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TOPページへ    小説トップへ    重たい執着男から逃げる方法

 37.衰える少女(※アマリア視点)


 わたくしは、焦っておりました。
 この邸で使用人を束ねるハールのサポートを務めるようになって随分経ちますが、こんなにも気を揉んだことは初めてかもしれません。
 重く胸を圧迫するこの心痛は、かつてマリーツィア様が邸から脱走した時の比ではありません。
 ですが、マリーツィア様に関わる問題、ということだけは共通しています。
 クレスト様のお部屋から出ることを禁じられて、もう二週間ほどになります。
 初めこそ、気丈に一日のスケジュールを組み、お茶の時間のわたくしどもとの会話を楽しんでいらっしゃるご様子でした。わたくしだけでなく、若いメイドのイザベッタの話す王都の様子や、フェネル料理長が教える良い食材を見分けるコツ、ハールの語る貴族の義務や決まりごと……わたくしどもは、マリーツィア様に少しでも良い環境を作って差し上げたくて、使用人一同、交替制でお相手を務めておりました。マリーツィア様も、わたくしどもの話すことに頷き、質問し、時に笑ってくださいました。
 夕食時には、帰宅されたクレスト様にその日読んだ本の感想を話したり、積極的に会話をなさっていました。
 夜は、その、クレスト様と同じベッドで寝ていることに、ハールもわたくしも気が気ではなかったのですが、どうやら純粋に眠っていらっしゃるだけのご様子で、安心した反面、クレスト様は女人に興味ないのかとハールと真剣に検討してしまいました。
 正直に申し上げると、油断していたのでしょう。マリーツィア様が普通に振る舞っていらっしゃったので。
 一週間を過ぎた頃からでしょうか、マリーツィア様は、日に日に会話への参加が減って来てしまいました。声を出さず、考え込むことも多くなり、今ではささやかな相槌しか打ってくださらない状況です。
 クレスト様もマリーツィア様の変化に気付いていらっしゃるのでしょう。以前よりピリピリと苛立っていらっしゃる様子です。
「マリーツィア様。昼食をお持ちしました」
 わたくしは、ワゴンに皿を乗せ、クレスト様のお部屋に伺いました。残念ながら、ノックに対する返答もありません。
「マリーツィア様、失礼いたします」
 部屋へ入ると、ソファに横たわり、うっすら目を開けたマリーツィア様がわたくしをぼんやり見ていらっしゃいました。
 会話が減る一方で、うたた寝をする時間が増えて来ています。そして、何より心配なのが―――
「ありがとう、アマリアさん」
 ゆっくりと上体を起こしたマリーツィア様の前に、わたくしは深皿を起きました。そこには柔らかく煮たオートミールがほかほかと湯気を立てています。
 マリーツィア様は、スプーンを手に取り、一回、二回と口に運びます。
「……ごちそうさま。とても美味しかったです」
 たった三口だけで、スプーンを置いてしまいました。
「全部食べられなくて、すみません」
 項垂れる様も弱々しく、わたくしはマリーツィア様が気に病まないよう首を横に振りました。
「いいえ、召し上がっていただけただけで十分です。できれば朝と夜もこういったものを召し上がっていただきたいのですが、気分のよろしい時だけで構いませんので、いつでもおっしゃってください」
 そうなのです。昼こそ食事めいたものをきちんと食べてくださいますが、朝は果実を絞ったジュースしか召し上がりません。夜はクレスト様がお世話をなさっているので詳しい様子は分かりませんが、どうもフルーツの類しか口に運んでくださらないようです。クレスト様がフェネル料理長の腕が悪いのだと叱責するより前に、マリーツィア様が「料理長の作る料理はとても美味しいんです」と口にしていなければ、きっと解雇されるところだったのでしょう。
 話は逸れましたが、マリーツィア様の食欲は減退の一途を辿っており、この一週間で随分と肌の色も悪くなり、腕なども細ってしまったように感じます。
「お茶の時間はどうなさいますか?」
「―――今日は、いらないです」
 正しくは、今日も、なのです。昨日も一昨日も午後のお茶を辞退なさいました。甘いものや可愛いお菓子に目がない様子でしたのに、そういったものにも、食指が動かないのです。このままでは、やせ細って儚くなってしまうのではないかと、使用人一同心配しております。
「では、またイザベッタに言付けて、マッサージをいたしましょう」
「はい、ありがとうございます」
 数日前から、マリーツィア様にマッサージを施しております。
 発起人は若いメイドのイザベッタで、彼女は元々美容マッサージに大きな興味を持っていて、マリーツィア様にも体験してもらいたいと思っていたようです。
 こんなご様子では美容も何も、とわたくしもハールも難色を示したのですが、イザベッタが言うには、運動をしないままだと血の巡りも悪くなり、健康を損なってしまう可能性もあるということでした。美容と健康は切っても切れない関係なのだとか。
 そうして許可の下りたマッサージですが、施術が終わる頃にはマリーツィア様の肌は赤らみ、うっすらと汗をかくほどです。もちろん、その後に美味しそうにレモン水を飲んでくださいますが、やはり体力が落ちているのか、クレスト様がお帰りになる頃までは昏々と眠ってしまわれます。
「アマリアさん! あたし、もう、見ていられません……っ!」
