TOPページへ    小説トップへ    未来はいつだって霧の奥

 9.沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり


(今のは、聞き間違い? あたしを殺したら後悔する?)
 摩耶は混乱した頭を抱えながら、爆弾発言をした悟とその背後のキラー・ショウを見つめていた。
「後悔だと?」
 ちらり、と彼女に視線を走らせたキラー・ショウはからかうように口にした。
「悪ぃが、仕事にそこまで私情は挟まねぇよ。子供だろうが女だろうが」
「違う。そういうことじゃない」
 悟はパソコンに向かったままで、真後ろの殺し屋に訂正を入れる。
「僕は、羽谷に任せたものの、自分でも探していたんだ。その様子だと、お前は調べる気もなかったんだろうな。―――そこにいる安威川に対する報酬を」
 話の流れが読めない摩耶を、キラー・ショウが初めて真っ直ぐに見つめて来た。彼女の顔から何かを探すように、その瞳が揺らぐ。
「報酬、って、娘のこと? ねぇ、悟くん。何の話をしているのよ」
 困惑しきった声に、悟は顔だけを摩耶の方に向けた。
「お前の元夫だという人間は、娘をとある施設に預けた。元夫は偽名を名乗ったが、六歳の娘は自分の名前をきちんと知っていた」
「あ、当たり前じゃない」
「いいから聞け。その娘が預けられた施設は、後援企業の業績悪化に伴い閉鎖されることになった。娘は同じように預けられていた子供と同じく、別の施設に振り分けられた。―――ただ、本人は何を思ったのか知らないが、新しい施設で家出、脱走を繰り返した」
 短慮なところは母親に似たのか、と悟が皮肉を口にする。だが、そこを指摘する気はなかった。ただ、一刻も早く娘の足取りが知りたかった。
「手のかかる子供を持て余した施設は、ろくな審査もせずに里子に出したんだ。いや、本当に里子に出したのかも分からない。記録は杜撰(ずさん)なものだったから、家出したまま記録をごまかしたのかもしれない」
 そこで足取りが途絶えたと告げる悟に、摩耶は崩れ落ちそうになった。
「その後、僕が目をつけたのが『病歴』だ。お前の娘には持病があっただろう?」
 その言葉に、初めてキラー・ショウが動揺を見せた。
「環境の変化によるストレスか、それともそれ以外に、何か誘発させる要素があったのかは知らない。けど、再発症したみたいだな。マイナーな病気じゃないから、目立つわけじゃない。―――保険適用外で受診してなきゃな」
 ()えて核心となる単語には触れず、初めて悟は背後に立つキラー・ショウに視線を向けた。
「羽谷。知りたいなら聞けばいいだろ? そこの母親にさ、娘の名前を」
 しばらく、真っ向から悟を見つめていたキラー・ショウだったが、やがて、意を決して摩耶に視線を合わせた。
 左肩を押さえたままの摩耶は、ごくり、と唾を飲み込み、問われる前に答えを告げた。
「由佳里、よ」
 ゆかり、と力なく呟いたキラー・ショウに、悟が畳み掛ける。
「お前の本名は、笹木(ささき) (のぼる)で間違いないようだな」
 葛藤を続けるキラー・ショウは、まるきり無表情を貫く。だが、その動揺は明らかだった。
 摩耶は敵意を感じさせないように、ゆっくりとした動作で動くと、リビングと隣接した寝室に向かう。そして、棚の上に飾られていた写真立てを手に取って戻ると、表情を作らないままの男に差し出した。
 その写真に目を向けたキラー・ショウ=昇は、力なく両手を挙げて敵意のないことを示して二歩、三歩と悟から離れ、ソファに座り込んで呻く。
「あ~……。自主キャンセルだわ、これは」
 摩耶はパソコンの前に座ったままの悟に手を差し伸べた。さすがにすぐに警戒は解けない。とりあえず、手の内に護衛対象を、と動いたところで、立ち上がった悟が、ぐらりと自分の方に倒れこんで来た。
