TOPページへ    小説トップへ    それは、通り魔的善行から始まったのです。

 69.それは、電車通学だったのです。


 おはようございます。ミオです。
 え、何を挨拶から始めてるのか、ですか? すいません、ちょっと眠いのです。寝不足なのです。

 そもそも、トキくんが悪いのですよ!
 トキくんが恋人とか言うから、うぅ、色々と考えてしまったではないのですか! 今日だって、ちゃんと学校はあるのですよ?

 えいやっと布団をはねのけて、ちゃちゃっと制服(マイナス)ブレザーな服装に着替えると、その上に割烹着タイプのエプロンを羽織ります。だって、ご飯の支度をするのに、制服が汚れたら困ります。
 あ、ちなみに、この割烹着スタイルは、トキくんがえらく不服なご様子でして、他のエプロンと違ってムッとしながら見ているのですよね。後で徳益さんにも言われましたが、せっかくの制服エプロンが台無しなのだそうです。激しくどうでもいいと思ったのは、もう1カ月以上前のことでした。

 さて、ささっと朝の支度とお昼の準備を済ませてしまいましょう。昨日の今日で、さすがに気まずいのです。せめて私の心の整理がつくまで、少しばかり接触を避けさせて欲しいと思います。まぁ、トキくんがこんな時間に起きているわけも――――どうして、いるのでしょう?

「おはよう、ございます?」
「あぁ」

 返事がありました。ソファにどっかと座ったトキくんは、どうやら幻ではなかったみたいなのです。
 いつもなら、もっと遅くまで寝ているはずですのに、おかしいのです。でも、いるのなら、さくさくと朝ごはんを先に出してしまいましょう。ベーコン、スクランブルエッグを手早く焼いて、ワンプレートに盛り付けると、そこにトーストとりんごを乗せて、トキくんの前にカタン、と置いておきます。あ、コーヒーは自分で入れますか。そうですか。
 一緒に食べることはせず、私は台所に立って、自分用の朝ごはんをつまみながら、お昼の準備に取り掛かります。朝は一分一秒が惜しいのです。行儀が悪い、消化に悪いと言われても、食べながらお弁当のおかずを作るのはやめられません。
 あぁ、何だか言いたげにこっちを見ている気がします。うぅ、気づいていません。私は気づいていないのですよ。気づいている素振りを見せたら負けなのです。
 お味噌に漬けてフリーザーパックに入れておいた鮭を取り出してグリルに入れます。タイマーをセットして、その間に茹でておいたアスパラを豚薄切り肉でくるくるっと巻いて片栗粉で接着させます。フライパンに乗っけてじゅわりと焼き始めると、少し空いた時間で、お弁当箱にご飯を詰めていきます。
 弁当作りは時間との勝負なのです。ぎりぎりまで最適化した手順で作らないと、とても登校時間に間に合わないのですよ。……え、誰ですか、もっと早起きすれば良いとか言う人は。そんなのできれば苦労しないのです!

 台所でこまこまと動く私を、リビングのソファに座りながら、誰かさんがじっと観察しているような気がするのです。別に見ていても面白くないと思うのですが、……すみません、恥ずかしいのと邪魔されたくないのと昨日のアレコレが残っているので、今は無視させてください!

 焼き上がった鮭をお弁当箱のサイズに合わせて切ったり、肉巻きベーコンを砂糖醤油+唐辛子の輪切りで甘辛く味付けたり、茹でたほうれん草を胡麻和えにしたりと三口コンロがあって本当に良かったと思います。二人分のお弁当製作時間、今日は二十五分! なかなかの好タイムなのです。自分の分だけだと、色々横着してしまうこともあって十分程度で終わるのですが、やっぱり他人に食べさせるお弁当だと、色々気を遣うのです。
 まぁ、これでトキくんも外に出ることなく、お昼をゆっくり過ごせると思います。ケガ人なのに、外に買いに行かせるなんてことできませんし、私が学校から家に戻って、というわけにもいきませんからね。これで、心配なく学校に行けるというものなのです。

「トキくん、台所にお弁当を置いておきますので、お昼になったら、チンして食べてくださいね」
「あぁ?」

 ……思わず、半歩引いてしまった私は悪くないと思うのです。寝起きのせいか、少し半目気味のトキくんは、その、いつもよりずっと迫力があるものですから。

「えと、もしかして、仕出しのお弁当とか、もう頼んでしまってますか? それなら、このお弁当は―――」
「違ぇ。作ったんなら、包めよ」
「……え?」
「あぁ? いつもやってんだろ」

