TOPページへ    小説トップへ    未来はいつだって霧の奥

 11.月満つれば即ち欠く


 一行が通されたのは、隣の部屋だった。
 重厚な印象の机にはパソコンとディスプレイ、書類の入ったトレイなどが並んでいる。壁に沿って配置されたキャビネットには、分厚いファイルがいくつも並んでいることから、立川が仕事をする際に使っている部屋なのだと知れた。
 それなら、さっきまでいた部屋はなんだったのか、と摩耶は問い質したい。高級そうな執務机にソファセット、高価そうな額縁など、部屋の主の自己顕示欲の塊のような部屋だった。
(部屋を見れば、その人となりが分かるというものだけど……)
 仕事とそれ以外をきっちり分ける人と言えば聞こえはいいのだろうが、この仕事部屋の素っ気無さを見る限り、何となく仕事も効率優先で冷たい印象を受ける。まぁ、摩耶が他人の仕事に口出しできる身分ではないが。
「それを使いなさい」
 拘束を解かれ、クッションの良い革張りの椅子に座って高さを調整する悟の背後に立川が立った。一方、摩耶は悟と机を挟んだ反対側に立たされ、後ろ手の拘束も解かれぬまま立川の使用人に銃口を突きつけられている。
「もしよろしければ、貴方にもお立会い願いたいのですが、いかがですか? そちらの方面にも強いのでしょう?」
 余裕綽々(しゃくしゃく)の立川の誘いは、摩耶の隣に立って状況を観察していたキラー・ショウに向けられたものだった。
 少し小首を傾げたキラー・ショウだったが、その誘いに乗ることにしたようだ。大きな机を回り込むように悟の背後へと向かう。
 一方、一人机を挟んだままの摩耶は、立川の誘いの意味を理解し忍び笑いを洩らした。
「この状況で笑うとは、随分と余裕がありますね」
「そうね、もう取り繕う意味もなさそうだもの。感情を押し殺すのも無駄なことでしょう?」
「笑うなど、気でもふれましたか」
「いいえ、あなたの行動が面白すぎるだけよ」
「っ!」
 立川の眼鏡越しの剣呑な視線にも、摩耶はたじろぐことすらしなかった。
「だってそうでしょう? 臨時雇いのそちらさんに、そんなことを頼むなんて、自分や自分の腹心がその分野に弱いって公言してるようなものじゃない。ねぇ、悟くん?」
「……まったくだ」
 精一杯高くした椅子に座った悟は、カチカチとマウスを動かしながら同意を示した。
 立川のこめかみが引き()るのを見て、摩耶は満足そうに微笑んだ。だが、命を握っているとはいえ、馬鹿にされて許せるほど彼の心は広くない。
ドンッ
 立川の指先の合図に頷いた使用人が、銃のグリップで摩耶の頭を殴りつけた。勢いそのまま倒れ込むところを、強制的に引き上げられ、彼女の頭がぐわんぐわんと揺れる。
「無駄口を許した覚えはありませんよ」
 突然の衝撃に顔をしかめ、焦点も合わせられない様子の摩耶を見て、立川の口の端が歪む。
「そいつを殺すな。でないと僕の手も止まるぞ。―――それで、どこに金を入れるんだ?」
「私は倍額にして()()()もらおう、と言ったはずですよ」
 悟は肩をすくめて、ディスプレイに向き直った。
「くれぐれも妙な真似はしないでくださいよ、ぼっちゃん。もし、何か不手際があれば―――その女は殺しますから」
 後半は、この上なく冷徹な声音だった。それでいて動揺も何も(うかが)わせないのだから、「殺人」に対する禁忌を何も感じていないのは明らかだった。
 しばらく、カタカタ、カチカチという無機質な音だけが響く。悟はもとより、立川もキラー・ショウもディスプレイに見入り、摩耶と彼女を拘束する使用人はそんな三人を見つめていた。
ピン
 突然の電子音に立川の肩がぴくりと動く。ディスプレイには何かの確認ダイアログが表示された。内容を確認する間もなく、悟がマウスで「OK」を押す。
「それで二千万、ですわね」
 キラー・ショウが淡々と告げる。親切にもわざわざ声に出すのは、雇い主に対するフォローだろうか。
「こんな短時間で二千万、ですか?」
「坊やの口座から、送金しただけですわ。……そういえば、寄付されたのはどれほどの金額ですの?」
