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 8.千慮の一失


ピンポーン
 チャイムの音が室内に届いた。
 ついさっき朝食を終えたばかりの母娘、もとい摩耶と悟は跳ね上がるように反応した。
 まるで示し合わせたかのように視線を合わせ、お互いが同じことを考えていることを確認する。
 音を殺して悟をトイレに押し込めて、摩耶が玄関に向かった。後ろ手に警棒を握り締める。
「はい、今出ます」
 努めて明るい声を出して、チェーンを外す。
 そして、一拍だけ空白を置く。相手側からの反応はない。最悪、チェーンを外した直後に押し入られることも考えていただけに、少しだけ気が緩んだ。
ガチャリ
 摩耶は真っ直ぐに「仮想敵」を見据える。
「どうも、こんにちは。安威川さん」
「……羽谷さん?」
「はい、どうやら驚かせてしまったようで申し訳ありません」
 にっこりと黒スーツを身に付けた「笑顔魔人」羽谷が返事をする。
「それで、何か急な用でもあったのか?」
 窮屈(きゅうくつ)な個室に押し込められていた悟が、自主的に顔を出した。
「何にしても丁度良かったわ。あの『おつかい犬』……いえ、あたしの所に仕事を持って来た人について、聞きたいことがあったのよ」
「おつかい犬?」
 聞きなれない名称に口を挟んだのは悟だった。
「あぁ、奥山のことですね。彼が何か……?」
 羽谷の冷静な受け答えに、「おつかい犬」の正体を知った悟はぶっと吹き出した。いいネーミングセンスだな、と笑う彼は、久しぶりに羽谷に会えてはしゃぎ気味のようだ。
「彼が内通者じゃないかと思ったのだけど」
「まっさか! あいつは根っからの弱気君(よわきくん)だぞ?」
 悟が摩耶の二の腕を叩いてツッコミを入れる。先日テレビで見たのを真似した、揚げ足取りでない初めてのツッコミだ。
「あの内気さが演技だと仰りたいのですね。―――分かりました。調べておきましょう」
 誰も自分の相手をしないことに拗ねたのか、悟は話が一区切りついたと見て、羽谷に向き直った。
「羽谷。玄関で話すのもなんだ、中に上がれよ。……狭いけど」
「そうですか。では、失礼します」
 羽谷は悟の招きに従って黒い革靴を脱ぎ、玄関の床に足をつけた。
―――次の瞬間、摩耶は羽谷の傍らに立っていた悟を突き飛ばした!
「羽谷!」
 悟の悲鳴が狭い玄関に響く。
 摩耶の左肩からは血が流れ、羽谷の右手にはその傷を作ったナイフが握られていた。
 有無を言わさずに悟をリビングに押しのけ、ドアを閉めた摩耶にギラリと輝くナイフが襲い掛かる!
 左脇をかすめたナイフは、摩耶の着ていた黒いトレーナーを裂き、素肌に赤い筋を作った。
「やってくれるわね。―――キラー・ショウ」
 相手の口から出たその名前に、羽谷は少しだけ驚いた様子で距離を取った。
「知って、いたんですか?」
「いいえ? 知ったのは今よ。……それよりも、()()とおしゃべりしててもいいの?」
「……」
 沈黙した彼を視界の中心から外さないように、その中でも摩耶は思いがけず立ち回りの舞台となった玄関内に何か武器はないかと探す。
 来訪者が羽谷と知って、つい武器を手放してしまった自分が迂闊(うかつ)過ぎた。シューズボックスの上に置かれた黒い警棒を取るためには、今のドアから離れる必要がある。それはダメだ。
 隙を作るために、相手の思考を遮るように口を開いた。
「どうしてあたしが標的だと知ったか? それも簡単な推理よ? そうね、三段論法で説明できるかしら」
 緊張で浅くなりがちな息を整える。
「一、キラー・ショウは標的以外を狙わない。二、さっきの二撃目は明らかにあたしを狙っていた。つまり、あたしも標的の一人」
 そうでしょ? と相手の反応を促せば、目の前の男は「羽谷」では考えられない表情を浮かべた。慇懃無礼(いんぎんぶれい)な笑顔を消し、真剣な表情で目を細める。
「分かっているなら、話は早いな」
 静かに呟くと、右手のナイフを一直線に摩耶の首に向けて疾らせた!
