぇぞ?」
「ふぇ?」

 国内ではない、……ということは。

「トキくん、宇宙でお仕事するのですか?」
「……」
「すみません。ちょっと言ってみただけなのです。でも、海外でお仕事なのですね」

 ちょっと予想外だったのです。海外出張という発想がありませんでした。私ももう少し頭を柔軟にしないとダメなのです。

「……あ」
「なんだ?」

 思わず洩らした声に、後ろの羅刹は敏感に反応しました。そこまで大した話ではないのですけど。
 え、声に出したからには、ちゃんと話をしないとダメなのですか? あの、顎を頭の上に乗せないで欲しいのですけど……っ!

「その、今までに海外出張というのは、何度もあったのでしょうか?」
「あぁ? 言うほど数はねぇが、どうした?」
「えーと、えーと、その、ですね」

 実は、今回の修学旅行にあたり、非常に心配、というか、気になるというか、ドキドキするイベントがあるのです。

「飛行機って、どんな感じなのですか?」

 ちょ、今、人の頭の上で「ぶふっ」って吹き出しませんでしたか、トキくん! ちゃんと聞こえているのですよ!

「なんだ、アンタ初めてか」
「そうなのです。一万キロも上空を飛ぶと言われても、実感がなさすぎて」
「国内線だったらそこまで上がんねぇぞ?」
「へ?」
「国際線ならそのぐらいまで上がるだろうが、沖縄ぐらいならもっと低く飛ぶ。どうせ、2時間もかかんねぇんだろ?」
「2時間? え? トキくんはどれだけ乗るつもりなんですか?」
「どれだけって、場所にもよるだろーけど、十時間とかざらだぜ?」

 なんだか未知の数字を聞いてしまったのです。それだけの時間、座りっぱなしということなのでしょうか。なるほど、エコノミー症候群という言葉も納得なのです。

「それだけの時間、何をして過ごすのですか?」
「寝てるか、映画見てるか、資料読んでるか、だな」
「映画?」

 飛行機の中で映画が見られるのですか? なんだか、私の中の飛行機知識がどんどんとたまっていくのです。
 って、聞きたいのは、そこではありませんでした。

「その、……飛行機で、高度が上がったり下がったりする時の心構えとか、あったら教えて欲しいのですけど」
「寝てろ」

 見も蓋もない回答、ありがとうございました。まったく参考にならないのですけどね。
 そもそもトキくんを当てにしたのが間違いだったのですよ。ミオさんは、明日は明日の風が吹く方式で行くことにします!

「トキくんはどのぐらい出張してるのですか?」
「さぁな……。ただ、確実にアンタよりは帰りは遅ぇんだろーな」
「それでしたら、お土産は日持ちのするものか、民芸品にしますね」
「……アンタ、オレに買って来るつもりだったのか」
「当たり前です! 旅行にはお土産は付き物なのですよ?」
「アンタどんだけ土産買うつもりだよ」
「お母さんのところと、おじいちゃんのところ、バイト先と、トキくんの4つなのです」
「……ドゥームのところにもか」
「当たり前なのですよ!」

 トキくんは何にも分かっていないのです。思わず身体をぐぐいっと捻って、呆れた表情を浮かべているトキくんと視線を合わせました。

「ドゥームさんがいなければ、私も修学旅行に参加していませんでしたし、親しき仲にこそ礼儀が必要なのです! ついでに蛇に付け入る隙を与えるなんて、とんでもないのです!」
「アンタ、最後のが本音だろ」
「そっとしておいてほしいのですよ」

 私が、ぷいっと身体を真正面に戻すと、何故か後ろの羅刹がぎゅうぎゅうと抱きしめてきました。

「オレに言えば、いくらでも立て替えてやったのに」
「返せるかどうか分からない借金は、避ける主義なのです」
「アンタになら、踏み倒されてやってもいい」
「私に借金を踏み倒す人でなしになれと言うのですか!」
「それなら、アンタに『投資』してやる。それなら返す必要ねぇよな?」
「大ありなのですよ!」

 まったく、アノ手コノ手で私に貸しを作ろうとするのはやめて欲しいのです。今の福利厚生ですら分不相応だと思うのですよ?

