TOPページへ    小説トップへ    それは、通り魔的善行から始まったのです。

 78.それは、入念な準備だったのです。


「オウラン、ここ辞めるってほんと?」
「へ?」

 バックヤードで突撃してきたのは、貧乳姉、じゃなかったシャオリン姉様でした。あ、後ろにモエカ様もいます。

「な、なんですか、その話。……じゃなかった、なんですの、そんなお話。ここから去るつもりは毛頭ありませんわ」
「え? でも―――」
「だから言ったでしょ。シャオリンの早とちりだって」
「でも、モエカもシフト見たでしょ?」

 シフト?

「ごめんなさいね、オウラン。シャオリンは、今月下旬からの貴女のシフトを見て、誤解したらしいの」
「あら、……ようやく納得しましたわ。姉様ったら、そんなことではシンルー様にも愛想を尽かされてしまいますわ。でも、心配くださってありがとうございます」
「シンルー、ね」

 あ、シャオリン姉様が遠い目をされています。
 そうですよね。シナリオ担当さんが「やっぱり今のニーズは一途な男!」と叫び、諸々の誤解を解いてシャオリンとシンルーをくっつけてハッピーエンドに向かわせようと頑張っているのですけど、最近は、その……

「ヤンデレスイッチ、君のはどこにあるんだろ~」
「ちょ、モエカ、やめてよ」
「ごめん、こないだ来てたシナリオさんがずっと歌ってたのが耳に残ってて」
「やっぱり、あれ耳に残りますよね」
「まぁ、シナリオさんも、冬コミ用原稿が脱稿して、当日発行のコピー本に手を付けながら、ここの台本書いてるし、多忙なのよ……」
「それ、替え歌を歌いながら神殿(事務所)にこもっている理由になりますの?」

 シフトの相談に行ったとき、ちょっと虚ろな目で某学習塾のCMソングの替え歌を口ずさみながら、自前のノートPCに向かっているシナリオ担当さんのことを思い出して、私は両腕をさすりました。

「忙しいときは、人間、妙な行動に走るものよ?」
「そういうものなんですの?」
「深くはツッコまないであげて、オウラン。モエカもそろそろやめよう?」
「はいはい。……で、どうしてシフトがあんなに減ってるの? オウランはお金が欲しくてここにいるのだと話していなかったかしら?」
「……あ、経済状況は何ヶ月か前に安定いたしましたの。ご心配おかけいたしましたわ、モエカ様」
「あら、本当に辞めるの」
「いえ、辞めるつもりはありません」
「? 単にシフトを減らすだけ?」
「……私がシフトを減らしたいという要望と、もう一人のオウランがシフトを増やしたいという要望が合致しただけですわ」

 私の答えに、モエカ様とシャオリン姉様が顔を見合わせました。

「あぁ」
「そういうことね」

 ん? どういうことなのでしょう。

「春頃に海外旅行に行きたいと言っていたから、そのためね」
「つまり、春頃はずっとこちらのオウランが出ることになるのね」
「なるほど、そういうことでしたの」

 道理でウキウキとした様子だったわけです。私としては、もう一人に押しつけてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいだったのですけれど。春休みは覚悟しておくことにしましょう。
 あ、私がシフトを減らしたいという要望は至極簡単な理由です。外に出たくないだけなのです。また、トキくんがいない状況で宮地さんに遭遇したらと思うと……ということでシフトについて相談したら、もう一人のオウラン役の人が、ちょうど冬休み期間中にシフトを増やしたいという要望をしていたらしく、お互いのニーズががっちり噛み合った結果、私のシフトが大幅減少したわけなのです。
 まぁ、それがなぜか私がバイト辞めるという誤解に発展したわけですが。

「それじゃ、誤解も解けたことだし、ホールに戻りますか」
「そうですわね、シャオリン姉様」
「みつけ~て~あげるよ~、君だけのヤンデレスイッチ♪」

「それやめて、モエカ」
「おやめになって、モエカ様」

 本当に耳に残る替え歌なのです。


「ダメです!」
『えぇ~? でもぉ、ミオちゃんに似合うと思うのよぉ?』

 画像通話の向こう側では、全然困っていないのに困ったような声を上げるお母さんがいます。まったく、年齢ってものを考えて欲しいのです。実の母親のぶりっこなんて見てもほだされたりするわけないではないですか!

「お母さんは私を何歳(いくつ)だと思っているのですか! まだ17ですよ?」
『えぇ~? もう17だし、こういうのだってぇ、いいんじゃないかしらぁ?』
「無茶を言わないで欲しいのです!」

 ちなみに画面の向こう、にこやかに私に話しかけるお母さんの後ろには、桜色のワンピースが掛けられています。えぇ、あれがパーティの時に私が着る服だとのたまいましたよ!

