TOPページへ    小説トップへ    重たい執着男から逃げる方法

 15.ただいま


「マリーツィア!」

 あぁ、こんなに焦ったクレスト様の声を聞くのなんて、いつぶりだろう?

「お帰りなさいませ、クレスト様、マリーツィア様」
「ハール! 医師だ。医師を呼べ!」
「……マリーツィア様?」

 私は、指先ひとつ動かすのも億劫な中、なんとか腕を持ち上げた。途端に、ぐいっと手首を掴まれる。
 触れたのは、おそらく私を抱くクレスト様の頬。

「マリーツィア!」
「……クレスト様、単なる魔力の使い過ぎなので、寝てれば直ります」

 あぁ、ちょっとクラクラする。瞼を持ち上げるのもしんどい。

「だが、マリーツィア。ひどい顔色だ」
「お医者様を呼んでいただいても、何も変わりませんから」
「マリーツィア」
「だから、だいじょ、ぶ、です」

 耳元で、焦ったように名前を繰り返す声が聞こえた。
 けど、もう限界だった。
 眠い。

 そうして、私の意識は睡魔に絡め取られて落ちていった。


 まず揉めたのは、都への帰宅方法についてだった。
 私は、来た時と同じように、各自で帰ればいいと思っていたけれど、クレスト様がそれを許すはずもない。うん、ちょっと考えれば容易に想像がつくことだった。

 最初にクレスト様の出した案は、クレスト様の愛馬に私も乗せていくというもの。さすがに、二人乗りの負担について懇々と説き伏せた。
 クレスト様の馬は、クレスト様を個人的に支援されている貴族の方から頂いたもので、無碍に扱ってよいものじゃない。それに、クレスト様が馬を拝領した際の話は、それこそクレスト様本人からも聞いたことがある。なんでも名馬の血統らしく、クレスト様の将来を見込んでくださったのだとか。そんなお馬様に無茶させちゃいけません。

 次に出してきた案は、私とともに乗り合い馬車で帰るというもの。愛馬をどうするのかと尋ねたら、あとで迎えに来させるという。
 けれど、これにも問題がある。世の中には馬のすり替えという犯罪もあって、毛並みの似た馬と取り替えられてしまうことがあるんだそうだ。どんな人に迎えを頼むのか知らないけれど、大事な馬なんだから、自分で管理して欲しいと思う。

 その次の案は、悪いけれど、一刀両断させてもらった。馬車を仕立てるとか言うんだもの。お金の無駄遣いに他ならない。あれだけ、真剣にお金の話をしたというのに、分かってもらえていないんだろうか。
 まぁ、どうしても私と一緒に帰りたいという意欲だけは伝わった。うん、そこはどうしても譲れないポイントなんだとよく分かった。

 で、色々と話し合った結果、最終的に決まった妥協案が「自分の身体を軽量化した私がクレスト様と一緒に馬に乗って帰る」というものだった。

「マリー、揺れは大丈夫か?」
「大丈夫です。もう少し早く駆けていただいても結構ですから」
「だが……」
「本当に大丈夫ですから。遅くなると、今日中に帰り着くと思ってるハールさんが心配しますし」

 パカポコと歩く馬の上で、私はどうにかその足を速めてくれないかと説得中だ。
 クレスト様の前で横向きに――安定感を求めて跨ろうとしたら厳しく止められてしまった――座った私は、自分とクレスト様を腰のあたりで細いロープで繋いだ挙句に、クレスト様に抱きつくようにしがみついてる、まさに羞恥プレイな状況だった。
 優雅に歩いているお馬様には悪いけれど、もう少し速く駆けて欲しい。

 軽量化にもデメリットがある。馬の負担にならないように、と羽ほどの軽さになった私は、それこそ風に煽られたら飛ばされてしまうのだ。時折、風に吹かれてなびく私をぎゅっと抱きしめるクレスト様が嬉しそうなのは、きっと気のせいじゃない。
 誰得な案かと言われたら、十割でクレスト様が得をしている。

「クレスト様?」
「……マリーは馬に慣れていないだろう? 速歩でも随分と揺れるものだ。こんな不安定な状態で、それは―――」
「速歩でも襲歩でも大丈夫ですって、ちゃんと掴まってますから」
「だが」
「それに、たぶん速い方が楽なんですよ」

 私は、とりあえず今の体重が羽毛並みだということから説明する。そんな私だから、前方からある程度の風圧を浴びれば、お尻が少し浮いて、完全にクレスト様に身体を預けるような形になると思うのだ。そうすれば、弾んだ拍子に打ち付けられてお尻が痛くなるようなこともない、とゆったり歩く馬上で必死に話す。

「だから、私がちゃんとしがみついてさえいれば、そっちの方がむしろ楽……きゃっ」
「分かった。君を離すような真似は絶対にしない」

 ちょ、片手を腰に、って片手で手綱握って速歩とかやめて! というか、これ本当に速歩? 襲歩になってたりしない? いやぁぁぁぁ―――!