「土産はどーでもいいから、せいぜい楽しんで来い」
「トキくんも、お仕事大変でしょうけど、頑張ってくださいね」

 あれ、お仕事に行く人を労うのは普通のことだと思うのですけど、どうして私はまた頭をわしゃわしゃされたり、ぎゅうぎゅう抱きしめられたりしているのでしょう。
 あ、アニマルセラピーまとめ行使でしたね。忘れていました。


「空港に、こんなスペースがあるのですね」

 搭乗開始まで、ということで春高生は団体待合スペースに並んで座っていました。

「ねー、床に直接座らされるとか、正直ないって思うよね、ミオっち」
「いえいえ、団体ですから。人数分のイスとか一般客の迷惑になってしまうだけでしょう」
「って言ってもさー、お尻から冷えるし」
「うぅ、それは確かに同意なのですけれど、……まだ、移動まで時間ありますよね?」
「あと十五分ぐらいじゃない?」
「えっと、ちょっとお手洗いに行ってきます」
「それならアタシも―――」
「いえいえ、何だか、さっきからブロックサイン送ってる人がいるので、あっちに行ってあげてください」

 そうなのです。視界の端で、恩田くんがこっちにブロックサインを送って来ていたのです。あれから私と会話するのをまだ避けている恩田くんは、私が気付いたのを見て、玉名さんを自分の方に送るようにブロックサインをしてきていました。ちょっと寂しいのです。

「ちっ。オンダはホンットに弱虫だよね」
「まぁまぁ、私もちょっとお手洗いに行くだけですし、恩田くんのとこに行ってあげてください」
「オンダ、マジにあとでセッキョーだかんね、これ!」

 プリプリと怒りながら恩田くんの方へ向かう玉名さんを見送って、私は列を抜けてお手洗いの方へと急ぎました。
 玉名さんにも、少しこぼしましたが、私、初・飛行機に緊張しているみたいです。先ほども「人間は空を飛ぶようにはできていないのですよ!」と主張したら、笑われてしまいました。ちなみに玉名さんは、何とグアムに家族旅行で行ったことがあるらしく、飛行機に乗るのは3度目なのだとか。
 先日、母にも聞いてみたら、最近だとドゥームさんの親御さんに会いに行くのに飛行機を使ったとかで、レイくんですら乗ったことがあるという、完全アウェーでした。誰か私と緊張を分かち合ってくれないものでしょうか。寂しいです。

 それにしても、空港って思っていたよりも随分と広いのですね。飛行機が何台も止まるものですし、滑走路が広いのは分かるのですけれど、建物内も随分と広いのです。うっかり迷わないように気をつけないと、と思いつつ、初めて入る場所なので、好奇心がむくむくと……
 あれ、何だか、向こうの方でキャスター転がしながら歩く人影が、とても見覚えのあるものなのです。背が高くて体つきががっしりしていて、ちょっと長めの前髪が―――って、トキくんのように見えるのです。
 確かに海外へ出張と言っていたので、飛行機を使うのでしょうけど、国内線と国際線は全然違う場所だと昨日言っていませんでしたっけ?

 首を傾げる私は、日本には国際空港がいくつもある、ということをすっかり忘れていました。ついでに、飛行機を乗り継いでいく、という発想もなかったのです。
 ただ、ぼんやりとトキくんらしき人影が歩いて行くのを眺めていた……のですけれど。

「?」

 トキくんに話しかける人影がありました。もしかしたら、トキくんと同じ出張をする人なのかも、とも思ったのですが、荒事をするトキくんと違い、その人はキュッとしまったお尻の女性だったのです。徳益さんを筆頭に、トキくんの同僚と言えば男性しか知らない私は、びっくりしてしまいました。
 そんな驚いている私の視線なんて、気付いてもいないのでしょう。その女性は、トキくんにしなだれかかるように密着しながら、何かを囁いています。