「百歩譲って、色はそういう感じでも構わないと思うのですよ? でもですね、その背中はありえません!」
『背中に自信がないならぁ、直前のエステの時にちゃんとクリーム塗ってもらったり、マッサージもしてもらうし、いいかなぁって』
「……お母さんは、私をいったいどうしたいのですか!」
『かわいい娘なんだから、見せびらかしたいに決まってるじゃない』
 ほほぅ。それはアレですか。うちのコの背中見てみて~……って、いやいや、ないですから。ないですからね?

「お母さん?」
『レイだって、これが似合うって言ってくれたのよぉ?』
「……ぐ、で、でも、さすがにアピール方向が違うと思うのですよ? そういった服は、ハイエナのように将来有望な結婚相手を探す20代以上のお姉さまの方が似合うと思うのですよ」
『ハイエナ、ねぇ……』

 あれ、お母さんがニンマリと笑っています。その笑顔、イヤな予感しかしないのですけど。

『そうねぇ、ミオちゃんにはトキくんがいるものねぇ? わざわざ新しい人を探す理由もないもんねぇ~』
「と、トキくんは、そういうのじゃなくて……いえ、百歩譲ってそれでも構いません! とにかく、そんなふうに背中がぱっくり開いたドレスなんて着ませんから!」
『なに? やっぱりトキくん以外のイケメンをパーティで探す予定でもあるのかしらぁ?』
「どうして、そういう方向にしか考えがいかないのですか、この万年お花畑!」
『いやぁん、怒られちゃった。ねぇ、トキくん?』
「え?」

 今、なにと、言いました?
 え?

 ギギィ、とブリキのおもちゃのように軋む動作で振り向くと、そこには羅刹像が鎮座していました。

「……トキくん?」
「おう」
「えぇと、おかえりなさい?」
「あぁ」
「い、いつから、聞いてましたです?」
「かわいい娘だから見せびらかしたい、とか言っていたあたりか?」

 会話を思い返します。
 ……えぇ、確かにお母さんがそんなことを言っていましたよね。

「まぁ、アンタが母親の用意した衣装が気にくわないなら丁度いい。―――悪いが、オレが用意する。それは閉まって欲しい」
『あら♪ そうね、そうよね。やっぱりこういうのは男の人が選んだものの方がいいわよね。うふふ、お邪魔しました』

 目を細目、口元に手を当てて、そのまんま近所の世話焼きおばちゃんな感じになったお母さんは『またねぇ♪』と手を振ってぷつり、と通話を打ち切りました。
 あの、すごく、微妙な感じで取り残されてしまったのですが。
 お母さん、私がトキくん以外のイケメンをパーティで探すとか口走っていやがりましたよね?
 ……。
 …………。

 メーデー! メーデー!
 誰か救援を求むのです!

「アンタがあれだけ拒むのって、どんな服だったんだ?」

 私はトキくんのセリフにほっと胸を撫で下ろしました。どうやら、さっきのは万年お花畑のお母さんの妄言ということで、処理してくれたみたいです。

「こう、背中がぱっくりと、腰の近くまで開いていたのですよ。すーすーし過ぎて心許なくなるに決まっていますよ、ねぇ?」
「ふぅん?」
「それに、囮のこともありますし、それを考えたら、もう少しマシな服を……って、トキくんが用意するのですか?」
「あぁ、多少、服に仕込みをするからな。アンタのサイズをもう一度確認しておきたい」
「さいず」
「ん? あぁ、身体のサイズな。下着もこっちで用意するから、バストはトップとアンダー、ウェスト、ヒップはもちろん、腕のあたりも測っておこうと」
「……それ、本当に必要なのですか?」
「あぁ」
「誓って、やましい理由ではないのですよね?」
「仕込みをするって言っただろうが」

 うーん。これ、とても抵抗があるのですけど。お付き合いしている相手に、自分のサイズを知られるのって、イヤなものですよね? 私、少数派ではないですよね?

「ちなみに、自分で採寸した数字を渡せばよいのですか?」
「オレが採寸していいのか?」
「遠慮したいです」
「なら、自分で測れ」

 ぺらり、と渡された紙には、両手を広げた人体図が……って、採寸する場所が色々と書いてあります。二の腕とか太股って、何に使うのでしょうか? そもそも本当に必要なのですか?

「……えぇと、いつまでに?」
「なるべく早く。可能なら今すぐ」
「ちょ、ちょっと待って欲しいのです!」

 私は慌てて自室に駆け込みました。引き出しからメジャーを引っ張り出すと、ぽいぽいっと着ていた服を脱ぎ捨てました。大きな姿見の前でメジャーのズレがないかを確認しながら、胸やら首やら腕やらを測って、数値をせっせと書き込みます。

「うぅ、恥ずかしいにもほどがあるのですよ……」

 この数値をトキくんに渡さないといけないとかどんな罰ゲームなのですか!
 ここに住むようになってちょっと肥えたお腹周りとか、買い出しによって鍛えられた腕回りとか、トキくんに知られてしまうのですよ!

