TOPページへ    小説トップへ    それは、通り魔的善行から始まったのです。

 65.【番外】それは、変容だったのです。


 初めまして、私の名前は犬飼と言います。
 こんな苗字ですから、犬を飼っているに違いない、なんてよく言われますが、実は犬の毛アレルギーがあって飼えないのです。あ、でも動物全般は好きなんですよ。
 え、仕事ですか? 今はとある会社に勤めています。基本的に机仕事をする内勤が多いのですが、車の運転をすることも多いです。まぁ、配属2年目ですから、ようやく職場にも慣れてきたところなんですよ。

 私の所属している部署は、とある複合企業、まぁ、有り体に言えば、いくつもの分野に跨った企業グループのですね、ちょっとした荒事や調査なんかを担当しています。
 そんなことを言うと、さぞや荒っぽい職場なのだろうと思われがちですが、先輩方は『基本的には』優しいです。私をこの職場へ引っ張ってきた先輩も、私の車好きなところや海外での運転経験、A級ライセンス保持なんかを見込んで斡旋してくれたということもあって、身体を使った訓練については多少のお目こぼしもあったりします。もちろん、運動するのは苦手ではないのですけど、……先輩方には敵う気がしません。あ、すみません。ちょっと遠い目になってしまいました。

 そういえば、この職場には、変わった先輩がいます。
 なんと、まだ十代!
 隊長の息子さんなんですが、それこそ子どもの頃からこの職場に親しんでいたみたいで、現場の指揮を執ることもあるのだとか。自分が高校生の頃なんて、親のすねかじってやりたい放題やっていたというのに、親が隊長だったばっかりに、その点は不憫だと思っています。
 ただ、基本的には隊長のことを蛇蝎のごとく嫌っていて、隊長から直接命令を受けるのではなく、間に徳益さんという別の人を挟んでいるのが、まぁ、子どもと言えば子どもかな、と。
 その十代の先輩、トキさんと言うのですが、びっくりするぐらいに見た目が怖いです。
 父親である隊長は、どちらかと言うと微笑んでいることが多いので、パッと見には当たりの柔らかい人、という印象があります(もちろん、見た目通りではなく、むしろ氷の微笑みなのですが)。でも、トキさんは、寄らば斬る……というか、寄らばKILL!でしょうかね。もちろん、誰でも彼でも暴力を振るったりはしません。ただ、スイッチが入ると手がつけられないのが、やっぱり十代、なんでしょうね。
 一度、組み手の訓練で当たったことがありますが、……正直、病院に送られるかと思いました。他の先輩が言うには、手加減していたらしいんですけど。

 そんなトキさんですが、とうとう彼女ができました!

 ……いや、彼女じゃないのかな? ちまっと可愛い珍獣みたいなんですけど。徳益さんなんかは「狼に兎を与えちゃった感じだよね」なんて言ってましたっけ。

 なんと、うちの部署で徳益さんの次に遭遇できたのが私です。

 防犯上の問題もあって、その女の子をトキさんのマンションに引越しさせるときに運転手を務めました。まぁ、あんなにボロっちいアパートで女子高生が一人暮らしは危ないですよね。最近いろいろと物騒ですし。

 そんなアパートの前に車をつけて、二人が出て来るのを待っていると、トキさんが玄関の方へ出てきました。
 ……なぜか、彼女を小脇に抱えて。

 女性を扱う手じゃありませんよ。大事な彼女なんだから、嫌われないように、もっと優しく、せめてお姫様抱っことか選択肢があるじゃないですか。どうして、そんな荷物を運ぶような手つきなんですかっ!

