38.隠されていた事実(※カルル視点)ここしばらく、クレストの様子が妙だ。 いや、正しくはあの誘拐事件があってから、だけど。 規定の勤務時間を終えると、まるで飛ぶように自宅に帰ってしまう。マリーが心配なのか、マリーとイチャイチャしたいのか、はたまたマリーとキャッキャウフフしたいのか。 まぁ、あの女神様絡みということだけは確かだ。 クレストが奇行に走るのは、いつだって彼女が原因なんだから。逆に言えば、あの女神様を手懐けてしまえば、クレストも操れるんじゃないかと思う。まぁ、彼女はそんな簡単に操れるような人間じゃないとは思うけどさ。 彼女の強かさはデヴェンティオで「ニコル」と名乗っていた時のことを考えれば、十分計り知れるってもんだ。 知り合いもいない土地で、薬師として居場所を作り、 難病を抱える女の子と二人で生活し、 王都からやってきたアホな商人と堂々と渡り合った。 (俺とも交渉できるぐらいだしね) 俺から見れば拙い交渉術だったが、基本となる「相手の意図を汲む」ことはきちんとできていた。あの年齢でそれだけできるなら十分じゃないか。 俺は馬を操りながら、顔がほころぶのを止められなかった。やばいやばい。こんな所、人に見られたら気味悪がられるだけだ。それにクレストに知れたら、それこそ殺されかねない。あいつは俺がマリーと話すだけで不機嫌になる我侭っ子だからな。 クレストのことをそんな風に評価できるのも、他ならぬマリーのおかげだ。以前、本人にもぶっちゃけたが、マリーがいなかったら、クレストはクソ真面目なお人形のままだっただろう。 (今日、マリーにも会えるといいけど) ついさっき耳に届いたニュースをクレストにも教えてやりたくて、クレストの邸に向かっているけど、マリーに会えるかどうかは、あいつの気分次第だ。 ほどなく、勝手知ったるあいつの邸が見えて来る。 門番は俺の姿を確認すると、すぐに中へと迎え入れてくれた。馬を預かってもらい、玄関へ足を進める。 「カルル様。主に急な御用がございましたでしょうか」 いつ見ても、ぴっちりと隙のない家令が頭を下げる。初めて会った頃に比べたら、随分と白髪が増えたような気がする。 「突然来ちゃっていつもすまないね。どうしてもクレストに伝えたいことがあってさ」 先日の闘技大会を機に、加齢を理由に引退を決意したアポリネール団長の後任が内定した。それもなんと、ラウシュニング殿。俺とクレストを熱心に指導してくれた人だ。厳しいけれど、茶目っ気があり、あの人を団長に頂く喜びを、すぐにでも分かち合いたい。そう思った。 まだ、内々の話だから、正式に通達されるまで時間はあるだろうけど、クレストには何より先に伝えたかった。 あの人付き合いの悪いクレストでさえ、慕っている雰囲気がある御仁なんだから。 あれ? 俺は目の前の家令に違和感を覚えた。いつもなら、仕方ないと首を振りながら、クレストの所に案内してくれる人が、何かを考え込んでいる。クレストの、もしくはマリーの体調でも悪いのだろうか、と推測したところで、奥の階段から誰かが下りてくる足音を拾った。 目の前の家令も気付いたのだろう。さっきまでの思案顔を振り払い、下りて来たメイドに向き直った。 「―――丁度良いところに。アマリア、部屋までご案内を」 年嵩のメイドが驚きを隠せず目を見開いた。 珍しい。この家令と言い、このメイドと言い、使用人暦も長く来客の前で感情を露わにすることは滅多にない。 「責任は私が」 家令が更に告げると、メイドもようやく頷いた。 何だ。いったい何が起きているんだ。クレストの身に? マリーの身に? 俺の心臓が僅かに早く鼓動を打つ。 「ご案内いたします。……足音を殺していただけると助かります」 そのメイドの言葉に、俺は自分の推測が正しいことを知る。この邸で、何か尋常でないことが起きている、と。 最近、クレストが早帰りするのもそのせいなのか。 これは油断していると、とんでもない失態に繋がりそうだ。騎士団の任務以上に心してかからないと コンコン 半歩先を歩くメイドが、クレストの部屋のドアをノックする。 「クレスト様、失礼してもよろしいでしょうか」 「―――入れ」 メイドは、わざと来客のオレについて一切告げなかった。 