 びっくりなのです。
 『羅刹を観賞し隊』(命名:ミオさん)のように、遠まわしにトキくんを眺める人がいたことにもびっくりしましたけれど、今回はその比ではありません。あの羅刹に! 睨めば人を石化させる羅刹に、自分から近づいていく女性がいることに衝撃を受けました。そんな命知らずがいるとは思わなかったのです。
 それとも、同世代の私たちだから凍り付いてしまうのであって、大人になれば羅刹を見ても怖がらずにいられるのでしょうか。

 そんなことを考えている間にも、長い髪をそのまま後ろに垂らしたその女性は、にこにこと微笑んでトキくんと会話をしています。トキくんの方も不機嫌そうな顔ながら、ちゃんと応対しているみたいです。
 その様子を見るに、おそらく知り合いだったのでしょう。それなら、にこやかに会話できるのも納得なのです。
 そこでようやく玉名さんのことを思い出した私は、早く集合場所に戻らないと、と踵を返そうとしました。

(ふぁっ? ふぁぁぁぁっ!?)

 その女性が、トキくんの肩に手を置いて、ぐっと背伸びをしたのです。ちょうど、顔と顔が重なるようにして―――

「っ!」

 どうしてか分かりませんが、私は慌てて足を動かしました。なんだか見てはいけないものを見てしまったような気がしたのです。
 そうですよね。手馴れてる感じのトキくんですから、キスの一つや二つ、当たり前にこなしますよね。
 私は、よくわからないモヤモヤしたものを抱えたまま、集合場所へと急ぎました。


「……玉名さん」
「どしたの、ミオっちー?」

 バスです。
 バスの中なのです。

「えぇと?」
「ちょ、大丈夫、ミオっち? 車に酔ったとか?」
「あ、いえ、大丈夫なのです。車には酔いにくいのです」

 修学旅行のしおりを確認すれば、バス移動は、那覇空港に到着した後だと書いてあります。
 道路から青い綺麗な海が見えているのです。話によく聞く南国の海の色だと思うのですよ。ただ、問題は、ですね。

「玉名さん、私、何か変なこと口走ったりしていませんでした?」
「へ? ちょっとミオっち大丈夫―? そりゃ、空港とか飛行機内とか静かにしてたけど、あれって緊張してただけっしょ?」
「……はぁ」

 緊張は確かにしていました。初めての飛行機。初めてのフライト。緊張しない方がおかしいのです。同じく初フライトだった恩田くんもバスの後ろの方の座席で、機内の窓から見えた景色について語っています。
 それなのに。
 それなのに、どうして私の頭の中から初フライトの記憶が、すこん、と抜け落ちているのでしょう。

「ミオっちー、国際通りでの自由時間、お揃いのもの買おうね?」
「は、はい!」
「って、ミオっち、何かヘンじゃない?」
「はい。……いえ、『はい』ではないのです。大丈夫なのですよ」
「ふぅん?」

 何かを探るように玉名さんが私をじっと見つめてきます。ちょっと記憶がとんでいるだけで、別に気分が悪いわけでもないのですよ。心配をおかけしてごめんなさい。

「玉名さんは、どんなものが良いと思いますか?」
「お揃いの? うーん、ブレスレットとか可愛いのあるといいかなー?」
「あ、おソロで買うの? 混ぜて混ぜてー」

 後ろの席に座っていた津久見さんが参戦してきました。

「ハナも? それならアヤカも一緒に買う?」
「そうね。キホもどうかな」
「いいんじゃないかな。せっかくだし」

 どうやら高森さんや朝地さんともお揃いになりそうなのです。これも修学旅行の醍醐味というやつなのでしょうか。

「おソロならストラップとかでもいいんじゃない?」
「えー? 今のやつ変えたくないしー」
「じゃ、キーホルダー!」
「みんなでスクバに付ける?」
「ありかも、それ!」

 楽しそうな会話で浮かないように気をつけながら、私は原因不明の溜め息をついてしまいました。
 妙にモヤっとするのです。

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