TOPページへ    小説トップへ    赤雪姫の惰眠な日常

惰眠5.はた迷惑な惰眠

 3.琥珀色の飴


「ずいぶんと厳しい試験ですこと」
 人の姿をとった紅雪の向かいで茶を飲みながら、星瑛はしみじみと呟いた。
「試験とな? わしは事実をありのままに教えて差し上げただけだというのに。まったく星瑛は言葉の裏読みが過ぎるのぅ」
 大膳職から届けられた饅頭には手をつけず、紅雪は茶だけをすする。
 三方にちょこなんと盛られた饅頭は5つ。四角錐の形に積まれた饅頭はまだ温かさを保っていた。大膳職の大夫の話では、中の餡に特に趣向を凝らしているという話だ。
「そちらの約定もきちんと口にしてくださっていれば、私もこのようなことは申し上げません。―――愚帝であれば、相応の始末をつけるのも護国の仙女のお役目でしょう?」
「まだ、判断する時期には至らぬよ。まぁ、多少なりとも成長の兆しは見せてもらいたいものじゃが」
 星瑛はふぅ、と息をつく。本当ならば、このような対応についても後任の桜莉に教えたいのだが、彼女ではまだ上手く立ち回れないだろう。下手をすれば、湘太子と一緒になって引っ掻き回しかねない。それでも、せっかくの仙女の守役としての仕事だ。時機を見計らって伝えるようにしよう。そう星瑛は考えた。
「それで、こちらの饅頭は不合格ということでよろしいですか」
「あぁ、とても好んで食す気にはならんよ。そうだのぅ、西方渡来の新食材を試すのは良いが、奇をてらうだけでなく、きちんとその食材を理解した上で作れと言ってやれ。それもできぬなら、野草を混ぜた草饅頭の方がマシだとな」
 厳しい評価を受けた饅頭を1つ手に取ると、星瑛はぱっくりと2つに割って餡を確認した。白と赤の二層になった餡のさらに内側から、とろりと茶色い液体が流れ出る。これが大夫の言う趣向なのだろう。
 星瑛はぱくり、と半分になった饅頭にかぶりついた。種類の違う風味や甘さが複雑に絡み合い、見事に全てを台無しにしていた。確かにこれは普通の饅頭の方が美味い。
「おそらく、ずいぶんと前に甘味を好むようだと伝えた結果、暴走してしまったのでしょう。前者だけ伝えます。―――では、こちらは桜莉様にでもとっておきましょう」
 仙女様のお気に召さなかった饅頭を戸棚に片付けた星瑛は、その代わりにと笹の葉にくるまれた親指大の塊を皿に乗せて差し出した。
「姪から届きましたの。何も茶菓子がないのも寂しいですから、これならいかがです?」
 上質の材料を吟味し、製法に工夫を凝らし、鳳凰を象った焼印の押された饅頭に比べ、貧相な印象を受けるそれを、紅雪は躊躇うことなく摘み上げた。
 白魚のような指が、まるで宝物を扱うように笹を開く。その中にはごつごつとした琥珀色の塊が入っていた。
「これはまた、懐かしい」
 それをポイっと口に入れると、紅雪の口元がニンマリと弧を作った。
「姪御だけではないな。その娘も手伝っておる」
「そういえば、そんなことも手紙に書いてありましたわ。一度も会ったことのないのに、心をこめて作ってくれたのですね」
 下級貴族の出であった星瑛は、女官をしていた頃から地方に住む姉と文などのやり取りをしていた。今はもう姉もこの世にないが、その長女一家と手紙のやりとりが続いている。
「俸禄のほとんどを実家に送っているのであろう? 中央で稼ぎ続ける『おばあさま』に、感謝しておらぬわけもない。……ふむ、良い味じゃ」
 地方でよく子どものために作られる飴は、主に蜂蜜や乳から作られ、そこに地方独特の何かが混ぜられる。星瑛の実家付近は、胡桃が特産らしい。
「えぇ、毎年送ってもらっておりますの。この年になっても、たまに食べたくなってしまうものですから」
「わしの住んでおる村では、栃栗を使っておる。じゃが、胡桃もよいのぅ」
 素朴な味のする飴をコロコロと口の中で転がしながら、紅雪は上機嫌に微笑んだ。