 それは、トキくんが学校に行くときに、私が足の早い材料を一掃したいという目論見のもとにお弁当を作る時の話ですよね? 基本的には、お昼はまだ仕出し弁当のお世話になってることの多いトキくんなのですが、私がお弁当を作るとさっさと仕出し弁当のキャンセル連絡をしてしまうのです。台所の整理という観点からは助かるのですけど、あの仕出し弁当の味を知っている身としては複雑なのです。

「……ということは、学校に行くつもりとかいう話だったりしませんよね?」
「あぁ? 学校行くに決まってんだろ。そもそも、できるだけ学校に行くように言ったのは、アンタだろーが」
「そ、それはそうなのですけど、えぇと、本当ならまだ入院しているはずのケガなのですよね?」
「ここに居たって仕方ねぇだろ。何して過ごせってんだよ」

 えぇと、ケガ人は普通、安静に過ごしているものだと思うのですよ。それとも、今のトキくんをケガ人の枠に入れてしまったらいけないのでしょうか?

「どうしてこんなにオレが早く起きてきたと思ってんだ? この傷だとバイクも転がせねぇから、アンタと一緒に電車で通学しようと思ったに決まってんだろ」

 決まっているのですか。そうですか。
 しかも、一緒に通学するのですか。
 ……あの、一緒にいるのがいたたまれないので、別の電車に乗りませんか? まだ、昨日のことを引きずっているのは私だけなのでしょうか。くすん。

―――もちろん、私の主張が通るわけもなく、こうしてガタタンガタタンと揺れる電車に乗っているわけなのですけれど、なんだか視線を感じます。
 この時間、うちの高校の生徒はいますし、トキくんは、なんだか近隣の高校でも有名みたいですし、そもそも顔やら雰囲気が怖……げふん、独特なので、自然と視線が集まってしまうのです。その隣にいる私にも、遠慮なくそれが刺さるわけで……うぅ、いたたまれないのです。
 マンションから駅までの徒歩数分は、もっといたたまれなかったのです。原因は明白。何を思ったのか、トキくんが手を繋ぐと言い出したからです。
 もちろん、拒否したのですよ? だって、私、トキくんに何かあってはいけないと、ケガをしている左側を歩いていたのですから。そこで手をつなぐってことは、左手になりますよね? 負担になるではないですか!
 理由をちゃんと言って、お断りしたのですけれど、強引に手を持って行かれてしまったのです。私としては、腕に負担にならないようにするのでいっぱいいっぱいでした。

「……トキくん?」

 電車が走り出すと、トキくんはポケットに手を突っ込み、何かを取り出して「あ」という顔で、それをまた元に戻しました。見間違いでなければ携帯音楽プレーヤーでしょうか? どうも、無意識の行動だったようで、「しまった」という表情を素直に浮かべていたことに、逆にびっくりしたのです。

「音楽を聴くのなら、遠慮なくどうぞ?」
「いや、いい」

 むしろ音楽を聞いてくれれば、私も私で車窓を眺めて、この微妙にいたたまれない感をどっかにポイできたのですが、世の中そう上手くはいかないみたいなのです。
 それなら、適当に会話をして時間をつなぐのが上策でしょうか。

「音楽とか、聴くんですね」

 トキくんのイメージなら、ロックとかハウスとかハードコアとかアーマードコアとか、そういったジャンルが似合いそうなのです。……あれ、妙なの混ざりました? あ、四つ打ちのビートをガンガンにきかせたユーロビートなんかも良いかもしれません。
 そんなことを思いながら尋ねてみれば、何故かトキくんが少し口の端を持ち上げて見下ろしてきました。え、私、何かやらかしました?

「ちょっと聴いてみるか?」
「そうですね。せっかくですから」

 片方のイヤホンを渡されたので、「L」という記載に従って左耳にむにっと嵌めます。もう片方を自分の耳に装着したトキくんは、手元で曲を選んでいるみたいです。ただ、それを左手で操作しているのを見ると、もしかしたら私が思うほどケガは重くないのかもしれません。

 と、ふいに耳に飛び込んだ柔らかな音に目を丸くしてしまいました。流れてくる旋律は、クラシックというよりもっと独特なもので、うーん、民族音楽ちっくなのです。
 ピィーと主旋律を奏でるのは、高音だけれど耳にくるような音ではなくて、もっと甘い音なのです。