 イザベッタが焦茶の髪を振り乱して嘆きの声を上げました。
「あんなお嬢様、見ていられません。マッサージするたびに、細い腕や肉のついていない背中とか、……骨の感触とか、触るたびにハッキリ分かって、怖いんです」
 黒い大きな瞳からポロポロと涙を溢れさせています。
「イザベッタ、まだ仕事中でしょう。取り乱してはいけません」
「でも、アマリアさん……」
 わたくしは、大きなため息をつきました。
 マリーツィア様を心配しているのは、クレスト様を含め、邸に居る人すべてです。イザベッタだけではありません。
 イザベッタが比較的近い年齢のマリーツィア様に、使用人に偉ぶるどころか謙虚な姿勢を貫くマリーツィア様に、親しみに近い感情を抱いているのは知っていました。
「イザベッタ。わたくしやハールとて、同じ気持ちです」
「本当ですか? でも、それならどうしてクレスト様に―――」
「すでに何度も忠言を申し上げております」
「……」
 イザベッタはがっくりと項垂れてしまいました。
 そうなのです。わたくしもハールも、マリーツィア様を外に出すように、せめて邸内を歩き回れるようにとクレスト様に申し上げているのです。
 ですが、あの誘拐事件が起きたことで、マリーツィア様の安全のためには自分の傍に置くしかないと思い詰めてしまったご様子です。これは、わたくしやハールが何度申し上げても変わることはありませんでした。
「あの、アマリアさん。お嬢様は―――」
 イザベッタは、少し迷うように言葉を切り、まっすぐわたくしを見上げて来ました。
「お嬢様は、クレスト様のことを好いていらっしゃいます……よね?」
 思いがけない言葉に、わたくしは目を丸くしました。
「だって、クレスト様から贈られたってイヤリングをずっと握っていらっしゃるんですよ。ネックレスだって、外すことはなくて……」
 イザベッタがそう判断した理由について、わたくしはどう答えたら良いか迷ってしまいました。イザベッタは知らないのです。そのイヤリングとネックレスは前回の脱走の際にも持ち出したものだということを。
 ですが、正直、わたくしもマリーツィア様のお心を測りかねているのです。
 若いイザベッタと違い、わたくしは過去に2度も脱走したマリーツィア様を存じております。それは、クレスト様の重すぎる愛情のせいだとも。
 一年前の脱走劇は、マリーツィア様が単独で魔術を行使したと伺っております。残念ながら、わたくしは魔術というものに詳しくありませんが、今の状況が窮屈極まりないのならば、同じように脱走できるのではないでしょうか?
「わたくしには、マリーツィア様の考えていることが分かりません。クレスト様をお慕いしているようにも、厭っているようにも、諦めているようにも見えます」
 わたくしは、思わずため息をついてしまいました。上役として部下の前でする行為ではありません。
「ですが、わたくし達の仕事は変わりません。マリーツィア様のため、クレスト様のため、邸の平穏のために、できることをやり続けるのです」
 綺麗事と分かっています。
 それでも、そう唱え続けなければ折れてしまいそうな時もあるのです。
「イザベッタ。つらいかもしれませんが、今後もマリーツィア様のマッサージは続けましょう」
「……はい」
 再び俯いてしまったイザベッタに少し休むように言いつけると、そろそろ夕食の準備に取り掛からねばならないフェネル料理長と、マリーツィア様の様子見係を交代しました。
 いえ、『様子見係』などと口当たりの良い表現を使っても仕方がありません。『監視係』です。
 わたくしは扉近くに控えていたフェネル料理長から、ずっと寝たままだったと引継ぎ報告を受けると、そっと寝台に近づきました。
 身動き一つしないマリーツィア様ですが、密やかな寝息を確認して安堵します。すっかり細くなってしまった手や、白い顔色のこの寝顔を見るたびに、本当に息をしていらっしゃるのかと不安になるのは、わたくしだけではないようで、同じことをイザベッタやハールも確認していると聞きました。
「マリーツィア様……」
 顔にかかる黒髪をそっと除けて差し上げれば、小さく身動ぎをしました。寝顔だけなら、最初に会った十二の頃とあまり変わりないように見えるから不思議なものです。
 そんなことを考えながら寝顔を見守っていると、微かに睫毛が震えました。
「ん……」
 小さな掠れた声とともに、深いアメジストの瞳が現れます。
「アマリア、さん……?」
「はい、ご気分はいかがでしょうか。マリーツィア様」
「少し、すっきりしました」
 ゆっくりと起き上がったマリーツィア様は、わたくしの手を借り、寝台からソファに移動しました。
「昨日、読みかけていた本、あります……?」
「えぇ、『小人の王とメイド姫』ですね。こちらに」
 イザベッタが推薦した娯楽小説は、母を早くに亡くしながらも、大事に育てられた小国の姫君が、彼女を見初めた小人の王の一途な愛を受ける物語です。若い子に人気らしいのですが、厳しい父と無関心な義理の母親の元でそれでも清く美しく育った姫君が、小人の王の奸策によって城を追い出され、小人の王を頼らざるを得ない境遇になってしまった挙句、小人の王が人間と同じサイズになるための試練に付き合わされる話のどこが面白いのか、わたくしにはさっぱり分かりません。小人の王の一途な愛と、それを受け止める姫君の話とイザベッタは絶賛していましたが、その一途な執着がどこかクレスト様に通じる物があることに気付いていないのでしょうか?