「―――五千万だ」
「あら、素敵。それならば目標の一億まであと八千万ですわね」
 ころころと口に手をあてて笑うキラー・ショウに、黙っていろと言われたはずの摩耶が口を挟む。
「他のは現金じゃなかったから、すぐに動かせなかったのよ。本当は全てを寄付させたかったのに……」
 土地や株式までもロックオンされていたと知った立川の口元がヒクリと動いたが、わざわざ彼女を脅し直すことはないと思ったか、取り合うことはなかった。
 また、しばらくはカタカタと悟がキーボードを叩く音が響く。
 続く沈黙を破ったのは、キラー・ショウだった。
「あら、そういう方法を取りますの? ……でも、そうね、短時間なら、そうするしかないのかしら?」
 いくつも表示されているウィンドウの意味を理解できない立川の視線が、ちらり、と隣の美女に向けられる。
「あら、失礼。右の方の……トランプの絵柄が表示されているウィンドウが3つほどありますでしょう? あれはネット上のカジノですの。相手はどこのお大尽か分かりませんけれど。左の方に表示されているのが、そのポーカーのプログラムですわ。そこに介入してイカサマをしてますの。まさか、三卓同時にイカサマするなんて、……ふふ、それなら短時間で高額を、確実に稼げますわね。坊やも考えること」
 解説を理解しているのか「あぁ、そうなのか」と答えた立川の表情からは断定できない。
「どうやら、かえって足手まといになってしまったようですね。まぁ、看護婦くずれの護衛なんて中途半端な貴方に似合いの結果でしょう」
 嘲笑を浴びせかけ、悔しさに歯噛みする彼女を満足げに眺めたことで、いくらかは溜飲が下がったらしい。立川は再びディスプレイに視線を戻した。もちろん、目を向けるだけでポーカーの流れや、ましてやプログラムなど読み取ろうとはしていない。
 再び、静かな時間が流れ、悟は小さく嘆息すると一つのウィンドウを全画面表示にした。
「――終わった」
 集中が途切れたのか、少年は唸るように呟くと、そのまま机に突っ伏した。
 画面に表示されていたのは、見覚えのある銀行名と口座番号のデータ。一時期は一桁になっていたものが、見事に八桁になっていた。見間違えのないようにディスプレイを凝視する立川の手が、無意識か眼鏡の淵にかかる。
「間違い、ない。あ、……あぁ」
 自分の失ったものが、こうも簡単に戻ってくるものかと、信じられない様子の立川の指先が小さく震えていた。それは同時に、悟を野放しにするわけにはいかないという警告に繋がる。
「では、これで終わりにしてよいのですわね」
 隣に立つ美女の言葉に、立川は机の上の電話機を取ると内線の通話相手に「例のケースを持って来い」と伝える。
 ほどなく無愛想な男が黒い大きめのケースを運んで来る。
「中身を」
 男は美女に言われるまま、ケースを開けると、そこには万札の束がいくつもひしめいていた。満足げにそれを眺めたキラー・ショウは、帰りに回収するからドアの傍に置いておくよう指示をする。
 ケースを置いた男が部屋から姿を消すのを待って、キラー・ショウは隣の雇い主に微笑んだ。
「確かに、確認しましたわ」
「あぁ、後始末は頼む」
 後始末、という言葉に、摩耶は跳ね上がるように反応した。だが、使用人に力づくで押さえつけられる。
「―――元から、そのつもりだったんだな」
 机に突っ伏したままだった悟が、ゆっくりとその上半身を起こし、後ろに立つ立川を睨みつけた。
「もちろんですよ、悟ぼっちゃん。今の手腕を見て確信しました。貴方のような人間を野に放ってはいけない、と」
 さぁ、と隣の殺し屋を促した立川の目には、狂気に近い愉悦がちらついている。
 無言で微笑んだキラー・ショウは、まるでずっと握っていたかのように右手にあったナイフを、室内全員に見えるように持ち上げた。
「観客は、……二人。殺人劇(キラー・ショウ)の幕を上げるには少ないですけれど、まぁ、よしといたしましょう」
 不吉に光るそのナイフは、身動きの取れない摩耶に向けて投げ打たれた―――!

