TOPページへ    小説トップへ    それは、通り魔的善行から始まったのです。

 87.【番外】それは、運命の出会いだったのです。


(はぁ、憂鬱にも程があるわよねぇ)

 あたしは、目の前にそびえ立つビルを見上げた。
 いわゆる一流どころの複合企業(コングロマリット)への営業出入りの許可が下りるなんて、本当ならすごいチャンスだって跳び上がって喜ぶところ、なんだけど、あのクソ野郎の手引きだと思うと、正直に言って喜べない。喜べるわけがない。
 保険の募集人、いわゆる保険のオバチャンを始めてもう何年になるか、上司に「またとないチャンス!」と言われてしまえば、断ることもできない。あたしを名指しにしてきたから、他の同僚に譲ることもできない。八方塞がりとはまさにこのことよね。

「仕方ない、いっちょやりますか!」

 パシン、と拳を手のひらに叩きつけて、あたしは巨大なビルへと踏み込んで行った。

―――というのは、もう一ヶ月も前の話。あれからこのビルに日参した私は、めでたく新規の契約を結ぶことができた。ただ、めでたくないことに、何度もアイツに掴まった。

 アイツとは出会いからして最低だったけど、今でも最低だわ。最低から評価が一向に上がらないっていうのは、それだけクソ野郎ってことよね。

 今日も先日提案書を送ったお客様への説明をして、すぐさま身を隠す。アイツのいる会社で身を隠すもなにもないけれど、幸いにアイツはそれなりの役職にいるらしく、気配を消すことで何とか逃げることはできる。今の所、勝率は7割ってところかしら。

(……って、エントランスで待ち伏せとか有り得ないわよねぇ?)

 エレベーターホールから、その姿が垣間見えて、あたしはすぐさま回れ右をした。ちょっと、どーゆーこと? 営業本部長サマってそんなに暇なの?

 このビルって裏口あったかしら……って、来館者カードを受付に返さないといけないからダメじゃない。あー、これ詰んだ。それともいっそ、トイレにでも立てこもってアイツが消えるのを待つ?

(今日は負け戦って割り切る? いやー、だめだめ。今日はミオちゃんがおでん作って待ってるんだから。ミオちゃんのおでんは絶品なんだから。昨日から仕込みしてくれてたの知ってるから!)

 ヒットアンドアウェーで逃げを打とう。ランガンて言い換えてもいい。アイツに割く時間は1ミリ秒たりとも勿体無いけれど、やむなし!

「失礼、どこか具合でも?」
「あ、大丈夫です……ぅ?」

 一瞬、自分が別世界にでも放り出されたのかと思った。見たことのない美丈夫に脳みそのネジが2本3本は飛んだ。コーカソイド特有の白い肌、日本人じゃありえない鮮やかな色の瞳、まさにこないだ古本屋でジャケ買いしたハーレクインロマンスの世界……!

「ちょっと不都合が生じただけで、体調は問題ありませんから、お構いなく~」

 ふふふ、と日本人特有の曖昧な笑いを浮かべて、親切な社員さんに別れを告げる。分かってくれたようで、ちらちらとこちらを気にしながらエレベーターホールへ向かう白人さんを、あたしは姿が見えなくなるまで見送った。
 あぁ、眼福。
 海外にガンガン展開している会社だもんね。そりゃ、見るからに外人!って社員もいるでしょうよ。なんでもこの会社、優秀な学生まで雇用しているらしいし。やっぱ第一線を張る企業っていうのは違うわね。
 うん、イケメン外人さんで、心意気のチャージは完了! 頑張ってアイツを振り切ろう!

 あたしはカバンを肩に掛け直すと、自分史上最高の早歩きで受付へと向かう。

「やぁ、リコ。奇遇ですね。この後、ランチでもどうですか?」
「どうぞお気遣いなくこれから自社に戻って報告と資料作成の予定ですので営業本部長サマにおかれましてはもう御社規定の昼休みのお時間も終わる頃と思いますのでどうぞご自分のデスクにお戻りになってとっとと午後の業務にとりかかってはいかがでしょうかそれではまた後日営業に伺わせていただきますので本日はこれにて失礼いたしますわ」

 ノンブレスで言い切ったので、受付のお嬢さんが目を丸くしているのが見えた。まぁ、そんなことはどうでもいい。入館証も返したから、三十六計逃げるに如かず!