 風に吹かれた私は、予想通り少し浮いてクレスト様に押し付けられるような形になる。予想外なのは、風に煽られる頼りない自分の身体が怖くてたまらないということ。だけど、それを告げれば牛歩のようなノロノロになってしまうわけだし、そもそも私は恐怖でクレスト様にしがみつくことしかできなかった。

 結局、宵の口に到着するはずが、日が落ちる前に邸に着いてしまった。

 厩の前でようやく止まってくれたクレスト様から腕を離した私は、万が一のために括っていた細いロープをほどく。

「別に、そのままでもいいが」
「動きにくいのでやめてください」

 さすがに承服できない。ずっとくっついたまま、ってどれだけ不便だと思っているんですか。
 指に力を込めてほどくと、何だか残念そうな吐息が頭にかかった。そんなため息ついたって、絶対に譲歩しませんから。

 クレスト様は先に降りると、私に当然のように手を差し伸べる。さすがにこれは断る理由もないので、そのまま手を伸ばそうとした瞬間、突風が吹いた。いや、突風というほどじゃないけれど、私を吹き飛ばすには十分だった。

 ふわり、と浮いた私の目に、珍しく狼狽も露わに両目を見開いたクレスト様が映った。

「マリーツィア!」

 手首を力強く掴まれた、と思った瞬間、私はぎゅうぎゅうとクレスト様の胸板に押し付けられていた。
 危なかった。そのまま王都・空の旅へ出発してしまうところだった。冷たい汗が首筋を流れる。

「すみません、クレスト様。もう、軽量化は解除しましたから」
「……」
「クレスト様?」

 ぐっと胸を押し返して上を向くと、なんだか鋭い光を宿したエメラルドとかち合う。

「……君は、俺を殺したいのか」

 そこで、ようやくドクドクと脈打っているのが、自分の心臓だけではないことに気付いた。

「す、みません。それと、ありがとうございます」
「頼むから、マリーツィア。気をつけてくれ。君一人の身体じゃないんだ」
「ふぁっ?」

 それ違う! 言葉の選択間違ってます!
 別に私、妊娠なんてしてません!

「君に何かあれば、『クリス』もいなくなるだろう?」
「……あ、そう、ですね」

 なんだ、そっちの話か。

「それに、君がいなくなれば、俺も生きる意味がなくなる」

 ……すみません、そっちは重過ぎる話なので、聞き流してもいいですか。

「えっと、クレスト様。私、折角ですから、この子を労ってあげたいんですけど、ブラッシングとか……」

 どうにか話題を変えようと、私はさっきまで乗せてもらっていたお馬様に視線を移した。
 本当に、ご苦労様でした、としか言い様がない。行きはどうだったか知らないけれど、小休止はあったものの、半日走ったわけだから、きっと疲れているに違いない。水と飼い葉とブラッシングの中で、私がお役に立てそうなのはブラッシングぐらいだ。いや、水も飼い葉も何とかできる、かな?

ぶるるっ

 お馬様を労おうと、その鼻面に手を伸ばしたところで気がついた。馬自身が右後脚をしきりに気にしている。

「クレスト様、この子の後ろ足」
「あぁ」

 驚いた様子もなく頷いたクレスト様の顔を見て、すぐに思い当たった。そうだ。走らせていたクレスト様が気付かないはずはない。

「知ってたんですか?」
「あぁ」
「どうして、止めてあげなかったんですか!」
「マリー。君とともに王都へ到着することを優先させた」

 さらりと言い切ったクレスト様の声が、あまりにも平素と変わらないことが、逆に私の怒りに火をつけた。

「そこは、止まって様子を見るべきところでしょう!」
「……マリーツィアの安全が優先だろう」

 それでも、答えるまでに少しだけ沈黙があったことに安堵した。もちろん、だからと言って、怒りが沸きあがらないわけじゃない。

「どうして私に向ける配慮の半分も、他に向けられないんですか! 仕事の相棒に対する仕打ちじゃありません!」

 馬は脚が命だ。走れなくなった馬は、そこから病気になってしまうのだと聞いたことがある。
 それなのに、クレスト様のこの仕打ちはひどい。

 私は腰に下げたポーチから黒いインクを取り出した。

「クレスト様、馬の前で、この子を宥めててください」
「待て、マリー。何をする気だ」
「この子を診ます。……早くしてください」

 軽い捻挫程度だと思いたいけれど、どういう状況か分からない。それなら、きちんと治癒するのが一番だ。
 もちろん、クレスト様にそれを説明するつもりはない。魔力をバカ食いする治癒の魔術を使うと知れたら、止められることは想像に難くないからだ。

