TOPページへ    小説トップへ    重たい執着男から逃げる方法

 7.はた迷惑なにいさま


『小説家になろう』で開催した「お兄ちゃん大好企画」用小話です。
作中で「お兄ちゃん」に「大好き」と言わせるだけの企画です。


「エデルねえさま!」

 ラウパッハ侯爵の次男に嫁いだエデルねえさまが、里帰りをされると聞いて、どうにかクレスト様を説得してやって来たのは、設定上の実家、バルトーヴ子爵邸だった。

「まぁ、マリー、お久しぶりね」

 にっこりと微笑むエデルねえさまは、相変わらず美しかった。同じ栗色の髪を持つカルルにいさまと並ぶと、その美しさが際立つ。男女の差、だけでなく、確固たる自信に裏打ちされた内面からの美しさ、とでも形容すればいいだろうか。
 何故か、ねえさまの斜め前に座っているカルルにいさまの顔が引き攣っているような気がするのは―――どうせ、また変なことを言ってエデルねえさまからお説教でもくらっていたんだろうから、放置しておくに限る。

「クレストも久しぶりですわね。相変わらずマリーの後ろにくっついていらっしゃるの?」

 あれ、何かエデル姉様、いつにも増して毒舌です。指摘の通り、私の後ろに立っていたクレスト様からぶわり、と冷気が放出された気がするのは、……うん、見なかったことにしよう。
 そもそもエデルねえさまとクレスト様の力関係は、はっきりいしているから、気を揉むこともない。エデルねえさま最強。この一言に尽きる。
 促されるまま、クレスト様と一緒にエデルねえさまの真向かいに腰を落ち着けると、私は思わずまじまじとエデルねえさまを見つめてしまった。

「先日、デヴェンティオの方へ行ったときに調合した薬茶です。美容に効果のある薬草をブレンドしたので、よろしければ試してください。味も問題ないようでしたら、販路に乗せようかと思っているんです」
「まぁ、本当にマリーは多才ね。姉として鼻が高いわ」

 微笑んで薬包を受け取ってくれるエデルねえさまだけど、うん、やっぱり気になる。以前、お会いした時よりも、肌が少しくすんでいるし、目元も黒ずんでいるのは……隈?
 どう切り出そうかと、視線を泳がせていると、エデルねえさまが「ふふっ」と上品に笑った。

「マリーは本当に変わらないわね。可愛らしいまま。―――ねぇ、薬師としての貴女に相談があるの、よろしくて?」
「え? あ、はい、私でよければ……」
「却下だ」

 思わず隣に座るクレスト様を見上げた。人の言葉を遮ってまで断る、ってどうなの?

「クレスト。わたくしは、貴方に聞いていなくってよ?」
「エデル嬢が絡むと碌なことにならない。相談ならば、ラウパッハ侯爵ゆかりの医師がいくらでもいるだろう」
「えぇ、それでもわたくしは、今、マリーに頼んでいますの。おわかり?」

 それがどうした、と胸を少し張るエデルねえさまも譲る気はないらしい。これはどう治めたものか、とカルルにいさまを見れば、何故か肩をすくめられた。お手上げらしい。

「そこまで頑なに拒絶されると、わたくし、昔の話を思い出してしまいそうね。たとえば、貴方が騎士見習いだった頃の話とか、それ以前の話とか?」

 にっこり微笑むエデルねえさまは、微笑んでいるはずなのに迫力を感じた。その矛先がクレスト様に向いているのは分かるんだけど、隣に座っている私も怖い。

「クレスト様、私からもお願いします。エデルねえさまに恩返しがしたいんです」

 慌てて後押しになればと、隣を見上げれば、非常に不機嫌な顔のクレスト様の瞳が向けられた。

「カルル。クレスト様を母のところへ連れておいきなさい? 久々に顔を出した義理息子と話したがっていらしてよ」
「あー、はい。了解です、姉上」

 ソファから腰を上げたカルルにいさまが、クレスト様を促す。さすがに義理姉と義理母のプレッシャーに勝てなかったのか、クレスト様はエデルねえさまを一睨みして立ち上がった。

「マリー。何かあれば呼べ」
「はい」

 おそらく、何もないと思うけれど、素直に頷いておく。そうでないと、まだゴネそうだもんね、クレスト様。

 二人が出て行くと、エデルねえさまは「本当に離れたかしら?」と呟いた。

「あのお二人にも聞かれたくない話になりますか?」
「そうね。あまり知られたくはないわね」

 私は、「少し失礼します」と紙とペンを取り出すと、遮音の魔術陣を描いた。効果範囲は、とりあえず陣から半径1メートルもあれば十分だろう。首から下げたネックレスを外し、トップのエメラルドにぎゅむぎゅむっと魔力を込めて、陣の中央に置く。

「これで外には聞こえなくなりました。―――どうぞ」
「まぁ、本当にマリーは気が利くわね。愚弟にも見習わせたいわ」

 上品に微笑んだエデルねえさまだったけれど、ふと、その口元が真一文字に引き結ばれた。

「子供のね、話なのよ」

 短いながらその言葉に込められた重みに、私の背筋が自然と伸びた。

「もしかして、嫁ぎ先で急かされているんですか?」
「……まだ、直接言われているわけではないわ。でも、嫁いだ以上、血を残すことは必須ですもの」

 こういった相談は、デヴェンティオで薬屋を営んでいたときも、何度かあった。もちろん、その都度、相談に乗っては何が必要なのかを頭を絞って考えたものだ。あまりにデリケートなことなので、助言にしても、調合にしても、気を遣い過ぎるということはない。