 脱兎のごとくエントランスから逃げ出したので、ちょっと足が痛かった。明日からもっとローヒールなものに変えよう。でないとあたしの足が持たない。


「お母さん、顔が死んでるのですよ?」
「あぁん、ミオちゃぁん~」

 娘が天使で目が潰れそうなんだけど、どうしたらいいのかしら。

「聞いてよぉ、もう最悪! アイツ本当にいつ死ぬのかしら? とっとと海の藻屑になればいいのにぃ~」
「……たぶん、お魚さんがお腹壊してしまうのですよ」

 あたしの大好きなおでんを二日がかりで作ってくれた娘をぎゅっと抱きつく。隔世遺伝か知らないけれど、まな板なあたしの娘とは思えないくらい、胸部装甲は盛ってるの。触り心地がいいのは知っているけど、なかなか触らせてくれない。思春期のせいかしら?

「受験生なのにごめんねぇ?」
「いいのですよ。受験生だからと気構えずに、いつも通りがいいって、先生も言っていたのです」
「あーん、もう、ミオちゃんてば、なんていい子なのぉ~」
「お母さん、胸タッチはダメなのです」

 ぺしん、と手の甲を叩かれちゃった。本気でツレないわぁ。

「あ、そうでした。去年の過去問を解いてみたのですけど、春原高校の合格ラインはちゃんと超えていたのですよ。この調子なら本番も大丈夫そうなのです」
「ミオちゃんてば、本当に賢いわぁ。あたしに似たのかしら」
「……えぇと、そうかもしれないです?」

 あらひどい。ミオちゃんてば、目が泳いでるわ。
 どうやって不貞腐れてみせようかと考えたあたしは、ふと、今日出逢った外人さんのことを思い出した。

「そういえば、ねぇ、ミオちゃん。今日、お母さんすっごいイケメンに出くわしちゃったのぉ♪」
「イケメン、ですか?」
「そう! 金髪白人美青年!」

 思い出しても美青年だったわ~。本当に目の保養させてもらったわ。今日はうまくアイツからも逃げられたし、美青年サマサマね。

「お母さんがそう言うのなら、よほどの人だったのですね」
「ああいう人を毎日見られる職場だったら、嬉しくて通い詰めちゃうんだけどねぇ」

 ほんっと、アイツさえいなければ!

 行間を読んだのか、ミオちゃんは苦笑してるわ。そうね、ミオちゃんも被害者だもん。本当はあたしがもっとしっかりとアイツをどうにかして殺《や》れればいいんだけど、さすがに犯罪者の娘にさせるのは、ねぇ……。

「そういえば、また郵便受けに不審なダイレクトメールが入っていたのですよ。今度は化粧品の無料サンプルとか書いてあったのです」
「あぁら、本当に面倒ねぇ。それで、そのダイレクトメールはぁ?」
「靴で踏んでみたら、本当に化粧水とか入っていたみたいで、破裂してしまったのです。ついでに漏電するような音もしたのでゴミ箱にポイしておきました」
「ありがとう、ミオちゃん」
「どういたしましてなのです」

 ほんっと、しつこいわね! 本当に、どうやったらアレを駆除できるのかしら。ストーカーホイホイとかあったらいいのに。いいえ、欲しいのは粘着男コロリかしら?

「明日は帰りが遅くなるかもしれないから、先にお夕飯食べてていいからねぇ?」
「分かったのです」

 はぁ、ストレス溜まるわぁ。


「おや、また会いましたね」

 営業の途中で声を掛けられることは少なくない。何度も出入りするうちに、顔見知りになる社員さんもいるから。
 ただ、この会社でのあたしの評判は、なんだか微妙なものらしいけどね。アイツがあたしに付き纏っていることは、もう何人かに知られているし、アイツを慕う社員からは悪し様に評価され、逆にアイツを嫌う社員からはエールをもらい、アイツを知らない社員からは、まぁ、半々ってとこかしら。

「えぇと……?」

 不本意ながらアイツのコネを使って、複数の部署への出入りを認められたあたしだけど、そうやって訪問しているフロアでは、その人を見たことはなかった。
 だけど、その人のことはちゃんと知っていた。
 だって、玄関で親切にも声を掛けてくれた、白人美青年だもの! 忘れられるわけもないわ!