「ちょ、悟くんっ?」
 痛む左肩を(かば)いながら抱き止めると、既に意識を失っているようだった。脈と呼吸に異常がないことを確認し、安堵する。
「気ぃ抜けたんだろ。そんなんでもまだガキだし」
「……元凶のあなたに言われたくないわ」
 こちらの警戒を気遣ってか、ソファに腰を落ち着けたまま動こうとしない昇を(にら)みつけた。
 座布団を引っ張り、その上に小さな身体を横たえた摩耶は、ゆっくりと悟の拳を開く。緊張すると拳を握る癖があるのは気付いていた。掌に爪の痕が残るほどに張り詰めていたのだ。ここ数日は眠れていなかったようだし、もう、色々と限界を越えていたのだろう。
「由佳里は、……どこにいるの?」
「アンタの傷の手当ての方が先だろ?」
 救急箱とかあるか?と尋ねた彼が、腰を持ち上げた。答えようとしない摩耶に「勝手に漁るぞ」と脅しの言葉をかけ、渋々指差されたキャビネットから一式を取り出す。
「手当てをするなら、まず上着を脱いでそこに置いて」
 警戒を解こうとしない摩耶に肩をすくめると、スーツの上着を脱いでソファに引っ掛ける。白いシャツに濃紺のネクタイ、両腕の黒いバンドで袖口を止めた姿を、じっくりと摩耶が見つめる。武器はないか、害意はないか、見定める目は限りなく冷たい。
「まだ警戒してんのか?」
「当たり前でしょ。ついさっきまで、あたし達を殺そうとしてた相手なのよ」
 その言葉に、くるりと背を向けた昇が脱いだばかりのジャケットからナイフを取り出したのを見て、摩耶が警棒に手を伸ばす。
 だが、昇はナイフの刃の部分を摘んで彼女に差し出した。
「身の危険を感じたら、使ってくれていい。……オレは、由佳里がずっと待ってた母親を傷付ける気はねぇけど」
 右手でナイフを受け取った摩耶は、下唇を噛んだ。そして、トレーナーのチャックを下ろし、中に着ていたブラウスのボタンを二、三外すと、傷口を露出させた。
「そんなに深くねぇな。血も止まってる」
「消毒してガーゼを止めてくれるだけでいいわ」
 どこかおどけた様子で「りょーかい」と告げた昇は、言われたままの処置をする。消毒液が()みるのか、摩耶はずっと下唇を噛み続けていた。
「そんなに痛ぇか?」
「……」
 摩耶は何かを言いかけるように口を開き、そしてまた閉じた。
 深呼吸を繰り返し、ようやく声を出す。
「由佳里が、待ってるって……本当に? 捨てられたって恨んだりしてないの?」
 通常の彼女からは考えられないほど、その声は震えていた。
「由佳里は全部知ってたよ。父親と母親がケンカを繰り返してたって、母親と二人で暮らすはずだったって。……父親に、施設に連れて来られたって」
「……そう」
 処置を終え、もそもそと服を戻す摩耶に、「もう少し傷が下だったら、大っぴらに服を脱がせたんだけどな、残念」と軽口を叩いた昇だったが、期待していた反応はなかった。二人の間に流れる空気は果てしなく重い。
「――あたし、ずっとあなたを憎んでたの」
 彼の目は、宙を泳いだ。羽谷として、摩耶の職歴を調べた彼には、その理由の見当がついた。
「水上、由良のことか?」
「……そうよ」
 娘のこととなると震えていた摩耶の声は、しっかりといつもの調子を取り戻していた。
 至近距離で睨みつけられ、似てるもんだな、と昇は口の中で呟く。
「オレにとっても忘れられない仕事だったよ。標的の奥さんがあんな形で死んじまって、娘も心を閉ざした、なんて予想外だった」
 今まで、そんなことはなかったんだよ、という彼は、耐えられず摩耶から視線を外した。
「それまではさ、標的の周囲の人間になんて興味なかった。死体の傍で泣いてても『演技も楽じゃねぇな』って、それしか考えたことなかったんだ。依頼人が身内なんてザラだったし」