ちらり、と彼女に視線をやれば緊張した面持ちで頷く。来客を告げれば追い返されるような状況なのか。サプライズを楽しめということなのか。……いや、後者はないな。 どうにも深刻な空気は苦手だ。俺は敢えて後者を取ることにしよう。 「よっ、クレスト! いいニュース持って来た……ぜっ」 陽気に部屋に突入して―――絶句した。 ソファに座っているクレスト、じゃない。 クレストの膝を枕にして横たわっているのは、……自分の認識を疑いそうになるけど、マリーに違いなかった。 「カルル……?」 「クレストっ! どーしたんだよ、マリーちゃんは? 病気か? 言ってくれれば良い医者を紹介するのに―――」 俺の言葉を遮るように、クレストが「黙れ」と片手を上げた。 「アマリア。どうしてカルルを連れて来た」 「急ぎのお話があるとのことでしたので、お連れ致しました」 「―――カルル、仕事の話か?」 「あぁ、仕事の話に近いけど、それよりもマリーのことだよ。どうしちゃったんだ、この姿は」 俺がマリーを最後に見たのは二週間前。あの誘拐事件の時だ。誘拐されたショックか、心無い乱暴をされかけたことの衝撃か、顔色は確かに悪かった。それでも、今のこの状況よりは数倍マシだった。 医術の心得のない俺にだって分かる。尋常じゃない痩せ方だ。たった半月の内に、いったい何があった? マリーがうっすらと目を開けて、俺の姿を見ると小さく何か呟いて起き上がろうとした。だが、クレストの手がそれを許さない。 「急ぎの話でなければ、明日聞く」 「俺の話は明日でいいよ。でもな、クレスト。マリーがどうしてそんな状況になってるのか教えてくれ」 「……お前に話すことはない」 「クレスト!」 思わず叫んだ俺の声に、マリーの身体が小さく震える。 あぁ、違う。君を怖がらせるつもりはないんだ。 「カルル、帰ってくれ。―――アマリア、案内を」 意固地になったクレストを考え直させるのは難しいと知っている。だけど、この状況を放置する気はなかった。 「クレスト、明日、詳しい話をしてくれるんだろうな」 「……それが必要なら、な」 エメラルドの瞳がいつになく硬質な輝きで俺を射抜く。新兵なら震え上がるところだろうが、何年も付き合いのある俺には「すげー怒ってる」程度の認識しかない。そして、長年の付き合いのある俺には、今はこれ以上の譲歩はないと分かっていた。 「分かった。また明日だ」 「……」 了承の返事はもらえなかったが、明日は職場で嫌でも顔を合わせる。その時に何としてでも聞きだしてやる。 メイドさんに案内され、再び玄関に戻った俺だが、迎えた家令の顔は暗いものだった。 「クレスト様のご様子は?」 「申し訳ありません。カルル様にもお話できることはない、と跳ね除けられてしまいました」 悔しさからか唇を噛み締めるメイドの報告に、家令は予想範囲内のことだったのか、小さく頷いた。 「カルル様。主が失礼を致しました。―――もし、差し支えなければ、お時間を頂けませんでしょうか」 「それは、マリーのこと?」 「はい。このような厚かましいお願いをするのは当家の恥とは理解しております。しかし、このままではマリーツィア様の命に関わりかねません」 「うん。俺もマリーがいなくなると困る。是非、話を聞かせてくれ」 そうして案内された別室で家令とメイドから聞かされたのは、ある意味では想定内の、別の意味では予想外のことだった。 一通り話を聞いた俺は、マリーを、そしてクレストを心から心配している様子の二人に「対応を考えてみる」と告げると邸を後にした。 上の空で薄暗い町中の、慣れた道筋を辿り、帰宅する。 騎士団の制服を脱ぎ、家人の出してくれた夕食を口に運び、自室に戻る気も起きないまま、何となく書斎へと足を運んだ。 正直、どう働きかければ良いのか分からない。 精神的に参っている、というのはメイドの私見だけれど、あれだけ強いマリーが弱るということが考えにくかった。やっぱり何かの病気なんじゃないだろうか。 だが、本当に病気だったとしても、クレストを説得して医師に見せるのもまた、苦労するだろう。クレストも納得する医師を見つけなければ。いや、男の医師を問答無用で突っぱねられるかもしれない。かといって産婆以外の女性医師など皆無だし、枯れきった老医師を探すしかないか。 (親父殿のコネを借りるか? ―――う~ん。今、あんまし親父殿に切れるカードがないんだよな) 俺の家は家族と言えど、何か頼みごとをするには対価が必要だ。商家ならではの教育方法なんだろうけど、こういう時はうっとうしい。かと言って、マリーの状態をこのまま見過ごすことはできない。 「―――カルル?」 「姉上?」 うっかり思考の海に深く潜り過ぎてしまったようだ。姉上が入って来るのにも気付かないなんて。 「そろそろウェディングドレスのデザインは決まりましたか? 今日もオリヴィア・パルトノーイのサルトへ行っていたんでしょう?」 「おかげさまで、ようやく確定したわ。まさかここまでドレスに手間取るとは思わなかったわ」 四ヶ月後、春先に結婚を控えた姉上は、やたらと準備に忙しく、先方との打ち合わせや小物やドレスの手配に引っ張り出されていた。 「それで、カルル。あなたは?」 「はい?」 「あなたの言うように、わたくしは忙しい身なの。手っ取り早く済ませたいわ。とっとと白状なさい。―――今日、何があったの?」 うはぁ、と思わず呻くような声が漏れた。 はっきり言ってしまえば、俺は姉上殿には頭が上がらない。だが、それでも商家バルトーヴ家の者だ。対価なく情報を洩らすなんて――― 「姉上。最近、マリーと手紙の遣り取りとかしてますか?」 「いいえ、丁寧なお礼状をもらって、それに返事をして、それきりよ。わたくしの手紙はきちんと届いているのかしら? クレストも随分と独占欲が強いようだから、心配していたのよ」 「マリーのこと、どう思ってます?」 「大事なお友達、よ。あそこまで純粋な子は王都にはいないわ。頭の回転も悪くないし、話しているだけで癒される。―――マリーに関わることなのね、愚弟」 愚弟と呼ばれて喜ぶ趣味はないが、言いたいことを察してもらえて本当に助かる。それに、この様子なら、協力してもらえるかもしれない。女性の心理は同じ女性の方が推理しやすいだろう。 「マリーが危機的状況に追い込まれているようです。俺に話せということは、協力するということと同じですよ」 「見くびらないでちょうだい。『例の件』に同意した以上、マリーの危機を看過する理由などなくってよ。それに……、一つ、認識違いがあるようね」 「?」 「わたくしがマリーを助けようとすることと、あなたに協力することはまた別よ」 つまり、マリーを助けることに同意はしても、俺と協力して助けることはないかもしれないと。下手をすれば、姉上に俺が協力する羽目になるのか。 あぁ、本当に姉上には敵わない。 俺はクレストの邸で得た情報を伝えた。 マリーが顔色悪く痩せてしまっていること。クレストによって奴の部屋から出ることも許されていないこと。一日のほとんどを寝て過ごし、食欲も落ちてしまっていること。メイドの見立てでは精神的なものだということ。 「医師にも診せてないの? ―――最低ね」 氷の貴公子という二つ名を持つクレストを、心の底から「最低」と罵れる女性は姉上殿ぐらいだろう。普通は、あの美貌で妙な補正がかかって、そんなことを思わない。 「そのメイドはマリーと親しいの?」 「え? あぁ、同じメイドをずっとマリーに付けてるって聞いたことがあるから、付き合いは長いと思いマス、ハイ」 予想外な質問に、俺の語尾が怪しくなる。どうしても姉上相手だと気後れしてしまう。いつかはこんな力関係をひっくり返したいと思うものの、そのきっかけは掴めないでいる。あぁ、哀しい。 「でも、正直、マリーはそんなに弱い子じゃないでしょ。あの年にしては随分としっかりした物の考え方してるしさ」 そう意見を口にすると、姉上に睨まれた。何故だ。 「―――だから、あなたはいつまで経っても愚弟なのよ」 酷い罵られようだ。 「もう少し、人の心の機微を汲み取りなさい。そんなことだから、いつまで経っても特定の女性一人作れないのよ」 どうしてここまで軽蔑されるのか分からない。 「このままじゃ、どこぞの令嬢と政略結婚しても上手くいかないわ。もっと精進なさい」 残念ながら、俺には頷くことしかできなかった。 あぁ、弟の立場って、本当に弱い。 | |
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