「これ、メロディは何の楽器なのでしょう? 響きがきれいなのです」
「あぁ、こういう笛の音が好きなんだ」
「笛ですか?」

 トキくんは、竹や葦とか自然の管を利用して作った笛の音色が好きだという話をしてくれました。日本で言えば、篳篥(ひちりき)や笙の笛のようなものだそうです。
 クラリネットやフルートのような木管楽器とは違うのですよね。木管って言っておきながら、別に木の管な楽器ではないのですから。リードを使って音を出すものを、基本的に木管楽器というのです。このぐらいはミオさんだって知ってます。
 でも、竹や葦でできた楽器、と言われると、民族楽器限定って感じがしますよね。確か、小学校で音楽の時間にやった気がするのです。えぇと、なんでしたっけ。
 むむむ、と考えること数秒、ぽろっと出てきたのは「アンデスの祭り」という曲でした。歌詞に出てくるのは―――

「そうでした、ケーナなのです」
「へぇ、よく知ってんじゃねぇか」

 なぜか、隣の羅刹にぐりんぐりんと頭を撫でられました。ちょっと力加減を間違えているようで、首ごとぐらぐらと揺れたのです。
 結局、なぜか上機嫌のトキくんの隣で笛の音に耳を傾けながら電車の中を過ごしました。ちなみに、メタルとかハウスとかプログレとか聴いてそうな印象だと話したら、そういう気分のときもある、と答えてくれました。今日は流さなかっただけで、そういうのも音楽プレーヤーに入っているみたいです。聴くか? と尋ねられたので、とりあえず遠慮しておきました。ロックならまだしも、メロコアとかよく分からないのです。曲によっては雑音としか感じませんし。

 いつの間にか、私の心にあった「いたたまれない感じ」は消えてしまっていて、何だかいつも通りに学校まで行ってしまいました。いえ、いつも通りというのは正しくないのです。今まで、下校時に拉致されることはあっても、トキくんと一緒に登校したことなんて、なかったのですから。

 不思議なことに、学校が近づくにつれ、トキくんはいつもの仏頂面、いわゆる羅刹仕様に変わっていきました。私が何か迂闊な反応をしたのかと思いましたが、どうやらうちの高校の制服が多くなってきたからみたいなのです。

 正直に言わせてもらいましょう。
 瀬田先生の話では、トキくんは近隣のいろいろな高校から目を付けられているらしいので、うちの高校にだけ気を遣っても意味がないと思うのですよ。
 ……もちろん、怖いので声に出して言いません。私は貝になるのです。

 トキくんと一緒に歩いていると、やっぱりというか、妙に歩きやすいのです。えぇ、道ができますから。個人的には、ちょっと離れて歩きたいなぁと思わなくもないですが、もう今さらですし、トキくんの左側をこっそり守るという使命もあります。……もう今さらですし。大事なことなので二回言いました。
 教室に入ったとき、一瞬、教室が静まりかえりました。私が「うわぁ」と思ったのもつかの間、一瞬後には、再び朝のざわざわとした空気が戻りました。さすがにもう11月ですから、クラスメイトも羅刹の扱いには慣れてきますよね。
 憮然とした表情のままで指定席に座るトキくんを確認して、私も自分の席へ移動します。ドカッと座ったトキくんは腕を組んで目をつぶってしまっています。通常運転です。

「おはよー、ミオっち」
「玉名さん、おはようございます」

 とことこと駆けよって来てくれた玉名さんは、意味ありげにトキくんの席に視線を移すと、口元に手を当てて、内緒話の体勢をとりました。流れで、私もそこに耳を寄せます。

「ね、ミオ。今日一緒に登校してきたの? ……ってことは、もう完全にカップル成立ってことよね?」
「ふやっ!?」

 あ、あくまで私はトキくんのケガが心配だっただけで、そこまでは考えていなかったのです! 出発点が同じなので、特に別行動することもなく、自然に学校まで来てしまったのですが……うぅ、玉名さんの目が、好奇心できらきらと輝いているのです。

「そんな否定しても今さらよ。クラスの中でも浸透してるし、もしかしたら学校中で浸透してるかもしんないし?」
「うぅ、そういうつもりではなかったのです……」
「じゃ、どういうつもりだったの?」

 それを言われると困るのです。まさか、トキくんのケガの話を吹聴するわけにもいきませんし。

ガラララッ

「おーう、朝のホームルーム始めるぞー。席に着けー」

 ドアを開けて入って来た瀬田先生に助けられたのです。


 今さらですが、うちの高校のお昼は、お弁当だったり購買だったりコンビニおにぎりだったり、生徒によって色々なのです。
 食べる場所も、教室や中庭、部室などなど、その人によって様々なのです。