 はぁ、と息を吐いた彼は、天井を見上げた。
「身近な人が死ぬのは、本当にキツいもんなのか。そんなことをこれまで繰り返して来たのか、って、初めて気付いた。それで―――」
「償い、だったの?」
 口を挟んだ摩耶に、昇は再び視線を合わせた。瞳の奥の真意を(すく)い取って口の端を歪めた。
「償い、なのかな。よく分かんねぇけど、そうかもしれねぇな。オレはずっと自己満足だとしか思ってなかった。……バレてたのか」
「見舞いに行った時に、あの時仕事で一緒だった村田さんがよく来てるって聞いたの。村田さんが根気よく通って、治療の手助けまでしてるって」
 今度は、摩耶の告白の番だった。
「たぶん、なんだけど、病室の前で、一度だけ会ったでしょ? ずっと気にかかってたの。あの時『安威川、お前も来てたのか』って声かけられたから。……あの事件に関わった同業の人はね、今でもあたしのこと『精神安定剤』って呼ぶの。名前をちゃんと呼んでくれるのは遠藤さんぐらいよ」
 そして、二人とも黙り込んだ。
 もう何も話そうとはしない。窓からの冬の陽射しが、少しずつ空気を暖める。平和なスズメのさえずりが、いつもより大きく聞こえている錯覚がした。
ピリリリリ……
 緩んだ空気を一変させたのは、昇の上着から聞こえた電子音だった。立ち上がった昇は、ポケットから取り出したスマホの画面を見て、小さく眉根を寄せた。
「はい」
 応対した昇の声は、艶っぽい女性のものだった。摩耶は肩の痛みも忘れて口元をはくはくとさせる。
「まぁ、そうですの。―――いいえ、幸いなことにまだですわ。規定外の仕事ですけれど、善処いたします。報酬をいただけないのも困りますしねぇ」
 電話の向こうの相手と会話を続ける昇を見ながら、摩耶は自分の両腕を小さくさすった。
 ピッと彼が電話を切るのと同時に、非難の声を上げる。
「すごい鳥肌立ったじゃない。なんて声出すのよ!」
「イヤですわ。それどころではありませんのよ」
 女声を出し続ける昇は、凄まれて口調を改める。
「それどころじゃねぇ。依頼主サマが殺さず捕獲して連れて来いってよ」
「は?」
「だから、捕獲命令」
「え、でも、交渉決裂したじゃない。……あ、そうか」
 摩耶は悟の提案した作戦を思い出した。
「……何かやったのか」
「だって、持久戦はちょっと、キツかったのよ」
 摩耶は自分の傍で眠る悟を指差した。
「大人でも参っちゃうような状況よ。胃に穴が開かなかっただけでもマシでしょ」
 少しトゲのある言い方をした摩耶とそれを受け止める昇の間に、先ほどまでの気まずい空気はなかった。
「……そこまで精神的に追い詰められてはいない」
 その声は、眠っていたはずの悟のものだった。
「起きたの? 大丈夫?」
「電話の音で」
 ゆっくりと身体を起こした悟は、摩耶と昇を見比べて「随分と打ち解けたみたいだな」と呟いた。
 思わず反論しようとする摩耶に、手を向けて黙らせると眉間をもみほぐした。
「つらいなら寝てても―――」
「大丈夫だ。それより、お前たちの話はついたんだろうな。これから立川のおじさんに引導を渡すんだ。爺さんからも『信頼関係のない者同士でいい仕事はできない』って言われてるんだ。多少は仲良くなってくれないと困る」
 悟の予想外な言葉に、摩耶と昇は互いに顔を見合わせた。イヤそうな表情を浮かべた摩耶を見て、昇がいたずらっ子の表情を浮かべる。一瞬後、昇は離れて立っていた摩耶を抱き寄せた。
「だいじょーぶ。摩耶ちゃんとオレ、仲良しだしー?」
「ふざけないでよ、ってか傷口触んないで!」
 昇の腕を振りほどこうとする摩耶を見ながら、悟は「大丈夫そうだな」と頷いた。

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