「―――旦那様、ゲオルグ様は、何と?」
「焦る必要はない、とだけ。ふふっ、あの方も、少ぅし鈍いところがありますのよ?」

 鈍い、というのは何となく私にも理解できた。直接顔を合わせたのはたった一度だけ。さらに言うなら、会話したのは、ほんの二言三言。
 侯爵という自分の血に誇りを持っている人だった。逆に言えば、貴族でない人をどこか見下しているような人だった。―――でも、話の通じない人じゃなかった。

「育った環境のせいなのかもしれませんが、少々、えーと、視野を狭めてしまう傾向がありそうな方、でしたよね」
「マリー。はっきり言ってしまってかまわなくてよ。頭が固い、と」
「エデルねえさまの旦那様にそんなことを言うわけにはいきません」

 そりゃ、エデルねえさまは自分の旦那様なんだから、言いたい放題できるかもしれないけど、私にとっては義理の兄。ついでに義兄と呼ぶなとまで言われた人だ。さすがに表現は控える。

「その、こういうことは、基本的には夫婦お互いの協力の元、というのは勿論分かっています、よね?」
「もちろん」
「その原因がエデルねえさまにあると限ったわけではないことも、ご理解いただけますよね?」
「くどいわ」


 くどいと言われても、ここは大事なところだ。頭の固い人ほど、自分に原因があるなんて認めたがらない。これは、貴族であろうとそうでなかろうと変わらない。男性としては、股間、じゃなかった沽券に関わる問題だから、認めたらアイデンティティーとかそういったものが崩壊すると思いこんでいる、とお師さまもボヤいていた。
 さて、とりあえず腹を括って、エデルねえさまをお客様と考えて、アドバイスをしてみようか。

「―――えぇと、とりあえず、夫婦の営みの頻度からお伺いします」


「あれ、マリーちゃん、一人?」
「カルルにいさま、お一人ですか?」

 部屋に戻って来たのは、カルルにいさまだけだった。クレスト様は?とカルルにいさまの後ろを探してみるけれど、追ってくる気配もなかった。

「エデルねえさまでしたら、お部屋に戻られましたけど」
「……マリーはさ、なんっつーか、姉上にほんっとーに懐いてるよね。オレの方が先に会ったのに、なんか、こう、悲しいね」
「にいさまにはもちろん感謝していますよ?」

 ノータイムで反論したけれど、同時にこうも思う。―――自分のこれまでの言動を顧みていただきたい、と。

「いやいや、感謝も嬉しいけど。そーゆーんじゃなくてさ、お兄ちゃんにもっと好意を示してくれてもいいんだよ?」

 好意?
 好意というからには、何かしら好ましい点があるという前提なわけで。
 思えば、カルルさんには助けられた数と同じぐらい困らされた経験があるんだよね。差し引きゼロ、いや、下手するとマイナスなんじゃないの、って思うぐらいに。
 ……好意、ね。

「にいさま、騎士団の同輩から何か言われました?」
「あ、わかる? 十は離れた妹がいるヤツがいてね、たまに自慢げに『お兄ちゃん、大好き』って今日も言ってもらった、とか言うわけよ」
「……うらやましくなった、と」

 そういうこと、と胸を張るカルルにいさまには、残念ながら好意の欠片も感じない。困ったことだ。
 ただ、それと同時に、こういうときのカルルにいさまが引かないということも経験上知っている。

 なんて面倒な。
 こういうときにクレスト様が傍にいてくれると、本当に助かるのだけれど、残念ながらまだ姿も見えない。
 本当は八つ当たりだと分かっているけれど、あとでその十コも離れた妹を持つ人も一緒に、クレスト様にお仕置きして欲しいと思うぐらいに面倒だと思う。

 目の前では、まだキラキラした目でこちらを見つめるカルルにいさまがいた。
 やっぱり、引く気はないらしい。

 投げやりに言えば、やり直しを要求されるだろうことは目に見えている。
 ここは最高のパフォーマンスでやっておいた方がいいだろう。1度で確実に終わらせたい。

 浮かべるのは、婚約前に散々仕込まれた淑女の笑み。口の端を引き上げて、できれば瞬きを少し大目にして―――

「にいさま、大好きです……」

 恥ずかしいけれど、はにかむようにそう口にすれば、何故か両手で口元を覆われた。そんなに気持ち悪かっただろうか?

「やばい、これイイ……!」

 小さく聞こえた呟きに、やり直しはないな、と安堵した私は、次の瞬間、凍りついた。

 タイミングが悪いにも程がある。なんだか、この人に関することは、ことごとくタイミングの神様に嫌われているらしい。
 タイミングが合わなければ、きっと監禁されることも、首を絞められることも、逃亡先で見つかることもなかった。

 でも、タイミングが合わなければ、クレスト様に出会うこともなかったと思うから、その点だけは感謝してもいい。


 で、絶対零度の寒波を背にしたクレスト様が、部屋の入り口に立っているわけだけど、残念ながらカルルにいさまはまだ気付いてない。
 彼の怒りが爆発するまで、あと3秒。



―――結論から言えば、カルルにいさまはちゃんと生きている。凄まれたり、襟首を掴まれたり、その後も色々あったけれど、一応生きている。
 それなら私は?と言えば、帰りの馬車内で延々とカルルにいさまに告げた言葉を繰り返させられている。羞恥で人は死ねる。

「マリー? 君はまた俺以外のことを考えているのか?」
「いえ、そんな、大好きなクレスト様と二人きりなのに、大好きなクレスト様以外のことを考えるわけがありません」

 こんな感じで延々と、だ。早く邸に着いて欲しい。でも、邸に着いたところで、これが終わる保証はない。

 もう、迂闊な言葉は口にしないことにしよう。心に強く誓った。

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