キィンッ!

 部屋に響いたのは金属の震える高い音。
 摩耶を拘束する使用人の手にあった銃が、跳ね飛ばされて絨毯(じゅうたん)にとさりと落ちる。
 衝撃で痺れた手に顔をしかめた使用人の一瞬の油断を、みすみす逃す彼女ではなかった。
 振り向くことなく後ろに振り上げられた摩耶の(かかと)は、使用人の股間を(あやま)たず蹴り抜き、悶絶して(うずくま)る男を横目に彼女の縄がハラリと切れて落ちる。
 その一連の流れを目を丸くして見ていた立川の脳みそは、目の前の現実を理解することを拒んだ。
 だが、その間にも事態は動いていく。
 立ち上がった悟が摩耶の所へ駆け寄り、隣に居た美女の姿をした殺し屋は、何故か彼自身に向けて新たな凶器(ナイフ)を突きつけている。
 先ほどまでの余裕たっぷりの表情は消え失せ、小さく開いた口元を小刻みに震わせるその顔色は白くなっていた。
「な、何を、私は、依頼を―――」
「えぇ、契約の際にきちんと説明いたしましたわね。私の正体は決して探ろうとしてはいけない、と」
 その言葉に、立川の口元が「まさか」と動く。
「依頼はなかったことに、そして、あなたには破滅を」
「そ、そんな……」
「そんな顔をしても無駄です。あぁ、勘違いなさらないでくださいな。殺すことはしません」
 キラー・ショウの言葉に、立川の顔に僅かばかりの安堵が広がる。だが、そうしてできた思考の余裕は、「それでは『破滅』とは?」と新たな疑問で埋められる。
 自分に背を向けたキラー・ショウがドア近くに置かれたケースを掴み、机の上にドン、と置いた。
「どこでご用意されたのか存じ上げませんが、こちらの二千万はお返しします。数少ないあなたの自由にできるお金ですわ。大切になさることです」
「数少ない……?」
 先ほど、一億を稼がせたばかりではないか、とノロノロと思考する立川の心を読んだのか、摩耶に寄り添う悟が声を上げた。
「あの口座は、そこのディスプレイ上でだけ数字を変えただけだぞ」
「しかし、確かにポーカーを……」
「あぁ、リアルマネーを賭けない、単なるゲームだ。ついでにプログラムも税務署にデータを送るだけの単純なものだ」
 税務署、という言葉に立川の表情が醜く歪む。それは恐怖、憤怒、または自嘲が混ざりあった複雑なものだった。
 次に口を開いたのは、銃床で殴られた箇所から血を流す摩耶だった。その足元には、ぐるぐるに縛られた使用人が転がっている。
「本当は仕返しに殴ってやりたいところだけど、見てる人に何て言われるか分からないからやめておくわ。……これからのあなたに、同情ぐらいはしてあげる」
 傷の痛みか青い顔を(さら)しながらも、自分の足元に転がっていた銃を蹴り飛ばした。
「……見ている、人?」
 もはや思考すらままならない立川が、やっとのことで(しぼ)り出した疑問を、悟は最後のトドメとばかりに教えてやる。
「ハックした防犯カメラの映像と、ここの音声を複数の動画サイトで生中継してる。ついでに警察にも住所込みで通報済みだ」
「それでは、ごきげんよう」
 キラー・ショウの言葉と共に、立川の視界が闇に閉ざされた。
 いや、実際は違う。窓の外には月も星も見えるし、街灯も煌々(こうこう)()いていた。
 だが、その視界に慣れるまでの数秒、確かに視界は奪われた。
 動揺する間に、複数の足音が離れ、バタンとドアが閉まる音を、確かに彼の耳は拾った。
「く、そ。誰か、あいつらを捕まえろ!」
 邸の中にいる警備の連中の顔を思い浮かべながら、自分も部屋の外に出ようと足を踏み出した。
 だが、執務机に足を強く打ちつけ、たまらず床に倒れ込む。毛足の長い絨毯が幸いしてそれほどの衝撃は受けなかったものの、地面に()(つくば)る屈辱はそれ以上だった。
 何とか身体を起こした時、突然、照明が目を焼いた。闇に慣れ始めた瞳には、その光は暴力に近い。
 ようやく視界を取り戻した立川は、部屋を見回して呆然とした。
 そこには彼以外に誰もいなかった。
 無様に倒れていた使用人の姿もない。その無能の手から転がり落ちたはずの銃も見当たらない。それを弾き飛ばしたナイフも見つからなかった。
 先ほどまでの遣り取りが、まるで悪夢のように感じた。
「悪夢、……そう、夢、だったのか?」
 カラカラに乾いた喉から、ひび割れた声がこぼれた。
 どくどくと心臓がやけに騒がしい。焼き切れたように軋む脳みそが、裏切ったキラー・ショウ、憎憎しいクソガキ、人の神経を逆撫でする護衛の女の姿を再生する。
 隠し口座の金を失い、税務署にデータを、いや、動画サイトの生中継……?
 混乱した頭が、次々と不吉な単語を浮かび上がらせる。
 全身から冷たい汗がどっと滲み出た。
 あれが本当に夢だったのか。確かめなければ、とよろよろと足を動かす。
 だが、どうやって―――?
 落ち着こうと自分を叱咤し、慣れ親しんだ自分の椅子に腰を下ろした途端、彼は恐怖に身体を大きく震わせて椅子から転げ落ちた。
 そして、椅子が一番高い位置で調整されていることを確認するなり、彼は二度と立ち上がれなくなった。
「もう……終わり、だ……」
 警察と税務署が手と手を取り合って踏み込んで来るまで、彼はその場にへたりこんでいた。

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