 マリーツィア様も、この本にどのような感想を抱いているのかは分かりませんが、本の中ほどまで―――丁度、唯一頼りにしていた父王にまで疑われて、城を追い出されるあたりまで読み進めていらっしゃいます。
 ふと、外からさわさわと人の話し声が聞こえました。
 わたくしは窓辺に近寄ると、そっと陽の落ちかけた外を伺いました。
「クレスト様が、お帰りになったようです」
「……そう。今日も早いのね」
 マリーツィア様は、小さく呟くと本に栞を挟み、パタンと閉じました。そして、わたくしに本を差し出します。
「お預かりいたします」
 クレスト様はマリーツィア様がこういった「低俗な」本を読むのは好まれないので、せめて読んでいる姿を見られないよう毎回わたくしが預かっております。
 ほどなく、階段を上がる足音がゆっくりとこちらへ近づいて来ました。
ガチャリ
 ノックもなく現れたのは、この邸の主、クレスト様です。
 幼い頃より存じ上げておりますが、金髪碧眼の天使のごとき容貌ながら、その表情の無さゆえに、恐ろしい印象を与えるところは変わっておりません。
 マリーツィア様の前では、柔らかい雰囲気を醸し出していらっしゃいますが、ここ一週間というもの、日に日に悪くなっていくマリーツィア様の体調に極寒のブリザードを纏っておられます。
「今、戻った」
「お帰りなさいませ」
 わたくしは頭を下げますと、入って来たクレスト様と入れ替わるように扉の方へと向かいます。
「それでは、夕食の支度が整いましたら、声をお掛けします」
 クレスト様がご帰宅されてから、わたくしが帰るまでの一連の流れは、もはや定型となっております。正直に申し上げれば、マリーツィア様に付いていて差し上げたいのですが、クレスト様のご不興を買ってしまうのです。
 マリーツィア様の隣に座り、髪を優しく撫でるクレスト様を確認して、わたくしは部屋を背にしました。
 階段のところまで来たところで、ついつい大きく息をついてしまいます。
 一つの部屋に男女が二人きり。ですが、そういった仲にはなっていらっしゃらないご様子。クレスト様のお考えはよく分かりません。
 頭を振って憂鬱な気分を振り払うと、玄関が騒がしいのに気付きました。
(何かしら……)
 わたくしは見苦しくならないよう小走りで階段を下ります。
 そこには、よく見知ったお客様と、彼に応対するハールの姿がありました。
「―――丁度良いところに。アマリア、部屋までご案内を」
 わたくしは思わずハールをまじまじと見つめてしまいました。帰って間もないクレスト様の(マリーツィア様を愛でる)お邪魔をするということなのでしょうか。
「責任は私が」
 思い詰めたその表情、その言葉に、わたくしは頷き返しました。伊達に同じお邸で長く働いた仲ではありません。
 ハールとて、マリーツィア様の現状を放置できないのです。たとえクレスト様のご不興を買っても、今はこのお客様に賭けてみようということなのでしょう。
「ご案内いたします。……足音を殺していただけると助かります」
 小さく付け加えた私の言葉に、お客様は少し眉を持ち上げました。ですが、どことなく面白がるような表情で頷いたのを確認すると、わたくしは先導して、たった今下りたばかりの階段を再び上がり始めました。
 どうか、このお客様が少しでも今の膠着した状況を動かしてくださいますように。
 他力本願と罵られてもかまいません。わたくしは、ひたすらに願ったのです。

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