「くっ!」
 間一髪で身を捩って避けた摩耶は、ナイフがドアに刺さるのを確認するより速く、右の掌底(しょうてい)を相手の顔面目掛けて繰り出す。
 その反撃も想定の範囲内だったのか、羽谷=キラー・ショウは上半身を逸らせて(かわ)すと同時に、摩耶の空いた右脇に肘を入れようとする。
 身体を捻って動かした左手でそれを受け流した摩耶は、勢いそのままに二、三歩たたらを踏んで体勢を立て直す。結果的に玄関を背に立つことになった摩耶は、視線を相手から外さずに腕だけを動かし警棒を掴んだ。
 一方のキラー・ショウはドアに突き刺さったままのナイフを手放し、居間に続くドアを背に立ったまま、大きく嘆息した。武器を失った彼だが、その表情はむしろ(あき)れるような色を含んでいた。
「なかなかいい動きだが、護衛としちゃ、落第かな」
 警棒を構える摩耶が、ぴくり、と身体を強張らせる。
「なんですって?」
 侮蔑(ぶべつ)は挑発か。それでも摩耶の感情を揺らすには十分な言葉だった。
 警棒を握る手に力を込める。相手は殺し屋。一発で沈めるために、と側頭部に狙いを定める。
 体重をかけ、大きく踏み込む摩耶の動作に合わせるように、羽谷はリビングへのドアを開けて中に滑り込む。()ぎ払った警棒が空を切った。
「そこは刺突を選択すべきだな」
 からかうような羽谷のセリフに、摩耶がリビングへと足を踏み入れた時、既に悟は羽交い絞めにされた後だった。
「観客は少ねぇが、ま、しょうがねぇな。坊ちゃんの時は一人、アンタの時は無人だが、誰も見てない仕事(Silent Killer Show)は初めてってわけでもねぇから、いいだろ」
 自分の「killer show」という二つ名を自慢げに告げながら、二本目のナイフを取り出す。
「随分と、饒舌なことね」
 警棒を向けたまま、摩耶が精一杯の虚勢を口にする。腕で首を絞められる恰好となった悟の顔色は白くなっていた。声も出せないのか、苦しげに呼吸を繰り返している。
「かまわねぇさ。死に逝く者には、冥土の土産をたんまり渡す。そのぐらいはしてやるよ」
「そんな風に口が悪いのが地なの? 四年以上もよく騙し通せたものね」
(話してる間も、……隙が見つからない)
 焦る摩耶の手の平にじんわりと汗が滲む。
「羽谷として働くうちに、そっちも地になったさ。―――本当は坊ちゃんみたいな未来ある子供は標的にしたくないが、こっちにも事情ってもんがあってな。恨むなら遠慮なく恨め」
 ナイフがゆっくりと悟の首元に寄せられる。勢いがないだけに、摩耶も逆に手を出すタイミングを掴みにくい。
「ま、同情、するぐらい、なら……っ」
 それまで悲鳴一つ上げなかった悟の口から、言葉がこぼれた。
「なんだ?」
「時間、を、くれても、……いいだろうっ?」
 命乞いとは違うと感じたのか、ナイフを動かす手が止まる。話しやすいように少しだけ首元を緩めるのと同時に、悟がぶはっと大きく息を吐いた。
「知りたいことが、あるんだ。最後に、ハッキングする時間を、くれ」
「そのハッキングで依頼主にダメージを与えるつもりか? それは許可できねぇな。難儀な仕事はこれっきりにしてぇんだ」
「そんなに心配なら見ていろ。僕にこれを教えたのはお前だろ?」
 ようやく息が整って来た悟は、自分の命の危機だというのに冷静に見えた。そんな姿に、思わず摩耶は泣きたくなる。
「いいだろう。……アンタはそのおっかない棒を置いて、ドアの前まで下がれ」
 逡巡する摩耶に「従ってくれ」と頼んだ悟は、リビングにある摩耶のデスクトップパソコンに向かう。
 仕方なしに警棒を手放した摩耶は、そのまま二人を視界に置いたまま居間と廊下をつなぐドアまで後退する。今更ながら初撃で傷つけられた左肩がずきずきと痛みを訴えてくる。
 パソコンの前に座る悟と、その背後に立つキラー・ショウ。そこまでの距離はとても一瞬で詰められるようなものではない。警棒を拾いつつ強襲したとしても、悟を救える確率は低い。キラー・ショウの方も警棒を捨てさせたとは言え、摩耶に対する警戒を解く素振りはない。
 それでも、と摩耶は二人から視線を外さずに見つめ続けた。
 護衛役の葛藤を知ってか知らずか、悟は淡々と摩耶のパソコンを立ち上げ、邸に置きっぱなしの自分の愛機に接続した。パスワードを入力し、実際にその愛機に触っているのと遜色ない環境を作り上げる。
 悟の愛機がCPU、メモリともに家庭用では有り得ない性能を備えたモンスターマシンと知っているキラー・ショウは、摩耶の視線を感じながら少年の目の前のディスプレイに目を移す。