「……本当に、必要なのですよね。信じてよいのですよね」

 本当は分かっているのです。あの蛇と戦うためには、準備万端にしないといけないということぐらい……!

 十数カ所の採寸を終えて、全部の数値を書き込み終えたことを確認すると、メモをきっちり四つ折りにしました。このまま、トキくんが中身を確認しないでくれたらいいなぁ、と思うのですけど、きっと無理ですよね。
 うぅ、ちょっと怖いのです。

 自分の部屋を出ると、ソファに悠然と座るトキくんと目が合いました。相変わらずの目力なのです。いえ、怖いというよりは、躊躇を誘発するというか、……うぅ、とりあえず、この採寸メモは渡さないといけないものなのです。

「終わったか?」
「はい。終わりました。できれば、トキくんは見ないで……って、どうしていきなり見るのですか!」

 せっかく、きれいに四つ折りにしていたものを、あっさりと目の前で開くなんて、トキくんはその目力を少しデリカシーに変換した方がよいと思うのです。

「あぁ? 見るに決まってんだろ。ちゃんと抜けがないかチェックすんだから」
「ぐ、で、でも、そんなにじっくり見なくても、空欄があるかどうかだけ見ればよいではないですか」
「阿呆。採寸ミスがないかも確認は必要だろ。ありえない数字とかねぇか、見る必要があるだろうが」

 ぐ、いちいち正論に聞こえるのです。

「とりあえず、問題ねぇな。会社に送るからちょっと待ってろ」

 そう言って、自室に行くトキくん。今度は、私が取り残されてしまったのです。
 まぁ、おとなしく待っていう必要はないと思うので、さくさくっと夕飯の支度に取りかかることにしましょう。ひじきの煮物をあっためて、ほっけを焼いて、サラダをさくっと盛るのです。

―――で、夕ご飯となったわけなのですが。

「で、探すつもりなのか?」

 トキくんが唐突に私に尋ねてきました。ちょっと大事な情報が抜けた質問に、さすがの私も対応しきれません。

「何を、ですか?」
「アンタの母親が言ってたろ。新しい男を探すって」
「ふゃっ!? な、何を言っているのですか!」

 むぐ、やっぱりお母さんとのアレな話が気になっていたのですね、トキくん。でも、私も忘れかけていたこんなタイミングで投下しないで欲しいのですよ。

「万年お花畑の人の言うことなんて、気にしないでください。蛇の件があるというのに、そんな器用なことができるわけないではないですか!」
「理由はそれだけか?」
「え?」

 理由? え、パーティでお母さんが言ったようなことをしない理由なんて、そのぐらい……って、ああ!

「もちろん、トキくんていう、その、彼氏がいるのに、新しい人なんて探すわけがありません!」

 えっへん、と胸を張っていったら、なぜか頭を軽くはたかれてしまいました。うぅ、この答えが正解なのではないでしょうか?

「ドヤ顔で言うな。普通はそれが先だろ。いかにもオレに言われて気づきましたって感じのくせに」
「あ、当たり前のこと過ぎて、逆に思いつかなかったのですよ! むしろ、どうして言わせようとするのですか」
「その方が嬉しいからに決まってるだろ」

 ぐ、ストレート過ぎる返しに負けました。ド直球の球をきれいに打ち返せるほど、私には経験値がありません。
 黙ってしまった私に、トキくんはそれまでのやり取りを忘れたかのように淡々とした声で告げます。

「アンタは無駄に心配性だから言っておくが―――、今回の件はアンタが被害者になる前提で進められる。あっちがどういう方法を取って来るかは分からねぇが、絶対に助ける。そのための準備はこれ以上ないってぐらいに整えてある。それを忘れんなよ」
「わ、かっているのです」
「後で改めて説明はするが、当日アンタの身体には、発信器やマイク、ナイフなんかを仕込む予定だ。もちろん、機器の類が使えなくなる可能性だってあるし、どれだけ準備しても100%安全とは言えねぇ」
「覚悟はしています」
「阿呆。オレのとこの部署をナメんなよ。場数だけは踏んでる。だから、安心しろ」
「……」
「アンタが、あいつに報復できる重要な一手を担うんだ。それが望みだろ?」

 そうです。大丈夫。私は、絶対に許すつもりはありませんから。

「アンタに何があっても、後ろにはオレらが控えてる。それを忘れんな」
「はい!」
「だからっつっても、パーティで他の男に秋波送るなよ?」
「送りません!」

 また、その話に戻って来たのですか、トキくん!
 間髪入れず反論した私に、トキくんは声を上げて笑っていました。からかわれたのが分かるだけに、ちょっとムカッとくるのですよ。
 もちろん、気負いがちな私の心をほぐそうとしてくれたのは、分かっています。でも、もう少し他の方法もあったと思うのです。

「笑い過ぎなのですよ、トキくん!」

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