「一度、お会いしましたね」
「えぇ、エントランスで声を掛けてくれたのは覚えていますわ。イケメンに優しく声を掛けられてラッキー、って思いましたから」

 営業用のスマイルを使って、即座に好意的な印象であったと伝える。重苦しくなく、軽いトーンで口にするのがポイント。でも、どこの部署なのかしら。海外にある支社と遣り取りしているのは、確か調査部だったから、そこに所属している人かしら? 日本に国籍がない人の手続きは面倒だからと後回しにしていたけど、目の保養に一度ぐらいは訪問してもいいかもしれないわね。

「えぇと、保険の営業で立ち入りしてる、須屋さん、で合ってますか?」
「はい、須屋です。よろしければ名刺をお渡しいたします。保険にご興味がおありですか?」
「実は、ワタシ、キミに興味があるんだ」
「……え?」

 突然、敬語が行方不明になって、あらら?と首を傾げる。

「あのミヤジが執心な女性だって聞いたよ」
「……あぁ、なるほど、そういうことでしたか」

 残念なことに、ちょっとこの美青年に対する評価を下げた。何度かあったアレね。アイツが気に入らないから、アイツが執着してるあたしを手に入れてやろう、みたいな。

「今日もミヤジがエントランスでハリコミだって。営業補佐の社員から聞いたから、間違いないよ」

 え?

 下げたばかりの評価が急上昇する。
 このイケメン、アイツの動向をチェックしてくれたの? すっごく助かる!

「そこで提案だけど、ワタシは午後から社用車で出かける予定なんだ。よければ近くの駅まで送るよ?」
「あの、嬉しい提案ですけれど、退館手続きをしてこちらの入館証を返却しないと、受付の方にご迷惑をおかけしてしまいますので」

 あー、イケメンの親切嬉しいのに惜しいわぁ。

「心配いらないよ。総務の方に顔が利くから、ワタシの方から返しておくよ。―――どうかな?」
(やだ! このイケメン、デキる男じゃない!)

 と、そこまで考えて、ふと気付く。もしかして、これ、アイツの罠だったりしないかしら? あたしが周到に逃げ回るから、別の社員を使って捕まえる、とか?

「大変嬉しいご提案ですけれど、そこまでご迷惑をおかけするわけには……」
「ふふっ、やっぱりワタシの思ったとおりの人なのかな。それじゃ、ささやかなお手伝いだけでも受け入れてくれないかな。キミはこれから帰るの? それならワタシも途中まで一緒に行くよ」
「でも、これから社外に行かれるのでは?」

 あたしが尋ねると、イケメン美青年は、きらっきらの笑顔を向けてくれる。眩しくて目を細めてないととても拝めないわ。

「そうだよ。だからワタシは、エントランスにちょっと寄ったところで、ミヤジを見かけて世間話するだけ」

 人差し指を唇に当ててウィンクする様子は、雑誌モデルかと思うぐらいに、きらめいていた。星とか飛んでてもおかしくないレベルだわ。

「えぇと、それなら、お願いしてもいいですか?」
「うん、お願いされた」

 そのままエレベーターに乗ったあたしとイケメン美青年は、1階フロアに着くと手を振って別れた。イケメンが先行して、あたしは3分後に受付へ行く手筈だ。
 果たして、エントランスではアイツが本当に張り込みをしていた。ただ、あのイケメンが見事にその進路を塞ぐように会話をしている。すばらしい。グッジョブイケメン!
 こちらを気にしている様子のアイツだけど、どうやらイケメンを無碍にすることもできないみたいで、あたしは悠々とビルを出ることができた。
 このビルに営業に来るようになって、初めて落ち着いて出ることができた。あぁ、なんて清々しい気分。

 とりあえず、あのイケメンについては調べておかないと。アイツが強引に会話を切り上げられないなら、それなりの役職にいるはずだろうし。



 まさか後にあのイケメンと結婚することになるとは、さすがのあたしも思い至らなかったけど、可愛い連れ子のエンジェルちゃんと、ちょっと愛が過ぎるけど素敵なダーリン、天使なミオちゃん、そしてお腹ですくすくと育つ子に囲まれて、あたしってば、本当に幸せね。



※リコは基本的に恋愛脳でお花畑ですが、仕事モードになればバリバリできる人です。
※家族に対する会話と、営業先の会話は別人28号に思えるかもしれませんが、同一人物です。

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