 私が心の中で絶叫していると、ぽいっと後部座席に放り込まれた彼女が、バックミラー越しに見えました。ボブカットの黒髪を少し乱していましたが、少し大きめの瞳がとても可愛らしい印象を受けます。所在なさげに、後部座席に積んでいたクッションを抱える様子は、警戒心を露わにした―――事前に徳益さんから聞いていた通り―――小動物のようでした。
 ただ、一言付け加えさせていただけるのなら、スイカとかメロンとかに喩えられるような、結構なものを胸にお持ちでしたと。この点だけは、社に戻った後に先輩方にも話しました。

 もちろん、トキさんが彼女のために服を買い揃えた、なんてエピソードも先輩方の酒のつまみになったんですけどね。


 次にその彼女と会ったのは、ドゥーム氏のマンションへの送迎を頼まれたときでした。なんと彼女、あのドゥーム氏の義理の娘さんなんだとか。ただ、本人はドゥーム氏を嫌っているようです。うーん、あの見かけなら女子高生なんかはキャーキャー喜びそうなんですけどね。一筋縄ではいかないところも、トキさんの目にかなったのでしょうか。

 その日は帰りにちょっとした騒動がありました。
 なんと、その彼女、ミオさんが自分の荷物に発信機や盗聴器が仕掛けられているかもしれない、と言い出したんです。
 ただ、探知機を準備する間の潜伏場所をラブホテルにするのは、今でもやり過ぎだと思いますよ?

「犬飼。適当なラブホに回せ」
「了解」

 命令し慣れたトキさんの声に、命令され慣れた私もすぐ返事をしました。ただ、ミラー越しにミオさんがポカーンと口を開けているのが見えてしまったので、さすがに気の毒でしたね。

「さ、佐多くん……? えぇと、聞き間違いでなければ、今、ラブホ…って言いました?」
「聞き間違いじゃねぇな」

 慌てる彼女の様子は、正しく小動物で、何となくトキさんが愛でる気持ちも分かりました。

「ちょ、な、や、な、なにゆえに出会い茶屋なのですかっ!」
「アンタ、じーさんの影響か知らねぇが、時代劇見過ぎじゃねぇのか」

 こうやって慌てている様子は、ちゃんと躾けられた貞操観念のしっかりした子なんだな、と思いますね。あと、『出会い茶屋』という言葉は初めて知りました。時代小説なんて全然読みませんから。

 後部座席に乗る二人に気付かれないように、ふんふん、と頷きながら、私は何度か一時避難に使ったことのあるラブホテルへと向かいます。うちの部署では、ラブホテル以外にもビジネスホテルをいくつかキープしていて、緊急時のビバーク場所にしているんです。カーナビに登録してあるのが半数、それ以外は登録厳禁なので、なかなか覚えるのも大変です。

「休憩すっから、二時間後にまた迎えに来い」
「はい」

 私はきっちりとトキさんの命令に従って、二時間以内に探知機なんかの道具を揃えてここへ戻って来なければなりませんでした。話の流れから命令を拾うのも、二年目ともなると慣れたものです。


「よっす、犬飼」

 フロアで私の首をホールドしたのは、この職場に引きずり込んだ先輩です。

「ちょ、痛いですよ、添田さん」
「これ、よろしこ♪」
「……またですか」

 渡されたのは、イタリア語で書かれた書類です。

「いやー、オレっちイタリア語苦手でさ」
「だからって、毎回、私に持ってこないでくださいよ」
「悪いな。次の仕事の準備もあってな」
「……もしかして、先日のミーティングで話のあった案件ですか?」
「そゆことー。久々にイスタンブール経由だから仕込みもかかるワケよ」

 先週末のミーティングで報告の上がった『案件』というのは、某国で技術者が拉致されたというものだった。その技術者はもともとうちのグループ会社に勤めていたところを辞め、青年海外協力隊に参加し、そちらに赴いていたらしい。協力隊で数年を過ごした後、また会社に戻ってくる予定ということに内々では決まっていたのだが、そんなところに拉致事件発生、である。
 遠からず、うちの部署に救助(確保?)の話が来るとは言っていたが、思ったよりも救援要請は早かったようだ。

「今回はトキさんも加わるって言うからな」
「へぇ、最近は海外の業務に参加してなかったのに、珍しいですね」
「内部に潜入するのに、あのぐらいの年齢の方がいいという判断らしい。まぁ、組織によって中心となる年齢構成は変わるからな。今回のは若いグループなんだろう」
「なるほど。学校もあるのに、大変ですね」
「あぁ、ちょうど修学旅行の時期らしいぞ」
「え? 大事なイベントじゃないですか!」