 悟は慣れた様子でキーボードを叩き、別のネットワークに侵入しようとしているようだった。付箋ソフトに表示されている数字の羅列は、侵入先のIPアドレスとID・パスワードの類だろう。
「どこに入る気だ?」
「お前の依頼主の私用のクラウドだ。バックドアを作るのに手間取った」
 クラウド・コンピューティングという概念がある。ネットワーク上に仮想のPC環境を構築し、世界中のどこからでも、どの端末からでもその仮想PCにアクセスすることで同じように使える、というものだ。
 悟は立川の私用・社用関わらずに罠を張り、その仮想PCにアクセスするための経路を構築しようと躍起になっていた。使った手法はキーロガーというキーボードに打ち込んだ内容を筒抜けにしてしまうソフトを仕込むなど、とても公にできないようなものばかりだったが、その(決して手放しで誉められない)努力がようやく実を結び、こうしてアクセスできるようになったのだ。
 それでも、用心のためにとハッキングツールを起動させようとした悟に、後ろから様子を観察していたキラー・ショウは「設定画面を見せろ」と脅していた。昨日、摩耶も同じようにハッキングする彼に質問を投げかけたが、その質は大きく違う。結局、摩耶が理解できたのはツールでいくつかのパソコン(サーバ?)を経由すること、それが国内だけでなく海外も経由すること、IPアドレスとかいう数字を見ると国まで分かるらしい、ということだけだった。よく分からないながら、小包爆弾を送る際に遠くの郵便局から出すのと同じだろうという理解に落ち着いている。法律的にNGだから足跡を残さないのは歓迎だ。何しろ摩耶のパソコンなんだから。
「さらにファイル自体にもパスワードを掛けてるんだ。……まぁ、クラウドへのログインパスワードと同じにしてるんだから、意味はなかったけどな」
 パスワードを入力して目的のファイルを開き、それを全画面にしたところで、ようやく悟は大きく息をついた。
「あぁ、そういうことかよ」
 キラー・ショウが舌打ちをする。
「画像データか。少し荒いな。パソコン一台犠牲にして、ディスプレイの写真でも取ったか」
 嘲笑うキラー・ショウは、ずっと悟の延髄あたりに突きつけていたナイフをスーツの内ポケットに仕舞った。
(え?)
 予想外の行動に、摩耶が瞠目する。
 何が起きたのかは分からない。だが、ディスプレイを確認したキラー・ショウが、その殺意を引っ込めたのは明らかだった。
「アクセスした者に無差別に感染させるウィルスか。エサをちらつかせておきながら、性格が悪いな、羽谷」
「坊ちゃんに言われたくはねぇなぁ」
 何故か親しげにも思える会話をする二人に、一人蚊帳の外の摩耶が焦れる。
「ちょ、ちょっと、どういうこと? 何なの?」
 疑問符ばかりの摩耶を見て、キラー・ショウが意地の悪い笑みを浮かべる。その手を伸ばしてディスプレイの角度を変えた。
『本籍 神撝1県クケq9dfg456R番ter仝a一
 本名 ハ川厲判昇胃ア靃間番㈱
 生年月日 ウエ馨見名三叉用楢
 家族 御簾女 由纊里         』
 表示されているのは、誰かの個人情報のようだった。項目名は読めるのに、肝心のデータが文字化けしていて、とても解読はできそうにもない。
「キラー・ショウの正体、という題目のサイトだ。見た人間の命は保障できないとまで、注意書きがされている」
 悟の説明に摩耶は顔をしかめた。表示された内容については理解したが、どうしてキラー・ショウが仕事を止める理由になるのかは、さっぱり分からない。
「大方、報酬が惜しくなったんだろう。立川のおじさんは、そういうみみっちい所があるからな。それとも強請(ゆす)って子飼いにでもしたかったのか」
「まったく、とんだ契約違反だな。―――だが、このまま仕事をこなして、成功報酬とは別に違約金をふんだくるだけだ。何も変わらねぇ。こっちも金が欲しいんでな」
 先ほどまでの尖った殺意こそ失っているが、このまま仕事を続けると口にしたキラー・ショウはどこか仄暗(ほのぐら)い感情を持て余すように口元を歪めた。
 やはり状況は何も変わっていない、と摩耶は再び緊張に身を強張らせた。
 だが、背中に立つ殺し屋を気にすることなく、悟は自信満々に言い放った。
「僕を―――いや、そいつを殺せば、おそらくお前は後悔することになるぞ」

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