 こういうことを独断でやるから、クレスト様の信用をなくすんだろうけど、正直、ここで止められたくもないし、クレスト様を説得する時間も惜しい。

 私を気にしながらもクレスト様が馬の顔の前で首をたたいて宥めているのを確認し、インク壺に指を突っ込んだ私は、お馬様の脚にぐるりと治癒の陣を描いた。前にミルティルさんを治したときと違って、消毒や増血、麻酔なんかはいらない。ただ治癒するだけ。

 私は、小さく息をつき、描き終えた陣に触れながら発動の意志と魔力を流し込んだ。

 幸いに、どこか炎症を起こして腫れていただけのようで、すぐに治癒は完了した。普段なら、ごっそりと魔力を持っていかれたな、と思うぐらいなんだろうけど、少し、タイミングが悪かった。そう、今日は半日近く軽量化しっぱなしだったのだ。
 私の視界がハレーションを起こし、身体の中心が、すぅ、と冷たくなる。貧血みたいな症状だけど、覚えがある。魔力の使い過ぎだ。

「マリーツィア!」

 立っていられずしゃがみ込んだ私を、クレスト様が抱きかかえた。

「ひどい顔色だ。……ベリル! 馬房に入れ!」

 ぶるるる、と鼻を鳴らした馬が遠ざかる。
 まさか、自分から厩舎に入るなんて、なんて賢い子なんだろう。さすがお馬様。

 がこん、と木が擦れるような音があったのは、クレスト様が厩舎の入り口を閉めた音だろうか。
 あぁ、だめだ。眠くてたまらない。

「お帰りなさいませ、クレスト様、マリーツィア様」
「ハール! 医師だ。医師を呼べ!」

 単なる魔力不足なだけなので、お医者様は不要ですよ。クレスト様……


「……まぶ、し」

 我ながら暢気な声が出た。
 見慣れた自分の部屋。入ってくる西日が眩しかった。

「マリーツィア」

 私が起きたことに気がついたのだろう、覗き込んで来たのは、こちらも眩しい美貌の主。もとい、クレスト様だ。

 大して眠ってない割には、随分とすっきりしていた。まさか、魔力回復速度までおかしくなってしまったとか?

「喉は渇いていないか?」
「そ、ですね。……あれ、結構、喉、っていうか、お腹すいてます」
「丸一日寝ていたんだ。無理もない」
「えっ?」

 がばり、と起き上がったら、くらり、と眩暈がする。目を閉じて耐えていると「無理をするな」とクレスト様の手が私の背中に添えられた。

「ずっと寝っぱなしだから、ちょっとくらくらしただけです。大丈夫ですから」
「大丈夫なものか。何もないのに丸一日眠り続けることなどないだろう」
「……ですから、単なる魔力の使い過ぎです」

 あ、すごく冷たい目で見られてる。

「軽量化か? それとも、馬に描いた方か?」
「……えぇと、おそらく、両方、です。軽量化はそれほど魔力の消費は多くないんですけど、ずっと発動させっぱなしでしたし、馬に描いた治癒は……って、そうです、あの馬は大丈夫ですか」
「馬のことはいい。君のことだ、マリーツィア」
「でも、馬の脚は」
「あれから何ともないように歩いている。……マリー、あの陣は何だった?」

 馬が無事だと聞いて胸を撫で下ろしたけれど、クレスト様の視線が冷たい。これ、正直に言ったら怒られそうなんだけど。

「マリーツィア?」

 俯いた私の顎を、クレスト様の指が、すいと掬い上げる。絡まる視線に、その冷たいエメラルドに見えるのは、怒りと、……焦燥?