 修学旅行と言えば、小学・中学・高校のどれでも卒業前の一大イベントだ。クラスメイトと一緒の部屋で寝て、知らない場所に行って、まぁ、男女の……うにゃうにゃ。

「あほぅ、トキさんが違和感なく学校に溶け込めてると思うか?」
「……あー」

 そういえば、学校内では『羅刹』とかこっそり仇名を付けられてるって徳益さんが言っていましたっけ。目つきはヤバいですもんね。あの目つきなら、人を一人二人どころか十人単位で殺してても納得できるというもんです。

「って考えると、本気であの彼女は希少ですよね」
「お前、何度も見たんだろ? どんなだよ?」
「前も話したじゃないですか。ちまっと可愛いタイプですよ」
「普通は、トキさんみたいなヤツは怖がられるのってのにな」
「え? 怖がってますよ?」
「あ?」

 私は、ドゥーム氏の家へ送迎したときのことを思い出しました。

「あのトキさんに面と向かって『顔が怖い』って言ってましたから」
「まぁ、……あー、オレらはあのぐらいのコワモテなら慣れてっからなぁ」
「ですよねー」

 荒事を専門としているせいもあってか、うちの部署は顔からして怖い印象を与える人間が多いです。圧迫感ならともかく、迫力という点についてはトキさんはうちの部署では5指に入るでしょう。

「でも逃げてねーんだろ?」
「はぁ、怖がっていても、ちゃんと反論もしていますし。確か、隊長もお気に入りって言ってましたっけ?」
「あぁ、言ってたな。その時のトキさんの顔は、めっちゃ怖かったけど」
「あれはヤバかったですよね。夢に見るレベルですよ。子どもならおねしょ再発モノです」
「だよなぁ。……これは何としてもトキさんにその子を捕まえてもらわんと」
「ですね。ついでに女子行使の友達を紹介してくれると嬉しいんですけど」
「お前、年下趣味か」
「いや、女子高生って、何か、こう、イイじゃないですか。響きが」
「三年間限定だぞ。すぐに卒業しちまわぁ」
「だからこそですよ」

 軽口を叩きながら、受け取った書類を自分のデスクに置きました。まだ現場に出ることのない自分は、こっちでサポートをするしかないですから。

「それにしても、イスタンブール経由の仕事ですか。久しぶりですよね」
「そうだな」

 危険度がそれほど高くない業務であれば、現場となる国に直行しています。ですが、そうでない場合、慎重に慎重を期す必要があると判断された場合は、数カ国を経由して入国することになっています。ヨーロッパ、中東、アフリカあたりの国が現場となる場合、イスタンブールを最初に経由することが多いと教わりました。

「添田さん、気をつけてくださいね」
「おうよ。オレっちはちゃんと現地妻とよろしくやってくるぜ」
「はぁ……。ほんとに心配しがいのない人ですよね」
「そうか? 心配してくれてもいいんだぜ?」
「はいはい。いつも通りにお願いします」
「ま、変に構えて緊張するよか、そっちのがいいだろよ」

 大学時代からだけど、本当にこの先輩には敵う気がしない。いや、敵う気がしないということであれば、この部署の大半の人が含まれてしまうのだけれど。

「現地で何かあっても骨は拾いにいきませんからね」
「そんときゃ、骨だけで帰ってやるから心配すんな」

 骨だけ。
 なんだか、小学校の理科室にあった骨格標本を思い出してしまいました。

「ホラーですね」
「確かにホラーだな」

 腹を抱えて笑った添田さんは、私の背中をバシンと叩くと「書類よろしくな」と去っていった。
 今、思えば、この会話はいわゆる「死亡フラグ」だったのかもしれません。ただし、残念なことに、添田さんはピンピンして帰ってきましたけど。

 その代わりに、まさかトキさんが負傷して戻ってくるとは夢にも思わなかったんです。

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