 ……ただ、作法室を占領するような真似は、おそらくトキくんしかやらないと思うのです。

 二人で向き合って、座卓に広げたお弁当を胃の中に納めれば、その後は、言うまでもありません。ヒーリングタイムです。うさぎは身を投げ出してオオカミさんの癒しになるのです。
 いつも通り、トキくんの足の間にちょこんと座り、撫でられていた私ですが、忘れていたいたたまれなさがちょっと戻ってきて、少しばかり居心地が悪いのです。

「どうした?」

 上から低い声が降ってきたのです。うぅ、何気に観察眼が優れているので、こういう私の心の機微に敏感なのです。ここは鈍感であって欲しかったところなのですけれど。

「……何でもないのです」
「本当か?」

 あの、斜め上から威圧をかけないでいただきたいのです。顔を見られる位置ではありませんが、なんだか声に質量を持たせているみたいで、ちょっと怖いのですよ。

「……その、トキくんは」

 うぅ、本人に正直に言うのもどうかと思いますが、このまま解放されない可能性もありますから。言うまで離さない的な。午後の授業に遅刻するわけにはいかないのです。

「急かすようなことは言わないのですね」
「昨日の話か?」
「はい」

 普通、保留、とか言われたら、ヤキモキして相手の明確な回答を急かしたくなるものではないでしょうか。それとも、ちゃんと考える猶予をくれるぐらいに、トキくんが大人対応できるということなのでしょうか?

「保留するってことは、検討する余地があるってことだろ? 承諾してくれるに越したことはねぇが、―――まぁ、あれだ。正直、速攻で断られる覚悟ぐらいはあったしな」
「速攻で、ですか?」

 言われてみれば、そうなのです。キッパリと「NO」と言っても良いはずなのです。こ、告白されたのは私の方なのですから、YESもNOも私の判断一つなのですし。

「別に、アンタに断られたからって、あのマンションを追い出すような真似はしねぇから、安心しろよ」

 私は目をくわっと見開きました。
 突然の恋人宣言で、すっかり気が動転してしまっていましたが、その発想はなかったのです。そう、あのマンションを追い出されてしまっては、アパートを引き払ってしまった私の行く先は、母と、義理父&義理弟が暮らす場所しかないのです。

「と、とととと、トキくん、その、それは――――」
「阿呆。追い出す真似はしねぇっつってんだろ」

 動揺する私を落ちつかせるためにか、トキくんが私の頭をわしゃわしゃっと撫でまわしてきました。

「う、すみません。本当にすみません。ご迷惑をおかけするのです」
「その件はお互い様ってことでお互いに納得したろ」
「それはそうなのですけれど……」
「この話はこれで終わりだ。分かったな」
「……はい」

 うぅ、ミオさん、痛恨のミスなのです。そんなことも失念してしまうなんて、いったい何年あのニシキヘビと渡り合ってきたと思っているのですか。最近の私は、色々と気が緩み過ぎなのです!

「私、なんだか色々とダメなのですね」
「いきなりなんだよ」
「この年で働いているトキくんと違って、あの人から逃げながらも、やっぱりお母さんにどこか頼ってしまって―――って、そうなのです! トキくんのお仕事はさすがに休みなのですよね?」

 そうでした。トキくんは高校生でありながらお仕事をしているのです! このケガだって、お仕事で罹災してしまったものではないですか。労災とかちゃんと下りているのでしょうか?

「さっきっから、話が飛ぶな。―――オレの方は心配すんな。もちろん、書類仕事なんかはあるが、そんなん家にいてもやれるから」
「え? でも、トキくんの仕事って、情報漏えいとか、すごく気を遣うのではないのですか?」
「あー……、そこはVPN網で対策はしてるから問題ない。もちろん、機密度が高いものについては扱えねぇけどな」

 むむ? なんだか、謎のキーワードが出て来ました。

「ぶいぴーえぬもー、って何ですか?」
「あー、えっと、何の略だったかな、……あぁ、そうだ。バーチャルプライベートネットワークの略だ。要は、ネット上でやり取りする際に、他人に傍受されねぇように、その内容を暗号化して送り合うってシステムだ」
「ほわぁ、なんだか、暗号とか、すごく、映画みたいなのです!」

 あれですよね、ニイタカヤマノボレとか、トラトラトラ、みたいなやつですよね。

「何か、アンタの想像しているものとは違う気が……まぁ、いいか」

 一人ワクワクしていた私を、トキくんはちょっと呆れた目で見ていたのです。
 でも、暗号ってワクワクしますよね?

 こんな感じで、「保留」と口にしたことでトキくんに感じていた罪悪感を、私はすこん、と忘れてしまったのでした。
 べ、別に、鳥頭なわけではないのですよ!

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