「治癒の陣、です。治癒はどうしても魔力を多く浪費してしまうので」
「どうしてそんな無理をする」
「先に馬に無理をさせたのはクレスト様じゃないですか」

 ここは引く気はない。
 心配させたのは悪いと思っているけれど、そもそも馬に無理を強いたのはクレスト様だ。お仕事でも使う大事な馬なのに、何を考えているのかと、叶うならば一時間ほどお説教したいところだ。まぁ、叶わないのは知っているけれど。

「マリー。君が意識を失ったとき、俺がどれほど心配したか分かるか?」
「っ、それは、……申し訳ないと思ってます。でも、私、ちゃんと魔力不足だって、寝れば直るって言いましたよね?」
「あぁ、だが、翌朝になっても目を覚まさないとは聞いていない」

 ぐ、私もそこまで眠ってしまうとは思わなかったんだから、仕方ないじゃないか。

「でも―――」

 それでも、私は、あのときできる限りのことはしたかったんだと、それを伝えるために口を開いた。
 もう変な遠慮はしない。クレスト様のことを理解したいし、私の考え方も理解して欲しい。
 それが、今回の旅行で得たことなんだから。

「やっほー、クレスト。……って、マリーも元気そうじゃん」
「カルル!」
「にいさま!」

 ノックもせずに入って来たのは、カルルにいさまだった。ここ、一応私の部屋なんだけど、いきなり入って来るのってどうなの? ……って思ったら、後ろで止めきれなかったアマリアさんが、おろおろしているのが見えた。

「クレスト。玄関でフィンが書類持って待機してるんだ。頼むな」
「お前は」
「オレはここで妹と話してるからさ」
「カルル、お前も来い」

 クレスト様が睨みつけているのに、カルルにいさまは飄々と笑顔を浮かべている。長年の付き合いだからだろうか、普通はあの目で睨まれると怯むのに。

「えー? オレだってマリーの旅行の話聞きたいし? ほらほら、フィンが中隊長殿の決済待ちの書類持って待ってるって」
「……クレスト様。私は大丈夫ですから、行って差し上げてください。フィン様もクレスト様がいらっしゃらなければ帰れないのでしょう?」

 私の言葉に、クレスト様は一度カルルにいさまを睨み付けると「アマリア、目を離すな」と命じて部屋を出て行った。アマリアさんは申し訳なさそうな顔で私に一礼すると、部屋の入り口近くに立つ。

「ねぇ、マリー。無事に『クリス』のスペアは作れた?」
「はい、滞りなく。……あ、そうでした。近々、正式に報告が行くと思いますが、新しい手法の焼き物ができました。うまく流行するかは分かりませんけど、味というか温かみがあって私は好きなんですけど―――」
「へぇ?」
「あ、アマリアさん。私の荷物って」
「まだ荷解きをしておりませんが、こちらに―――いけません、マリーツィア様」

 寝台から抜け出そうとした私を厳しい声で押しとどめたアマリアさんは、私の前に立つと、ショールを肩に掛けてくれた。そのままテキパキとくるむように巻くと、端をブローチで留めてくれる。

「そのような薄着で、たとえご家族であったとしても無防備なお姿を晒してはいけません」
「はい。ありがとうございます。アマリアさん」

 アマリアさんに手を引かれてイスに座ると、膝にも織物を掛けられた。

「カルル様もどうぞ」
「うん、ありがとう」

 私の向かいに腰を下ろしたカルルさんは「オレがやったらクレストに殺されちゃうからね」なんて嘯いていたけれど、うん、確かにその通りだと思う。配慮が足りなくてすみません。

「お荷物から、陶器を出せばよろしいのでしょうか?」
「あ、はい。お手数をおかけします。えっと、茶色い無地の布に包んであるものなんですけど」

 アマリアさんはすぐにそれを探し当てると、布に包まれたままの状態で、そっと机に置いてくれた。

「ありがとうございます」

 私はするり、と布を取り払うと、テーブルの真ん中に立てて見せる。
 葦を斜めに切った、その切り口を外に少し開かせたような、そんな形をした一輪挿しだ。鶯色の地に白っぽく雫が垂れたような模様をしている。

「うーん、何ていうか、地味? あと形が妙?」
「すみません、形はその、私がアシンメトリーなものを、って言ってみたので、ちょっと変かもしれないんですけど、見て欲しいのは模様の方なんです」

 ミルティルさんの息子さん、ホルトさんの考えたこの模様は、灰を混ぜた釉薬を上部に垂らすことで伝い流れる雫がそのままに残っている。

「色は、こっちの方が温かみが出るかな、と試してもらったんですけど、その、私、こういうものの方が好みなので。……でも、自然と流れるものを利用しているので、同じものを二つと作れないのが逆に強みにならないかなぁ、と」
「うーん……、バリエーション次第、かな。まぁ、正式なルートで上がってきたらまた検討してみるよ。―――この色は新しいもののようだけど?」
「はい。新しく配合してみました。でも、絵付けにはパッとしない色なので、逆に地の色にして白を乗せるのもいいかな、って検討してます」
「そうだね、そっちも試作品が出来たら回してもらえるのかな」
「はい、その予定です」