「まだ指は痛むか? 桜莉」
 闇夜、小さな灯だけが照らす房に、紅雪の声が響いた。
「いいえ、痺れているような感覚はありますけれど、問題ありませんわ」
 いまだ降嫁する気配のない皇妹・桜莉は、後宮の一角にその房を有していた。その中でも、主たる桜莉の寝室には布団が2組敷かれていた。
 1つは桜莉のもの。もう1つは1週間ほど前からこの房の客となっている紅雪のものだ。
「槌を振るうのは、もっと簡単なものだと思っていたのですけれど、存外、難しいものでしたのね」
 日中、大工仕事に精を出す桜莉は、自分の指を思い切り槌で打ちつけてしまったのだ。ぷっくりと腫れてしまった指は、今は紅雪が調合した特製の湿布が巻かれている。
「やはり、完治させてしまった方が良かったのではないか?」
「いいえ、これも修行の一環ですもの。あたくし、社建立を通して、色々と知ることができましたわ。槌を振るう難しさも、この痛みも。―――あたくしは、中央官庁で働くには、色々なことを知らな過ぎるのです。それを本当に実感するためにも、あっという間にこの傷を治してしまってはいけないのですわ、きっと」
 眩しいものを見るかのように目を細めた紅雪だったが、隣の寝具に寝転がる桜莉からはとても暗くて見えなかった。
「それに、あたくし、本当におのれの無知を実感いたしましたの」
「ほぅ?」
「仙女様のお仕事が、国を守るだけでなく、皇帝の是非を問うこともあるなんて、あたくし、伝説だと思っていましたわ」
 星瑛から湘太子や蔡妃に関わる一件を、仙女の役目を含めて説かれた桜莉は、それをまだ未消化のまま胸にしまっている。
「―――長子だから、血筋による強力な後ろ盾もあったから、お兄様が皇帝の位にお座りになったのも当然と思っていましたの。……でも、お兄様も、仙女様の試練を乗り越えたのでしょう?」
「試練というと、何だかこそばゆいのぅ。わしはただ、見極めるまでよ。今回のように暴力に訴える阿呆どもを利用することもあれば、別の形で性質を確かめることもある。じゃが、資質を問うまでもないこともあるからのぅ」
「それは、良い意味で、ですの? それとも」
「どちらもじゃ。まぁ、これまでも臨機応変に対処はしてきた」
 どこか冷淡に言い放つ紅雪に、桜莉は何かを言いかけ、口を閉じた。
「どうした?」
「……難しいものですわね。あたくしは、湘とも蔡妃とも親しくお付き合いさせていただいてますけれど、神祇伯の立場では、一歩、退かなくてはならないのでしょう? あたくしは湘が幼い頃から知っていますし、少なからず情があります。でも、それと皇帝の資質は別に判じなければならない」
 紅雪は次代の神祇伯を選んだ自分の目が、確かだったと笑みを深めた。
「それを誰に言われることなく悟れるからこそ、次代の神祇伯たりえるのじゃ」
 その言葉に、桜莉の頬が熱を帯びた。迂遠な言い回しながら、それが誉め言葉と分かっていた。
(でも―――)
 脳裏に浮かぶのは、赤ん坊の頃から知っている、彼女の甥っ子の顔だった。子どもらしさを残しながら、最近は随分と大人びた意見を口にするようになった。
 桜莉の耳に届いているのは、その立場もあって隠密に動けない湘が、何やら母親の周囲を調べまわっているということ。
「……湘は、頑張っているようですわね。空回りしていないといいのですけど」
「あぁ、あのぐらいの子どもは、やる気の空回りなど当たり前じゃ。わしが見るのはそのようなことではないよ。結果ではなく、どう考え、どう動くのか、それを見たいのじゃ」
「それを聞いて安心しましたわ。……ふふっ、あたくしも湘に負けないように、早く社を完成させないと。負けてはいられませんわ」
「次は屋根じゃったか?」
「えぇ、しばらくは晴天が続くみたいですもの、次の雨が来る前に完成させてみせますわ」
「ふむ、それは楽しみじゃのぅ」
 可愛らしい決意表明に、この先の天気も「未来視」しておくか、と紅雪は目を閉じた。

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