 これで、商売的な話はおしまい。
 ……私は、こほん、と咳払いをした。

「それで、その―――」
「うん、まだあるのかな?」

 私は、恥ずかしさでばくばくと鳴る胸を、そっと上から押さえた。

「以前、質問をされた、……クレスト様のどこが好きか、という話、なんですけど」

 カルルにいさまの藍色の瞳が、きゅるん、ときらめいた。

「うん、聞かせてもらえるのかな」

 あれ、そんな話あったな、なんて呟きませんでした? もしかして、真剣に回答しなくてもいい話だった?

「マリー?」
「……えぇと、答えなくてもいいですか?」
「そりゃないよ。せっかくだし、にいさまに教えてごらん?」

 セリフが胡散臭い。
 とはいえ、こちらもせっかく答えを見つけ出して来たことだし、今だけは羞恥心を横に追いやって答えることにしよう。
 あとで、アマリアさんには口止めしたいところだけど。

「その、私は……クレスト様の、かわいいところが好き、みたいです」

 ぶひゃ、と変な音がした。
 目の前のカルルにいさまは、口元を押さえて震えている。ちらりと控えるアマリアさんを見れば、目を丸くしてこちらを見ていた。
 私、そんなに変なこと言った?

「ちょ、ま、……マリー? 今、オレ、の、聞き違い、かな?」
「えぇと、クレスト様のかわいいところが、と」

 ぶふっ、と吹き出すカルルにいさま。
 人が真剣に話しているのを笑われるのは、かなり辛いんですけど。

「ふ、普通、は、かわいい、じゃなく、って、かっこいい、だと思うんだけど……っ」

 カルルにいさまの声があちらこちらに跳ねる。跳ねっぷりは、そのくせっ毛といい勝負ですね、なんて皮肉の一つも言いたくなった。この場にアマリアさんがいなかったら、言っていたかもしれない。

「旅行に出て、まで、出した答え、がそれ、……とか、ちょ、お腹、痛っ」

 もう目の前の人を放置して、食堂の方にでも行ってしまおうか。まぁ、寝巻きな状態では、それもどうかと思うけれど、喉も渇いているし、お腹も空いてる。
 目の前で震えてお腹を抱える義理兄を冷ややかに見つめることしばし、このまま待っていても仕方ないと判断して、アマリアさんに空腹を告げることにした。

「―――カルルのせいで、今回の旅行を?」

 冷ややかな声が響いたのは、その瞬間だった。

「クレスト様。……えぇと、フィン様のご用事は?」
「終えた。フィンも帰らせた」

 どうしよう。カルルにいさまの命が危ない。
 どこから聞かれてたんだろう。
 ……そして、この空腹をどうしよう。

 なんだか、三番目が一番重要な気がしてきた。にいさまは自業自得だし、どのみちクレスト様には全部聞きだされる羽目になるんだろうし、それならこの空腹をどうにかしたい。

 クレスト様の氷の眼差しが、まだお腹を押さえるカルルにいさまを射抜いている。

「いや、ほら、クレスト。今回オレも中隊長代理がんばったろ?」
「……元凶がお前なら、当然だろう」

 ちらり、とアマリアさんを見るも、アマリアさんも止めかねている。うん、クレスト様の怒りが怖いのは分かる。
 これ、収拾つけないと、私の空腹も収拾つかない気がしてきた。

「クレスト様。その件だけではなくて、『クリス』のスペアはどうしても必要だったんです」
「だが、こいつの言葉も切っ掛けの一つだろう?」

 うぅ、それは否定できない。
 でも、このまま収拾がつかないと、私のお腹がくうくう鳴き始めそうだ。
 もうこの際、カルルにいさまがどうなってもいいから、食べに行きたい。

「あ、クレスト様。フェネル料理長に、台所の使用許可をとってもいいですか?」
「もちろん」
「それじゃ、早速、聞いてみます。アマリアさんも行きましょう」

 私は困惑しながら頷くアマリアさんと一緒に、部屋を後にした。
 フェネル料理長の作ってくれたオートミールは大変美味しゅうございました。
 え、カルルにいさまのその後? 知りません。

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